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触れられない親子


 七海の予想は的中した。

 美弥子は快く勇人の身柄を預かる事を承諾し、夕方、七海と勇人は榊の高級車によって家まで送ってもらう事となったのだった。


 庵を出られることが決定した途端、何者をも撥ね付ける拒絶の鎧を身に纏っていた勇人の雰囲気はころりと一変し、服を着替えて用意をしなさいという榊にいそいそと従っていた。


 手負いの獣のようなあの警戒心はどうしたのだろう。

 その豹変ぷりに七海は呆気に取られた。


 「泊まりに来ていいと言ってくださったよ」と美弥子との電話を切った榊に教えられたときの勇人の瞳が輝いたのを七海は見逃さなかった。


 子どもが「今度の日曜に遊園地に行こうね」とお父さんと約束を交わした時のそれ。若しくは犬が飼い主に「散歩に行こう」と手招きされたときに見せる煌きそのものだ。


 喜ばれてもなぁ。


七海は軽い罪悪感を覚えた。藤岡家はどこにでもある一般的な建売の住宅で、面白くもなんとも無い。それどころか豪邸で暮らしていた勇人にしてみたら庵と大差ないのではと心配になってくる。


「七海ちゃん」


 勇人に続き車に乗り込もうとした七海を榊が呼び止めた。運転手に目配せして車のドアを閉めさせた。


「会ったばかりの君に何もかも押し付けて済まないね」


 もう見慣れてしまった榊の疲労の滲む笑み。押し付けられたものの大きさを物語っているようだ。こっそりと車の中を見ると勇人は動き出してもいないのに窓の外をじっと眺めていた。


「あの! あの……どうして榊さんは動物の霊が憑いてるって思ったんですか」


 榊は最初にそう明言した。視えていないにも拘わらず断定したのが引っかかった。

そして実際に勇人に会って、疑問は大きく膨れ上がった。


「ああそうか言ってなかったね。狐がね、居たんだあの竹林には」

「キツネ……飼ってたんですか?」

「居てもらったという方が正確かな。昔から稲荷を信仰している、その延長上でね。代々、一匹の狐をあそこに閉じ込めていたんだ。庵もその為のものだ。だけど少し前に忽然と消えてしまった。林の中をくまなく捜しても見当たらない、同時期に勇人の様子がおかしくなった。七海ちゃんならどう思う?」


 安直かもしれないが榊はすぐさまそう考えた。神の御使いとして崇めていた狐の仕業に違いないと。

 神は祟るのだ。いい歳した大人がと笑われるかもしれないが、榊は信じている。いや、自分達一族がこの山の麓に屋敷を構えた時から必死で繋ぎとめようと縋っているものの恐ろしさの片鱗を目の当たりにした時点で信じざるを得なかった。今でも目に焼きついて離れない。

 それだけではない。


 榊は自身の手の平を翳した。何の気なしにそれを見た七海は息を飲む。

 両手とも、皮膚が変色し歪に引きつっていた。火傷の痕のような。治りかけているから暫くすれば綺麗になくなるだろうが、今はまだ痛々しい。


「私じゃあの子には触れないらしい」


 あの子、とは勇人のことだ。彼に触れようとしてこうなったのだと。


「まさか……」


 七海は何度も勇人に触れたが、何とも無かった。首を絞められて痛かったとか通常の感覚こそあれ、火傷を負うような事はない。


「七海ちゃんはプロの人に頼めと言っていたけどね、実はもう何人かには見てもらったんだよ」

「え」

「誰も結果は一緒。あの子には触れられなかった。何かが憑いてはいるのだろうが何かは分らない、お手上げだとね」


 それでも諦めきれず、藁にも縋る思いで手繰り寄せたのが七海だった。不確かで曖昧な情報から探し出すのに手間取ったが、その分七海は他の者達とは違い結果を残した。

 認めたくない事実を突きつけられる結果だったが致し方ない。


「それにあの子の髪と瞳、生まれつきあの色だったわけじゃない。狐が消えた、その時からなんだ」


 いつも夕方には学校から帰ってきている勇人が、夜遅くになっても一向に帰ってくる気配を見せず、これはおかしいと辺りを探し回った。


 そして庵で倒れているのを発見したときには既に髪と瞳が色素が抜け落ち、薄色に変化していたのだ。抱える為に伸ばした手は、勇人に触れた瞬間電気が走るような痛みを訴え、両の手の平は爛れていた。


 只事ではないと誰だって気付く。榊は元の庵の主である狐の姿が消えているのを怪しく思い竹林の中をくまなく探したが、最後まで狐は出てこなかった。


 そしてその日から度々勇人が暴れるようになったとなれば、これを祟りと言わずして何だと説明するのか。


「私には……榊さんが息子さんを助けたいのか、遠ざけたいだけなのか分りません」


 何処から情報を嗅ぎつけたのか、七海を頼ってまで助けて欲しいと言った榊だったが、今度は追い出すように勇人を七海に押し付けた。


 そして交わされた二人の会話はとてもじゃないが血の繋がった親子のものとは思えない硬質的なもので。


 『君』と、榊は勇人に向かって言うのだ。そんな距離感はおかしい。

 仲が悪いのか。それにしては榊は必死だった。彼の考えが全く見えてこない。


 コンコン。勇人が車の窓ガラスを叩いた。何時まで話し込んでいるつもりだとせっついているのだろう。


「ああ済まない。じゃああの子の事をお願いするよ。挨拶へはまた後日伺うから」

「あ、いえ」


 ふるふると首を振るのがやっとだった。


 結構です? お構いなく?


