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華として嫁ぎ、刃として生きる  作者: 野苺みるく
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12.夜会とミドルネーム

金色のシャンデリアが、夜の皇城を昼のように照らしていた。

楽団の音が静まると同時に、ざわめきが広がる。

その中心で、カイエルが一歩前に出た。

「諸君、今宵は集まってくれて感謝する」

低く、よく通る声。

戦場で兵を率いる声と同じ――逆らえない響き。

「本日、正式に紹介したい人物がいる。

我が婚約者、アルアディア王国王女――」

一瞬の間。

「エルザ・アルアディアだ」

視線が、一斉に集まる。

エルザは、教えられた通り一歩前へ。

背筋を伸ばし、ドレスの裾をつまみ、完璧な礼。

「ご紹介に預かりました、エルザ・アルアディアと申します」

柔らかく、しかし芯のある声。

「まだまだ至らぬ点も多くございますが、

皇太子殿下の婚約者として、誠心誠意努めてまいります。

どうぞ、よろしくお願い致します」

会場に、拍手が広がる。

――上々。

そう思った瞬間だった。

「……あら?」

甘ったるい声が、拍手の合間に割り込む。

振り向くと、豪奢なドレスに身を包んだ公爵令嬢。

口元には、隠しきれない優越感。

「アルアディア王国の王女様、ですわよね?

でも……少し、不思議ですわ」

周囲が、静かに耳を澄ます。

「貴族でありながら、ミドルネームをお持ちでないなんて」

ざわり、と空気が揺れた。

試すような視線。

見下すような微笑。

(来たわね)

エルザは、内心でそう呟いた。

ホールへ降りたその場で、逃げ場はない。

だからこそ――ここは、正面から。

「ご質問、ありがとうございます」

にこりと微笑み、声を落とす。

「お恥ずかしながら……私には、ミドルネームがございませんの」

わざと、少しだけ目を伏せる。

「私が生まれた折、

名付けの祝福をくださるはずだった祖母が、重い病で伏しておりまして……

儀式を行うことが叶わなかったのです」

会場が、しんと静まる。

嘘だ。

けれど、すべてが嘘ではない。

――祖母が病に伏していたのは、事実。

――祝福を受けられなかったのも、事実。

「そのため、正式なミドルネームを授かる機会を失いました」

少しだけ、微笑みを深くする。

「ですから今は、

“エルザ・アルアディア”として、この場に立たせていただいております」

同情。

そして、これ以上踏み込めば無粋になる空気。

「……そうでしたの」

公爵令嬢は、言葉に詰まった。

周囲の視線が、彼女に刺さる。

“これ以上聞くのは失礼だ”と、暗に告げる視線。

カイエルは、黙ってエルザを見ていた。

――言い訳でも、卑屈でもない。

――弱さを見せながら、主導権を渡していない。

(……上手い)

その夜、噂は静かに広がった。

・アルアディアの王女は、ただの飾りではない

・社交の場で、刃を使わずに相手を退ける

・皇太子妃として、十分すぎる器だ

そして誰よりも、それを強く実感したのは――

彼女の隣に立つ、皇太子自身だった。


ホールに、静かなざわめきが残る中。

エルザは、ふっと微笑みを深くした。

「……不審がられても、無理はありませんわ」

自分を卑下するでもなく、

相手を責めるでもなく。

「そのような事情ですもの。

けれど――」

そっと、隣に立つ人物を見上げる。

「だからこそ、

このような私を迎えてくださったカイエル殿下には、

心から感謝しております」

一瞬、時が止まった。

会場中の視線が、皇太子へと向く。

カイエルは、わずかに目を細めた。

そして、エルザの前に半歩進み出る。

「――当然だ」

低く、はっきりとした声。

「名があろうがなかろうが、

過去に何があろうが関係ない」

彼は、公爵令嬢を――正確には、会場全体を見渡す。

「俺が選んだ。

それだけで、十分だろう」

言葉は短い。

だが、反論の余地はない。

「彼女は、俺の婚約者だ」

エルザの手に、そっと自分の手を重ねる。

「この帝国で、最も尊重されるべき存在だ」

ざわり、と空気が震えた。

公爵令嬢は、顔色を失い、慌てて頭を下げる。

「……失礼を申し上げました。殿下、妃殿下」

「構わん」

それだけ言い、カイエルは視線を戻す。

エルザは、静かに礼を返した。

「ご理解、感謝いたします」

その仕草一つ一つが、完璧だった。

その夜。

・皇太子が初めて“個人的に”誰かを庇った

・しかも相手は、政略結婚の婚約者

・あの冷酷無慈悲なカイエルが

噂は、香油のように静かに、しかし確実に広がっていく。

そしてエルザは、心の中で小さく息をついた。

(……成功ね)

剣も、毒も、怒声も使わない。

言葉と立ち位置だけで、盤面を制した夜だった。

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