(5)
背後では、怪物による猛攻と、それを平然と受け流す時雨の姿があった。
殴打をしようと地面に拳を突きたてれば、即座に紙一重でその重すぎる一撃を、黒髪と服とをたなびかせ、ひらりと避け、そうかと思ったら、即座に腕そのものに乗っかり、タタタ、と駆けていき、怪物の間合いの間合い、急所まで潜り込んで、斬光一閃。
ズパッ! と眷族の赤い身体を、さらに赤い血でもって染める。
鈍い声……ごごご……といううめき声が聞こえる。
猛然と眷族は時雨を振り払い、即座に両の指十本から、十本の火の柱を時雨やあたりに向かって無差別に放つ。
時雨、それをひょいひょいと避け、再び神速の脚力でもって、敢然と、自分の何倍もの容積を持つ巨塊に向かっていく。
それは、ドン・キホーテではない。即ち、向こう見ずな盲攻ではない。
明らかに、この怪物を斬り伏せようという、明確な意志でもって、時雨は立ち向かっていく。積極的に。能動的に。
エヴィルが屍霊術師に向かったように、弱みなど一切見せず、自分と相手は対等なのだ、という状況を崩すことなく、ただただ斬りにいく。
果敢な、という表現は、むしろ似つかわしくない。
それは弱者が強者に抗う表現だ。
時雨の不退転の斬り口には、臆病さも、動揺も、一切見受けられない。
自分はこの化物を斬れるんだ、という、確かな確信。
どんなに化物が即座に炎の魔術を用いて、あたりを煉獄と化しても。
どんなに化物が両腕の猛攻でもって、重圧で押しつぶそうとしても。
本気になった、後顧の憂いなき時雨には、人斬りお嬢には、何の脅しにもならないのであった。




