理不尽に泣く
――どうしてこんな事になったんだろう。俺はただ、異世界転移すれば周りからちやほやされて、ハーレムが出来て幸せな生活が待っていると思ったのに。現実は厳ついおっさんに首を絞められ、嫌な笑みを浮かべた神経質そうな男に蹴られて鞭みたいなもので殴られた。これが異世界転移の現実なのか? こんなものが?
イケメンじゃないから? 頭が悪いから? 嫌なことがあるとへらへら笑って我慢して、立ち向かおうとしない意気地なしだから?
――いや、違うな。悪いのは、神様だ――。
何か冷たいものが雄二の顔を這い回っている。それは額を往復するとゆっくりと瞼の上に移動し、目頭や目尻に体を押し付けながら徐々に口元に――。
「や、やべで!」
唇に体が触れた瞬間、朦朧としていた意識は完全に覚醒し慌てて首を振って拒絶する。が、それは意に介さず唇についた汚れを拭っていく。
(……拭う?)
「起きたましたか?」
「あ、え?」
衛兵や奴隷管理人の声じゃない、というかそもそも男の声ですらなかった。
雄二は急いで目を開けて確認すると、顔を覗き込んでくる女性――正確に言うなら少女と呼ぶべき――の顔があった。
「怯えないでください! 私は貴方と同じ奴隷ですから、とにかく話を聞いてほしいです」
そういって少女は両手で口を隠して雄二を真剣な眼差しで見つめた。
(……何してるんだ?)
そんな事を考えたが、初対面の人と横になったまま話すというのは失礼だと考え雄二は身体を起こそうとし――目の前で火花が散った。
「いぎゃ!?」
「あ、まだ身体を動かすのはやめたほうがいいですよ。まだお薬を塗ってないですから」
そういって少女は雄二の肩を押して起き上がらないようにする。が、雄二はそれどころではない。
背中から今まで味わったことのない痛みがまるで寄せては返す波のように襲ってくる痛みに、身悶えることも出来ずにただ涙を流して耐える。が、それも長くは持たず一気に爆発する。
「いだい、いだいいいいいいいい! なんで、なんでおでがごんなめにあうんだよ! なにしたっていうんだよぉぉぉぉぉお!」
涙が止め処なくあふれ顔を力の限り歪ませて雄二は声の限り泣き喚く。それは一向に止まない痛みと理不尽な仕打ちに対してあまりにも醜い抗議だった。
鼻血が固まって呼吸がしにくい事や、目の前に自分より年下であろう少女がいる事なんて知ったことではない。
号泣しながら口汚い言葉を何度も吐く雄二の腕を少女は掴む。
「なんだよぉぉ! おまえまでおでにいだいごとするのかよぉ!」
「今から背中にお薬を塗ります。そうすれば痛みもだいぶよくなりますから」
「くずり? ……ほんどにいだいごどしない?」
先ほど八つ当たりをしていたというのにえっぐえっぐとしゃくりあげ縋るような目で見てくる雄二に、少女は笑顔を向け「はいです」と答え、腕から手を離して床に置いてある壷を見せてくれる。
藁にもすがる思いでそれを見た雄二は小さく頷くと、必死に寝返りを打とうとする。が、床が背中と擦れたり、皮膚がつっぱたりして何度も激痛が走る。
「私に合わせて寝返りを打つのですよ。行きますよ……せーの!」
うまく寝返りが出来ない雄二に少女は手を貸して二回に分けて寝返りを打たせる。ようやく背中を晒せたことに雄二はほっと一息をつくも、傷口が空気に晒されたことにより刺すような痛みが襲ってくる。
「はやぐ、ぐすりぬってぇ……」
一刻も早く痛みから解放されたい雄二は首だけを動かして少女を見つめながら懇願する。
「ちょっと染みますが、すぐ楽になるので我慢してくださいね。……暴れちゃ、だめですよ?」
(寝返りすら打てないのに暴れれるわけないだろ、早く薬を塗ってくれ!)
心の中で暴言を吐きながら何度も頷いて見せると、少女は壷の中に手を入れとろみのついた淡い緑色の液体を手に取り、ぬめりを帯びた小さく温かい指でゆっくりと傷跡をなぞっていく。
「あ…はぁ…んっ」
「鞭で打たれた用のお薬です。すぐ効きますからね……」
そう言って少女は優しく、丁寧に傷に薬を塗り込んでいく。薬の効能が凄いのか少女の塗り方が絶妙なのか、ピリッとした刺激はあるものの塗られたところからすぐに痛みが引いていく。まるで少女の指が傷に触れるだけで治してくれているようだと、雄二は蕩けそうな頭で考えていた。
……薬を塗り始めてどれほど経ったのだろうか、最初はあれほど泣き喚いて過呼吸気味だった雄二も、今はだいぶ落ち着いて規則正しい呼吸をしている。
「……はい、お薬塗り終わりましたよ。痛みは引きましたか? それともまだ痛むところがありますか?」
思いのほか傷が広範囲に広がっており、全て塗るのにも一苦労したが無事終わったことに少女はほっと一息をついてから雄二に具合を確認する。
「……? あの?」
返事が来ない事に少女は不安を覚える。もしかしたら塗り方が悪くて怒らせてしまったのではないか、と。
だがそれは杞憂である。なぜなら雄二は激痛からの開放されたことと、マジ泣きによる疲労困憊で寝ているだけなのだから。
そのことに少女が気付くのは、しばらくして雄二が寝返りを打ってからだった。
遅くなってすいません……




