(8)
術師とエヴィルの背後では、怪物が粉塵になって、上方に舞いあがっていくのが見える。
その場にボロボロ崩れ落ちると思っていた身体は、すべて煙になって、灰になって、霊気が浄化されていくかのように、あるいは黒煙が消えていくかのように、消えていく。
時雨の完全勝利であった。
「な」
「……はぁ」
術師はかぶりを振った。もうどうしようもない。
「これ以上、なんかするつもりか?」
「……いいえ。貴方の『取引』に従うわ。これ以降になると、もはや『命令』になるから……本来なら、もうこの時点で『命令』になっているようなモノだけれど」
「そこであえて踏みとどまっているのだ。察しろ」
「そういうことね。……ひとつ、聞かせて」
「何だ」
「どうして私に預けようと思ったの? 私は人体実験と傀儡行使を常とする屍霊術師よ? そんな人間に、どうして『ある種の信頼』なんて覚えるもの? そこのところ、説明してもらわないと、どうも納得がいかないわ」
「ちょい自己卑下が入ってるような気もせんでもないが……まあ説明しよう。ただ単に、お前がアークを殺さなかったからだ」
「……」
「邪魔なだけの存在だろうよ、お前の目的にしても、吸血鬼の意向にしても。それでもなお、生かしておいた、というのには、酔狂以上のモノがあったんじゃないか、と俺様は推測している。連帯意識、同類意識、なんとでも呼べばいいが、放っておけない……殺すには忍びない何かをお前は抱いていたんだろうよ。ホントに危機意識と殺意を持ってれば、あの怪物呼びだして、屠れば済む話だろ。そこまでいかんでも、傀儡にすればいい……お前は、この『傀儡にする』という手段すら取らなかった。語るに落ちてる、ってのは、そういう意味だ」
我々の時代言語に即して言えば、隠れクーデレと言ったところか(黙れよ)。
余りにわかりにくい、憐れみか、優しさの、ひとつの形。
語るに落ちている。即ち、「手を下さなかった」という、ひとつの行動。英語の方がわかりやすいかもしれない。She had been doing nothing.「なにもしないということをしつづけてきた」。
ともかく。
エヴィルが取り引きを持ち込んだ理由としては、以上の理由である。
そして、術師がそれに対して、反発することないということは、やはり、
「いいわ、従いましょう」
彼女にとっても、どこかで、望んでいたことであったのだ。アークの解放は。
「吸血鬼についてはどうするよ?」
「適当言ってごまかして、離れる名目を付けるわ。あの眷族を破るほどの存在が相手だった、と言えば、私の立場も立つでしょう」
「その気になったら、行動速いな」
「出来る女はそういうモノよ」
あれ? またちょっとキャラが変わった? この術師、キャラがブレ過ぎではなかろうか。
「貴方たちを相手にして、こういう状況になって、しかしある程度の目的物・成果は得て、あの子も救えて、村の連中に一泡吹かせられる。考えてみれば、安全側で上方の結果なのかもね」
「悪党め」
「貴方に言われたくないわ」
お互いに、嫌な笑顔を見せる。本当に、ラノベの主人公として問題がある。そして、この術師が攻略対象でなくてよかった。筆者は複雑な気持ちである。
が、
そんなほのぼのした雰囲気が、変わった。
「困るな、そんなことを決めて去られてもらっては」
「……ッ! 貴方!」
果たして、そこに現れたのは、無数のコウモリ。
どこから現れたのか、検討もつかない。気付いたときには、そこに群れを作っていた。
そしてそれが人型を成し、一瞬の間に、マントを羽織った長黒衣長黒髪の壮年の男性の姿になる。
「うわ、キャラ被り」
その放つ殺気は相応のものがあるのだが、青年、全然怯まず、自分の黒衣との対象をする。いい度胸である。
「……ふん、いい度胸だ」
誰しも考えることは同じらしい。吸血鬼、呆れ、
「私を裏切る気か」
「頃合い、と言ってほしいわ。どこから聞いていたのかは知らないけど」
「貴様らが『結論』を出す辺りだ。つまりは、あの眷族を倒すところ……いや、確かに、この連中を相手取るのは、無理があるといえばある。貴様には」
「だからこそ私は身を引かせてもらう。もともと貴方の下僕になるという契約は結んでいなかったハズ」
「そんなことは知ったことではない。一度軍門に下ったからには、容易に私の下から離れようとは思わないことだ」
