#09 ENDLESS DAY and INFINITE LOOP.
管理局附属病院。茜色の夕日が射し込む廊下に整然と並ぶ中で最深部に位置する診察室に乾たちはいた。
「わーい、お姉さんに診てもらえるなんてサイコーっ」
奇妙なパーティに突っ込まれた挙句十七夜からも距離を置かれていた常之は、カデノーランドから病院までの道中終始不機嫌であったが、診察室の扉を開いてそこに待ち受けていた夕月の姿を見た途端に表情を一変させたのだった。
「おい餓鬼、変な気起こすんじゃねぇぞ」
「そうだ尾崎くん、夕月さんはあくまで俺たちを診察してくれるってだけでそれ以上はないからな」
「そういうお二人の方が何か邪なことを考えてそうですね」
「「はぁ!?」」
「皆さん、診察するのは私じゃないですからね」
いつものコントを始める乾たちに「お静かに」と忠告しながら蔑むように彼らを見ると、夕月は医師が待つというカーテンに遮られた部屋の奥へ乾から順番に一人ずつ来るように誘導した。去り際について来ようとする十七夜に「そこで待ってて」と言うと彼女は不思議そうな顔をしながらもこくりと頷き、置かれてある簡易ベッドに浅く腰掛けた。
「なーんだ、つまんないの」
「病院は詰まる詰まらないという場ではないでしょう」
「やいちおにいさんはマトモみたいで良かったです」
「瀧谷が真面……? 夕月さん、目を覚まして下さい」
「立花さん失礼ですね。ところで、私のことをご存知なんですね」
「それはもう、『おかあさんもいっしょ?』は私が学生インターンで病院に来ていたときから院内の子供たちに人気でしたから」
「それはありがたいことですが、あなたのような大人の方にも認知されてると思うとなんだか恥ずかしいですね」
瀧谷はいつも通りの硬い表情のまま照れてみせるので、傍から見れば感情がよく読み取れない。夕月も困惑した表情を浮かべ視線を少し落とした。
「あ、子供たちに人気と言えば……。あの動画なんなんです? いい歳した大人が揃いも揃って……」
「良かった! 夕月さん、見て下さっていたのですね」
「いや、この間入院してる男の子に見せてもらって初めて知りましたけど」
歓喜から一転、立花は「なんだ、そういうことだったんだな……」と形を成しきれない嘆きを漏らす。夕月に見てもらうことを最優先に考え能力を使ってまで導き出した動画のジャンルが、ターゲットとしていたはずの社会人女性には全く受けず子供たちからばかり人気を取ってしまっていた現状に合点が行き、すっきりしながらももやつくもどかしい感情を抱いていた。
「乾さんはいいとして、なんでやいちおにいさんまで参加してるんですか。子供たちを釣る為に唆されたんです?」
「いえ。立花さんとは以前海外でご一緒して以来の仲でして、乾さんは高校時代の先輩なんですよ」
「そうだったんですね。世間、狭いですね」
「唆すなんて……夕月さん、僕を一体なんだと……」
「冗談ですよ」
白衣の天使の小悪魔的な微笑みに立花は完全に心を撃ち抜かれてしまったようで、夕月の方をただ見つめたまま固まっている。
「ところでアンタさ、アイツが知った顔だからってあんま依存しない方が良いと思うぞ」
「……? どうして?」
常之は十七夜の隣に座ると、俯きがちに不安そうな彼女に彼なりの気遣いのつもりかそう話かける。すると恐ろしい程に純粋な顔を向けられてしまった。
「いや、アイツ絶対ろくな奴じゃねぇもん」
「それは私も同感だわ……」
奥からくしゃみが聞こえてきたかと思えば「また風邪引いたかな」と間抜けた調子の乾の呟きが続いて聞こえてくる。
「……って、ところで彼女は一体? 乾さんの姪っ子か何かかしら」
「彼女は……えっと、説明が難しいですね」
「十七夜は十七夜だよ」
「それで夕月さんが分かる訳ねぇだろ」
「十七夜……って、確か祈ちゃんが探してた……」
