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おやすみ、おはよう


 夢を見た。

 

 すぐに夢だと分かった。目の前に勇人がいたから。


 黒髪に焦げ茶の瞳の、涼やかな印象を持つ整った顔をした高校生の少年だった。


「ほんと君等二人には呆れるよ」

「そう? そこまで悪い考えでもないと思ったんだけどなぁ」


 七海が勇人を取り込めば、勇人という個はなくなっても共に生きる事に繋がる。


 上手くいかないだろうと隼人と勇人の例を見れば容易に予想はついたが、やらずにはおれなかった。

 ただ見ているだけなど出来るはずがない。お人好しと言われる所以だ。


「勇人は死なないよ、私と隼人が離さないから。一緒に行こう?」


 そっと勇人に手を差し出す。


 勇人は暫らく黙って七海の手を見詰めていた。

 そして呆れたと言わんばかりに盛大に溜め息を吐いたのだった。


 あの時、道端で七海を見かけた時に声を掛けていれば。

 もっと早くにこの手を取れていたならば何か変わっていただろうか。

 

 取り留めの無い考えが浮かんでくる。

 後悔とは違う、けれど違う道を進んでいっても良かったかもしれないと思った。


 誰かの中に在り続けるのも悪くない。

 勇人も手を伸ばした。


 触れるか触れないかのところで勇人の姿は消えていった。

 

 困ったような嬉しそうな、戸惑っているような、はにかんでいるような。

 様々な感情を浮かべた顔をしていた。


 七海の手の平が空を掴む。


「勇人……おやすみ」




 目を開けると窓から差し込む光と天井からの蛍光灯の刺激の強さに眉を寄せた。


「ん……」

「あら目が覚めた?」


 覗き込んできた美弥子に小さく頷く。


「ここどこ? 病院?」


 真っ白なベッドシーツに、白を基調とした清潔感のある部屋。

 

 横を向けば七海が寝ているベッドと同じものがもう一つ置かれている。学校の保健室を思わせた。

 

 再度頷く美弥子に入院したのか、とまだ寝ぼけている頭で現実感が伴わないままに思った。


「ちょっくらマーサ呼んでくるよ、マーサ!」


 朝陽は病院にはそぐわないピンヒールでかつかつと出て行った。


「マーサ? 何人?」

「昌也の事でしょ」

「ああそう」


 目を閉じればまた眠ってしまいそうで、手の甲で擦った。


「二日も眠ってたのよ。ほんと心配させて。榊さんが運ばれてくるっていうから関さんと待ってたらあんたまで一緒に救急車から降りてくるんだもの、心臓止まるかと思ったわ」

「……ごめん」

「お父さんも出張早く切り上げて帰ってきたんだから」

「ごめんなさい」


 七海がしおらしく謝り続ければ「今度本人に言ってやんなさい」と額を撫でつけた。



***



 七海が目を覚ます少し前、榊は診察と七海の見舞いを兼ねて病院へ足を運んでいた。


 頭を切っていたものの幸い大事には至らず数針縫うだけで済んだ。


 見舞いの品を美弥子に渡して帰る途中、待合い場でぼんやりと座っていた隼人が目に入った。


 気だるそうに顔を上げた隼人は榊を見、またすぐに前に向き直った。彼の素っ気ない態度を気にせず、榊は隣に腰掛ける。


「人としての生活は少しは慣れたか?」

「あの家族は良くしてくれている」

「だろうね」


 それは榊にも分かった。

 彼等が話しているところを見ていれば、隼人の扱いが客人ではなく息子や兄弟に向けるものになっていた。

 

 隼人も彼等を騙しているという罪悪感が消えたのか随分と打ち解けていた。

 事情を知らぬ者ならば、一家族だと信じて疑わないだろう。


「だけど隼人、君には榊の姓を名乗ってもらうよ」

「そんなものは何だっていい」


 人間の中で生きていくとは言え、神の使いである隼人には苗字など意味を持たない。


 ただの飾りのようなものだから、何でも良かった。彼らしい返事に榊は苦笑する。

 そこで話を切り、榊も何気なく隼人と同じように何も無い壁を眺めた。


「まだ七海ちゃんは眠ったままなんだね」

「人間には負担が大きすぎる」


 七海の華奢な体で受けきるには時間が掛かるのだ。


 他人を背負い込むのは容易に出来ることではない。

 勇人の肉体は息を引き取ったが、魂は違うと榊は既に聞いていた。


 死を恐れた勇人の魂を半分ずつ隼人と七海が自身に融合させて共に生きられるようにしたと。


 今この瞬間も勇人は彼等の中に在るのだ。

 榊は俯きながら手で目を覆った。


「何も出来なかった……」


 背負わせてしまった。

 隼人はまだしも他人である七海に。

 

