#03 OPPOSITES are ATTRACTED LIKE a MAGNET.
「あ〜おれもカデノーランド行きてぇよぉ〜」
清潔感のある白い天井と壁と床、消毒用アルコールの独特の匂いを運ぶように少し開いた窓から風が優しく吹き抜けている。ベッドを囲むように取り付けられたカーテンを揺らめかせることもなく、少年は小さなスマホの画面を見ていたと思えば窓の外の青空を眺めてそう吐き出した。
「おれもってことは、誰か行ってきたのかな。お友達?」
「友達も行ってるかもしんねーけど、コータくんの最新の動画見てたらめちゃくちゃ行きたくなったぁ〜」
「コータくん?」
お見舞いに少年の友人たちが持ってきた生花を花瓶に移し終えると、夕月美奈子は少年の方をちらりと見た。
「そう! 今おれたちの間で人気のユーチューバーなんだ。ゆーづきせんせー知らねーの??」
「へぇ、そんな人がいるのね……って、」
少年が見せてきた画面を見ると、そこに映る男はマスクをしていて全貌こそ見せていないものの、明らかに見たことのある顔だと夕月は瞬時に分かった。
(立花さん、何してんの?)
「そんでさぁ、いつもはコータくん一人なのに今回はせんせーとおにいさんもいてさぁ」
「そうなのね……えっ、乾さん!?」
「いぬい……? もしかしていぬがみせんせーのこと?」
「いぬ……ああ、そうそう。いぬがみ……せんせー?」
(あの二人、相当暇なのね……)
こちらも一応の変装はしているものの、見る人が見ればすぐに誰だか分かってしまう格好をした顔見知りが現れたので、声のボリュームが勝手に上がってしまう。能天気な自由人たちが揃いも揃って呑気なものだと夕月は傍観していた。すると、もう一人出てきた。テーマパークならどこにでも売っているような可愛らしいマスコットの被り物を被ったその人物は、顔がほとんど隠れているので見た目には誰だか分からなかったが、声を聞けばすぐに分かった。
(もしかして……やいちおにいさん!? 教育番組を突然降板したと思ったらYouTuberに転職してたの?)
かつて小児病棟の広間のテレビに毎日のように映し出されていたその人を、今の子供たちはもう知らないらしい。時の流れを感じて夕月はしんみりとした気持ちになる。しかしそれより、画面の向こうの奇妙なパーティーが気になってしまっていた。
「なーんだ、ゆーづきせんせーちゃんと知ってんじゃん!」
「ええ、まあ……ね」
「この三人めちゃくちゃ面白くって! コータくんだけでも面白いんだけど、アホだから」
「アホって」
「だっておれより英語できないんだ、小学生以下とかウケるじゃんか」
ああ、そう言えば……と夕月は顧みてみる。英語というよりカタカナ語全般に弱かった。
彼と食事に行くことになったとき「どこの定食屋がいいですか?」と訊かれ、「レストランではなく?」と思わず訊き返してしまったときのことを思い出す。「れす……ああ、もしかしてそういった店の方がお好みでしたか」などと彼は言っていたので、カタカナ語が弱いなどという話では済まないだろうと夕月は内心感じていた。彼は本当に現代人なのかも怪しい程不自然なまでに日本語に拘りを持つ男であった。
「あー! もうカデノーランド行きてぇ行きてぇ!!」
「なら頑張ってケガ治さないとね」
少年の右足は大袈裟なまでに包帯でぐるぐる巻きにされていて、なんとも痛々しい。
「あぁ、こんなことならヒーローごっこなんてするんじゃなかったぁ」
「たしか、階段の五段目からジャンプして着地したらケガしちゃったんだっけ?」
「だってヒーローって高いところからジャンプしてくるから……おれもやってみたくて……」
「ヒーローは特別な力を持ってるから平気だけど、普通は危ないからもう絶対しちゃダメよ?」
「はーい。カデノーランドの新しいアトラクションでヒーローになれるからもうやらないよ。あーあ早く治んねぇかなぁ」
