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お人好し

「勇人、勇人!」


 考えてみれば奇妙な光景だ。どうして七海が勇人のために泣いているのか。


 このまま勇人が消えれば話は早いのに。


 ああ、本当に馬鹿なくらいにお人好し。勇人は笑おうとしたがもう頬を動かす事さえ出来なかった。


「……七海、俺は勇人を助けたい」

「出来ないよ!」


 力強く首を振った。七海だって勇人に死んでもらいたくない。

 

 だがそのために隼人を殺すのは間違っている。出来るはずが無い。どんなに本人が望んでも。


「やだ……」


二人とも生きていて欲しいだなんて願いは欲張りすぎだとでも言うのか。

 

 手の甲で涙を拭ったとき、いつの間にか握っていた玉に気付いた。

 

 線一つ入っていない真っ白な玉石。白狐に渡されたものだ。

 

 あの時は何か分からなかったけれど、今ならこれが白狐の魂の模造品だと知れる。


 渡された意味に息が詰まった。最初から彼はこうなる事を予想していたとしか思えない。

 

 七海はぎゅっと玉を握り締めて考えた。最良の策なんて分かるわけが無い。

 

 ならば七海が一番なって欲しい結果になるよう行動するまでだ。

 出来る出来ないはこの際後回し。やってみるしかない。

 玉石を勇人に翳した。


 もう意識を失いかけている勇人の魂が吸い込まれていった。

 淡い青に光った玉、この中に勇人はいる。

 

 両手で大事に覆い、唖然としている隼人に一生懸命笑顔を作った。


「悪いけど私は隼人を生かす道を選ぶ」


 何時消えてもおかしくない勇人と、肉体の寿命が近づいていたとは言えまだ精神は健康である隼人を天秤に掛ければ当然の答えだ。


 これから行う行為が果たしてどのような結果になるのだろう。満足いくだろうか。


「私だって痛いの嫌いだし、死にたくなんてないよ。だけど勇人ばっかしんどい目に合うのもやっぱおかしいなって思うから」


 だから半分。いや少しだけ背負ってあげよう。


「七海!」


 七海は白狐の玉を口に放り込んだ。


 入った瞬間溶け出し、勝手に喉の奥に滑り落ちて行った。

 言いようも無い痛みが体中を襲った。


 心臓が脈打つ度に、血管が破裂していっているのではと疑うくらい血の流れに沿って痛みが全身に回っていく。


 目から流れているのが涙だと信じられないくらいに熱い。


 叫んでもどうにもならないのに、少しでも痛みの逃げ道にならないかと大声を上げていた。


「七海……っ」


 隣で蹲り唸っている七海の肩を抱いて起こした。


「はや……」

「なんで、何でお前が勇人……っ」


 力なく笑う少女を抱き締めた。いっそ痛みが移ってくればいい。


「七海……」

「ん……ちょー痛、くて……死にそ」

「許すかそんな事! 今度は俺がお前を飲み込むぞ」

「いた、いよ?」


 もう虫の息だった勇人を取り込むのにこれだけの激痛を伴うのならば、隼人を飲んだ時の勇人の痛みは計り知れない。

 

 たった独りで彼は耐えた。独りだったからこそ彼はあそこまで歪んでしまった。


 もう一人ぼっちにはさせたくなかったのだ。

 だからって飲み込むなと怒られるだろうが七海にはこれしか思いつかなかったのだから仕方ない。


 周期的に痛みの波がやってくるのか、七海は一定時間毎に隼人の背中に爪を立てた。


「触れ、られる、のに……なんでかな」


 こうやって隼人に凭れかかっていても、白狐と接触した時でさえ七海は平気だった。勇人の意識にだって直接触れていたのに。

 

「勇人が拒絶してるからだ」

「……はは、嫌われ、ちゃった」

「多分違う」

「そか」


 隼人の言葉をどこまで七海が信じたかは解らない。

 だけど隼人は確信していた。

 

 七海と同化したくないのは嫌っているからではないと。

 穢したくないのだ。

 神孤でさえ当たり前のように接せられる奇特な体質を持った、けれどごく平凡に見られがちな女の子。

 

 そのバランスが自分を入り込む事で偏ってしまうのが怖い。

 

 だから必死で溶け込むまいとしているのだろう。隼人ならばそうする。

 七海にちょっとでも七海でない部分が出来るのは嫌だから。


 七海は今必死で戦っている。勇人もそうだ。

 なのに自分はただ見ているしか出来ないのか。

 

 肩に額を押し付けている七海から苦しげな吐息が絶え間なく聞こえてくる。

 

 何とかして代わってやれないだろうか。

 これまで多くの人間の望みを叶えてきた隼人が、初めて自分の願いを押し付けた少女。

 

 敢え無く却下されてしまったけれど、七海は無碍にはしなかった。

 ずっと悩んでくれていた。

 涙を流しながらごめんと謝ってくれた。


 そんな彼女のために今度は願おう。助けてあげて欲しい。

 神力はあっても使いこなせない無力な人間の身体である隼人では無理なのだ。

 

