第9話:階段
第9話:階段
その崖は単なる高低差だけでなく、地震か何かによって生み出された断層に見えた。
急角度な壁面は地質の差か、2層に色が分かれていた。
さっきまでトワの人生を終わらせようとした元凶は、自らの血の海に横たわっていた。
どうやら頭から地面に激突したらしく、頭部の肉片が周辺に散らばっていた。恐らく即死だろう。
パソコンのディスプレイ越しなら、グロ画像にも耐性のあったトワだが、実際の生き物の死。それも無残な状態に吐き気を懸命に堪えた。
崖の高さは10メートルもないだろう。しかし、イノシシを肉塊に変えるには十分な高さだったのだろう。体躯が生み出す質量がさらに自滅の破壊力を加算したのも想像に難くない。
あまりの事に魂が抜けたようなトワ。無理もない話である。死が間近に迫った状態から、予想だにしない結果に助けられたのだ。
本当に自分は助かったのか? 実はすでにイノシシに殺されていて、それに気付かずに死後の夢を見ているのでないか? そんな妄想にかられていた。
特にきっかけとなるタイミングがなかったので、トワが自分を取り戻すのに時間がかかった。我に返った時には、どれ程の時間が過ぎていたのかすら把握できなかった。下手をすると一時間以上その場に突っ立っていたのかも知れない。
「エスケー、エスケー、エスケー……」
自らを落ち着かせる呪文を唱えつつ、意識のスミでどうするべきかを考えていた。
このまま回れ右をして、今起こった事をなかった事にする案。
却下だった。
グロかろうがなんだろうが、崖の下には新鮮な動物の死骸がある。あれを変換すれば、まず皮が手に入る……と思われる。今後手に入るかどうかわからない素材が手に入る。そして、皮があれば革靴を創造出来るのだ。
見逃す手はない。
むしろ、時間が経つほど他のケモノが死骸を食らいに来る可能性もある。急ぐべきだ。
決断するとトワの行動は素早かった。
まず作った壁を変換、収集する。全部を回収する必要はない。それは後回しでいいし、そもそもここは森の中。木材調達には困らない。
そして、回収した木材を創造する。
まず作ったのは基本作業机だ。これなしだと創造出来るモノが非常に限定的になる。2×2におさまる配置図のものすら作れないものがあるのだ。
次に創造したのは『木材のクォーターブロック』だ。これは木材を1/4の高さにしたもので、木材1個あたりにつき4個作れる。ただし、配置図の関係上、木材4個を使うので一度に作られるのは16個のクォーターブロックになる。
木材のという枕詞がついているが、クォーターブロックに限らず、材料が違うだけで同じものが配置図集にはかなりの数があった。というより、だからこそ全体数が多かったのだろう。
もっとも、素材の違いにどれほどの差がうまれるか、トワには分からなかった。
剣であれば、より丈夫な材料をつかえば、威力が高くなるだろうとは思う。
だが、床や足場用途と思わしきこのクォーターブロックを素材別に分ける意味はあるのだろうか? そんな事を考えるのは機能性を重視し、豆腐ハウスを愛するトワだからの考え方であって、見栄え重視の人にとってはありがたい事だろう。
「よしっ、『設置』!」
64個のクォーターブロックを作り終えたトワは崖にそれを設置し始めた。クォーターブロックを使うのは初めてだし、崖の横にくっつけたので強度が不安だったが、片足を乗せて力をこめるがびくともしなかった。これなら天使の羽のような体重のトワなら問題はないと思われる。ただ、結局これは木の板であるため、手すりもない。幅を広くする為、クォーターブロックをさらに一枚、横につけた。
そして、トワは崖の断層に少しずつ位置を下げながら、クォーターブロックを設置していく。ようは階段をつくっているのだ。
崖の下に下りる道がわからなかったし、トワの予想が正しければまたここに来る機会もあるはずだからである。
クォーターブロックの階段は、下りては設置、下りては設置の繰り返しだった。設置可能な範囲は決して広くはないので、崖の上から一気に作るのは無理なのだ。
多少焦れながらも、慎重に確実にトワは崖を下っていった。
「到着っと」
崖下の地面にたどり着いたと同時に、トワは無意識に額の汗を拭っていた。
大丈夫だと分かっていても、クォーターブロックの階段を下るのに気付かない程度に緊張していたようだ。地面に足がついた時、背中から重しがとれたように感じた。
そして、トワは死骸ではなく、まず崖の断層を見て満足そうに頷いた。予想通りだったからである。2層に分かれたそれは上層が土、そして下層が岩だったからである。
階段を下っていた途中に目に入っていたはずだが、階段作りに集中していたので、そこに意識が向かなかったのである。
この断層の壁面を変換すれば、恐らく石ブロックが手に入るはず。
絶対絶命のピンチのはずだったが。いつの間にか大きな、とても大きな収穫へと切り替わっていた。