いじけたように少年はだらんとする。手を離れたスマホの画面からは配信者たちの雑談が聞こえてくる。
(そういえば、やいちおにいさんの歌ってすごかったなぁ。聴いてるだけで元気になってくるというか……)
ふと、夕月は思い出そうとする。だがどうも思い出せない。彼の歌う映像を思い浮かべてもその歌声だけが思い出せないのだ。まるでサイレントモードにしたテレビを見ているように、周りで子供たちが笑い合う声や話し声は聞こえてくるのに画面の中のそれだけが全く聞こえてこない。そんな不思議な感覚に囚われていた。
「あ、そうだ! ゆーづきせんせーの能力でおれのケガ治せるんじゃね!?」
「ん、まあ治せないことはないと思うけど」
「じゃーじゃー、ぱぱーって治してよ!」
「うーん、そうしてあげたいのは山々なんだけどね……」
夕月は眉を顰めて困った表情を少年に向ける。確かに彼女は治癒能力を持っていた、それも自身にリスクのない単純な治癒能力だ。それを使い倦ねているのは、意地悪でもなんでもなく許可が出ていないからであった。
「失礼しま〜す……あっ、夕月さん見つけましたぁ!」
軽快なノック音と引き戸を静かに開ける音が病室全体に響く。無邪気で明るい声をあげそこに姿を表したのはセーラー服を着た三つ編みの眼鏡少女――柊祈だった。
「あら祈ちゃん、どうかしたの?」
「はい、夕月さんに能力を使って頂きたい患者さんがいまして!」
「あ! それっておれ?」
「ざーんねんっ、違いまーす」
「えー。なんでおれは治してくれねぇの差別だ! 差別!」
「差別なんかじゃありませんー! いいですか? 特殊能力はまだその原因やメカニズムが正確には解明されていない……分かりやすく言うと、よく分からないものなのです! 特に十二歳以下くらいでまだ発達途中の子どもたちがそんなものの影響を直接受けるのはとても良いこととは言えません。ですから、どれだけ良い効果があるものでも直接的に関与する能力ならば必要以上の干渉は避けるべきなのですよ!
それに、そんな簡単にケガが治ってしまってはすぐ治ると思ってまた同じ失敗を繰り返してしまうかもしれませんからね。ケガは頑張って自分の力で治さなければ! 痛みから得る経験はずっと残り続ける大事なものですから」
柊は優しく諭すように少年に語りかけ、「代わりと言ってはなんですが」と前置き持っていたお菓子を手渡した。
「んーまあ、ひーらぎのねーちゃんがそう言うならしゃーねーのかなぁ」
少年は渋々受け入れたようにボソリと呟くと貰ったお菓子の包み紙を開き口に入れる。チョコレートだ。口の中で徐々に溶け出して広がる甘みに混じるほんの少しの苦味が少年にはまだ早かったらしく僅かに顔を歪めた。
「あら、苦かったの?」
「そ、そんなことないし!」
「その美味しさも大人になれば分かるのですよ〜」
「ひーらぎのねーちゃんもそんなに歳かわんねーじゃんかぁ!」
「えへへ、わたしはもう中学生ですから」
* * *
「それにしても、祈ちゃんが直々に私を探してまで治療しないといけない患者さんって一体どんな人なの?」
「それがですねぇ……。実はその人も治癒能力を持っているのですが……」
「え?」
少年の体調確認を終え、二人揃って病室を後にする。廊下に出て夕月がきょとんとした顔を柊に向け話の訳を訊こうとしたその時、遠く見える白い廊下の先でそれでも――それだからこそ目立つ白髪が目に入った。
「だから、これくらい平気だっつってんだろ」
「平気なものですか! 黒葛原さん、昨晩から血が止まらないで此処へ来るのもやっとだったではないですか!」
黒葛原と呼ばれた長い白髪の男は、もう一人傍にいる青年――古見一希に腕を引かれて必死に帰ろうとするのを引き留められているようだった。
「……猫に引っ掻かれただけだ、騒ぐことでもねーよ」
「脇腹を狙って引っ掻くような物騒な猫、僕は知りません! それに明らかに刺し傷じゃないですか、素人目にでも分かりますよ」