ぐっ、と握りこぶしを握って、下に下げる。
その瞬間、重力に押しつぶされるように、黒い波動が術師を襲い、その場に屈服させられた。身体の自由が効かないようだ。
「足は足らしく動けということだ」
冷酷に、そしてある種の侮蔑さえ浮かべ、吸血鬼は言い放つ。
「お前、つまんねー奴だな」
そんな状況一変に対し、エヴィル、呑気に受け答えする。
「貴様も同じ目に合わせてやろうか」
「ほら、発言の小物臭。ガッカリだぜ、人間とそれなりの共存を図ろうという貴族像が崩れていく。最初聞いたときには、ほう、分際を知る、とも思ったものだが」
「……随分と舐めてもらったものだな。たかが人間と、慣れ合う? 利用するだけだ。それが貴様ら下等種族の道だろう」
「小物~」
ほとんど「プッ、クスクス」笑いをしているエヴィルである。
エヴィルの美学(あるいは知的精神)からして、この手の手合いに、今までロクな奴がいた試しがない。
こいつも同じだ。
ただ、生まれ持った力がそこそこにあるというだけで、そんな「たまたまの力」に酔いしれ、いい気になる。
そんな連中と、自分たち――この場合、エヴィル、時雨、アーク、屍霊術師を数える――は、違う。
才の大小はともかく置く。が、それを磨きあげるべく、各々が血をにじませる努力を重ねてきたのだ。血みどろの道を歩いてきたのだ。
そんな人間から見てみたら、たかが、この程度の存在――
エヴィルの嘲笑が見て取れたのか、吸血鬼、不快さをあらわにして、エヴィルをも屈服させようとする。
が、エヴィル、とっさに、あの賊に使った、「改良版」の毒の宝玉を取りだす。
「何かやってみな。お前をのたうちまわらせてやる」
「……舐められたものだな、私にその程度のものがっ!」
襲いかかろうとする吸血鬼に、エヴィルは、ぽん、とボールを放るかのように、気軽に宝玉を放った。
果たして、毒々しい毒霧が、幾筋もの線でもって、吸血鬼の身体に刺さっていく。
「この程度の毒、吸血鬼が即座に解毒出来ないとでも――」
「はい、はずれー」
「!?」
吸血鬼は確かに解毒した。その効果は確かなモノで、相当にやっかいな毒であるはずのそれを、一瞬で解除した。確かに、力量はある。
が、エヴィルの方が上手だった。
エヴィルは毒を喰らわせようとしていなかった。それはブラフだ。
真に喰らわせようとしたもの、それは――
「魔法陣!?」
毒でもって、魔法陣を描く。
単純に、毒は付着したら「落としにくい」。衣服においても、肉体においても。
エヴィルが利用したのは、ただその特性のみ。
すでに魔法陣は完成させられ、あとは発動するのみとなっていた。
エヴィルは両手を伸ばし、奇妙な形で指を組んで――
「接続=煉獄」
冷酷に、発動のキーワードを放つ。
そして、火炎の悪夢がその場に展開された。
魔法陣から、巨大な炎の柱――吸血鬼を軽く包み込む――が、天井に至るまで、勢いよく走っていった。
その柱は何十もに重なり渦を巻いている。ぐるぐる、ぐるぐる、と、電動ドリルが高速回転するかのように。
当然である。
悪しき魂を浄化する場――炎の絶対圏域、地獄の手前、「煉獄」に満々と満ちた炎そのものを、この場に召喚しているのだから。
例えば、海が突如として、貴方の周囲三メートル立方の正方形空間に注ぎ込まれたらどうであろう?
人間にとっては死あるのみではなかろうか?
それの指向性を持った(よけいにタチが悪い)炎版が、この「煉獄召喚」であった。
「がぁああぁあぁぁああーっ!」
闇の住人にとって回避不能の業火、身も精神も焼き尽くされて。
必死になって吸血鬼、コウモリを一匹その柱の外に飛ばす。そこに己が命を宿して。
エヴィルはそれを放置した。代わりに、しっかりと、消し炭すら残さず、かの身体を燃やしきり、やがて、しゅっ、と、「リンク」を閉じた。
「ザコが」
と冷酷なセリフを残して。
吸血鬼の魔法から解き放たれた術師、思う。
自分が一歩解決法を間違っていれば、このようになっていたのか、と。
そして、向こうからは、眷族を屠った時雨、すたすたと歩いてくる。
「……はぁ。やってられないわね」
「ん?」
「おそらく、貴方達に逢ってきた、幾千人もの凡人の気持ちを、代表したの」
嘆息。
もう、それしか残されていないのが、実情だった。




