聖者と悪鬼
とある古き聖堂の側廊の、人目につかぬような壁龕に、石造りの小さな聖像が安置されていた。
その石の聖者が一体どのような人物であったのか、それを知る者は誰一人として居ない。だが、考えようによっては、素性も何も分からぬ方が却って箔が付くというものなのかもしれない。
少なくとも、聖堂に住まう悪鬼像はそんなことを呟いてたようである。この悪鬼は天井近い壁梁の上に暮らしており、その姿を見るに、古めかしくはあるものの、極めて精巧に彫刻された、まさに珠玉というべき逸品であった。その石造りの悪鬼の真向かいには、小さな聖室があり、そこに納められているのがあの小さな聖人像なのである。
実を言えば、聖堂の至るところに居る彫像たちと、この悪鬼像の間には浅からぬ繋がりがあるのである。聖歌隊が座る長椅子や聖拝所の仕切に刻まれた奇怪な彫刻たちは勿論のこと、屋根の上にて水を吐き出している雨樋のガーゴイルもこの悪鬼の仲間であったのだ。珍妙にして奇怪な彫刻たちはその四肢を伸ばし、身を捩りながら、木片や石材、鉛板に彫り込まれる。天井のアーチから地下の聖堂に至るまで、あちらこちらに見受けられる、そんな幻想怪奇の魔獣像や人形彫刻も皆、或る意味、あの悪鬼と同類なのであった。つまり、彼らは聖堂を護る破魔の像であり、その中でも悪鬼というものは、大聖堂の中では誰からも一目置かれるような魔除けの象徴だったのである。
さて、その悪鬼像と、その隣人たるあの石の小さな聖像との仲はというと、とても良好なものであった。だが、二人の目の付けどころは全く以て違っていた。
聖像は昔ながらの博愛主義者であり『この世は素晴らしくあるけれども、救いの手を差し伸べなければならぬこともありましょう』と考えていた。聖像の目には世界がそのように映っていたのである。だからこそ、教会に住まう鼠が貧困に喘いでいるのを殊更に哀れんでいた。
一方、それに対して悪鬼は『確かに、この世は最悪極まりないですが、かと言って余計な干渉をしてやるものじゃございませんよ』と唱えるのである。つまり、世界というのは悪鬼の知るかぎりそういったものであり、貧困というのは悪鬼に言わせれば、この鼠たちの生まれながらの「お役目」なのだそうだ。
「それでも、私はあの鼠たちが気の毒でならないのですよ」
「あなた様がそう思うのも無理は無いでしょうな」
聖像が呟き、それに悪鬼が答える。
「なにしろ『聖人様』の『お役目』は鼠たちを哀れむことなのですから。もしあの鼠たちから貧困を奪ってしまえば、あなた様はご自分の役目を果たすことが出来なくなってしまう。そうなると、長い長いお暇を貰うことになるかもしれませんな」
悪鬼は、『長い長いお暇』について聖像が聞き返してくれるものと多少なりとも期待していた。しかし、聖像は石のように重々しい沈黙でその場をやり過ごしただけであった。悪鬼の言い分は正しいのかもしれない。だが、それでも聖像はまだ鼠のことを考えていた。ひどく貧しいのだからこそ、冬が来る前に鼠たちのために何かしてやりたかったのである。
そんな風にして聖像が鼠のことに思いを巡らせている最中、何だかよく分からないものが聖像の足元にカラリと落ちてきた。それがひどく喧しい金属の音を立てたものだから、聖像はすっかりと肝を潰してしまった。だがしかし、よく見るとそれはキラキラと輝く真新しいターレル銀貨ではないか。
聖堂に住み着いている黒丸鴉の中にそういったキラキラとした物を集めたがるのがいたが、きっとその鴉の仕業であろう。実を言うと、つい先程、銀貨を咥えた鴉が、聖像の祠のちょうど真上に並んでいる軒石に向かって飛んでいた。しかし、唐突に聖具保管室の扉が勢いよく閉まり、バタンッと大きな音を立てたのである。そのせいで鴉は驚き、咥えていたターレル銀貨を落としてしまった。いやはや、まったく、火薬の発明以来、鴉の一家には気の休まる暇も無いようである。
そして、悪鬼がそのキラキラしたものを見て
「何です、それは?」と尋ねた。
聖像は「ターレル銀貨ですよ」と答え、
「これであの鼠たちに何かしてあげられます。ええ、僥倖です。本当に素晴らしい」と言葉を続けるのだった。
しかし、悪鬼はまたも疑問を投げかける。
「それをどうなさるお積りで?」
聖像は少し考え込み、しばらくしてからこう答えた。
「いつも掃除をしてくれている聖堂守の女がいるでしょう。あの女の夢枕に立って『あの小さな聖像の足元にターレル銀貨が一枚ある。汝はそれで升一杯の小麦を買い、聖像の御廟に供えよ』と告げることにします。そうすれば、あの女が銀貨を見つけたとき、昨晩見た夢が正夢だったと気付くはずですし、ちゃんと私のお告げを守って小麦を供えてくれることでしょう。これで冬の間は鼠たちが食べ物に困ることはありませんね」
「なるほど、夢に出るのが『聖人様』ならきっと上手くいくことでしょうな」
悪鬼はそんな風に快い返事を述べた。
「なにしろ、悪鬼が夢枕に立てる夜など滅多にありませんからな。せいぜい人が夕餉をたらふく腹に収めたときくらいですよ。それも、胃にもたれるような食事のときだけ。いやはや、聖者様には全く敵いませんな」
