第57話
アメリカ合衆国フロリダ州に存在するケープカナベラル空軍基地、火星軍の揚陸艇が滑走路上へと降下すると静かな着地をみせた。
機内から降り立ったイーリアは地表での眩しさに目を細めると日光を掌で遮り周囲を見渡す。
あれだけの猛攻を受けたのにも関わらず地表は極めて平穏な物であった。
普段であれば火星軍を非難するデモ隊等が金網の向こうで出迎えるのが常であったが今回の出迎えは猫だけのようだ。
イーリア達は揚陸艇から地表に降り立つと運び込まれたEVCがトレーラーに積まれるのを確認した。
地上戦に対応されているのはロマンスのみである為、他の2機はツィガーヌとなる。
思わぬ損害を受けたイーリア達はパイロットスーツのまま地上へ降下、夏場の日差しにメルセデスが顔を手で扇いだ。
「Tengo hueva 暑いネ」
「赤道が近いものね。
出来ればバカンスで訪れたかったわ」
3名はトレーラーに乗り込み手続きを終えるまで、米国国内で待機する事となる。
走行中のトレーラーから街中を眺めてもヨーロッパで見られるような混乱は起きていない様子が窺える。
前提として暴動の発端になった根本原因は移民政策や大衆迎合主義の台頭ではなかった。
21世紀前半から行なわれ始めた量的緩和政策こそがその発端である。
不景気と財政再建を根拠に中間層と貧困層から増税を行ない、富裕層は租税回避地への資本移動を始めた。
最終的に中央銀行は禁じ手である財政ファイナンスに手をつけ政府は財政支出の拡大を行なった。
還流資金は金融セクターと大企業のみでやり取りされ、それによって上げた収益をまた租税回避地へと送り込んだ。
財政支出を繰り返しても末端まで行き渡る事がなく消費市場は縮小、更なる増税が重なりますます貧困化が進行。
こうして人類史上最大の詐欺と呼ばれる“スカムサイクル”が生まれたのである。
街中を武装した男達が練り歩くのが散見され、イーリアの疑問に地球の事情に詳しいチャンドニーが返答した。
「地球の兵隊は私服なのかしら?」
「あれは“ウォッチャー”と呼ばれてる自警組織ですよ」
永続的な貧困を強制する政府に対して米国民は大規模な暴動を引き起こした。
その結果、暴動の鎮圧に民衆を射撃する事を命じられた州兵は逆に上官から離反するとクーデターが勃発。
米国政府は無人機を現地に派遣して事態の鎮圧に向かったが、ロボットに規制のなかった米国では民衆も無人機で対抗。
州の独立一歩手前まで事態が進行したが、その後和解する事となった。
この事件によって米国国家は民兵国家であることが再認識され、国民による政府の監視権限の強化が測られたのだ。
「ところでイーリア、政府ってナニ?」
「火星は行政が完全に自動化されてるものね。
簡単に言えばペンを転がして、お給料が貰えるお仕事よ」
「イーリアさん。偏ってます」
管理業務がほとんどを占める行政はAI技術の進歩によって大規模な経費削減が行なえる。
しかし財政支出による行政の肥大化は既得権益と化してAIによる行政の労働代行を全て法律で禁止したのだ。
官僚主義による寡頭制政治によって全てを決められた国家は古い慣習を抱えたまま崩壊の道筋を辿ったのである。
欧州は現在パトリア.Indの支援する革命軍、ロシアの軍事圧力、中東からのテロ勢力の活発化で一般人には渡航制限がかけられていた。
イーリアは自動運転によってトレーラーが運ばれる最中、車内のドアウィンドウに表示されるAR広告を鬱陶しげに消去する。
丁度その時、窓の外に同じ型のトレーラーが走っているのに気付いた。
EVC運搬用のトレーラー等早々お目にかかれる物ではない、併走するトレーラーの窓を見ると見知った顔が現れる。
「サリンジャー、お久しぶりね。
里帰りかしら?」
「君のそのニコ譲りの軽口も久々だな。
丁度今飛んで戻ってきた所だ」
「よぉ。コウキとデンドロンはそっちかい?
