(3)
これ、もう完結済みの話なんですが、
しかし最近、この作者の投稿するものは、理屈っぽいのが続きますね。偶然とはいえ
この後十分ほどこの先三百年ほどの社会構造の変化について語り合ったころ(そう、エヴィルが指していたのは、それほどのスパンを要するものなのである)、おもむろにエヴィルは話を戻した。
「パンクしてしまうんだよ、すべて覚えていると」
「えっと……ああ、そうだったね、その話だったね」
「多いに脱線したがな」
「こうやって脱線することもまたひとつの忘却なのかなぁ」
「……まあ、その真偽はともかくとしてだ」青年も少女もそろそろ話題が先に進まな過ぎていることに懸念しているらしい。「人間、それほど強くない」
「強い?」
「どの道コップには一杯の水しか入らんわけだ」
「あ、わかりやすい例え」
「でもキャパを越えた量を入れようとすると、溢れる。じゃ、何だ、寒天でもギュウギュウにして詰めるか?」
「寒天て」
「タピオカでもいいが」
「妙にこだわるね、エヴィル君、食に関しては」
「人生の楽しみだろう。それはともかく、ずっと前の話に戻れば、記憶というものは、メシに似たところがある。要するに、実は質量がある、『物質』と捉えてもいい」
「え?」
少女は、エヴィルの発想の飛躍に驚く。
この圧倒的な頭脳と始終行動を共にしているとはいえ、やはり未だに驚くものは驚くのである。
「記憶は『情報』だ。それは事実だ。だが、それの所有者……というか、管理者、というか。まあこの『管理者』なる言い回しも、どれくらい管理出来てるかというのは別問題だ。無意識の……ああ、話が先行しすぎた。つまり、何が言いたいかというと、記憶はナマモノであり、ナマモノである以上、リアルというものを持っているのだ。それを体験した者は、それを知っているはずだ」
「でも、あんまりそういった意見を聞かれないのはどうして?」
「いいぞ、そうやって疑問を持って話に望んでくれるのは。良き学徒の見本だ」
「えへへ」
時雨は自分の頭がさほど良いと思っていない。
エヴィルが言うように、本当はそんなことはなく、非常に論理的で、発想の飛躍も把握出来るのだが、時雨はエヴィルという恒星を目の当たりにしすぎているため、なかなかそうは思えないのであった。
また、所詮自分は一介の剣士、という認識もあるからでもある。
だからこうやって褒められると、ちょっと嬉しかったりするところが、時雨のかわいそうなところかもしれないが、あるいは、知ったかぶりをしがちな凡人よりは、はるかに筋がいい、というのもまた事実なのである。
エヴィルはそのあたりを最大限評価している。
自己の誠実な認識とはかように難しいものである。この筆者も見習え、との声が聞こえてきたような気がするが、さて置く。
「何故そういった疑問が持たれないか。それはひとえに、脳神経医学、精神医学の未発達によるものである。そういった病気を抱えた連中は、憑き物によるものだとか、気がふれたとか、その程度の認識しかされないのが、まあ、この時代なんだな。ともかく、脳における、精神における、『記憶』のあり方ってもんが、煎じつめられてないんだ」
青年、何気にこの時代の学術レベルを超越している。
「何で煎じつめてないの?」
「そう、そこだ」
エヴィル、非常に悪そうな笑みを浮かべる。
彼の精神が最高潮に興奮するときの独特の笑み。
「何故煎じつめて論議されてないか。それは、神と人間との問題に起因する」
「話が一気に飛躍したね」冷静にコメントしているように見えるが、時雨は結構楽しそうである。
「人間存在とは何か? イコール、己とは何か? それを徹底的に煎じつめて考えていく。とすると、人間は、自らの記憶――過去、と言い換えてもいいか――とナマで向き合うことになる」
「ああ……ああ」時雨、何かを感じいったようである。「それほど人間は強くないよ」
「だからだよ、この手の問題が、一般的に考えられて来なかったのは。皆、怖ぇんだ。そして、こういった自己との対決をギリギリまで突き詰めていくと、やがて神という存在を認識し……神が何であるか、ということは今は置いておく。『審判者』と言い換えようか? 俺様はむしろ、神とは『自己の伸びしろを図る物差し』と表現したいところだがな。まあ、つまるところ、神との対決なわけだ、自己を見つめるということは」
「異端審問にかけられるよ?」時雨、楽しそうに言う。
「そういう奴らこそ、『自己と神』を真剣に考えたことのない連中だ。そういった連中に……記憶の『ナマモノさ』を感じることなんて出来ない。ところで、人は、な」
「ん?」
「『罪を憎んで人を憎まず』って言葉あるだろ? 俺様、アレは綺麗ごとだと思ってたんだが、あながち完璧に綺麗ごとだけでもないように思える。あのトルベ町の鍛冶屋、俺様が腹を立てているのは、あの下品な態度であって、下品な記憶であって、その人間そのものを憎んでいるわけでは……必ずしもない、ってことだ」
「へえ、意外」
「その記憶はナマモノとして残る……手にとって感じ取ることが出来る……これも、感じ過ぎてしまう人間ゆえなのだろうか? いや、誰もが多かれ少なかれ、同じようなことになってるとは思う。だから皆悩むのだ。トラウマのフラッシュバック。アレこそ記憶のナマモノさの証左に他ならない。だから俺様は、記憶の『情報性』も大事だが、どうにもならないフィジカルさ、というのも大事だと思うわけだ。そして……そんなモノを、全部が全部、抱えておけるわけがない、というのが、結論。Q.E.D」
というのが、本日の時雨とエヴィルの対話のテーマであった。
明らかに旅人のそれではない。
「なるほど」
飛躍に飛躍を重ねた論理展開であるが、一応の納得はいったようである時雨。
やっぱり頭が良いのだな、と、傍らの相棒のいつもながらの頭脳に頷く。
「排便や嘔吐みたいに出せればいいんだがな」
「わあ、台無し!」
「ようするにクソとゲロ」
「なにが違うのかなぁ。エヴィル君、生まれてきたこと自体が間違いだったんじゃない?」
「そこまで言うかっ!!」
こういう余計なことを二連発で言うのでないこの阿呆(美形白髪)め、と筆者も思う。
本当は書きたくないのだが、奴が言ってしまったのだから書かざるを得ない。
カメラもカメラで辛いのである。
えーと、多分次回、バトります