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お母さんの結婚観念

 

 結婚なんて独りで生きていく度量があるならしなくて良い。とは母の言葉。


 テレビを観ながらの夕食時、突然切り出された話題に七海はきょとんとしながらも、いつになく真剣に見つめてくる母、美弥子の言葉に耳を傾けた。


 素敵な人と出会ってめでたくゴールインするのは別として、周りがしてるからとかそんな馬鹿らしい理由で焦る必要なんてないし、無理矢理に結婚してその後の人生めちゃくちゃになったら元も子もない。

 

 ああなるほどと思った。

 だが、なら何故お見合いをしてまで美弥子は結婚に至ったのかという疑問は浮かぶ。


「寂しかったからよ」


 あっさりと返ってきた答え。

 独身を貫いて、老いさらばえてゆく自分を想像すればあまりに虚しかったから。


「なにより経済的に女一人じゃ難しいしね。野垂れ死ぬなんて勘弁じゃない?」


 愛はどうした。結婚式場で交わしたはずの愛は最後まで彼女の口から出てくる事はなかった。


 だが父が不憫だと感じたのはどうやら七海だけだったらしく、父である明良はビール片手に穏やかに笑っていた。


「まぁだから何が言いたいのかって話だけどね、お母さんはあんたが結婚しようがしまいが、幸せだったらどっちに転んでもいいの」


 そう言って微笑んだ彼女は、無条件で我が子を愛し幸せを願う正しく母親の顔をしていた。

 だから七海は迂闊にもこの会話を年頃の娘と母親の距離を詰める美談として捉えてしまったのだ。


 近頃の親子は会話というコミュニケーションが足りないから擦れ違い、子は非行に走る。日常会話でいい、話し合え。お互いの思っていることを口に出して言え。


 そんなありきたりなコメンテーターの言葉が頭を過ぎる。

 我が家には全く関係のないことだと。


  *


「盛大に騙されたっ! こんの嘘つきオカンがー!!」


 八畳の和室に七海の声が響く。

 黒塗りされた重厚感のあるテーブルを叩けば、隅々まで綺麗に拭かれていただけに七海の指紋がくっきりとついてしまった。


 だがそれを気にしている余裕はない。


「騙してませんー、ちゃんと美味しいもの食べさせてあげるから一緒に出掛けようって言いましたー」


 拗ねた子どものように間延びした口調に七海の苛立ちは増す。


「食事しながらお見合いなんて聞いてない!」


 聞く耳持たないと、美弥子は横を向いてしまった。それが三人の子を持った親のすることか。七海は拳を握り締めた。


 思えば出掛ける前に「カチッとした場所に行くから、ビシッとした服装でね」などとよく分からない注文をつけられた時に引っかかりを感じはしたのだが、街の方へ出て少し高級なレストランにでも行くのかとすぐに流してしまった。


 そしてどこへ行くのか知らされないまま電車もバスも使わずとことこと歩き続け、見知った住宅地を抜けたその先、山の麓にある大豪邸に辿り着いた。


 老舗の旅館だと言われても違和感のない立派すぎる構えだがれっきとした個人の宅。この辺で知らない人はいない、超がつくお金持ちの榊家だった。

 こんな所へ来てどうするのだろうと思いきや、何の躊躇いもなく美弥子はチャイムを榊と達筆に書かれた表札の下にあるチャイムを鳴らしてしまったのだ。

 

 

 まさかこの人、いい歳してピンポンダッシュする気じゃあるまいな、と冷や汗が伝った。

 体勢はいつでも逃げ出せる状態にしたまま母親を凝視する。


 だが「藤岡です」とイヤホン越しに答えるとすんなり門を開けてくれて、家政婦らしき女性が穏やかな笑みを浮かべながら「ここでお待ちください」と客間まで通してくれたのだった。


 ごくごく一般的な建売に住み、父親がサラリーマンで母親がパートタイマーという日本社会において中の中の生活を送ってる七海には無縁の、古くも美しい日本家屋と庭園をまるで見学にでも来たかのように目に焼き付けながら進んでいく。


 大人しく客間まで来て、促されるままに座布団の上に座り、そしてやっとどういう事なのかと問い質した後の反応が先ほどのものだったという訳だ。


「で、ここに何しに来たの」


 と問うて


「お見合いしに」


 真顔で、というよりも当然じゃないとでも言いたげな顔を見れば、叫ばずにはいられなかった。何処の世に母親に昼を食べに行こうと誘われてお見合いだと気付く女子高校生がいると言うのか。