こんな会話が飛び交う間も、銀貨はずっと聖像の足元でじっとしていた。傷一つ無く、キラキラと光るその銀貨には、選帝侯の紋章が美しく刻み込まれている。
そのとき、聖像の頭にこんな考えが過った。
『このような好機は滅多にあるものではありません。だからこそ、大急ぎで使い道を決めるのは如何なものでしょう』と。
ことによると、見境なく慈悲の手を差し伸べてしまうのは、かえって鼠たちを傷つけることになるのではないだろうか。結局のところ、貧しくあるということが鼠たちの役目なのである。悪鬼はそう言っていたし、この悪鬼の言うことはいつも正論であった。
「あの、悪鬼殿。少し考えてみたのですが……」
聖像は口を開き、真向かいの紳士然とした悪鬼にこう告げた。
「小麦ではなく蝋燭を、ターレル銀貨で蝋燭を買えるだけ買い、そして私の廟に供える。こういったお告げの方が本当は良いのではないでしょうか」
実を言うと、聖像は自身の聖廟の見栄えを気にしており、常日頃から『たまにで良いから、燭台に火を灯して貰いたいものです』などと思いを馳せていたのである。しかし、この聖像の素性を誰一人として覚えていないとあっては、御利益のために聖像を崇める者もいなくなってしまった。
「ふむ、聖堂らしいと云えば聖堂らしいですが……蝋燭とは、また月並みですな」
悪鬼がそんなことを漏らすと、聖像は頷きながらこう答えた。
「確かに、月並みで有り触れているかもしれません。ですが、蝋燭なら鼠も燃え滓を食べられるでしょう。蝋は脂肪に富んでいると云いますから」
そんな聖像の言葉に、悪鬼はウインクでもしてやりたい気持ちになったが、育ちの良い悪鬼殿にはそんな真似は出来なかった。もちろん、それ以前に石造りの悪鬼にとっては、出来もしないウインクなどは悩みの種にすらならなかったのだが。
×××
「ふう、銀貨なんてねぇ、無いなら無いでいいんだけど。別にどうだっていいんだけどね!」
翌朝、聖堂守の女がそんなことを言いながらやって来た。
しかし、埃まみれの聖廟に落ちていたピカピカの銀貨を見つけると、それを拾い上げるなり、汚れた手の上で何度も引っ繰り返し始めた。すると女は銀貨を口に運び、そのまま上下の歯でしっかりと噛み締めたのだった。
「もしや銀貨を食べようというのでは……」
心配になった聖像は、石のような眼差しで女をじっと見つめ始めた。
「あ、ああ……」
女の口から少し甲高い声が零れ出した。
「本当に、本当なのかしら! こんなこと、お偉い聖人様だって……ねぇ!」
それから女はすぐに何かし始めたのだが、それは全く予想外な振舞いであった。
女はポケットから一本の古い紐を探り出し、その紐をターレル銀貨に巻き付けて十字に結んだ。そして紐の余りで大きな環を作るなり、小さな石の首に――あの小さな聖像の首に銀貨をぶら下げたのである。
そうして、女は聖堂を後にしたのだった。
「ただ一つ言えることはですね」
そのとき、悪鬼が口を開いた。
「お気の毒さま、と云うことだけですな」
×××
「悪鬼殿、あちらの方が身に付けてらっしゃるのは、一体何のお飾りなのですかな?」
そう尋ねるのは、すぐ近くの支柱に彫られた翼竜で、聖像は恥ずかしさと悔しさで今にも泣き出してしまいそうだった。生憎、石像であるために泣くに泣けないのではあるが。
それを見た悪鬼は機転を利かせ、翼竜に向かってこう答えるのである。
「あれはですな……オホン! あの首飾りの銀貨はですな、驚くほど高価な――極めて価値のある硬貨なのですよ」
やがて『とんでもなく貴重なお供え物のおかげで、聖廟の小さな聖像がとても立派になったらしい』という噂が聖堂中に広まった。
「ああ、あれはきっと悪鬼殿なりの善意だったのでしょうね」
聖像はそう独りごちた。
聖堂の鼠は相も変わらず貧しいままだった。しかし、それが鼠の『お役目』なのである。
原著:「Reginald in Russia and Other Sketches」(1910) 所収「The Saint and the Goblin」
原著者:Saki (Hector Hugh Munro, 1870-1916)
翻訳者:着地した鶏
底本:「The Complete Saki」(1998, Penguin Classics)所収「The Saint and the Goblin」
初訳公開:2012年6月5日
【訳者のあとがき】
「The Saint and the Goblin」はサキの未訳短編の一つ(2016年11月現在)。
サキの作品の中で、聖堂を舞台にした寓話は他にも「The Image of the Lost Soul」があるが、こちらにも件の黒丸鴉が登場するので、もしかすると同じ聖堂を舞台としているのかもしれない。「The Saint and the Goblin」が皮肉の利いた滑稽譚であるのに対し、「The Image of the Lost Soul」はオスカー・ワイルドの「幸福の王子」を彷彿とさせるような悲劇である。
「The Image of the Lost Soul」については、風濤社から刊行された「四角い卵」に「地獄に堕ちた魂の像」(訳:渡辺育子)の邦題で収録されているので、「聖者と悪鬼」と併せて読んでみるのも良いかもしれない。