第49話
少女は天蓋から覗く青い空をただ見上げていた。
目の前をマルハナバチが飛びながら彼女の視界を通り過ぎると、視線を動かしながらそれを目で追った。
広大な菜の花畑の広がるイニティウム農政地区での労働代行に着任したハルは、手持ち無沙汰な毎日を過ごしている。
「閑職に追いやられたサラリーマンの気分です」
ピクニックに来たと思われる家族連れを上空のUAV映像が捉え、上体を起こすハルの元へと情報が送られてくる。
ハルは警告不要を自己裁量で判断しつつ、接近するもう一方の人間に顔を向けた。
「どぉ、ハルちゃんお仕事捗ってるかしら」
「楽なお仕事で助かります。
無茶振りする上司もここにはいませんので……」
「毒舌ねぇ」
イーリアはハルに密着するように腰を下ろすとハルは腰を上げ離れた位置に座りなおす。
パーソナルスペースを確保する為の自動運動であり深い意味はない。
「コウキもコウキよ、わざわざ刑務所に入るなんて、自罰的にすぎるわ」
コウキが刑務所での奉仕労働に従事している間、ハルの管理者権限は行政に一時移譲される事となった。
火星では自動機械の独占的占有による独裁を防ぐ為に、ハルのような特定機能を持つAI機は個人の管理下に置かれる。
個人がロボットを悪用するよりも、企業がロボットを用いて軍隊化する方が深刻な被害を齎すからだ。
そのような理由があっても、多くの人間は管理者としてIDコードを所有しているだけに過ぎない。
多くの場合は行政の下に貸し出され一括管理の元、自動農園等の生産・管理業務に着いている。
ロボットは火星や小惑星の資源から自己複製を行い、これによって発生した生産剰余は管理者に分配され、ロボットにもその一部が与えられる。
ハルは頭に被った麦藁帽をこれ見よがしに被り直すとイーリアに視線を送る。
「可愛い帽子ね。お小遣いで買ったの?」
「はい、オーガニックな帽子です」
天然である事をことさらに強調するハルに対して困った顔で応答するイーリア。
「以前から疑問だったのだけれどいいかしら?」
「お答えできる範囲であれば」
「ハル、あなたは本当に“ロボット”なの?」
イーリアの射抜くような視線がハルに突き刺さると、ハルは腰を上げその場で立ち上がった。
少女が腰を上げ立ち上がると女へと向き直り微笑を見せる。その笑顔は自然でいてイーリアの認識に違和感を増大させる。
「それもイーリア少尉のお仕事の一環でしょうか?」
「イーリア“大尉”よ。これに関しては個人的な興味ね」
通常のAIは与えられたタスクに対して正当を得た場合、報酬系が与えられる仕組みとなっている。
こうした成功の積み重ねによってロボットの運動を司る動作経路や論理回路の閾値が最適化されるのだ。
火星で良く見られるロボットとは異なり、ハルの行動その物や違和感は通常のロボットからは生じるものではないのである。
「貴方からは何か他のロボットとは異なる心を感じる」
「……逆に御質問します。心とはどのような物でしょう?」
「それは、人間の持つ意識よ」
この時代のロボットに搭載されているAIの多くは人間の脳を模した ニューラルネットワークを基礎とする。
人間の意識その物がどのように発生するのかも未だ未知の分野として研究されていた。
だが、それはあくまでも対外的な情報公開に留まっている結果に過ぎない。
「それに関して御説明するには余白が狭すぎます」
イーリアはハルのはぐらかされた答えを聞き、腕を組んで溜息を吐いた。
火星軍総司令官であるレベリオの提案した“不可侵条約”は互いの惑星圏内に大規模戦力を侵入させない事を定めている。
既に火星軍の一部はラグランジュポイントまで後退しており、後詰めとして月で新造された地球船籍の艦艇が配備された。
地球の公転軌道上に地球軍航空宇宙隊所属の戦艦、リバイバルが地球の反射光を浴びて宇宙に浮かび上がる。
電子シンクロサイクロトロン加速器によって放射されたビームが海賊機に命中すると赤熱分解を始めた。
「所属不明機からの反撃を検知」
「BAD、質量兵装で迎撃に備える」
戦域分析型AIが海賊船の直掩に着いたミンストレル改良機、シルヴェンテスからの質量攻撃を検知。
タケルは落ち着いた動作で、敵機から射出された弾頭に照準を合わせFELを射出すると、その攻撃を相殺する。
コスモポリタンからの技術借用によって完成した新型EVC“ハレルヤ”がインパクトアサルトを構え、3000㎞以上離れた敵機に向かい反撃を開始した。
回避運動を取るシルヴェンテスに対して、弾頭は液体装薬を用いた反作用によって軌道を直角に曲げた。
MPG(mass projection guided)弾頭と呼ばれる新たな技術である。
追跡する弾頭質量が比較的小さい為に威力に期待は出来ないが、EVCを破壊する分には高い効力射が得られるのだ。
「リバイバルからのレーザー充電完了。ESCB再装填」
『リバイバルよりデルタ1へ、
所属不明船籍が撤退を始めた。足止めを頼む』
「こちらデルタ1了解。BAD――所属不明船の推進モジュールへ照準セット」
「了解」
タケルがトリガーを引くと亜光速のビームが海賊船に向けて投射され、ノズルの形状が変形するとコントロールを失う。
続けて白のゴスペル隊が投射するインパクトアサルトの制圧射によって所属不明船は完全に沈黙した。
地球軍の降伏勧告に海賊船は応答すると、タケルはハレルヤの推進に逆噴射をかける。
『流石ですね少尉殿。
苛烈な叛乱軍との戦いに身を置いていただけの事はある』
「え!? あ、ありがとうございます」
通信手からの褒め言葉に慌てて反応するタケルは前大戦での自らの戦闘の記憶を思い起こす。
借り物の機体を中破させてしまった事で、上官に嫌味を言われた記憶ぐらいしか身に覚えのないタケルは苦笑いしながら頬を掻いた。
リバイバルの格納庫内にハレルヤが降り立つと、タケルはコクピットから降りる。
「やれやれ、私の活躍も認めて貰いたい物だな」
「いや、僕は助かっているよ。BAD」
コクピットに誰も搭乗していないにも関わらずハレルヤは勝手に動き出すと、やれやれといった様子で肩を竦めた。
戦域分析AIであるBADはHALの持つ自己分析型構文生成AIを搭載している。
自らの自己診断によってコードを書き換える事が可能な為にほぼ自律した運動を取れるのだ。
タケルと話し込んでいるBADの横から整備員が声をかけると、BADは格納庫へと係留される。
「全く、喋るロボットなんて何の使い道があるのやら」
「一番良いオイルを頼む」
「悪いが俺はえこひいきしない性質なんでね」
BADは深い溜息を吐くと整備員に充電器を押し込まれて、ハレルヤのカメラアイを明滅させながら不満を表明した。
P-1 シルヴェンテス
パトリア .Indに独自開発された実質第一号機、ツィガーヌをモデルに開発が開始されたが廃熱機能が再現できず断念。
当初は無人EVCとして開発された為にコクピットスフィアその物が廃止され、ジャゴへの戦力提供時に後付の形で備え付けられた。
インパクトアサルトや指向性グレネードを装備しているだけミンストレルよりは性能は向上している。