 生まれてから今までの経験と、熟知しているはずの母親の性格を考えれば気付けただろうか。いや、さすがに無理だ。無理なのだが悔しくてならない。数日前に交わされた嘘臭い親子愛の劇場のような会話が邪魔していたのかもしれない。食べ物に釣られたという事実はこの際放っておく。


「あんたの幸せを思えばこそよ」


 やられた。

 ニヤリと哂う母に、あのやり取りは全て計算ずくの伏線だったのだと今更ながらに悟った。あの時から既にこの日の計画が彼女の頭の中にはあったのだ。


 母親の愛情だなどと素直に話を受け入れるのではなく、まだ高校生の七海に結婚観を言って聞かせている時点でおかしいと思わなければならなかったのだ。


 どれだけ日常会話に気を張り巡らせて生活をしなければならないのか。七海は手の平で額を覆った。


「てか今日だよ、今日ちょうど私の十七の誕生日なんですけど!」


 こんな一年通して他にないほど、周囲の人に祝福されるべき日に何をやらされているんだ私は。今のところ友人達数名からおめでとうのメールが届いたのみだ。プレゼントの一つも用意されていないなんて寂しいな、なんて思っていたのにそんなものは甘かった。


「普通の神経してたら高校二年生の娘にお見合いさせないでしょ……」


 何故に青春真っ盛りなこの時分に、本人の意思ではなく親の手で、しかも無理から縁談によって永久就職させられねばならぬのか。


 今はまだないけれど、これから先待ち受けているであろう恋愛経験や、大学でのキャンパスライフ等、徐々に大人への階段を上る事を許されず扉を開ければそこにゴールテープが張られていたなどと許されていいのか。


 帰る。


 もうそれしかないと七海は思った。


 いつでも自分のしたいように生きる美弥子に付き合っていたら身が持たない。ならば七海も自分に正直に行動するまでだ。


 すっくと立ち上がり美弥子の横を抜けようとした瞬間、軸足を後ろに引っ張られた七海は抵抗する間も与えられず、前のめりに体勢を崩した。


 床に衝突する直前に咄嗟に手をついて顔面強打は免れたが、それでも畳の上を勢いよくスライディング。


 本人には聞こえ辛かったが、大きな音がしたに違いない。個室で他の客に見られなかったのが唯一の救いか。

 次第にひりひりと痛み始めてきた身体をゆっくりと起こす。


「なっにすんの!」

「それはこっちの台詞よ、勝手に席立つんじゃない」

「トイレ」

「駄目です、限界まで我慢なさい。あんたがいない間に先方様が来たら、お母さんが見合相手だと勘違いされちゃうでしょ」


 「どうしましょう、お母さん困ったわ」と思案気に顔を伏せた美弥子に白けた目を向ける。


「んなわけあるか」


 自分の歳考えやがれ。ぼそりと呟いた七海の言葉を耳聡く聴いた美弥子は力一杯頭を小突いた。

 あまりの痛さに声もなくその場に蹲る。


 こんなに最低な誕生日は未だ嘗て体験した事がない。ケーキ事件を上回る勢いだ。


 まだ七海が小学生だった頃、両親に兄、姉の家族勢揃いでホールケーキを作った事がある。


 「私がケーキにハッピーバースデイ書いてあげる!」と姉がペイント用のチョコレートを迷いなくケーキの上に走らせ、文字の大きさやら配分を間違えたと上から何度も塗り重ね、綴りを間違えたと取り消し線を引き。


 最終的に飽きたと言って途中で放り出した頃には修正不可能な状態になってた。

 生クリームの白よりも、チョコレートの焦げ茶の対比の方が大きい。


 黒魔術の呪文でも書いてあるんじゃないかという仕上がりに七海が文句を言えば


「腹ん中入れば何でも一緒でしょ!? 味は変わんないんだから問題ないじゃない! 文句があるなら食べるな!」


 と逆ギレする始末。誰の誕生日ケーキか分かったものではない。

 不満は山ほどあるがそれ以上食い下がる勇気もなく渋々食せば、確かに味は美味しい苺ショートケーキだった。


 だったのだが、どういうわけか七海一人が食中りを起こして夜中ずっと死ぬような思いをし、姉は黒魔術師だったのだと数年間は本気で信じたし、未だに生クリームは体が受け付けない。

 この出来事は藤岡家の間ではケーキ事件として今も話題に上がったりする。そして今日まで七海の誕生日イベントのワーストワンに輝き続けていた。


 まさかこんなあっさりと塗り替えられる日が来ようとは。



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