 こういった場合、相手に失礼にならないような返事は何だろう。敬語を使う機会も少ない七海には、形式的な言葉が浮かんでこなかった。そんな普通の高校生らしい返事に榊は安堵した。車のドアを開けて七海を入れる。


 久しぶりじゃないだろうか。普通というものを感じるのは。勇人がああなってしまってから遠退いていた感覚だ。


「違うな」


 家を出て行く車を見送りながら榊は一人ごちる。

 七海だとて、幽霊を視て触れられるという特殊な人間だ。普通というカテゴリーに入る子ではない。それを目の当たりにしたばかりだというのに、あっさりと忘れさせてしまう彼女が可笑しかった。



 窓ガラスに噛り付いていた勇人が変わり映えのしない住宅地の風景に飽きたのか、背凭れに倒れて目を瞑った。


「寝たらダメだよ」


 もう五分としないうちに家に着く。今寝てしまっては起こすとき不憫に思ってしまうから。

 勇人は目だけをちろりと文句を言いたげに七海に向けた。目は少し赤くなっていて相当眠たいのだろうと察せられた。可哀相だけれど仕方がない。


「着いたらベッドで寝られるから」


 幼子にするみたいに、優しく髪を梳いた。

勇人は拒絶せず、静かに目を瞑った。触れてもいいとの許可を得たような気がして、七海はその行為を続けた。

意識してみれば、アイボリーの色は根元からしっかり色づいているのが分かる。染められたのではなく、元よりこの色だったのだと主張するように。


 髪を指で弄っても痛みを感じる事も、まして榊のように火傷を負う事もない。

 榊が虚偽を七海に伝えたとは思わないが、触れられないなんて信じられなかった。勇人自身に特異な部分は見受けられないからだ。


「……き……うと」

「ん? なに?」

「榊勇人」


 またも重たげに開かれた目だけで七海を見る。只管に注がれる視線に七海は焦った。


「さかき、ゆうとさん」


 一文字一文字刻み込む。そんな風にゆっくりと復唱した。彼は名を呼べと言っているのだと何故だか思えた。


 どうですか、合っていますか。


 窺うように相手を見れば、勇人は静かに頷いた。

 その伏せられた瞳を躊躇うように左右に彷徨わせ、勇人は一つ大きな溜め息を吐く。それは大事を成し遂げた後の安堵のものなのか、これから起こりうる災難を懸念してのものなのか七海には判らない。


 ただ、彼の存在が身体に圧し掛かるような奇妙な心地がした。彼の言うまま復唱しただけだというのに、名と体を合致させるその行為が重い。


 今目の前にいる男が榊勇人なのだと認識する事に責任を負わされた、というこれまでに例のない感覚が気恐ろしい。


 七海は身震いしそうになるのを、両手を膝の上で握りこむ事で何とか耐えた。手の平に冷や汗を掻いていて少し気持ち悪い。


「え、えと。勇人でいい? 私も七海でいいし」

「ななみ」

「そうそう。名前で呼んで」


 どことなく掴みづらいが、意思疎通は出来るのだと分かった。第一印象が最悪なだけに警戒せざるを得ないが、これなら何とかやっていけるかもしれない。

 眠気が極限にまで達しているせいか、舌足らずの口調が余計に七海の心を和らげる。


 こんな可愛い一面も持っているのかと。

 またも目を閉じて夢の世界に誘われようとしている勇人に、そうはさせまいと話しかける。


「今日ね、私の誕生日なの。とんでもないわ、家帰ってケーキ買ってくれてなかったらブチ切れる。あーそうそう、先言っとくけど。うちの家族変わり者ばっかだからね。一番世話焼いてくるのはお母さんだよきっと。でも本当変だから気をつけて。今日も私、勇人とお見合いするのよって騙されたし」


 忘れかけていた怒りを思い出し、文句を言ってやらねばと決意を新たに拳を握る。


「じゃあ七海は」


 七海の思惑通り目を開けた勇人は真面目くさった顔で話し出した。


「ん?」

「七海は俺のものになればいい」

「いいって何が!?」

「命令に逆らうな。俺はこう見えて亭主関白だから」

「関白?」

「ちゃぶ台も容赦なくひっくり返すんでそのつもりで」

「ちゃぶ台うち無いよ……」


 話についていけず、引っかかった単語のみを拾い上げて繰り返す。一から順を追って説明してくれないだろうか。七海の話をどう曲解して、どんな方程式を使って解いたら亭主関白だなんだの流れになるというのか。


 理解不能な事を言い始めた勇人に気が遠のいた七海は思う。

 どうして私の周りにはまともな人間がいないのだろう。


 そして本来ならば記念すべきはずのこの誕生日から、七海の更なる非現実的な日常が始まるのだった。


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