漸く正気を取り戻した立花が突っ込みを入れたのとは裏腹に夕月はその名に聞き覚えがあり、しかし記憶にある存在とは容姿がまるで違うので別人のことかと言葉を途切れさせた。
「十七夜は俺が昔拾った子ですよ」
カーテンからちらっと顔を覗かせると乾は「次、弥一の番だぞ」と言って、瀧谷と入れ替わる形でベッドの隅に座った。横切る乾を十七夜の視線が追っていた。
「拾った……?」
「言葉通りの意味です。八年くらい前かな、路地裏に落ちてた十七夜を拾ったんですよ」
「落ちてた? この子が、人がそんな財布とか鍵みたいに落ちてたって言うんですか」
「そうですね、倒れてた――そう表現する方が自然かもしれませんね」
「それで拾った……家に連れて帰ったと。誘拐じゃないですか」
「夕月さんまで何を……」
またあらぬ疑いをかけられて乾は参ったように弱々しい声を出す。立花は丸椅子から立ち上がり「お前、本当にやらかしてんのか?」と圧をかけるように乾の顔を覗き込むとネクタイの結び目に手をかけた。
「確かに、見方によれば誘拐と捉えられても仕方ないだろうな。あの時十七夜はまだ未成年で、いくら本人に家に帰る意志がなかったとしても罪としては成立する」
「なんだ白状すんのか」
「だが、十七夜は死のうとしてた。病院に連れて行ってどうなる、警察に連れて行ってどうなる? また同じことを繰り返すだけだと思わないか? 連れて帰りもせずにその場に置き去りにして、そっちの方が余程罪深いだろ。だから俺は間違ってない」
「正当化してんじゃねぇよ。だいたい冠崎が死のうとしてた証拠が何処にあんだ」
「本人に訊けばすぐ分かるさ」
そう言われて立花は十七夜を見るが、きょとんとして首を傾げているだけだ。
「おい、どういうことだ?」
すぐに乾の方に向き直ると立花はネクタイを引き寄せ無理矢理に立ち上がらせる。「苦しい苦しい」と繰り返す声には耳も貸さずにその手から力を抜こうとしなかったが、ひとたび夕月が「やめて下さい」と制止するとあっさり手を離し、乾は反動でそのままベッドに着席した。
「はぁ……。どうやら、そこはリンクしてないようだな」
乾は息を整えネクタイを正すと、目線だけ十七夜の方へ遣り「そっちじゃどんな理由で俺の家にいることになったんだ」と問いかける。
「……えっと、私じゃ、なくて……乾さん……が、私の家に……いて……」
「それって、不法侵入ってことなんじゃね?」
「不法侵入ね」
「不法侵入だな」
「待て待て、ちゃんと真っ当な理由があるかもしれないでしょう。ね?」
「理由……。気付いたときには……もう……いた、ような……」
「この子が物心付く前から不法侵入してたなんて……」
「いやいや待って下さいよ! そっちの世界じゃ本当に俺がこの子の父親かもしれないでしょ!」
「それはねぇだろ」
「ないな」
「ないでしょうね」
見事な異口同音の連続に乾は悲しくなって薄ら笑いしか出てこなかった。
「もし仮に家にいた奴が父親だとして、人違いじゃないか? こんな顔の奴、何処にでも幾らでもいるだろ?」
「……たしかに、言われて……みれば……そうかも……しれない、です……」
十七夜はじーっと乾の顔を見てみるが、見れば見る程に特徴という特徴が見出せず目の遣り場に困るだけだった。
「それで結局、彼女は何者なんです?」
「別の世界線の十七夜……って言って信じて貰えるか分かりませんけど」
「パラレルワールドの存在だって言うんですか?」
「信じられないでしょうが、これでも一応は管理局の公式見解なんですよ。正確には柊ちゃんの、ですが」
「うーん、でも祈ちゃんが言ってるならなんとなく納得出来てしまうのが不思議ですね」
その言葉は即ち〝あなたが言っても信じられなかった〟という意味を含んでいたが、そんなことに勘づくこともなく乾は「分かります」と能天気に同意していた。
