第41話:変わった意味
第41話:変わった意味
「よろしかったので?」
日はすでに落ちかかり、雲を焼く赤は貪欲な黒へと飲み込まれていく、そんな時刻。
アレクは馴染みの行商人との話が終わり、行商人達の仮宿たる借家を出てすぐのタンクの言葉に足を止めた。
彼への引継ぎもあり、無関係ではないので同行してもらったのだが。言わんとしている事は察する事が出来る。むろん、行商人達が王都に戻る際に便乗するという要望の事ではないだろう。だが、それはむき出しの神経に爪を立てられるが如く、アレクの心を痛めつける。
「他にどうしろと、師匠」
アレクは足を止めたまま、うつむきかけている顔を支えるように片手のひらで覆う。公道で名前ではなく師匠と呼んでしまうあたり、精神的に弱っている事を伺わせる。
トワに帰還命令を告げたあの日、それ以上話が進む事はなかった。
『悪いけど今日は、帰って。一人で考えたいねん』
その言葉に従ってアレクは豆腐ハウスを出た。そして、全力で森を抜けた。逃げるように。
公務をタンクに任せ、兵舎の自室に引きこもり、半ば置物と化していた高級酒の封を切り喉に流し込んだ。元々たしなむ程度にしか飲まないので、体が受け付けず大半は吐き出してしまう。惨めな気持ちで自らの吐しゃ物をタオルでふき取り、それを屑入れに入れて、アレクはベッドに倒れ込んだ。
そして、そのまま一日が過ぎてしまった。
翌日は、タンクが体調を気遣うのをかまわず、王都への帰還の手続きを始めた。何かに没頭していなければ、狂ってしまいそうだった。かつて、アレクはトワとの会話で麻薬との言葉を口にしたが、まさしくトワは麻薬だった。共にいるときは甘く幸せで、断ち切る時は塗炭の苦しみが襲う。
タンクにとってそんな、アレクの気持ちは百も承知だろう。異端な性的嗜好を持ちながら、それを異常と認識してしまう常識を持っているが故に苦しんできた弟子を見てきたのだから。
だからこそ、ここで何もしないわけにはいけない。トワとアレクが出会うまで、タンクはただひたすら弟子を見守るだけだった。
だが、トワに受け入れられたアレクを見て、タンクは己のふがいなさを改めて思い知った。あのような子供に弟子の未来を預けて、何が師匠か。そして、そのトワも今やタンクの弟子である。
もう座視は許されない。
「トワ様も王都に連れて行かれては? 私はそれが一番だと考えております」
「トワを危険にさらせ、と?」
「お嬢が守ればよろしいのです」
「簡単に言わないで下さい」
アレクはタンクから顔を背けたが、彼の言葉は彼女を追う。
「お嬢で足りなければ、私も守りましょう」
「……師匠?」
「師とはただ教え授けるだけの存在ではない。時として弟子の盾、鎧となって守る存在なのだと。先代よりの教えであり、愚息にもそう言い聞かせたものでありますが、今の私を見られれば、両者に嗤われそうです」
そむけたはずのアレクの顔がタンクを見ていた。そこにいたのは好々爺ではない。ビショップ流戦闘術師範の貌であった。
「私も王都に同行いたしましょう。帰還命令には同行者についても何も書かれていなかったはずです。
私がお嬢とトワ様をお守りします。どのような手段をとろうとも必ず。故にトワ様をお連れなさいませ」
「師匠、しかし――」
アレクの言葉が途切れた。その視線が一点に釘付けになる。彼女だけではない、タンクも周囲にいる行商人や村人達も同じものを見ている。
それは少女の形をしていた。今にも倒れそうになりながら、それでも足を引きずるように前へ前へと進む。まるで、喘息患者のような荒い息。多少は鍛えられたといっても元々が脆弱な体力だったのだ。それでもなお走ったのだろう、衣服のあちこちがちぎれ、引きつれ、露出した肌に顔にまるで刺青のような赤い傷を走らせている。
「ト、ワ?」
時刻は夕刻。まかり間違えば死霊との遭遇もあったかも知れない。そうでなくとも、森の獣は危険だ。彼女が森で一人で出歩けるのは、あくまでいざという時の仕掛けや備えを行動範囲のあちこちに設置しているからにすぎない。
傷は痛いであろう。息は苦しいであろう。
しかし、彼女は笑ったのだ。
「ごめん、アレク。来てもうた」
限界だった。
アレクは駆け出し、彼女を抱きしめる。体が冷え切っている。トワは外出時に身につけている皮鎧も、はおっている外套も着ていなかった。
「防具は? 外套は? なぜこんなに傷だらけになって」
「あー、そっか。なんかいつもと違うと思ってたけど、それやってんな。
アレクが帰ってからずっと考えてたんやけどな。やっぱりアカンわ。手遅れやったわ」
「……手遅れ?」
トワも力のこもらぬ手で、それでもしっかりとアレクに抱きついた。
「アレクが必要や。固有能力とか拠点に色々届けてくれるとかそんなんどうでもええ」
トワの頬を伝う涙が傷に滲む血と合流し、赤涙はアレクの赤い皮鎧に落ちてその色に溶け込んだ。
「アレクが好きや。前の好きと違う。好きの意味がもう変わってもうた。もうアレクがおらへんのに耐えられへん。だから、後生やから、私も連れて行って。……お願いやから、何でもするから」
周りが見えていないのか。トワの懇願に周囲がざわめくが、タンクの一瞥で黙るか視線を背ける。
アレクは行商人の一人に目を向けた。その行商人は一団のトップであり、アレクとは王都にいる時からの馴染みの間柄だった。商人として、そして何年もの付き合いのある知人として、その意味を正確に嗅ぎ取った。
「我々が借りている借家の一番端が空いていますので、そこをお使い下さい。半分倉庫がわりにしていますので狭いですが、二人なら問題ないでしょう。
おい! となりを使ってるやつは今日は夜番の家で寝ろ!」
「ヘイ、親方!」
前半はアレク、後半は件の空き借家のとなりを使っている者に向けた言葉だった。
「感謝します。クラウド」
「いえいえ。アレク様には色々と儲けさせてもらいましたし、助けて頂いたご恩も忘れておりません。お安い御用です」
「義理堅いですね」
「それが私の商人道でありますから。それにその子は――。いや、余計な詮索はよしやしょう。つまらない事で商機を逃すのも馬鹿馬鹿しい」
彼はそう言って去っていった。
「お嬢、トワ様を早く休ませてあげたほうが」
「そうですね」
トワは意識はあるのだろうが、ぐったりしている。それでもなお、アレクに抱きつく腕は放さない。
「私はしばし見回りをした後、宿舎に戻ります。部下には隊長は今晩は戻らない事を伝えておきます」
「はい、ありがとうございます。師匠」
アレクはトワの軽い体を両手で抱き上げ、行商人達が借り上げている借家の端にむかった。




