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三種の神器はいらない


 過去に想いを馳せながら、七海ははたと気がついた。


「お姉ちゃんのが適任でしょ、どう考えても」


 姉である朝陽は今年で二十一歳になる。学生という身分を謳歌しているが、年齢を考えれば七海よりもよっぽど自然だろう。

 だが美弥子はどこまでも冷静に茶を啜る。


「お姉ちゃんはいいの。あの子は自分で幸せを鷲掴みに出来る子だから」


 異論はなかった。他者の幸福だろうともぎ取って、更に文句を言わせないよう圧力をかけるのが朝陽という人なのだ。掴むではなく鷲掴みにするという表現は的確だ。


「だけどあんたは心配よ。幸せがゴキブリみたいに目の前ちょろちょろしてても、どんくさいから逃がしちゃうでしょ?」

「例えが宜しくないと思う。ていうかどんな言い種よ」


 娘に向かってどんくさいとは。廊下と部屋を区切る障子の近く、畳の上に直に座ったままの七海は母親をねめつけた。

 美弥子のせいとは言え、盛大に転んだ後での台詞とあっては説得力はない。


「そんな七海のために、このお優しいお母さんが一肌脱いでやったんじゃない。榊さんの息子様がお相手よ? 感謝されこそすれキレられる覚えはないわね」


 自分が正論だと信じて疑わない母親は、やはり堪えた様子もなく呑気に言ってのける。地団太を踏みたくなるのを必死で耐えた。

 おためごかしも甚だしい。七海のためだなんてあるわけがない。

 

 だったらこんな、高校生の七海に見合いという形式を取って男を紹介したりしないだろう。

 しかもこれだけ名家の子息という肩書きを有していながら、英才教育のえの字も受けた事のない七海を相手にしなければならないほど、いただけない人柄なのではなかろうか。


 それとも外見の問題か。以前にどういう経緯でこの話が持ち上がったのか。


「……あ、そうだ、相手ってどんな人よ。何歳?」

「確か勇人くんって言って七海の一つ上だったかしら?」


 答える美弥子も曖昧だ。同じ町内と言えどセレブと一般庶民では出会う機会などないから家族構成など知りはしない。一つ上となれば高校三年生。七海は公立、相手は名門私立だろう。


「金持ちだろうと、ここまで来させておいてこんな待たせるとか常識無い人ってのは確実だわ!」


 七海達がここに通されてからかれこれ十五分は待たされている。

 時間にルーズな人間は、生き方もだらしない。そんな持論がある七海は、こうしている間にもどんどんと未だ見ぬ相手の印象を悪くしていた。不信感が募っていく。

 美弥子も腕時計で確認して頷いた。


「重役出勤と言ってね、大物は遅れてやってくるものなの。良かったじゃない、きっと出世コースまっしぐらな人よ」

「どんなポジティブ発言!」


 普段なら待ち合わせの時間に五分でも遅れようものならさっさと帰ってしまう人なのに。


 そこまでこの話を進めたいのか。

 

 もしかしたらお金が絡んでいるのかもしれない。父はまだしも、母ならば金額によっては娘だろうと喜んで生贄に差し出すだろう。


 七海は高笑いする母親によって、身売りされる想像をして本気で血の気が引いた。

 嫌だ。嫌過ぎる。


「私、未来あるこの歳で人生捨てたくない! チビ禿デブの三種の神器が揃った人なんてお断りよ!」

「あら十代なのにパーフェクト。お金持ってそうじゃない?」

「世の中本当に大切なものはプライスレスなのっ」


 逃げるなら今のうちだと立ち上がり、障子に手を伸ばしたその時だった。

 

 突然、七海が開けようとした障子はさっと引かれ、急には止まれなかった七海は廊下にいた男性に正面からぶつかってしまった。

 母親は「あらまぁ」と座ったまま呑気に呟いた。


「随分とお待たせしてしまって申し訳ありません」


 危なげなく七海を受け止め、そう陳謝したのは仕立ての良い黒いスーツを着こなした壮年の男性だった。背丈はそこそこといったところだが、スマートな印象を受ける。


「す、みません……」


 逃亡を阻止されたような気分になって、気恥ずかしさに口ごもる。

 さっと身を引いた七海は少し身体の位置をずらして顔を見られないようにした。

 

 声には出さずにやにや笑う美弥子に気付いて睨みつけた。


「いや、えっと君が七海さんだね。トイレ? そこの角を曲がって……」

「違います! 大丈夫です!」


 じゃあ何で障子を開けようとしたのかと尋ねられても困るが、もうそっとして先に話を進めて欲しい。

 そそくさと美弥子の隣に座った。


「準備に手間取ってしまいまして。呼びつけておいて本当にすみません。私が榊家当主で、勇人の父になります」


 もう一度丁寧に謝る言葉も口調も丁寧なのに、温和な彼から感じ取られるのは威厳と風格。本家と分家、血縁者それぞれが多方面で活躍する一族の長というのも頷けた。


「それで。七海に頼み事があるとお伺いしておりましたが、一体何のご用事でしょう?」


 落ち着きを払った美弥子の言に、七海は眉を寄せた。


 頼み事って何?