「次、立花さんですよ」
奥からカーテンを開けると瀧谷がそう告げる。立花は「はいよ」と言って立ち上がり「少し待っていて下さいね、夕月さん」と格好付けた声とキメ顔を向け奥へ入っていった。
「そうだ、ところで夕月さん。さっき柊ちゃんが十七夜を探してるって言ってましたけど、ここに来てたんですか?」
「ええ、確か一週間くらい前に」
「一週間前? 妙ですね、十七夜がいなくなったのは今日のはずなのに」
「いなくなったっていうのはこの子のことではなく、この世界の……十七夜さんのことですか?」
「はい、背の高い青年なんですが」
夕月は「知ってますよ」と柊から写真を見せられたことを乾に告げる。そして、彼女から聞いた十七夜についての話を始めた。
「私も局員じゃないので詳しくは分かりませんけど、彼の能力は危険だから隔離しないといけないって言ってましたね。確か、無意識的に怪我や病気を人に押し付けるとかなんとか……。乾さんは知り合いなんですよね、何かご存知だったりしませんか?」
「十七夜の能力ですか、本人からそんな話は聞いたことないですね。尾崎くん、君はあの子と仲良いんだよね? 何も聞いてない?」
「ああ、全く聞いてねぇよ。……チッ、死にたいってそういうことかよ、ちょっとは僕にも相談しろよ……」
常之も津島と同様に能力について聞かされることで十七夜の思いを僅かながら知ることとなり、気付けなかった悔しさややり切れなさだけでなく、充分な信頼を築けていなかったのだと突き付けられ遣り場のない怒りや悲しみに苛まれた。
「冠崎さんが猟奇的な人物でない限り、能力の性質からして他人とはあまり関わりたがらないような気がしますけど」
「そうだよ、アイツは根っからのコミュ障でカデノーランドにいたときもずっと暗い顔したままでさ。普段も一人になりたいってそんなことばっかり言ってて、でも一人にしたらアイツ、いつ死ぬか分かんねぇから……って、死なねーのか」
常之は溜め息を吐き捨てると「アイツ、今どこにいるんだろうな」と呟いた。心配なんてどうしようもなくて、仮に届いたところで何の意味も成さないことをよく分かっていたからこそそれごと全部諦めきれなくなってまたエゴを膨らませていく。
そんな想いの詰まったはずの風船が手に握る糸の先、頭上に浮かんでいてこの程度なのかと思い知らされる。軽い、色の数だけ想いがあってもどれもこれも嘘のペンキに染まっているだけだ。少しでもその手から力を抜けば、置き去りにして遠くへ行き簡単に弾けて空気に溶け青空の中綿雲になってゆく。
宙ぶらりんなモノクロと目が合って現実に引き戻された。
「……別にアンタがいらないって訳じゃないさ」
「……でも……。私が、いるから……あなたの探してる、十七夜は……いなくなっちゃって……ごめん、なさい……」
「そうじゃねーだろ。すぐ謝る癖とかもアイツそっくり、そりゃそうなのか。ねえホントに十七夜なんだったら、きつねって呼んでよ」
「…………きつね、くん」
揃った膝に置いた両手でスカートをぎゅっと握りながら十七夜は小さくそれでも確かにその名を呼んだ。横髪の隙間から僅かに伏せた目と仄かに紅らめた頬が覗く。些か震える小さなその両手を包み込むように常之は自分の右手を重ねた。熱を感じて十七夜は肩を跳ねさせ彼の方を見る。点と点がまた繋がった。
「僕はどんな十七夜も好きでいたいんだ。アンタが十七夜で女になりましたって言われたくらいじゃ今更驚きもしないさ」
「……私が、きつねくんのこと……なんにも知らない、きつねくんの……知ってる……十七夜じゃ、なくても……?」
「そんなの大した問題じゃないだろ。僕は知りたいと思ったことを全部暴くだけだ。それに、元々の十七夜だって僕のことなんて少しも知らなかったし知ろうとすらしなかっただろうしな」