「じゃあ言わせてもらうが、俺は医者だ。何が悲しくて病院の……しかも管理局附属のなんかに世話になんねーといけねぇんだ」
「あの人、黒葛原慧さんが患者さんなのです」
「なるほどね。でも彼、治癒能力者なんでしょう? ならどうして……」
遠目から問答する二人を傍観しながら柊が紹介すると、夕月は不可解だと言わんばかりに怪訝そうな視線をそちらへ向けた。
「正確に言うと治癒能力とは少し違うのです!」
「どういうこと?」
「えっとですねぇ……
「ああ! 黒葛原さん、何処へ行くんですか!」
「帰んだよ、これから回診だって時に医者の面倒になんざなってたまるかよ……」
「そうは言いましても、そんな身体で仕事をしようだなんて考えないで下さい!」
「お前もうちょい声抑えろ、ここ病院だぞ」
「ですが……!」
「はいはーい、ストーップなのです〜!」
見かねた柊が黒葛原たちの間にふわりと割って入り、指で口を塞いでいつまでも終わる気配のない言い争いを強制的に終わらせると、二人は拍子抜けしたように彼女の方に目線を落とした。
「お前、さっきの三つ編みの……」
「柊祈です、先程も名乗りましたよ?」
「ああ、悪ぃ」
「今覚えて下されば大丈夫です! それより、いい大人が病院嫌いで駄々っ子ですか? ダメですねぇ」
否定しようとする黒葛原の言葉には耳を貸そうともせず、柊は問答無用で診察室に一行を誘導する。
「はい、治療出来ました」
夕月は黒葛原の患部に手をかざし傷を塞ぐと、痛みなどはないかと尋ねた。
「ああ大丈夫だ。アンタが件の治癒能力者か」
「ええ、夕月美奈子と申します」
「夕月さんの能力は、治療法が分かっている怪我や病気であれば瞬時に治すことが出来るのです!」
「成程、文字通りの治癒能力ってわけか」
「黒葛原さんの能力はそれとは違うのですか?」
「ああ、まあ俺のは……」
渋ったようにしながらも自らの口でそれを伝えようとする黒葛原を制止し、柊は代わりに口を開く。
「黒葛原さんの能力は傷や病を対象から肩代わりする能力なのです」
「え、それって……」
「はい、相手からすれば治癒能力と何ら変わりありません。ですが相手が治ったと思った傷や病は黒葛原さんが全て背負うことになり、黒葛原さんには負担にしかならない能力なのです」
「ああ! そういうことですか!」
何かを理解したように上げられた古見の声が診察室に響いた。見えない空気は読めないのだと言わんばかりに間抜けた調子のその声は、奇しくも重苦しい空気を切り裂くようであった。
「んだよ急に」
「黒葛原さん、猫を助けたんですね?」
「はぁ?」
突拍子もない古見の発言に黒葛原はぽかんと口を開けて彼を睨んだ。
「ですから、引っ掻かれたなんていうのは嘘で、怪我をしていた猫の傷を治してあげたのでしょう?」
「……なんで、そうなるんだ」
「昨夜、黒葛原さんの自宅近くで通り魔事件の犯人が逮捕されたそうですが、丁度その時間のすぐあとに黒葛原さんは刺し傷を負って自宅に帰ってきましたよね?」
「そうだったか。んなもん知らねぇし時間なんざよく覚えてんな」
「まあ覚えているので仕方ありません。そんな誰が見ても刃物による刺し傷だと分かるのに黒葛原さんは何故か猫に引っ掻かれたと僕に言いました。そんな嘘、なんで吐いたんですか?」
「なんでってなぁ……」
「まあまあ古見先生、黒葛原さんにも黒葛原さんなりの考えがきっとあったのです!」
「考え?」
「はい! 確かに古見先生の言う通り、黒葛原さんは昨日通り魔犯に刺された猫を助けられましたよね?」
「ん……ああ、まあ……」
随分とあっさり認めてしまう黒葛原を見て古見は「やっぱり!」と言って何故黙っていたのかとまた声を出すので、責めている訳ではなくとも「うるさい」とまた跳ね除けた。
「だが、アンタがなんで知ってんのかは抜きにしても別にどうでもいいことだろ」
「それがそうでもないのです。犯人は依然、譫言を吐き出すばかりで大事なことは何も聞けていないのです!
