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林の奥にある庵で


「ねぇお母さん、何なの?」

「石庭なんて素敵よねぇ。この上を歩けば音が鳴るから防犯にもなっていいわぁ…」

「態とらしく話逸らさないでよ! 地面の事じゃなくて、お見合いがどうとか言ってたあれは何だったの!」

「やーねぇ冗談に決まってんじゃない」

「はぁ!?」


 思わず大きな声を上げてしまい、振り返った榊にへらりと愛想笑いを送る。話の内容は聞こえていなかったらしく榊は僅かに頭を傾げ、すぐに前を向いた。


「ただ会うだけより、ちょっとしたサプライズがあった方が面白いじゃない、私が。だから言ってみたってわけ。にしてもあの時のあんたの間抜け面!」


 思い出して吹き出した美弥子は、その笑いから抜け出せなくなってお腹を抱えて苦しい苦しいと息も絶え絶えになりながら歩いていた。

 七海が止めてと背中を叩いても暫らく収まらなかった。

 思う存分娘のネタで爆笑した美弥子は満足気にふうと息を吐き、何かを思い出したように目を丸くした。腕時計を確認する。


「あらそうだ。私大切な用があるんでした」


 石庭をもうすぐ抜けようかという頃、美弥子はそう言って立ち止まった。榊と七海も振り返り彼女に倣う。


「だから七海、一人で行ってくれる?」


 開いた口が塞がらない。

 こんな右も左も解らない混乱しきった状態の娘を置いて帰ると言うのか。咄嗟に言葉の出てこない七海を置いて美弥子はさっさと話を進めていく。


「申し訳ありません榊さん。七海は今日中に帰して頂ければ何時でも構いませんので、私だけ失礼させてもらっても?」


 売り飛ばしやがった! 声には出せないが、心の中で叫んだ。

 

「それは……、お引止めしてしまって悪い事を。ではもう暫くの間だけ七海さんをお借りいたします」

「良いように使ってやってください」


 深々と頭を下げる榊に謙虚であり、七海にとって残酷なな言葉を投げかける。

 美弥子は戸惑う七海に「うまくやんなさいよ」と耳打ちしてそのままにしてさっさと一人帰って行ってしまった。

 何をどう上手く立ち回れと言うのか。


 多分大切な用など大嘘だ。帰った本当の理由は、夕方からのドラマの再放送だろうと予想され、娘の一大事を放ってまで見たかったのかと、家に戻った暁には盛大に泣いてやろうと決めた。


 離れにいると教えられていたから、靴を履いて整った庭を突っ切るのには何も思わなかったが、榊はどんどんと奥へと進んで行き、竹林に差し掛かった時点でどうもおかしいと悟った。

 この榊家の屋敷は山の麓に建っていて、どうやら敷地と山はそのまま繋がっているらしい。


 薄暗く長い長い一本の林道を只管に歩き続けた先に拓けた場所があり古びた庵が建っていた。

 その前まで来れば、周囲は草が生い茂り壁の至る所に大小の亀裂が走り、うらぶれた様が見て取れる。時代を感じさせる庵は手入れが全くされておらず、母屋とは似ても似つかない。世捨て人でも住んでいるのではないかと思わせるような寂れ方だ。


「ここ、ですか?」


 遠慮がちに七海が尋ねると、榊は神妙な面持ちで首を縦に振った。

 こんな誰も安易には近づけない場所に押し込めて、まるで幽閉しているみたい。

 至った考えに身震いした。


 ガラスが嵌め込まれた玄関の横引き戸は鍵もなく簡単にスライドした。靴を脱いで上がればすぐに襖に突き当たる。 榊はあっさりとその襖も開けた。


 中は意外と広かった。大きい畳が敷き詰められた和室。備え付けの家具以外は一切置かれていない、建てたときのままの広さだ。


 部屋の隅に敷かれた布団と、その周囲に散らばった鮮やかな色の着物に気を取られ、肝心のこの庵の主の存在に気付くのに数秒掛かった。


 じゃらりと金属が鳴る音がして、反射的に顔を部屋の隅にやる。そこには浴衣姿の青年がいた。どうやら彼が勇人のようだが、蹲ったまま動く気配がない。耳を澄ましてみると微かに呻き声が聞こえてきた。