「……そう、かな……」
ひんやりと冷えた左手を常之の右手の上に置くと、十七夜は徐ろにただ白いだけの壁に目を遣った。
「……私は、知りたい……って、思う……。こんなに……考えてくれる、人のこと……なんとも思ってない……なんて、そんなはず、ないよ……」
「僕は全然十七夜のこと考えきれてないさ」
「それでも……私は、嬉しい……って……思ったよ……?」
「アイツもそう思ってたらどんだけ良いだろうな」
「……思ってるよ……。……私も、十七夜……だから、分かるの……なんとなく、だけど……」
「そんな曖昧な言葉、好きじゃなかったら信じられなかっただろうね」
「……そういうところ、羨ましい……な」
二人が微笑みを向け合っているところに立花が入ってきて「いちゃこらしてんな、次お前だぞ」と言って常之を手招きする。常之は空いていた左手で十七夜の左手に触れ右手を解くと何も言うことなく目だけ合わせ、立花と入れ替わるように奥へ向かった。
「この短時間に何があったんだ」
「若人たちの情熱的な告白大会かな。ああ、お父さん泣きそう」
「ありもしねぇ父性出すんじゃねぇ」
「心配しないで下さい、乾さん。あなたの娘はどこにも行きませんよ、どこにもいないんですから」
「十七夜、泣いていい?」
常之が去って出来たスペースを詰めるように乾は十七夜に近付き哀れにも縋ろうとする。一方の十七夜は「えっと……」と当惑した様子で少し身を引いていた。
「尾崎が誑かしてた訳じゃないんだな」
「それは彼女を見れば分かりますよ」
十七夜はずっと常之に触れていた手を胸の前に大事そうに当てては一目で幸せなんだと分かる柔らかな表情を浮かべている。
「なら俺は何も言わねぇよ、人の幸せに首突っ込むなんざ野暮だろ。単に尾崎の顔だけに惹かれてるってなら話は別だが、どうやらそういう訳ではなさそうだからな」
「立花さんってなんだかんだ言っても良い人ですよね」
「うるせぇ。俺は女性の笑顔を護りたいってだけで、その為に動いてるに過ぎない利己主義者だよ」
「私は立花さんのそういうところ、悪くないと思いますが」
「男に言われてもちっとも嬉しくねぇな、しかもなんか微妙に褒めきれてねぇし」
照れくさそうに顔を逸らしながら立花は先程座っていた丸椅子に腰掛ける。「照れてる、ツンデレか?」「照れてますね、ツンデレですね」と乾と瀧谷に囃し立てられると「うるせぇ!」と跳ね除け、腕を組みながら椅子を回転させ身体ごと彼らに背を向けた。子供みたいに分かりやすいリアクションをとる彼を見て夕月も思わず笑い出してしまう。
「夕月さんまで乗せられないで下さい! もし万一、尾崎の奴が法螺吹いてやがったときにはそれ相応の罰を食らわせてやりますから」
「それ照れ隠しのつもりですか?」
「結局良い奴アピールにしかなってねーぞ」
「お前らは一回黙れ! ああ、もう何を言っても仕方ねぇ気がしてきた」
「立花さんは良い人、それでいいじゃないですか。そんなこととっくに知ってますし、何か問題あります?」
「夕月さんにそう言われたら認めざるを得ないですね」
諦めたように机に突っ伏していた立花を宥めるように夕月が声をかけると、彼はやはり子供のように単純ですぐに反論するのを辞めた。
「あ、そういえば、 夕月さん。柊ちゃんが十七夜を隔離するって言ってたんですよね?」
「ええ。彼の能力は周りに危害を加えることに等しくて、コントロール出来ないままだといつか大きな被害が出るだろうから、その前に出来るだけ早く被害の出ない場所に隔離する必要があるって言ってましたよ」
「被害の出ない場所、ですか。一体どこに連れていくつもりだったんでしょう」
「お前は馬鹿だな。少し考えりゃ答えは一つだろ」
