3.初めまして、婚約者様
「従者もなしで嫁ぎに行く婚約者なんて、そうそういないわよね……」
小さく自嘲する。
身にまとうのは、持っている中で一番上等なピンク色のドレス。
“王女として恥ずかしくないように”と、先ほど渡されたものだ。
――最後まで、役割だけは押し付けるのね。
翌朝。
身支度もすべて一人で整え、鞄を手に屋敷を出る。
見送りは、当然のようになかった。
「……当たり前か」
ぽつりと呟き、手配された馬車に乗り込む。
「ヴァルハイム帝国まで、お願いいたします」
馬車が走り出すと同時に、私は書物を開いた。
ヴァルハイム帝国のマナー、しきたり、皇族の在り方。
――もう、戻る場所はないのだから。
数時間後。
窓の外に広がる光景に、思わず息を呑む。
「……わ」
アルアディア王国とは比べものにならないほど発展した街。
人々は忙しなく行き交いながらも、どこか活気に満ち、笑顔があふれている。
「なんて素敵な街なの……」
胸の奥が、きゅっと温かくなる。
「ここに来て、よかった」
そう思えたことに、自分でも少し驚いた。
「エルザ様、到着いたしました」
「ありがとうございました。どうか道中、お気を付けて」
目の前にそびえるのは、巨大な皇城。
「……大きい」
王国の城とは、格が違う。
「お待ちしておりました、エルザ様」
現れたのは、柔らかな物腰の青年だった。
「私はカイエル殿下に仕える者、エドワードと申します」
「お初にお目にかかります。
アルアディア王国より参りました、エルザ・アルアディアと申します。以後、お見知りおきを」
「どうぞこちらへ。殿下がお待ちです」
扉の先。
そこにいたのは――
藍色の髪に、黒曜石のような瞳。
整った顔立ちと、近寄りがたいほどの威圧感。
「……この人が」
カイエル・フォン・ヴァルハイム。
冷酷無慈悲で、敵味方を問わず恐れられる皇太子。
私は右足を引き、ドレスをつまみ、ゆっくりと腰を落とす。
「お初にお目にかかります。
アルアディア王国王女、エルザ・アルアディアと申します。あなた様のお噂は、かねがね」
「そうか。はるばる遠路、ご苦労だったな」
淡々とした声。
――でも。
(嘘吐きなひとね)
表情も声色も、感情がなさすぎる。
「滅相もございません。
私と婚約を結んでくださること、両親も大層喜んでおりました」
社交辞令を、完璧な笑顔で返す。
しばし形式的な会話が続いたあと、
カイエルは一歩前に出た。
「俺は、お前を妻として迎える」
そう告げると、彼は突然――跪いた。
「代わりに、お前が望むものは、
俺の叶えられる限り、すべて叶えると誓おう」
手を取られる。
「突然の非礼を許してくれ。
――俺の妻になってくれるか?」
(ここで私が何を言っても、妻にするくせに)
心の中でそう思いながらも、私は微笑んだ。
「……もちろんでございます」
そして、胸の奥でそっと付け加える。
(どうぞ、存分に――利用させてくださいね)




