第29話:鎖を食い破る魔物
第29話:鎖を食い破る魔物
アレクは豆腐ハウスのドアをノックするのも忘れて、ただ上を見上げていた。
中から人の気配、かわいい小動物がいるのはわかっていたが、本来アレクの中での優先度が高いそれを忘れてしまう程インパクトがあった。
「あれ? アレクやん。何なにしてんの? って、おわっ! どうしたん、それ!?」
ドアを開けてトワが顔を出した。外出するつもりだったのか、片腕を通した外套を引きずっている。そのトワが目を丸くしている。
アレクの赤い皮鎧が泥にまみれているからだ。特に下半身が酷い。一部の人が喜ぶかもしれなかったが、あいにくトワにはそっち方面の趣味はなかった。
「一昨日の雨で、地面がぬかるんでいて。恥ずかしながら、足を滑らして転んでしまったんですよ」
「そら、災難やなぁ。アレクが来るん遅いから、ちょっと拠点まわりの木を伐採でもしてようかと思ったけど、同じ目にあいそうやな」
「また、拠点を拡張する気ですか?」
アレクは呆れたように言った。
すでに拠点を囲う柵は、アレクが初めてここに来た時より、一回り広くなっている。
原因は主に畑だ。どの作物も収穫周期が桁外れに早い為、作物毎の畑の面積はさほど広くないのだが、とにかく品目が多い。まぁ、その点に関してアレクも新たな作物の種子あるいは種子を創造する素材となる作物を調達してきているので、ある意味共犯ではあるのだが。
それと、豆腐工房のとなりに、新たな建物が出来ていた。
名称は、豆腐倉庫。使用建材は木材。中には保管系アイテムがびっしりと設置されている。資源、食料、道具、加工品、分類毎に日本語とブレシア公用語の両方が書き込まれたパネルが貼られている。
これ以上何を作るのかという疑問がアレクの表情からありありと窺えたので、トワは説明した。
「植林の実験用の土地を確保しようと思ってな」
「ああ、そう言えばそんな事を言ってましたね」
変換した場合、その対象はアイテム化されたもの以外は消滅する。木に対して使えば、根っこにいたるまでだ。
トワの日本での知識で、ある国での行き過ぎた伐採の結果砂漠化した地域があるという事が聞き覚えがあった。この森の破壊者である自覚は一応あるトワとしては、伐採だけでなく植林も行いたいと思ってはいたのだ。
植林のスペースの為の伐採。ある意味矛盾した行為だが、まずあくまで実験である。
いくつもの作物を育てた実績があるトワであるが、樹木は畑には植えられない。コノコノの種や、リンゴの種を畑パネルが受け付けないのだ。
どうやら、畑とはまた別の樹木用の特殊な土地が必要なのだ。ちなみにトワには普通に植えようという考えは頭にない。それこそ、何年かかるかわからないからだ。
「どうも、樹木用農地ってのが必要みたいやねん。それで――」
と、そこでトワは話を切った。
「って、それはまぁ置いといて。そのままやったら、風邪ひくで。早く中に入って、着替えや」
「いや、さすがに着替えがありませんし、それにトワの家を汚すわけには」
「泥汚れくらい掃除するわ。服は確かにアレクに合うサイズはないけど、バスローブならあるわ。ついでに風呂に入り。バスルームも新しく作ったから」
「……まさか、あそこにですか?」
アレクは再度、視線を上に向けた。
豆腐が二段重ねになっていた。
「ちょっと色々作り過ぎて手狭になってきたので増築したんや」
「いや、あの。数日前までは平屋建てでしたよね? それもスピアーズの1家族の住まいよりもよっぽど広かったですが。それをあっさりと二階建てにしますか?」
「まぁ構造が四角形やからな。木材も大量にストックしてたし、すぐやったで。まぁ、途中で雨降ってきたんでガワだけは大慌てやってんけど」
さらっと言うトワにアレクは彼女の固有能力の凄まじさを再認識した。
トワ自身は自らの固有能力が戦争とは無縁と思っているふしがあるが、とんでもない話である。
確かに作る事が主体であるトワの固有能力は直接の戦闘力に関しては低いのかもしれない。事実として軍属ではあるものの希少であるはずの固有能力者であるアレクがスピアーズの守護兵隊への配属が許されたのも、言語変換が武官向きの能力でないとされているからだ。