それと、今回通り魔犯を捕まえるにあたって功績を上げられた冠崎十七夜さんという方がいるのですが……」
そう言って、柊は持っていた十七夜の写真を黒葛原に見せる。
「この人、見てませんか?」
「ああ……。そういや丁度昨日あそこにこんな奴いたな」
「おや黒葛原さんが顔を覚えているなんて珍しいですね」
「いや妙に患者面してたのが引っかかってな」
「そうですか?」
古見は十七夜の写真をじっと見てみるが、特に気になるようなところはなかった。ただいろんな人から笑顔や品物を受け取っては困惑した表情でいる青年、そういう風にしか見えなかった。
「それで、彼がどうかしたの?」
「この人、能力者なのです。端的に表現するなら……そうですねぇ……受け流しの能力――黒葛原さんのものの真逆の能力と言ってもいいかもしれません」
「真逆ってことは、自分の怪我や病気を他人に押し付けるってこと?」
「大体は合ってます。ただ、彼の場合は致命的な負傷がその身に降りかかる前に他の誰かもしくは何かに身代わりをさせるようですけど」
「まさか、それを無意識的に?」
「はい、恐らくは」
「待って柊さん。彼、僕とそう歳は変わらないように見えるんだけど」
「そこに気が付くとはさすが古見先生なのです!」
感激したように目を開き拍手したと思えばすぐにはっと我に返り、「コホンッ」とそれらしく咳払いして柊はまた口を開いた。
「能力はほとんどの場合小学校高学年から中学生くらいの間に発現します。遅くても高校生くらいの年齢のうちまでですね。そして発現してから自分の力でコントロール出来るようになるまで個人差はあっても少し時間がかかってしまうことはここにいるみなさんなら分かっていらっしゃいますよね」
一同頭を縦に振る中で、黒葛原は一際深々と頷いていた。
病弱で床に就きがちだった幼少期のことを思い出す。熱に浮かされていたとき、優しく頭を撫でられる感覚に微睡んだことを。ひんやりと触れた手が熱を解いて癒しをもたらしてくれていたことは紛れもない事実であったはずなのに。自分の能力を知ってしまい真実を突き付けられ現実を目の当たりにした今となっては全てが曖昧になって溶け出して無に還ってゆくような気がした。
「実際わたしもまだコントロール出来ていないのですけど、その中でも他者に関与するタイプの能力を無意識のうちに使ってしまうことの恐ろしさ……黒葛原さんなら分かりますよね?」
「……ああ」
「能力をコントロールするには脳などの身体的成長か感情などの精神的な成長かどちらが関わってくるのかと日々議論されていますが、どうやら後者のようですねぇ」
「うーん、そのようだね。この場合は津島先生の仮説の方が正しいのかもしれない」
特殊能力は世間一般に普遍的なものにはなっているものの、その全貌はほぼ全くと言っていいほど解明されていない。その為、研究すべき最優先事項として大学での研究が進められていた。朝日大学は特にその研究が進んでいる大学として有名である。特殊能力が魔法的であるか科学的であるかという両極端な考えがどちらも引けず劣らず対等し続けているのは、それぞれの権威である学者たちの影響が強いのかもしれない。尤も、当人たちには口論でさえ争う意思はないのだが。
「話を戻しますと、冠崎十七夜さんは昨夜、路地裏を歩いていた際に通り魔に襲われてきっとそのときに能力を発動したのでしょう。犯人は『なんで、なんで』『すりぬけた』『そんなはずない』などとずっと繰り返しているようなので、手にしていた刃物もしくは犯人自身が彼をすり抜け、そしてその前にいた猫を刺してしまった……とわたしは見ているのです」
「それでその猫を黒葛原さんが助けたと」
「はい! 傷が一晩経っても塞がらないどころか今負ったくらいに新しいということは能力が関与した負傷であることは明白だったので!」
能力による負傷は通常より治りにくいということは解明されている数少ない事実である。だからこそ管理局は能力による傷害事件には特に力を入れているのだった。
「今回は比較的小規模な被害で済みましたけど、彼がまだ能力をコントロール出来ていない状況ではいつ大きな被害が出るか分かりません。ですから、少なくともコントロール出来るようになるまでは被害が出ることのない場所に隔離する必要があると考えたのです。本当は本人を目の前にしたときに対処すれば良かったのですが、何せ通り魔事件解決のヒーローとして騒がれていたものですから……」
柊の持つ権力を以てすればそんなもの跳ね除けてでも身柄の確保など容易いだろうとその場にいた誰もが思っていたが、それを黒葛原が口に出すと彼女は人が多くいる所で無闇な行動をとるのはかえって危険だと返した。
「だが俺は、アイツとは昨日会った以外の接点はねぇぞ」
「そうなんですよねぇ……。ひょっとすれば、と思ったのですけど。でも、お二人のような対になる能力であればもしかすると自然と引き合わされるのではと考えたのです、磁石みたいに。何の学術的根拠もないのですけどねぇ」
「成程、それは興味深い視点だね。今度津島先生とも話してみるよ」
「それは楽しみなのです! ……じゃ、なくて! もし、冠崎さんに会うようなことがあれば連絡して欲しいのです! 出来るだけ早く穏便に行動に移したいので!」
「ああ、分かった」
「僕も見かけたら教えるよ」
「嬉しいのです! あ、そうだ黒葛原さん。怪我をそのままにしたらだめですし、許可なく能力をお仕事に使うのもだめですからね!」
「……気ぃ付けるよ」