第8話
太陽系第4惑星火星。かつて酸化鉄の荒野であったこの惑星。
移民の初期段階においては、二酸化炭素と水素を利用するサバティエ反応を用いた水の化学合成が用いられ。
現在では緑豊かな土地として、屋外での酸素呼吸が可能な環境へとテラフォーミングされている。
その契機は10年以上前に起きた小惑星が火星に衝突したとされる大規模環境変動が引き金であった。
火星と小惑星との衝突地点に新たに現れた深さ30~100㎞にまで達する巨大な縦穴。
通称“ルーツクレーター”によって気圧を調整した空間が広がっており、地下道が地表面の各ドーム街へと繋がっている。
「はァ~やっぱり地に足が着いてると安心感が違うぜ」
「電力を余計に浪費するので重力圏は好ましくありません」
「だからプラスチック製のボディに換装しろって言ったろ?」
ルーツクレーターにあるドーム街”イニティウム”にコスモポリタンのクルーは長期滞在する事になった。
主な理由はテロリスト排除の際に生じた過失責任である。
軍から監視を受けながらもクルー達はイニティウム中央公園で久々の休暇を満喫していた。
「ハルは柔らかい方が可愛くって好きよ」
「前々から怪しいと思ってたけど……まさかお前」
「何よ? ビアンとか今時珍しくもないでしょ!?」
イーリアがハルの肩を抱き寄せるとコウキに厳しい視線を送る。
軍人気質のイーリアもコスモポリタンのクルーに順調に毒され、最早以前の厳格さの欠片も見当たらない。
そこに路上の売店でジャンクフードを大量購入したリュウが両手に大荷物を抱えながら叫び声を上げる。
「おいっ! お前ら少しは手伝えって!」
「おッ? 隊長ゴチになるぜ」
「俺もイタダキ、やっぱ柔らかいメシじゃねぇと食った気がしねぇわ」
リュウの抱える大荷物からマイケルとニコはハンバーガーを抜き取っていく。
しばらくオープンテラスで食事を楽しんだ一堂だったが、不意に暗い顔を見せたイーリアが口を開いた。
「一体軍は何を考えているのかしら?」
「イキナリどーした? アンタが軍部に不信を述べるなんて珍しい」
「茶化さないで聞いてニコ。 地球の艦艇が火星まで到達するのには
最低でも一ヶ月掛かるけど、逆に言えばたった一ヶ月。
民間人の貴方達はこうして談笑してる暇などない筈……そうでしょ?」
領有権の存在しない地球以外の惑星では、宇宙法を元に整備された基本法が整備されている。
軌道エレベーターの一件は自衛権の行使に過ぎず、法令で照らし合わせても正当な物だった。
リュウは一旦考えた様子を見せると眼鏡の蔓を指で押し上げイーリアの疑問に返答する。
「……司法も軍部の手の内にある、そう考えてもいいんじゃないか」
「イニティウムに俺達を長期間拘束する意味があるってェのか?」
「法律という物は厳正に適用される物であり、一個人の裁量で判断されるものではありません」
マイケルの疑問にハルが模範的な反論を被せると、コウキは即座に言葉を加えた。
「まぁ、本来ならばハルの言う通りだがなぁ。 どうも俺達は戦力に勘定されてるようだぞ?」
コウキの発言に皆の視線が集中する。唐突に注目を上げたコウキは両手を上げて誤魔化すと苦笑いする。
「いやいや、マジに受けとるなって、俺の勘だよ、カン!」
「俺達ってェのはコスモポリタンとして勘定に入れてるってことだろ? それなら十二分に有り得る話だぜ」
マイケルが一人納得するとハンバーガーに豪快に齧りつく。
「そもそも貴方達の船の船速は異常だもの、正直EVCなんてガラクタだと思ってたけど……運用方法が間違っていたのね」
「で、コスモポリタンの内部調査の為にスパイとしてこちらに残ったのがアンタって訳だ、イーリア少尉」
抑揚の抑えたニコの低い声にイーリアが反応する。
