11.初めての“婚約者”としてのお仕事
重厚な扉の前で、エルザは一度だけ背筋を正した。
「……エルザです」
「入れ」
低く、無駄のない声。
扉を開けると、そこには書類に目を落とすカイエルと、壁際に控えるエドワードの姿があった。
先ほどまでの“成果報告”とは違う、正式な場の空気。
一礼し、顔を上げる。
「カイエル殿下。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「用件を聞こう」
単刀直入。
だからこそ、エルザは遠慮しない。
「婚姻の儀に用いる装飾品や儀礼具についてですが――
グランツ商会に一任してもよろしいでしょうか?」
カイエルの筆が、止まる。
「理由は」
「既に交渉済みです。
品質、納期、輸送経路、どれも帝国基準を満たしております。
それに――」
一拍、置いて。
「今後の取引を考えるなら、“帝国の婚姻儀礼を任された商会”という実績は、彼らを確実に帝国側に引き寄せます」
エドワードが、わずかに目を見開いた。
「……そこまで考えていたのか」
「当然です。私は、殿下の“妻”になりますもの」
カイエルはエルザを見つめる。
値踏みするようでいて、どこか興味深そうな視線。
「許可する」
即答だった。
「ありがとうございます」
そう言ってから、エルザはふと眉を寄せる。
「それと……一つ、お伺いしても?」
「何だ」
「先ほど、エドワード様からお聞きしたのですが――
今夜、私たちの婚約を公表する夜会があるとか」
一瞬、室内の空気が止まる。
「……ああ」
「なぜ、教えてくださらなかったのですか?」
責める声ではない。
けれど、真っ直ぐで、強い。
「せっかく、各国の貴族や商人、要人が集まる場ですのに。
私にとっても、殿下にとっても――
関係を築く、絶好の機会ではありませんか?」
カイエルは沈黙した。
今まで、彼にとって“夜会”とは戦争の延長だった。
誰が敵で、誰が使えるかを見極める場。
だが――
エルザは“広げる”ことを考えている。
「……準備が間に合わないと思った」
「間に合わせます」
即答だった。
「装いも、立ち居振る舞いも、話題も。
皇太子妃として、恥はかきません」
むしろ、と微笑む。
「殿下の隣に立つ以上、“役に立たない”存在でいるつもりはありませんの」
その瞬間、カイエルは理解した。
――この女は、守られるつもりがない。
――共に、盤面に立つ気だ。
「……好きにしろ」
「!」
「夜会に出たいなら出ろ。
必要なものは全て用意させる」
エルザの表情が、ぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、殿下!」
そして、少しだけ悪戯っぽく。
「では今夜、皇太子妃として――
殿下のお隣を、務めさせていただきますね」
去っていく背を、カイエルはしばらく見送っていた。
(……面倒な女を迎えたと思っていたが)
口元が、わずかに緩む。
(どうやら、“退屈”とは無縁らしい)