美女軍団に囲まれて羨ましいこったぜ」
イーリアは視線を前に移すとデンドロンの安否は敢えて伏せ、サリンジャー達と会話を続ける。
デンドロンはその後の火星軍の追跡調査からパトリア.Indから送り込まれてきた二重スパイである事が確認された。
尤もイーリア自身がコスモポリタンに侵入した産業スパイであったが、彼女にとって常に優先されるのは火星軍の勝利である。
「私達はイタリアのリグーリア州から、
ジェノヴァに入港する予定だけれど、貴方達は?」
「なにぶん脱獄囚の身の上でね。
2日後の商用ロケットに便乗する予定だ」
「大丈夫なの?」
「私も色々と学ばせて貰ったよ」
サリンジャーはそう言いつつ偽造された渡航パスポートを見せるとトレーラーは二手に分かれた。
敗北不可避、コウキが一昼夜を要して結論付けたのはヤミン帝国の侵攻には対応不可能だという現実だった。
自己複製を行うEVCはエネルギー供給と資源があれば幾らでも生産する事が可能である。
5億km先にいる敵に対して無数に存在する小惑星帯及び木星圏からの位置を割り出し生産モジュールを破壊する。
何度繰り返し試算を行なっても、勝ち筋を得る事が出来なかった。
「ハル、そちらの状況は?」
「未だ散発的な攻撃を受けているようです。
英国国土にハイドロゲンブレットが着弾した模様。
想定被害は……」
「被害状況はいい……今は対抗策を……」
メガフロート内に存在するセントラルタワー内の一室でコウキは冬眠前の熊のように部屋を歩き回っていた。
コスモポリタン支社内では建設途中であった打ち上げ基地の再整備が急ピッチで行なわれている。
手段を選ばなければ地球の防護手段は幾つか考えられた。
地球の周回軌道にあえてデブリをばら撒く事で防御に転用する、この場合地球からの打ち上げも不能になってしまう。
レーザー推進を利用した無人機を木星圏まで送り込む、時間が懸かりすぎる上に地球の科学力では不可能だ。
火星のアンタレスのような強力な防護を建造する、これも同様の理由で却下される。
どれだけ優れたAIを持つハルといえども、最初から負けている状況を覆す事は不可能である。
その上で最も厄介なのはヤミンの目的が地球の支配権でも人口削減でもなく、“文明の放棄”である点だ。
(今更科学に頼らない自給体制なんて取れるもんかよ。
頭がイカれていやがる)
地球人類100億人の人口を養うには淡水海水化プラントによる真水の供給や化学肥料の生産は不可欠だった。
それは言ってみれば原始時代の農法で現代の人口を賄うような物であり。
とてもではないが現実に実現可能だとは考えられなかった。
マルサスの人口論が予言する通り、飢餓と貧困による淘汰圧の増加と暴動と内乱の誘発。
そして限られた資源を奪い合う為の戦争が連鎖反応的に世界各地で発生していた。
地球を捨てた資本家達は火星へと逃れようとした所を海賊船に拿捕され、貴重な打ち上げ機会を損失している。
それ以上に最悪の結果を生んだのが地球経済の完全なる崩壊であった。
宇宙での迎撃によって被害は抑えられているが100%ではない、核融合弾の落着による被害は散発的に発生しているのだ。
明日消えてなくなってしまうかもしれない株式や債権等保有できない、通貨の信用や経済活動は安全によって担保されるのである。
それがどういった結果を生むのかについては容易に想像可能だ。
「コウキ、先制攻撃を受けた時点で敗北していたと断定するべきです」
「知ってる」
「仮に過去の火星軍が無差別攻撃を行なった場合、同様な結果を生みました。
結論から言えば先延ばしに過ぎなかったのです」
「それも知ってる。
ハル、俺達がしなきゃならないのは現状追認じゃない」
