第38話:転機
第38話:転機
トワがまだ日本にいた頃は冬であった。
こちらの世界に来た時は真夏だったようだが、アレクから聞いた限りでは、ブレシア王国領は四季の変化は薄いらしい。
そのせいかどうか、農耕は出来るものの収穫される作物はどれも味は他国のそれに比べればかなり落ちるらしい。
実際に自生していたジャガイモを使って、カマド付き料理台でポテトサラダを創造した事があったのだが、所持品目録上の表記はジャガイモでも、出来た料理の味は大きく違った。どうやらカマド付き料理台の創造の結果は、素材の良し悪しの影響を受けるようだ。
クロスベリーも自生のものより、拠点の畑産の方がおいしくなる。
ブレシア王国の貴族や王族といった上流階級は、農作物などの食材は主に他国からの輸入品に頼っているらしい。むろん、この世界にはトラックのような高速の運搬手段などない為、運搬にかかる費用はもちろんの事、それに加えて鮮度と味が落ちないような工夫も必要になってくる為、高額になるし工夫が出来る農作物も限られる。
トワの作る畑は別にブラッドアースの森である必要はないので、例え固有能力の研究機関が手をだしてこなくても、砂の箱がそういった連中に知られれば、トワの身が危険が及びかねない。
そういった意味でもトワが戦闘術を学びだしたのは適切だっただろう。
タンクの評価では、トワは良くついてきてはいるが、とりたてて戦闘術の才能がある訳でないそうだ。確かにタンクはおろか、そっち方面の才能があるらしいアレクを出し抜ける画は見えてこない。
それでも、日々は過ぎ、夏が終わり秋が通り抜け冬の気配を肌に感じる頃には、トワも深夜のコンビニ前に座り込んでいるような、客と店員に不快な不良レベルなら数人を相手取っても、固有能力抜きですら負けない程度――勝てるとは言わない――の自信はついていた。
冬に入りかかったといっても、森の景色はあまり変化がなかった。少なくとも拠点や、トワの行動範囲においては。せいぜい体感気温が下がったように感じる程度だ。
特にトワの生活に変化はなかった。時々、スピアーズ村の狩人や採集者が拠点近くを通る事もあったが、アレクより村人には他国の逃亡者が隠れ住んでいるので接触しないようにとの説明がなされていたので、トラブルも起きなかった。ただ困るのが、気の毒に思ったのかたまに拠点の敷地の入り口に差し入れが置かれてる時があるのだ。
アレクは苦笑しながらも貰っておけば良いと言うが、トワは村人よりよっぽど快適な暮らしをしているので、微妙に良心がちくちく痛むのだ。
「気にしすぎですよ。確かにトワの暮らしぶりは恵まれてると言っていいでしょう。ですが、その分の苦労はしているのですから。ある意味で隠れているというのは嘘ではありませんし」
トラップの見回りに同行していたアレクがそう言った。
「せやかてなぁ。村の人だって裕福でもないんやろ?」
「貧しいわけでもありませんよ。我々守護兵隊は村でものを買い、その対価で村人は行商人から生活に必要なものを買っていますし。それに多額というほどでもありませんが、国境に近いという事で国から村に補助金も出ています。
こういう言い方をするのは問題なのかもしれませんが。金と物が不足しなけば心にも余裕が出来ます。トワが心苦しいのも根っこは同じ部分でしょう」
「まぁね。せめてお返しぐらいしたいけどな」
「気持ちはわからなくもないです。しかし、逃亡者という設定上、安易に村に近づくのは問題です。それに行商人に色々と注文していたせいで、村の人達も普段は目にしない品々を買う機会ができました。間接的に村へのお返しは出来ていると思います」
「そんなもん?」
首を傾げながら、トワは捕獲に失敗した宙吊りトラップに手を触れる。
宙吊りトラップはその仕組み上、一度作動したら獣の捕獲に成功しようが失敗しようが、そのまま役に立たないオブジェと化す。当たり前なのだが。
「残念でしたね」
「まぁ、他にも設置してるしな。これでも『ツタの宙吊りトラップ』のころよりは成功率が上がってんねんで。ツタは切れて逃げられてる事もあったしね。『再設置』」
