金属の身体と、人造世界
僕の身体は、金属で出来ていた。
錆びない、劣化しない、丈夫な、理想のような金属。
僕の世界の住人は、みんな何かで造られていた。
人造の身体。
人造の、人間だ。
◆◆◆
決まった時間に学校へ向かう。
空を走る自転車で、空路を走る。
まっすぐ走れば、そこが学校だ。
自動で着くのだ。
自転車なのに、自分で漕ぐのに、その進む道は自動で操作されていた。
だから渋滞もなければ、事故もない。
何時何分に自転車に乗れば、規定の時間に学校にたどり着くというのが、あらかじめ決まっていた。
学校に着いて、決まった速度で教室へ向かう。
速度を超過すれば懲罰がある。
僕らのすべてを管理しているなにかの予測を越えてはいけない。
そのなにかが規定したルールを破ってはならないのだ。
教室にはいって声をあげる。
「おはよう、みんな」
『おはよう』
言うと、一斉に言葉が返ってきた。
「――うん」
あいさつにはあいさつを。
あいさつを受けたら三秒で、すぐにあいさつを返しなさい。
それが学校のルールのひとつだった。
だから、みんなは僕を見てあいさつを返す。
そして僕も、
『おはよう』
そのみんなに混じって、そのあとに教室に入ってくる友人たちに、朝の挨拶を返した。
◆◆◆
そんな生活が続いて、学校カリキュラムがあと一年で終わるというころになって、僕たちの進路が決まった。
もちろん、学校側が決めるのだ。
ある日教師に呼ばれて、職員室へ向かった。
「おめでとう。君は優秀だから、人造施設への就任が決まった」
「――」
それは、人造の人間をつくる場所。
僕が造られた場所。
この世界のすべての住人を、造った場所だった。
「どうしたんだい、返事をしなさい」
「あ――」
教師が僕の目を覗き込んでくる。
「――はい」
「よろしい。あと一年、残りのカリキュラムを精一杯こなしなさい。では、いっていいよ」
職員室をあとにする。
「僕が――」
人造施設に。
なにかの間違いだろう。
そう思った。
それは嬉しさからの言葉ではなくて。
――この世界の規定に疑問を抱いている、この僕が……!!
寒気からの言葉だった。
◆◆◆
僕の疑問は至極まっとうなものではないかと、最初は思った。
だけれども、この世界で過ごしていくうちに、それはおかしいということにも気づいた。僕の抱いた疑問を、ほかの誰も抱いてはいなかったからだ。
たぶん僕の方が異常なのだろうと、いつからかそう確信するようになった。
僕の抱いた疑問は、つまりこうだ。
「僕たちが人造されているというのなら、その僕たちを人造した誰かは、どこから発生したのだろうか」
零から一は生まれないと、そう教わった。
――矛盾しているじゃないか。
ずっと辿っていけば、必ずそこに起源がある。
僕たちは人造された誰かにつくられ、そして人造された。次に僕たちがまた人造し、人間をつくっていく。
でも、なら、
――一番最初は?