乾は全く見当がつかないようでぽかんとしている。立花が「自分の強化能力を頭に使えねぇ奴には無理か」と煽ると「やってやろうじゃないか」とまんまと叩き売られた喧嘩を買ってしまい、立ち上がって能力を発動させようと頭に手を当て力を込め始める。しかし案の定筋力強化にしか使えず、不穏な音が響いた。
「何やってるんですか」
「はあ、助かりました。夕月さんがいてくれて良かったです」
込めた力が全部手に集結する。結果、押さえていた頭を負傷する。誰でもいくらでも予測出来たことを立花が分からなかったはずがないだろうと瀧谷は「わざとですか?」と質問してみる。
「お前まじか……? 良い奴イメージ全撤回だな」
「まさか、そんな訳あるか。俺は他人の未来は見れねぇんだよ」
「未来視を抜きにしてもこの結果は私にも予想出来ましたが」
「私も嫌な予感がしたから構えてましたもん」
「ああ、お陰で早急に処置をして頂けたのですね!」
どこまでもスーパーポジティブな乾に一同、苦笑いするしかなかった。
「でも立花さんもちょっと性格悪いですよ。もし私がいなかったらあわや大惨事だったんですから」
「すみません、反省してます。でも僕にだって少しくらいは悪戯心があるんです」
「悪戯で済むか、死にかけたんだぞ」
「自業自得じゃねぇかよ。能力を操れてねぇお前が悪い」
「暴発はさせてないだろ。ちょっとの失敗も見過ごせないなんて君は随分と器が小さいんだね」
「ちょっとの失敗を何回も繰り返すだけで進歩も成長もしねぇ奴が何を言っても効かねぇからな」
口喧嘩を初め出した乾と立花を見て十七夜は止めなければと思いながらもどうすれば良いか分からずにおろおろしている。かと思えば、何も出来ない無力さを感じたのか途端に落ち込みだした。
「大の大人が女の子困らせて楽しいのか?」
カーテン越しにも当然言い争う声は聞こえていたようで、検査が終わった常之は勢いよくレールを滑らせると、呆れ切った顔をして彼らを見た。
「乾さんはさておき、女性の笑顔を護りたいと仰っていた立花さんがこれではいけませんね」
「わ、悪かったな。だからそんな落ち込むなって」
ただでさえ幼いようで確実に女性である十七夜にどう接するべきか分かり倦ねていたのに、さらに自分のせいで困らせてしまったとなるとますますどうするべきなのか正解が見えなくなる。立花は不格好に狼狽えながら定型文を唱えた。だが、当の十七夜はそれ程気にもしていなかったのか平然とした顔で彼を見ては首を傾げるだけだった。
「待て弥一、なんで俺のことはさておいた?」
「乾さんからはそんな崇高な心持ちは感じられなかったので」
「失礼だな、俺だって女性には笑っていて欲しいさ」
「成程、だからいつも笑われるような失態や奇行を繰り返しているのですね」
「俺そんな変なこと、なんかしたか?」
その場にいた全員が大なり小なりはあれど「えっ?」と声を揃える。さっきの命懸けのコントは何だったのか。尤も、それで笑っていた者もいないのだが。
「って、ああそうだ。隔離場所ってどこだよ」
「まだ分かってなかったのか。まあ意地悪く黙っとくことでもねぇし言ってやるけどよ」
「どうしてそんなに勿体ぶっているのですか、すぱっと本の中の檻だと言えばいいのに」
「本の中の檻か、なるほどな。確かにあの中なら能力そのものがないことになるしな」
「でも待てよ。アイツ……十七夜は別になんも悪いことしてねーのに捕まえられんのかよ」
「本人にその意識がなくても事件になればそれは犯罪なんですよ。そしてそれを未然に防ぐのも私たちの仕事です」
「とんだ偽善者だな、十七夜のことは全然考えてねーじゃん。いなくなったのもあの三つ編みのお嬢か管理局そのものの策略なんじゃねーの?」
「祈ちゃんがそんなことする訳……」
聡明にして純真無垢、誰にとっても最善な結果に導く為に最適の動きをする。どれだけ多数の利益になろうと誰か一人でも損失を受けることがあれば良しとはしない。曰く、「みんな幸せじゃないと意味がないのです!」――それが夕月の中に於ける柊祈という少女だった。