作動した状態だった『ロープの宙吊りトラップ』は、一瞬で作動前の状態に戻る。
再設置は、『変換、収集、設置』の流れ一つにまとめたものだ。戦闘術としての砂の箱の強化の一環として訓練していたのだが、日常にもそれが活かされえいた。
「ロープが作れるようになって助かるわ、ホンマ。捕獲率高いからトラップの設置数が減らせるようになったし、見回りが楽やわ。綿花の種子様々や。ロープの素材以外にも用途広いし、便利や」
「でも、ここは失敗したんですよね」
アレクの言葉にトワは苦笑しながら肩をすくめる。
「正直、生き物殺すのは未だに抵抗あるんよ。この世界で生きていくには、それは甘えた感情なんやろうけど。
……それでも、こうしてかかってないトラップを見てホッとしてる自分がおるんよ」
「私が代わりに――という問題ではないんですよね?」
「そやね。自分の手でやるか、他人の手を汚させるか。
いや、それはきっと私の故郷でも同じやったんやろな。ただ、私の見えるところで行われてなかっただけで。こんなんで、よく生き残れたなぁ」
「トワは強いですから」
「うそやん。私は弱いよ。弱々や」
「弱くてもいいです。私が守りますから」
「……ありがと。ほな、次のところいこか」
トワは先に歩きだした。手に手書き地図はもっていない。この森で何ヶ月も過ごすうちに拠点を中心とした普段の行動範囲なら、すでに迷わず歩けるようになっていた。
トワのすぐ後ろを歩きながら、アレクが。
「最近は商人への注文を聞いていませんが、何か不足してるものはありませんか?」
「特には……。畑と樹木園、それにトラップでだいたいのものは賄えるしなぁ。思いつくのは鉱石ぐらいやけど、それもこの森を深く掘ったら出てくるかもしれんから、そのうちにとおもっとるけど。後はまぁ、牛乳――いや、ウシやなくてもええからミルク。でも、それも家畜という形で自前でなんとか賄えるようにしたいなぁ」
「ミルクは村から買うのじゃダメなんですか?」
「うーん。試した事ないからわからへんけど、やっぱ砂の箱がかかわる余地があるんじゃないかと思うんよ」
そして、トワはなんとなくドナドナをボーカリーズで歌いだす。
「故郷の曲ですか?」
「うん。ウシさんの歌やな」
「何か物悲しい曲ですね」
「……まぁ、歌詞が子ウシが売られていくって歌やしな。別のにしよっか」
そして、トワはかつて動画編集作業中にBGMにしていた曲を、やはりボーカリーズで歌う。洋楽なので歌詞は英語で覚える気にならなかったし、うまく歌えそうにもなかったのである。
少しだけ、歌いながら歩いたところで、トワが振り返る。アレクが立ち止まりトワを見ていた。その顔に驚きが浮かんでいる。
「……アレク?」
「トワ。まさか、それも故郷の歌ですか?」
「う、うん。そやけど。どしたん?」
アレクは少し迷ったようだが。意を決したような表情で歌いだす。歌詞はブレシア公用語だ。トワにはその内容はわかる。知識複写の影響もあるが、それがなくても読み書きくらいは出来るようになろうと努力した成果だ。
その歌を聴いて今度はトワが凍りつく。歌詞が問題なのではない。トワが歌った曲と同じ曲だったからだ。しかも、トワを真似たとも思えないほど歌詞が曲にあっていた。
トワが無言のまま、視線でアレクに問いかける。
「これは我が国の儀典兵隊で採用されている歌の一つです。曲名は――」
「バタフライ」
トワの答えにアレクは頷く。
音ゲー、又はリズムゲー。ゲームのジャンルの一つにそう呼ばれるものがある。曲に合わせてアクションをとるというそれは、悪鬼羅刹や修羅怨霊が徘徊するゲーム業界でメジャージャンルとして確固たる地位を築いている。
トワが歌っていたのは、その音ゲーで採用されていた歌だ。
ゲームのタイトルはダンスダンスレボリューション。略してDDR。
バタフライはその代名詞的な曲だったのだ。
トワの緩やかな日々は唐突に転機を迎える事になった。