 だからどうか


「そなたの願い、確かに聞き入れよう馬鹿息子よ」


 どこからともなく現れて傍らにすとんと降り立ったのは白狐だった。


 噛み付かんばかりに睨みつけてくる隼人に、白狐は意地悪く笑う。


「言っておくが私は玉石を渡しはしたが、使い道までは助言しておらんよ。其の子が自分の考えでした事だ、責め立てられる謂れは無いね」

「七海がこうするって解った上で渡しただろう」

「まあ予想通りだったね。もっと上手くやるかとも思ったが。及第点と言ったところかな」

「ジジイ……」


 全く悪びれない白狐に喧嘩を売りたいところだが、それどころではない。こうしている間も七海は痛みに耐え続けているのだ。


「さっさと何とかしろ」

「さっきみたいに可愛くお願いできないのかね。まあいい、その娘もお前も今回はほんに頑張ったのでな、特別だ」


 隼人の顎に手を添えて固定すると唇を尖らせ、額にふぅと息を吹く。するとガクリと身体から力が抜けて倒れこんだ。


「ただし。タダであれこれと働かされるのは性に合わんのでな。あとは自分の力でなんとかなるだろう?」


 ガバリと起き上がったのは隼人だった。

 

 隼人の身体をした正真正銘、彼自身だ。勇人の魂が抜けたため、傷は全て綺麗になくなっている。


 驚いている暇もなく七海に駆け寄った。


 必死な様子の息子を白狐は面白そうに眺めている。


「ああそうだ。そやつは外へ出しておいてやろう」


 そう言って白狐は消えた。

 榊と勇人を連れ出して。その事に隼人は気付かない。

 

 未だ苦しそうに浅く息をしている七海を落ち着けるように髪を撫でる。

 

「こんなに自分が無力だと感じた事なかった」


 隼人の知っている人間の世界は榊家の中だけだけれど、彼等を幸福に導けたと自負している。

 

 結果的に勇人を苦しめる事にはなったが、ここに至るまでの大人数は確かに笑って逝った。

 

 なのに七海と出会ってから一度でも彼女を助けられた事があっただろうか。


 打ちひしがれる隼人の頭を今度は七海が撫でた。


「隼人は……何百年もずっと、人のためばっか頑張ってきたから、今はその分誰かに頼っても、いい時期なんだよ」

「頼ったせいでお前がこんな傷つくなんて嫌だ」


 榊の人間でも、隼人は無理やり捕らえられ閉じ込められているのだと言う人が多いが、実際には隼人は自らの意思であそこにいた。


 最初に手を貸そうと思ったのもその当時の榊家当主と気があったからで、庵があった方が雨風が凌げていいだろうと作ってもらい、隼人という名をくれたのは何代目だっただろう。

 

 みんなみんな好きだった。良い奴らだった。だから願うだけ叶えた。

 

 出ようと思えば一瞬で出られる。

 そうしなかったのは隼人があの場所にいたかったからだ。


 勇人だってそう。何をするでもなく二人でだらだらと過ごす時間が愛おしかった。


 だから助けようとした。全ては隼人の意思。強要された覚えはない。


 頑張ったという自覚はないし、本当にただの肉体の寿命が来ただけだった。


 それなのに七海に甘えようとしたから、本当は何も頑張っていないのに七海を頼ろうとしたから罰が当たったのか。

 

「苦しんでるところなんか見たくない。お前なら解るだろ」


 初めて会う榊以外の人間は、隼人に触れても平然としていられる稀な体質の人間だった。


 重なった場所から伝わる熱の心地よさも、細くてちょっとでも力を入れれば折れてしまいそうな脆い作りをしているとか、頭を撫でられるくすぐったさも、他愛のない会話がこんなにも楽しいのだと、全部七海に教えられた。


 人間と生活するようになって数百年経ってやっと、ずっとこうしたかったんだと気付いた。


 手を伸ばしたかったんだ。温かさを感じたかった。

 

 全てを教えてくれた七海を失う恐怖なんて知りたくなかった。


「だから……俺にも背負わせろ。俺だけでも七海だけでもない、二人で勇人と共にあろう」


 力一杯に七海を抱きしめた。

 七海は自分達の身体が青白い光を放っている事に驚いたけれど隼人の力には勝てず動けなかった。

 

 蛍のような小さな光も二人の周囲を舞っている。


 痛みにぼやける思考でその光が綺麗だと魅入っていると、いつの間にか隼人の顔が間近にあった。


「はや――」


 名前を呼ぼうとしたのに唇を隼人のものに塞がれて声は飲み込まれた。


 温かかった。ひどく自分の身体が冷たくなっていたのだと気付いた。


 七海はもっと熱が欲しくて隼人にしがみ付く。


 抱きしめ返してくれる事が途方も無く嬉しくて閉じた目から涙が流れた。


 二人を包む光が濃くなるにつれて七海の痛みは引いていった。

 


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