この人造世界の一番最初は? それは人造以外の存在でないと僕たちがいまここにいる因果が導き出せない。
この疑問を思い浮かべたとき、でも、僕は周りの友人にはそれをいわなかった。
それを言ってしまったら、取り返しのつかないことになりそうな気がした。
僕の身体は金属でできている。
みんなの身体と同じ、まったく同じ、錆びない金属でできている。
でも。
たぶん、
僕の心はみんなと同じには出来ていないようだった。
◆◆◆
統制された日々は、なにひとつ思い出を残さず過ぎていく。
知識だけが増えていって、ついに僕は人造施設へ就任することになった。
その日、僕は一つの決心をしていた。
人造施設への就任にあたって施設の所長がじきじきにあってくれるという。
だから僕は訊いてみることにした。
ここしかないと思ったんだ。
ここで逃せば、きっと僕の疑問と好奇心は錆びていく。身体は錆びないけれど、きっと心は錆びていくだろうと、この世界で暮らして思った。
◆◆◆
「訊いてもよろしいでしょうか、所長さん」
「なんだね。予定の時間が三十六秒と迫っているから、手短に頼むよ」
「――僕をつくったのはあなたたちなんですよね?」
「そうだよ」
「ではあなたたちは誰につくられたのですか?」
「私たちの親機に」
「ではその親機は?」
「その親機の親機に」
「その親機の親機は?」
「――――」
所長の動きが止まった。
所長の焦点が急にブレた。
右の瞳孔が上を向き、左の瞳孔が下を向いている。
「警告、システム中核への懐疑を検出しました。人造世界への懐疑は重罪です。今すぐに問答を停止してください」
僕は言った。目の前の所長の恐ろしい雰囲気が、逆に僕の決心を後押ししていた。
「――ねえ、この世界の一番最初は、誰が造ったの?」
所長の片目が、僕を見た。もう片方は、まだ瞳孔があらぬ方向を向いている。
「バグ――バグ――――解析。【バグナンバー001】――」
所長の口から電子音の混じった声が鳴った。
「【外世界からの異物混入】」
所長の瞳孔があわただしくグルグルと回り始めて、
「【システム保持のため異物を排除せよ】」
僕は怖くなってその場から逃げ出した。
◆◆◆
人造施設から走って逃げた。
僕に与えられている行動予定表には、この疾走は組み込まれていない。
「はあ、はあ……っ! もういやだ……!!」
息が切れる。嫌な息切れだ。
予定されていない息切れは、なんだかおそろしいものに思える。僕の身体がどこまで動けるのか、わからないから。
決められた行動しかとらなかった僕の身体は、限界がどこにあるのかをしらない。
でも、それでも、とにかく走った。
◆◆◆
彼らは追ってきた。
追ってきた。
「……ははっ! なんだよ! そうやって行動予定表に違反することだってできるんじゃないか!」
はじめて知った。
彼らが決められた時間以外に、こうして好きに走り回れることを。
どれだけ走っただろうか。
逃げたところでどこにいけるでもないけれど、ただ逃げた。
「でも、そろそろ――だめかな」
疲れてしまった。金属でできているこの身体も、疲れるのだ。疲れるように造りだされた。
そう思って、僕はあきらめて空を見上げた。
空は暗かった。
星があって、月があって、
そして、
「――列車?」
空を飛ぶ列車が見えた。
乗り物だ。
「――」
僕はまた走ることにした。
列車がこっちの方へ下りてきている。
うまく位置を合わせれば、あの空を飛ぶ列車に乗れるかもしれない。
「バグ――バグ――【バグナンバー004】ー――【外世界からの侵入者】」
後ろからあの無機質な音が聞こえてきた。
「【排除せよ】」
声のあとに、後方から音がなった。耳を劈くような破裂音だ。
思い出す。
カリキュラムの一貫で触れたことのある――あれは銃器の発射音だ。
見上げると、こちらへ下りてくる列車に向かって、鉛弾が無数に飛んでいた。
「【バグナンバー001】への捕縛命令を却下。人造世界の機密保持のため、殺傷命令へ移行」
きっと後ろから銃弾が飛んでくる。今度は僕に向けてだ。
列車は目の前まで来ている。
もう、あとは――
「届けえええ――!!」
手を伸ばすしかなかった。
◆◆◆
僕の身体は金属でできていた。
そして、金属できていた僕の身体は――
その日初めて人造世界から抜け出た。
「はは! 遠い! 地面がずっと遠い! 僕は今統制の外にいるんだ!」
列車の扉が少しあいていて、僕はそこから顔を出して眼下を眺めていた。
列車に乗れた。
僕が乗ると、列車はまた急上昇して、この世界の雲の上にまで昇って行った。
そうして、
パリン、と。音がなった。
ガラスが割れるような、そんな音だ。
音のなったほうを見ると――空間が破れていた。
暗い空の向こうに、明るい光が差しこんでいた。
『次はー水中世界ー、水中世界ー』
車内のスピーカーからそんな言葉が聞こえた。
その列車が複数の世界を渡り走るものだと知ったのは、水中世界から乗車してきた別の乗客に聞いてからだった。
僕はその日、人造世界から隣の世界へと旅にでた。