 七海の疑問が手に取るように解る美弥子はにっこりと笑いかける。ややこしいから今は黙ってなさい、という無言の圧力だ。


「面識も無いというのに突然こんな事を申し上げるのは失礼だと重々承知しておりますが、息子を……勇人を助けてやって欲しいのです」


 榊は一端口を閉ざし、テーブルに視線を落とした。


「……夏前くらいから勇人の状態がおかしい事には気付いていたのですが、動物の霊に憑かれているかもしれないという疑いを持ったのはつい先日で。もう我々では手に負えなくなっていて……七海ちゃんならもしかしたら、と」

「はぁ……え? 私?」


 想像もしていなかった、全くもってノーマークだった方向へ飛んだ話に七海はついていけていない。七海がもしかしたら何だと言うのだろう。


「あ、あの……」

「仰られている意味が解りかねます」


 しどろもどろになる七海の隣、美弥子は先程までとは雰囲気を一変させた。毅然と真正面から榊を見据えている。


 七海が触れたくはない部類の話だと、曲がりなりにも母親の美弥子は心得ている。美弥子だけではなく家族全員が理解してくれているから絶対に公言したりはしない。だから七海に霊感があるのだという事実は家族しかしらないはずだ。


 なのに面識のない榊が話題に持ち出した。警戒するのも当然だろう。誰に対しても物怖じしない母は、この場においては誰よりも頼りになる。


「ああそうですね、言葉足らずで申し訳ない。焦るあまり」


 自嘲気味に口元を緩めた榊は一瞬だけ瞼を伏せ、すぐに七海達に向き直った。


「息子……勇人もまた七海さんと同じ視える体質、なのです」

「視えるとは」

「実態の無いモノ、幽霊や妖怪といった類のものが」


 はっきりとした答えを明示され、はぐらかす事も出来なくなった美弥子は、ふうと息を吐き出し問答を止めた。

 七海はただ驚くばかりだ。


「半分答えがずれていますが、いいでしょう」


 どうして貴方が七海の事を知っているのか。そこまで含めて聞きたかったのだが、榊は答える気がないようだ。

 

 事実知られてしまっているのだから、理由など大した問題ではないだろうと深く言及はしない。


「……この子は自分の視える目を嫌っております。私にはこの子の苦しみの1ミリも理解してやれませんので、その分そういったモノに極力接っせずに済むよう心掛けているのです」


 これまで語られなかった母の胸のうちを聞いて、七海は心が熱くなった。


 自分が異質なものを視ているのだという自覚は幼い頃からあり、そんなものが視える七海こそが異質であるのだと認識していた。みんなと違う。

 

 私がおかしい。私の目が変なんだ。


 だから視えないものとして振舞うようになっていった。

 七海が物心つく前から霊感がある事を察していた家族は、七海が触れたがらない事も何も告げる前から感じ取っていて、これまでもさり気なく庇ってくれていた。何だかんだと言って藤岡家にも家族の絆が存在する。

 というより家族間で無条件の思いやりを失ったら最後だと七海は思う。


「お母さ……」

「勿論、こちらも七海さんの苦痛に見合うだけのものをお返しさせて頂こうと思ってはいます。お金で解決しようなどと無粋とは承知しておりますが…」

「お引き受け致しましょう」

「終わった! 家族の絆壊れた! でもそうなると思ってた!」


 三度の飯より現金。誰が何と言おうと守銭奴である美弥子が断るはずがない。いや、この提案を榊にさせるための小芝居であったのだろう。


「七海、よく覚えておきなさい。地獄の沙汰も金次第なのよ!」

「身も蓋もない事誇らしげに言うな! その手で円作るのやめてよ生々しい!」


 親指と人差し指の先をくっつけて円を作り、硬貨に似せている美弥子の手を叩いて下げさせる。


 母子の漫才に榊は呆気に取られ、そして無意識のうちに笑ってしまった。話の内容は置いといて、あけすけに話が出来るなんて仲が良い。こんな風に自分達親子もなれていたならば、何か変わっていただろうか。


 くすりと漏れた声に七海達が榊を見た。

 

「すみません、楽しげだったのでつい」

「いえ、それよりも七海、見るくらいなら何とかなる? あなたの出来る範囲の事をするだけでいいのよ」

「……うん、見るだけなら」

 

 見る事は出来る。瞳に映すだけだ。が、診るとなれば違ってくる。素人の七海が出来るのなんて本当に埃みたいな霊を払い除けるくらいのものだ。

 悪霊を追い払うだとか、そんな芸当を当てにされては困る。プロに言ってもらわなければならない。

 

 これを生業としている人達は、修行と鍛錬の積み重ねによって技を習得するのだ。ただ日々をのうのうと暮らしている七海にそれが出来るはずがない。


「その……憑かれてるっていうのは本当なんですか」

「そこも含めて判断してもらいたいんだ。私共ではさっぱりでね」

「分かりました、けど、ちゃんとした人に頼んだほうが……」


 榊は眉尻を下げて力なく笑った。そうすると酷く疲れているように見えた。


「出来るのならばそうしたいのだけれど、ね。さて用意が整ったようなのでまずは食事でも」


 七海は美弥子と顔を見合わせた。引っかかる言い方をしたものの榊はその先を言う気はないらしく、穏やかに笑んだ。



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