 本来ならば榊が担っていかなければならないものだ。


 だが榊はあの日、何もしてやる事ができなかった。勇人を説得する事も、止める事も、まして手に掛ける事など。


「俺は、いざその時になれば自分では勇人を殺せないと心のどこかで思ってた」


 やはり隼人は壁を見詰めたまま静かに語る。


「俺が出来なくてもお前ならやれるかもしれない、そんな風に考えていた」


 ぎしり、とイスを鳴らして隼人が立ち上がった。


「でも俺が思っていたよりも、お前は脆かったんだな」


 榊の前を通り過ぎる。


「いい事だと思う」


 ぽつりぽつりと語るその口調は淡々としていて、隼人の感情は見えない。

 それどころか、榊の返事も待たずに、そのまま隼人は歩いて行ってしまった。

 けれど榊はそれが彼の優しさだと知っている。


「……そうか」


 大分経ってからか細く、震える声で呟いた榊の顔は手で覆われて隠れていたが、指の合間から零れ落ちた雫がぽたりぽたりと床を濡らした。



 隼人が七海の病室に戻る途中、ばったりと朝陽と昌也に会った。


 嫌でも人目を引く朝陽が昌也の腕を引っ張って廊下を突き進む光景は、どうしようもなく目立った。


 朝陽は全く気にしていないが、げんなりしている昌也はそうでもなさそうだ。

 仕事場なのだから当然だろう。


 派手な見目の朝陽とのツーショットを患者や看護師達が興味津々で見ているのに、昌也が気づいてないわけがない。

 

 この後質問攻めに合うだろう事が予想出来ているし、朝陽を引き離そうと邪険にすればこちらもまた後々面倒な事になると、長年培ってきた勘が告げている。


「あ! 隼人くんどこ行ってたの」


 手を振る朝陽に隼人も寄ってきて、更に昌也は眉間に皺を寄せた。

 

 目立つ人物が倍に増えたからなのだが、この心情を察せられるのは今ここにはいない七海くらいだろう。

 

「榊と話してた」

「あら榊さん来てたのね」


 全く興味を持っていないと知れる、あっさりとした答えに隼人はそれ以上何も言わなかった。

 

「それより、七海起きたらしいぞ」

「ああそうそう。それで昌也と隼人くん呼びに来たのよ」

「……ナースコールってもんがあるのを知らないのか」


 朝陽が自分の足で探しまわるより、よっぽど確かで早いだろう。

 その存在を知らないはずがないのに、朝陽はそうしなかった。

 

 別に七海の事がどうでもいいと思っているわけではないだろうが、全てにおいて自分以外のものは適当に済ませる彼女だから、昌也達を探すうちに目的がすぐに逸脱してしまったのだろう。

 

 もしかしたら、妹の意識がずっと戻らなかった事に、実は動転していたのかもしれない。


 朝陽が言い訳を返すより早く、隼人は駆け出した。


 「走らないで下さい!」そんな看護師の注意も聞こえない。

 全速力で病室に向かった隼人を朝陽は笑って、昌也は呆れながら見送った。

 

 この二日間、生きた心地がしなかった。

 七海の身体的には問題なく、家族達も心配しているもののそこまで重く捉えてはいないようだ。

 

 だが他人の魂を背負うなどという、人の業を超えた所業を成した七海にどんな負担がいっているのか、身を持って知ってしまっている隼人は違う。

 

 身体に異常はなくても心が死んでしまう可能性だってある。

 勇人のように壊れてしまう事だって。

 

 七海に限って、とは思うけれど。

 

 また、他者の意識を取り込んだ七海は以前と同じ七海なのか?

 

 次に目を覚ました七海は、隼人を目の前にして前と変わらず接してくれるのか。

 

 何があっても、それも人生だと笑った彼女のままなのだろうか。

 

 不安を払拭するように乱暴にドアを開けると、ベッドに座っていた七海は目をぱちくりと瞬かせてさせて隼人を見た。


 目が合うのは三日ぶりだ。

 

 早鐘のように心臓が脈打つ。歓喜か緊張か。

 

「おはよう隼人。身体は大丈夫? 変なとこない?」


 ベッドでさっきまで寝ていた人に身体の心配をされてしまった。

 

 全力疾走してきた隼人より七海の方がされるべきなのに。

 隼人の方が先に気遣うはずの場面だ。

 

 けれど七海らしいその言葉。

 以前と何も変わらない表情。

 

 隼人は安堵に身体の力が一気に抜け、その場にしゃがみ込みそうになるのをドアノブを強く握る事で耐えた。


「起きんの遅ぇよ」



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