「ちょ……っ! 大丈夫ですか!?」

「七海ちゃ――」


 七海は榊が制止するより早く勇人に駆け寄り、肩に手を置いた。苦しそうにしているから背中を摩ろう持ち上げた手を、勇人は目にも留まらぬ速さで掴んだ。


 ぱちくりと目を丸くする七海の顔を見ようともせず、ただ手を凝視している。上げられた顔の色はお世辞にも良好とは言い難かった。


「……お前、何だ……?」


 勇人は掠れた声でそう言うと、胡乱気に七海を見やった。呼吸は乱れ、額には汗の粒が浮かび苦しそうだ。


 若い。


 場違いにそう思った。こんな老人の隠居生活にもってこいな場所だから、自分と一つしか違わないと知っていたにも拘らず驚いてしまったのかもしれない。

 だが次の瞬間、色素の薄いアイボリーの髪の合間から覗く同じ色の瞳に七海は見入った。魅入られた、といった方が正しいか。


 とにかく瞬きもせず吸い込まれるように見つめていると、勇人も負けじと吟味するように七海を見下ろしてきた。


 二人は暫く無言のまま眺めあっていたが、勇人は何かに気付いて目を見張った後に、きゅっと眉根を寄せた。


「お前……」


 のそりと立ち上がった。腕を掴まれたままの七海もつられて腰を上げる。

 勇人は女性の平均身長そこそこしかない七海が僅かに見上げなければならない、という程度の背の高さだった。

 この庵に軟禁状態だからかやつれていて、元は父親似の美丈夫であるはずが今は痩せ細り痛々しいという印象しかない。髪も瞳も肌も色素が薄いせいで余計に病弱そうに見える。


 一人で立っているにも拘らず、七海は思わず彼を支えようと空いていた方の手で肩を持った。榊はその様子を見、思案気に目を伏せた。


「七海ちゃん、どうかな」


 隣に立つ榊の表情は苦い。ここに来た目的を思い出した七海は再度勇人に視線を戻した。


 一つの身体に収容できる魂は一つ。

 憑くといっても体内に入ってこれるわけではなく、ぴたりと身体に張り付ける事までしか出来ない。背後霊とはよく言ったものだ。そういうものだから視ればすぐに判るはずなのだ。


 じゃらり。


 また金属音がした。畳の上に波打つ鎖が動いたと同時にしたものだ。簡素な和室には全く似合わない鉄が鈍く光っている。

 それは勇人の両手足に繋がっており、彼の行動を制限していた。どうして今まで気付かなかったのか不思議なくらいの存在感がある。


 部屋の窓に取り付けられた鎖の長さは十分にあり、庵内は自由に行き来できるだろうが、これでは彼は自らの意思で外に出る事は叶わない。


「……これ」


 腕を掴んでいる勇人の手を一端離し、逆に七海から握りなおした。

 勇人がビクリと肩を震わせたが構わなかった。


 枷がつけられた手首が痣で広範囲に渡って紫に変色している。多分足首もそうだ。

 これは勇人が激しく抵抗した事を意味している。

 二、三日やそこらでつくものではなかった。


 非難がましく榊を見ると、彼は苦い顔のまま頭を振った。


「突然火がついたように暴れ出して逃げようとするんだ。そうなってしまっては手がつけられない」

「そんなっ、だからって……!」


 鎖で繋ぐなど。狐に憑かれていると言っても、彼は紛れもなく人間だ。しかも榊からすれば息子ではないか。

 手に当たった金属の冷たさに七海は居た堪れなくなる。


 暴れ出すと榊は言ったが、今の勇人からは想像が出来ない。

 ただ彼は七海が触れている手をジッと穴が開きそうなほど見つめるばかりで。

 七海達の会話も耳に入ってきていないかのようだ。


「病院へは」


 それにも榊は頭を振る。


「病院へは連れて行けない。入院ともなれば……普段は気にしていなくてもこのときばかりは世間体を考えねばならないからね」


 榊家当主の息子が精神病で入院などと触れ回られては体裁が保てない。それに原因は病気ではないのだ。押さえつけているだけならばここでもどこでも同じだ。


「こんな状態のこの子を人に知られるわけにはいかないんだよ」


 娯楽はおろか生活に必要な設備も排除されたこのたった一室に鎖で繋がれて。どれ位続けているのだろう。どれ程続いてゆくのだろう。


 全てを本人の前で打ち明けてしまうだなんて。こんな馬鹿げた真似は今すぐ止めさせなければ。

 人に、子どもに強いて良いものではない。尊厳も何もかもを無視した生活とも言えない現況を。


 それに勇人は――


「違う……違う、この人は、んぎゃ……」


 勇人を掴んでいた手を引っ張られ、彼に倒れこんだと同時に口を塞がれた。顔にがっちりと腕が巻きつけられて七海の力では引き剥がせない。


「黙れ」


 耳に直接吹き込まれた声の低さに身を硬くする。抗う事も忘れて七海は勇人の腕の中でじっとしていた。


 逆らえないほどに高圧的であった。これが弱り果てていた人が発した声なのかと疑うほどにはっきりとした音。


「いい加減諦めたらどうだ。何をしたって手遅れだって分かてるんだろ。俺を殺せば簡単に終わる。さっさと死なせてく――」


 ガツッ


 派手な音に榊は目を丸くした。

 後ろから抱きすくめられていた七海がその場で飛び跳ね、頭頂部を勇人の顎にヒットさせたのだ。


 突然だったために避ける事も出来ずもろに食らった勇人は顔を押さえてしゃがみ込んだ。解放された七海も頭の天辺に両手を当てて布団の上でもんどりうっていた。


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