「ああ、あの子は頭が良いし人遣いも荒いことに違いはないけど悪意とか悪知恵が働くタイプじゃないですよね」
「局も人を陥れるような仕事は絶対にしませんよ」
「どうだろうな、もし仮に柊か管理局の仕業だとしたら不自然なくらいに辻褄が合うんだよな。尾崎も一緒にいたのに冠崎だけ帰ってこなかったのも捕らえる為だと思えば納得だろ? あとこれは存在するって前提だが、特別顧問なんて役職なら能力を妨害する力くらい行使できただろうしな」
「でもそれじゃあここにいる十七夜のことはどう説明するんだよ」
「それだって同じだ。そもそも乾の勘自体怪しいってのに瀧谷も言ってたが、いくら数え切れねぇくらいの本があってどれも現実味があるからって冠崎と同一存在に相当する奴がいるってのも既に不自然な話だろ。しかも冠崎が姿を消した瞬間に現れるってあまりにでき過ぎてる気はしねぇか? 信憑性に欠けるだろ。それも含めて、まんまと柊の掌の上で転がされてるのかもしれない」
「言い出したのは津島だったし十七夜が僕たちを騙してるとも思いたくないけど、それが一番しっくりくるんだよな」
十七夜は虚ろな目で常之を見つめている。それが「信じて」と訴えられているようで常之は当然そのつもりなのだが、自分が流れるように呟いた冗談みたいな仮説が、立花の推理によって意に反して説得力を持ってしまったが為に矛盾し合う考えの板挟みに遭っていた。
「立花さんはあんな幼い子がこんな大事を一人で企てたと言うのですか。女性には優しくがモットーの立花さんらしくないですね」
「悪事を見過ごすことは優しさでもなんでもねぇよ。俺には分かるんだ、能力の性質が同じだからな。他人には見えねぇもんが見える――お前らあの中学生を信用し過ぎだぞ」
「どういうことだ?」
「自分にしか見えねぇもんの話を誰かにしたって無駄なだけだ。だから大抵は黙ってる、誰にも言わずに隠しとくんだ。柊もなんか良くねぇもんでも見えて一人でどうにかしようとしてんのかもな」
立花は喋りながら腕を伸ばし指で作った拳銃を構え、さも何かがいるかのように天井に取り付けられた蛍光灯を狙い撃つ。
「立花さんには何が見えているのです? 未来が見れるんですよね」
「僕には貴女しか見えてませんよ、夕月さん」
「真面目に答えて下さい」
「大真面目ですとも」
最高級に澄ませた瞳で立花は夕月を捉える。夕月は「そうじゃなくて、分かってるくせに」と息を吐いて、いたずらっ子を見守る母親のように優しい目をした。
「とにかく、何を言ったって全部憶測じゃなんにも解決できねーし、僕たちも出来ることやろうよ」
「そうだな。十七夜が言ってたあの子が誰なのかも気になるし、それ以外にも君が何か思い出すことが一番の解決への近道になるだろうしね」
「……がんばり、ます……」
「どんな結果であれ、確信を持つ為の証拠が必要ですからね」
「でしたらまず、検査の結果を見てみましょうか。ちょうど全員分出たみたいですし」
夕月は医師から手渡された結果をそれぞれに配る。「能力検査とか小学生以来だったよなー」と言って立花は当時から何の検査か分からなかったことを話し出した。
「子供の頃に受けていたのは、能力の発現前と後で何らかの数値に変化がないかを確かめる検査ですね。能力研究の一環ですが、数値に変化があったのに自覚がない子たちに自分の能力を認知させる目的もあったそうですよ」
「そういや僕もそうでした。『最近何か変わったことはない?』と医者に訊かれて、そういや正夢よく見るよな……って思ってたらそれが能力だったんですよ」
「俺もやけに筋トレの成果が出やすくなったなって感じてたら能力の影響だったっていう」
