14.冷酷無慈悲ってなんだっけ?
柔らかな日差しが、薬草園を照らしていた。
朝露を含んだ葉が、指先にひんやりと触れる。
エルザは膝をつき、剪定用の小刀で不要な枝を落としていく。
(……落ち着くわ)
土の匂い、薬草の香り。
ここだけは、夜会の喧騒が嘘のようだ。
……はずだった。
「はぁ……」
思わず、ため息が漏れる。
(こんなの、聞いてないわ)
夜会以降、城内の空気は明らかに変わった。
使用人たちの視線は丁寧を通り越して、妙に気遣わしげ。
(私の願いを叶えると言っていたところから、
おかしいとは思っていたけれど……)
剪定した枝を籠に入れながら、眉を寄せる。
(ここまでなんて)
頭に浮かぶのは、あの夜の光景。
庇うように前に出た背中。
短く、断定的な声。
「俺が選んだ」
――あれが、致命的だったのだろう。
(噂の冷酷無慈悲は、どこに行ったの?)
戦場では情け容赦ない。
敵味方関係なく切り捨てる皇太子。
それが――
「無理をさせるな」
なんて、夜会で言う人間だなんて。
「……意味が、わからないわ」
葉の裏を確かめ、虫食いを見つけて摘み取る。
(私は、“妻という役割”を果たすだけのはずだった)
自由に動く代わりに、表向きは皇太子妃。
それだけの、はず。
なのに。
「妃殿下、日差しが強くなってまいりました。
こちらをお使いください」
差し出されたのは、日除けの外套。
(……誰の指示?)
聞かなくても、分かる。
「ありがとうございます」
受け取りながら、内心で頭を抱える。
(このままだと、
“自由に動く”どころか、“大切にされすぎる妃”よ)
ふと、香油を仕込んだ小瓶が目に入る。
(……誤解、解いた方がいいわよね)
そう思うのに。
(でも、どうやって?)
否定すれば、
「殿下を拒んでいる」と取られかねない。
受け入れれば、
噂はさらに膨らむ。
エルザは、静かに息を吐いた。
「……計算外ばかり」
それでも、手は止めない。
薬草を育てるのと同じ。
環境が変われば、手入れの仕方を変えるだけ。
(なら――)
「この状況も、利用するしかない、か」
小さく、苦笑する。
知らず知らずのうちに、
彼女はもう“皇太子妃”として、盤面を見始めていた。
薬草園に、規則正しい足音が近づいてくる。
……嫌な予感がした。
「――やはり、ここか」
低い声。
エルザは思わず、手にしていた剪定ばさみを落としそうになる。
「……カイエル殿下?」
振り返ると、そこには軍服姿の皇太子と、少し後ろに控えるエドワード。
周囲の護衛たちは、距離を取りながらも警戒を解いていない。
(本当に来た……)
「ご、公務は大丈夫なのですか?」
慌てて一礼し、少し強めの口調になる。
「エドワード様が怒ってしまいますよ!」
エドワードが小さく咳払いをした。
「……殿下、ご覧の通りでして」
だがカイエルは、気にした様子もなく園内を見回す。
「問題ない。視察の合間だ」
視線が、整然と並ぶ薬草へ向く。
「……よく手入れされているな」
「ありがとうございます」
エルザはほっと息をつき、話題を変えるように微笑んだ。
「ここは、日当たりも良くて風通しもいいんです。
土も柔らかくて……薬草たちが、のびのび育ってくれます」
そう言って、一歩横へ。
「殿下のお忙しい一日の中で、
少しでも癒しになれば幸いですわ」
本心だった。
戦場と政務に追われる日々。
ほんの数分でも、頭を空にする時間があれば――。
だが。
カイエルは、その言葉を聞いて足を止めた。
「……癒し、か」
薬草の香りを、ゆっくりと吸い込む。
「確かに、悪くない」
それだけなのに。
「殿下……!」
エドワードが、明らかに焦った声を出す。
「次の会議まで、残り時間が――」
「分かっている」
そう言いつつ、視線はエルザから離れない。
「だが、ここに来る価値はあった」
エルザは、内心で固まった。
(ちがう、そういう意味じゃ……)
「い、いえ!
あくまで、殿下のお邪魔にならない範囲で……」
「邪魔だとは思っていない」
きっぱりと言われる。
「お前が何をしているのか、
この目で確認するのは、皇太子として当然だ」
その一言で、周囲の護衛と使用人の背筋が伸びた。
――皇太子自ら、婚約者の活動を把握している
――しかも“当然”と言い切った
(あ、これ……また噂が増える……)
エルザが頭を抱えそうになった、その時。
カイエルは、ふと視線を落とす。
「……手が荒れているな」
「え?」
「薬草の手入れのせいか」
無意識に、エルザの手首を取る。
ほんの一瞬。
だが、その仕草はあまりにも自然で。
「軟膏は、使っているのか」
「じ、自分で作ったものを……」
「なら問題ない」
手を離し、淡々と告げる。
「だが、無理はするな」
……沈黙。
エドワードは、もう何も言わなかった。
言えなかった。
エルザは、乾いた笑みを浮かべる。
(噂の冷酷無慈悲、どこ……?)
去っていく背中を見送りながら、確信する。
(これ、完全に――
“視察”じゃなくて“心配”よね……)
そしてその日の夕方。
城内には、新たな噂が追加された。
「皇太子、婚約者の手荒れまで気にする」
……誤解は、深まる一方だった。