周囲のクルー達の視線が一身に集まる中、ハルは心配そうに様子を見守る。
イーリアはしばらく考える素振りを見せると両手を上げて肩を竦め、マイケルの真似をして見せた。
「そうね、言い訳はしないわ……どこから漏れたのかは皆目見当が付かないけど」
「へぇ! 往年のスパイ映画みてぇだな、ヒッチコックとかよォ」
「オイオイ、マイケル……ここは真面目なシーンだろ」
「お互い命を賭けて肩を並べた戦友だ。
今更君の信用に傷が付く等とは思っていないよ。
ハル……礼の物をイーリアに」
リュウがハルに促すと、ハルはポケットからコスモポリタンの社員証を取り出しイーリアに手渡した。
それを見たイーリアは快く笑顔で受け取った。
コスモポリタン本社屋外に一台のレールカーが駐車する。
車内から現れた壮年の男は慌しい様子で屋内に走り込むと、エレベーターへと向かう。
一礼する社員に片手を上げて答え、エレベーターを開くとそこには一人の青年メナエム・リヴカが佇んでいた。
「あっ、こ……これは失礼をメナエム会長」
「形式は不要だ…イェール社長、私の留守中、随分と心労を掛けたようで済まない」
「ふぅ、戻ってきて貰えて助かるよメナエム君。皆随分と憔悴していてね、幹部連中を抑え込むだけで手一杯だ」
ハンカチで汗を拭いながらもルースは返答する。メナエムは微笑むとフロアのエレベーターを停止させた。
コスモポリタンは創業数年にして数多のパテントを取得。
メナエムの悪魔的手腕によって僅か一代にして、大手企業と肩を並べるほどのコングロマリット企業となった。
メナエムは若輩者であれ、イェールにとって尊敬と畏怖の対象なのだ。
「火星軍を迎合する声がでているのだろう?」
「何故それを? いや君ならそれくらいの推察は簡単なことか……
しかし、彼等は火星に住む者だからね、故郷を守ろうと立ち上がる信念を無視することは出来ない。
火星軍から不透明な報酬を受け取っている幹部もいるようだが」
「独立と言う形で彼らを支援して社外秘のデータを幾つか提供しよう、それならば軍部の溜飲も下がるだろう」
メナエムの発言にイェールは目を丸くする。
コスモポリタンでの研究結果の多くはメナエム自身の発明による物である。
それを他者に公開するメリットが彼には散見することが出来なかったからだ。
「宇宙科学に及ぶ基幹特許に関するデータはメナエム君の”記憶”のみでデータ媒体として存在しないのだろう?
スパイどころか社内の人間ですら得ることは不可能な技術だというのに……まさかヤエジマ氏の……」
ある名前が出た途端メナエムの顔が次第に曇っていく、自罰的な感傷に苛まれ額を片手で抑え込む。
「あっと……すまない、つい言葉に出て」
「いえ、大丈夫です。彼の約束を違えることは断じてない。
提供するのはEVCパイロットの生命維持に関連する特許だ。彼が存命中ならきっと賛成してくれただろう」
「確かに拿捕した火星軍の試作機の一つUNIT-9は酷い物だった。
なんでもその……パイロットは人為的な施術を受けていたそうじゃないか?」
「それについては彼女を診察した船医からも報告は受けている」
メナエムは話を切り上げるとエレベーターのボタンを二つ押した。
途中で社員達が搭乗するもののメナエムの存在には気付かず、イェールには礼をすると彼は片手を上げて答える。
イェールの向かう階の手前でメナエムはエレベーターから降りると、振り返ってイェールに語りかけた。
「では、そのようにお願いします」
「あぁ、皆で検討してみるよ……メナエム艦長」
メナエムはビルのアクリル窓から階下に広がる火星の全景を見下ろすとしばし物思いに耽る。
過ぎ去った過去の記憶を掘り起こすように……。