「お前餓鬼の頃から何も変わってねぇんだな」
「筋トレはもはやルーティンワークというか、中学くらいになったら男は誰でもやってただろ」
「どうだったかな。んなことより夕月さん、今回の検査はそれじゃないらしいですね」
「今回受けてもらったのは、能力を受けて身体に影響がないか確かめる検査ですね。これも小学生くらいの子供の方がよく受けています。大人が受けるのはかなり珍しいですね、知らない間に、例えば洗脳などの能力にかかってる疑いがない限りしないと思いますよ。今回はかなり特例です」
「それはラッキーですね」
「ラッキーなんでしょうか?」
「他の奴らがなかなかできねーことやれたんならラッキーだろ」
「そうか否かは結果次第じゃないか?」
立花がそう言うと皆一斉に配られた紙を見る。すると一様にぽかんと口を開けた。
「食べ過ぎだぁ⁉」
「精神状態に所見あり……ですか」
「筋トレのし過ぎ? あと風邪の症状ありって処方箋付いてるし」
「異常なし、文句無しの健康体、心身共に十代並だとよ。さすが俺だな」
「お前、最後ディスられてんぞ」
「はぁ?」
「というよりこれ、能力に関係ないことばかり書いてません?」
「少なくとも本の中の檻の影響はなんもなかったってことなんじゃね?」
全員に目立った異常がないと分かると、十七夜は本人たちより安心仕切ったように胸を撫で下ろし一息ついた。
「尾崎くんの本の中での記憶が曖昧になっていってるのは天王寺屋さんの能力の影響でもなければ他の記憶操作能力が関与してる訳でもなかったということか」
「それは別にいいよ、なんかただひたすらにしんどいだけでろくな話じゃなかった気するし。あーあ、ずっと終わらない一日も考えものなんだな」
「そこで冠崎が何してたかも覚えてねぇのか?」
「えーあー……あ、すっごいぼんやりだけど、アイツ本読んでた。いや、でも普段から本ばっかり読んでたしな……混ざってるかも」
「本の中で本読んでるって別に不思議なことじゃないけど、なんだか無限ループしてそうね」
読んでいる本の中で読まれている本の中でまた誰かが本を読んでいて、またその中でも本が読まれている……これが延々と繰り返される。段々と小さくなっていく世界が果ても知らず続くマトリョーシカのようだ。
「終わらない一日と無限ループですか、なんだかとてもややこしいですね」
「万一その中にも檻みたいな仕組みがあるとすれば更に面倒なことになってそうだ。一つ一つ慎重に紐解いていく必要があるな」
「これは、とんでもないことに足を突っ込んでしまったらしいな」
「何言ってんだよ、十七夜を助ける為なら僕はどんなことでもやるよ」
「わ……私は、どうすれば……」
「十七夜は何か思い出したことを教えてくれたらそれでいいよ。それまではせっかくだしこの世界を楽しんでたらいいんじゃないかな」
「……はい」
窓の外は陽が落ちてゆき、青が闇を連れて来ようとしている。広がる薄帳に透けて僅かに覗く暖色とのグラデーションが一時のフィクションを演出する。ちらりと目を遣ると、球体を覆った空の下に立ち並ぶ都会のビル群が飛び込んできて、十七夜は知らない世界をもっと見てみたいと心が躍り出し目が離せなくなった。
「それじゃあもう遅いですし、僕たちはそろそろ行きますね」
「今日はどうもありがとうございました」
「夕月さんも何かあったらいつでも俺を頼って下さいね」
「俺たち、だろ」
「どっちでもいいだろ細かいな」
「おねーさん、またね」
乾が「十七夜、行くよ」と言うと振り返って夕月に丁寧にお辞儀をして一向の元へ駆け寄ってくる。
「はい皆さんもお大事に」
扉を開け、皆が診察室を出たところで立花は足を止め振り返り「夕月さん」と声をかけた。
「全部解決して落ち着いたら、一緒に行きましょうね」
「カデノーランド、ですか?」
「それです、かでのーらんど」