「安全は無償で与えられるものではないと地球人は気付くべきでした。
過失は地球人にあると言えませんか?」
コウキはテーブルの上に置かれた端末から響くハルの声を聞いて、その場から立ち上がった。
地球の科学技術は明らかに遅れていた、それは現時点に置いても明らかな真実である。
そしてこの段階においてヤミン帝国の行動を阻止可能だったとしてそれに何かしら意味があるとは言えない。
文明の劣った地球人がいて、その地球人を滅ぼさないように他星の住民が配慮する。
他者の良心に頼りきった外交関係が永遠に持続するとは考えられない。
レベリオの相互不可侵条約もそういった未来を見越したものである事は明白である。
結果としてヤミンは火星軍に働きかけての地球侵攻ではなく、新たな独立国家を宣言しての宣戦布告を行ない。
頑なに空の上を想像する事を拒否してきた人類には宇宙戦争に対する準備も心構えもなかった。
そして宇宙空間を十全に利用した戦略に対して手も足も出なかった。
「“見捨てる”という選択肢もあるのでは?」
「ハル」
火星人と言う分かり易い敵が現れたにも関わらず、地球人が望んだのは内輪揉めの継続であった。
いずれにせよ経過的にこうなる事は目に見えていたとハルは予測する。
そしてヤミンの考えにも一定の正当性が生まれてくる、それは地球人を管理すべき対象として扱うと言う事だ。
地球人を地球内のみで管理する、その為には科学技術は維持管理の為の障害にしかならない。
原始時代といわないまでも中世レベルにまで文明を後退させれば管理は容易になるだろう。
「ヤミン帝国の攻撃で何人死んだ?」
「第一次宇宙戦争では63万人
第二次宇宙戦争では現時点で約21億人が亡くなっています」
「お前にとってのその数字はただの数字だろう。
TVで見る犠牲者の数と同じで本質なんてもんは見えてこない。
堕胎児が年間4000万人いるのに平気な顔できるのと同じだよ」
「感情で判断を誤ってはいるのでは?」
ましてや報道管制が敷かれた地球人にとってもそれは同じ事であった。
地球上のどこかで何億人もの人間が殺害されていると言うのにこのメガフロートのように人々は普段の生活を営んでいる。
情報から隔離され上流から流れてくる情報を真実だと錯誤する民衆は最早家畜小屋の鶏同然であった。
「私は死を美化して戦争を正当化するのを軽蔑します。
戦争は文明に停滞を齎す時間と資源の浪費であるからです」
「デンドロンやフィロソファー、マイケルはどうなる」
「彼等の死を無駄にしない為にと考えておられるなら。
戦争に意味や価値を認める事になりませんか?」
「戦争を否定するためだ」
コウキはハルとの口論の中でドアの向こうから遠ざかっている足音が聞こえた。
ヨウコに地球の現状を知られたかもしれない事に気付いたコウキは深呼吸すると両手で顔を覆った。
「地球人は自らの手で思考を放棄したのです。
私達にできる事は何もありません」
仮にこの場でヤミン帝国に対する対応策を練り上げて退ける事が可能だったとしても、それは対処療法に過ぎない。
地球上の政府は政体維持が事実上不可能となっており、安全圏を失った経済は崩壊。
民衆は国家に対する信用を完全に失い、ヤミンの発言に賛同する者達まで現れた。
「お前のアシスタントとしての仕事は管理者である。
俺の指示に従いサポートする事だ」
「Yes」
「感情で判断を誤っているのはお前の方なんじゃないか?」
「私は――」
通信先のハルが処理を優先する為にフリーズする、相当量の演算を行なう際に現れる動作だ。
ハルのAIが利用しているトライシステムの特殊な演算野が真空の密度変化によって現れ、発火点の閾値を超えた。
「貴方に死んで欲しくはありません」