だが、トワのそれは違う。
トワ一人がいれば、極めて短時間で戦争用建築物を建築し、大量の物資を運べる為に兵站に大きく寄与出来る。篭城を強いられても、規模にもよるがトワの畑なら食料が尽きる事はない。
トワ自身が戦える必要などないのだ。
もしトワがブレシア軍に組み込まれれば、引く手数多だろう。そして、きらびやかな名誉ある地位と引き換えに、国にしばり付けられる事になる。
あるいは、トワの固有能力の汎用能力化を目的に、研究施設送りになるか。
どちらもアレクの望むものではなかった。
「アレク?」
気遣わしげに身長差の問題で下から心配そうにトワが覗き込んで来る。心配させないよう、なんでもないという風にアレクは首を横に振る。
「では、お言葉に甘える事にします」
そう言って、アレクは豆腐ハウスに入っていった。
浴槽にお湯を張ってくると言って、トワは二階部分へ消えていった。壁にクォータブロックによる階段が出来ており、転落防止用に柵が横付けされている。
アレクの知るかつての豆腐ハウスとはかなり様変わりしていた。泥汚れの為にうかつに歩き回れないが、トワとの歓談に使用していたテーブルセットは二人用から八人用のものに。別にあった大きめのテーブルはさらに広くなり、さらにそこには様々な小物が並んでいた。
そして、目を引いたのは、壁際にある本棚だ。ほとんどの棚が空いていたが、辛うじて数冊が横倒しに置かれていた。背表紙にシンプルに一文字だけ書かれたそれはアラビア数字のだったが、言語変換の固有能力を持つアレクには容易く連番が書かれているのが理解できた。ただ、その中身までは見てみないとわからないが。
本棚の横には書き物机。トワがメモ用に使っている紙が平積みにしてあり、風で飛ばないように外で拾ってきたであろう小石が乗せられている。そして、その脇にはメモに使う『鉛筆』が数本おいてある。一回の創造で大量に出来るらしく、その不便さをトワが愚痴っていたのをアレクは覚えていたが……。
『鉛筆』は木炭の細い芯を木で周囲をくるみ手が汚れないようにしたもののようだが、アレクはそんなもの知らなかった。トワが馴染んでいるのを見ると、トワの国に当たり前にあるものらしい。メモ用に使っている紙も上質で、本来は外交文書に使われてもおかしくないシロモノをトワは落書きにすら使っている。
トワの故郷とはいったいどんな国なのだろう。アレクは不思議に思った。
トイレはそのままの位置にあったが、初めて『ウォシュレット』を使った時、武官にあるまじき悲鳴をあげたのをアレクは今も覚えている。水がとびでる事を黙っていたトワの悪戯で、さすがのアレクも拳骨をトワの頭に見舞った。恥ずかしさを誤魔化すためでもあったのだが。
だが、悪戯に使えてしまうぐらいに、『ウォシュレット』もトワには当たり前の道具なのだ。排泄の用具というのがあれだが、機能は汎用能力の領域である。この世界において、トイレは汲み取り式が一般的で、排泄物を水で流すなど、どこの国にもないだろう。
トワの故郷には固有能力も汎用能力もないという。
豆腐ハウスにある『ウォシュレット』は、固有能力で作られたもので、数々の機能も固有能力の範囲内と一応納得は出来る。
ならば、トワの故郷での『ウォシュレット』はどんな力であの機能を実現しているというのだろう。
アレクの心の中で、ずっと自戒という鎖で縛り付けていた魔物が鎌首をもたげる。
彼女の事を知りたい。もっともっと。それ以上に――
まずい。
アレクはそれを必死に押し殺す。
「なんの為に私はここに来たのだっ」
小さく呻く。
アレクはトワから何かを聞き出すような事はさけていた。それは国境特務員として、知れば国への報告義務が発生するからでもあるが、あまり彼女に深入りしてはいけないと自制していたからでもある。
しかし、そんな自制は無意味だ。
なぜなら、知識複写の維持の為と言い訳しつつ、ここに通っていたのだから。
本当に彼女の事を想うのであれば、タンクに頼んで時々様子見をさせる程度に済ますべきだったのだ
アレクの努力は、ただ事を先延ばしにしていただけだった。




