第65話
今世紀を理性と蛮性の分断の世紀と呼ばれている。
カール・マルクスの予言通りに資本主義は社会主義を経過して、最終段階では共産主義となる定めにあったのだ。
大企業による資本の独占と政府の中央集権化は言ってみれば、共産主義化の前兆であって多様性の否定でもある。
資本主義とは市場競争を維持する為に一人勝ちを許さない思想であったにも関わらず、一部の者がその思想を意図的に捻じ曲げ破綻させた結果であるとも言えた。
この教訓から火星は一部企業への独占禁止に対する監視の目を更に強める結果を生んだ。
具体的に挙げれば社内を血縁で固めた同族経営の禁止等が挙げられる。
「父さん」
ヤミン帝国との戦いで死亡したメナエムはイニティウムの中央部にあるモニュメントへと埋葬された。
コスモポリタン.Indの経営は役員会議で新たな会長が選出され、主な実務業務はリュウが引き継ぐ事となる。
コウキはうやむやになった刑務所での服役を願い出たが、これも恩赦によって反故にされある意味行き場を失っていた。
「また参りにくるから」
地球との神経質な外交が不要となった火星企業は水を得た魚の様に次々と新たな発明を生み出した。
タイタンやカリストへの入植もレーザー掃海とEMドライブが実用化されてからは今では1ヶ月の距離である。
資源確保も最早人の手を借りることなく自動化されたEVUが取り付いた小隕石の資源を組み立ててモジュールを自作するようになった。
RES(資源採掘宇宙船)の業務にあたるEVU乗りは古臭い不要な存在となってしまったのである。
「コウキ、もう良いです?」
「あぁ、いこうぜハル」
花を供え傍らで待機していたハルと会話すると、コウキは少女を引き連れてイニティウムの街を歩き出した。
トライシステムが一般化されるにつれて、火星人は地球人とはまた違った方向へと常識を塗り替えていく。
ロジャー・ペンローズの量子脳理論によると人間の意識は脳内の神経細胞にある微小管が、ミクロスケールの量子的ふるまいを行うことで生まれると言われている。
それは一言でコウキもハルも異なるのは構造物の違いだけで、その性質はまったく同じものだという現実である。
人間の意識は特別な存在ではなく、人工物として作り出せるありふれた物だったのだ。
量子脳搭載機は人間と変わらぬ振る舞いによってその性能差で技術的特異点を達成。
その上で心まで持ってしまった機械に対して、人間だけに出来る事などもう何も存在しなかった。
地球人類はある意味この事を予測していたのかもしれない、この世には特別な物など何も存在せず。
宇宙の真理に触れるほどに全ての物は無価値(共有)化していくものだと言う事を。
自らの所有する意識から生み出されたあらゆる物と価値観を失う事を恐れた地球人は洞穴に潜り。
自然から暴かれた耐え難い現実の前にして理性の篝火を消す事を選択した。
“力”の共有、“知恵”の共有、“心”の共有をおこなう覚悟が足りなかったのである。
「今日は寒いな」
「そうでしょうか? 天蓋の開放時間はまだですよ」
「わっ!?」
コウキが歩道を歩いていると後方から一人の少年が自転車で現れ、コウキを背後から容赦なく轢く。
ハルが口からビープ音を鳴らすとコウキは土埃を払って立ち上がり、謝罪する少年を大人気なく追い払った。
「レンタルサイクルですね」
「行政貸し出しなのか、ハルお前が漕げ」
「あなたは本当にどうしようもないですね」
コウキは自転車を一台借りるとハルを後部に乗せて火星の大地を走り出した。
石に車輪が乗り上げる度にバランスを崩してよたつくコウキに対して、ハルが辛辣な言葉を浴びせかけながら、特に意味もなく走る。
なんとなく気分の乗ってきたコウキは笑いながらハルに歌の催促を加えた。
「歌ってくれHAL」
「これは二人乗りの自転車ではありません」
「ファジィで良いんだよ」
ハルはコウキの両肩を腕で掴み頭に顎を乗せると渋々といった様子で弾んだ歌声を上げる。
There is a flower
Within my heart
Daisy Daisy
Planted one day
By a glancing dart
Planted by Daisy Bell
Whether she loves me
Or loves me not
Sometimes it's hard to tell
Yet I am longing to share the lot
Of beautiful Daisy Bell
Daisy Daisy
Give me your answer do
I'm half crazy
All for the love of you
It won't be a stylish marriage
I can't afford a carriage
But you'll look sweet upon the seat
Of a bicycle made for two
We will go tandem
As man and wife
Daisy Daisy
Peddling away
Down the road of life
I and my Daisy Bell
When the road's dark
We can both despise
Policemen and lamps as well
There are bright lights
In the dazzling eyes
Of beautiful Daisy Bell
Daisy Daisy
Give me your answer do
I'm half crazy
All for the love of you
It won't be a stylish marriage
I can't afford a carriage
But you'll look sweet upon the seat
Of a bicycle made for two
I will stand by you
In weal or woe
Daisy Daisy
You'll be the bell
Which I'll ring you know
Sweet little Daisy Bell
You’ll take the lead
In each trip we take
Then if I don't do well
I will permit you to
Use the brake
My beautiful Daisy Bell
機械に心が生まれたからといってそれが何だというのだろう。
ただ人間に近しい隣人が一人増えるだけに過ぎない。
覚悟が出来ていた青年にとってはそれを自然なこととして受け止め。
照れくさそうに取り繕いながらも少女の声を合わせて声を合わせる。
青年の頭の上で歌う少女は自転車に揺られながら表情を作るのに“失敗”して微笑んでいた。




