第8話:自動小銃が欲しい
第8話:自動小銃が欲しい
元々クロスベリーの実を求めてきたのか。それとも人間の匂いを辿ってきたのか。
どちらにしても巨大なイノシシの視線はトワに注がれていた。
雄々しいたてがみ、鋭い牙、引き締まった体躯、突き刺すような眼光。
もしも、藪から一直線に走ってこられたら、トワの人生はゲームオーバーを向えていたかもしれない。
威嚇するように、イノシシは前脚で地面を蹴りつける。
幸運な事にそれがトワの見えざる束縛を解いた。
「『装備』!」
左手のコンパスが木剣へとすり替わる。
装備は単に所持品からアイテムを取り出すだけに過ぎない。本来はわざわざ口にする必要はない。より詳細に言えば、それはトワの『力』に共通した事で、わざわざ口にするのはイメージを強化する為だ。
実際、木材やコノコノの実、クロスベリーの実は特に何も口にせず所持品から出し入れしていた。
しかし、脳裏にイメージを形作る余裕がない場合もありうる。特に危険が迫っている場合など。
トワはアイテムをいくつかに分類し、コンパスや木剣のような手に持って使用する類のものを道具という種類に定義。
そして、道具のみが装備で呼び出せる、そうイメージを固めた。
選択肢を狭める事により、感覚がアイテムを選択するスピードを速める意図だった。
それは確かに成功した。
コンパスの時は実感がなかったが、トワは半ば無意識で所持品から木剣を選んでいた。
……だが、木剣のなんと頼りない事か。
例え、猟銃がトワの手にあっても同様だろう。
通用する気がしない。これまでトワを助けてきた感覚が、木剣は通用しないと告げている。
だったら、どうすればええんや!?
唇をかむトワ。
逃げたとして、イノシシはトワを見逃してくれるだろうか? 否、明らかにイノシシの目には害意が見て取れる。野生のケモノ相手に逃げ切れるとも思えない。
「じゃぁ、やるしかないやん……か」
正面に構えた木剣の先端が震えていた。
トワには武道の心得どころか、特に打ち込んでいたスポーツもない。虚弱という訳ではないが、多少でも身体を鍛えている同性相手なら体力は比較にならないだろう。
怖い。
剣だけでなく、足も微かに震える。
日本では経験した事のない、命を奪われるかもしれないという恐怖に感情が塗りつぶされそうだった。
だが怖いという感情は正しいのだ。
死にたくない。殺されたくない。そんな想いは一般人だけではなく、敵味方の死をかけて戦う兵士とて例外ではないのだ。
死ぬ事に抵抗を感じない。恐怖という感情を決して抱かない。それはもはや生物としての欠陥とさえ言える。
死が怖いからこそ生き足掻くのだ。
少なくとも、飛び掛ってきたイノシシに対して、トワがかろうじて木剣を叩きつける事が出来たのは、恐怖を飲み込み生き延びようとする意思が成した小さな奇跡と言えよう。
ただ、結果は非情だ。木剣はあっさりと弾き飛ばされた。分厚い皮と毛に阻まれ、傷つける事すら適わなかった。もっとも、木剣が弾き飛ばされたからこそトワの腕は無事であったとも言える。イノシシの体躯がもたらす衝撃をまともに受け止めれば、骨折していてもおかしくはない。
トワはバランスを崩して転倒した。そのすぐ横をイノシシが通り過ぎる。運よく、突進をかわせた格好だが、トワはしりもちをついた状態だ。
イノシシは地面に生えていた雑草や土煙を巻き上げながら、四肢で制動をかける。
「ひっ」
最初に対峙した時よりも両者の距離が短かった。凶暴さを秘めたイノシシの瞳が、トワを逃がすつもりはないと告げていた。
対してトワにはもう武器はない。
再度、イノシシの突進。しりもちをついているトワに逃げるすべはなかった。
「『設置』!!」
だから、トワは逃げなかった。そして、イノシシとトワの間を斜めに区切る木製の壁が出現する。所持品にあった木材すべてをつかった壁だった。
それは咄嗟の機転、判断というよりも、《力》に導かれたようにトワは感じた。
結果として、イノシシは壁に受け流されるようにトワの後方へオーバーランし、藪とクロスベリーの密集地帯が合わさった植物のカーテンの向こう側へと消えた。
トワはその間になんとか立ち上がる事に成功していた。
しかし、次の手がない。所持品には木材はなく、壁を変換して木材に戻そうにも、自生している木ならともかく設置した木材は一度に1ブロックしか回収出来ないのだ。
それでも、姿を消したイノシシに対して健気に身構えるトワ。
しかし、いつまでたってもイノシシは戻ってこなかった。
その代わり、重いものを地面に叩きつけた。そんな感じの音が聞こえた。
「え……。なんやの?」
いつまでたっても変化がない為、恐る恐るトワはイノシシが消えた方へと向う。踏み潰されたクロスベリーの実が、周囲に甘い匂いを漂わせている。
イノシシが通過した部分が通りやすくなっていたので、警戒しつつゆっくりと歩をすすめ、そしてトワは絶句する。
地面に残る制動をかけようとした跡。そして、それはその甲斐なく途中で切り取られていた。
藪のカーテンの先は崖になっていたのだ。
慎重に崖の縁に立ち、下を覗き込む。
そこにあったのは凄惨な光景。――そして、希望だった。