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華として嫁ぎ、刃として生きる  作者: 野苺みるく
11/13

10.戦場には自らの足で

グランツ商会本部、応接室。

壁一面に並ぶ交易地図と帳簿。

ここが、大陸最大級の物流を握る商会の中枢。

私は背筋を伸ばし、正面の席に座る男へと一礼した。

「お初にお目にかかります。

カイエル・フォン・ヴァルハイムの婚約者、

エルザ・アルアディアです」

静かな声で、はっきりと。

「本日はお忙しい中、お時間をくださりありがとうございます」

向かいに座るのは、グランツ商会会頭代理――マルセル・グランツ。

彼は、私を一瞥すると、ふっと笑った。

「……これはこれは。

ずいぶんお若い婚約者殿ですな」

(来たわね)

「殿下の名で呼ばれはしましたが、

正直なところ――」

彼は肩をすくめる。

「“妃様の趣味の品”に、

我が商会が動くほど余裕はございませんで」

周囲の商会員たちも、同調するように頷く。

「美容品、ですかな?」

「貴族の奥方には売れるでしょうが……」

(ええ、完全に舐められている)

私は、表情を崩さなかった。

「そうですね」

あえて、肯定する。

「初めは、その認識で結構です」

商会側が、わずかに眉をひそめた。

「……ほう?」

「でしたら」

私は、静かに資料を取り出し、机の上に置く。

「こちらをご覧ください」

紙が広がる。

「こちらは、各国の戦場で“現在不足している物資”の一覧です」

ざわり、と空気が変わった。

「鎮痛、消毒、炎症抑制。

傷は治っても、感染で兵が脱落する例が後を絶ちません」

私は、淡々と読み上げる。

「こちらは北方、こちらは西方、こちらは内戦中の小国」

「……これは」

商会員の一人が、資料に目を落としたまま呟く。

「どれも、正確すぎる」

「内密に、調べさせていただきました」

にこりと、微笑む。

「私の美容品は、“戦場用医療補助品”として転用可能です」

マルセルの表情が、初めて引き締まった。

「……なるほど。

最初から、それが狙いでしたか」

「ええ」

(ようやく、同じ卓に上がった)

だが――彼は、まだ引かない。

「だが、情報があっても流通は別問題です。

我が商会が動く理由には――」

「ありますわ」

私は、静かに言った。

「……ほう?」

一瞬、迷った。

(これは、使いたくなかった)

でも。

(ここで引いたら、すべてが終わる)

私は、視線を逸らさず続ける。

「これは、使いたくなかったのですが――」

室内が、凍りつく。

「グランツ商会は、もうあとがないのでしょう?」

「――――」

息を呑む音。

「近年、東方交易路での損失。

保険をかけていた船団の連続事故」

私は、資料を一枚、追加する。

「資金繰りは、表向きは安定。

ですが、内部はかなり逼迫しています」

完全な沈黙。

「……どこまで、知っている?」

マルセルの声から、余裕が消えた。

「必要なところまで、です」

私は、穏やかに告げる。

「私の商品は、貴方方に“次の柱”を与えます」

そして、最後の一言。

「賭ける価値は、ありますでしょう?」

――長い沈黙の末。

マルセルは、深く息を吐いた。

「……殿下は、とんでもない方を婚約者に迎えましたな」

初めて、彼は立ち上がり、頭を下げた。

「グランツ商会、

正式にお話を伺いましょう」

(……勝った)

私は、静かに微笑んだ。


皇城、皇太子執務室。

書類に目を通していたカイエル・フォン・ヴァルハイムは、扉の前に立つ側近に視線を上げた。

「入れ」

「失礼いたします」

現れたのは、情報官と文官、それぞれ一名ずつ。

二人とも、どこか様子がおかしい。

「……報告があると聞いた」

「はっ」

情報官が一歩前に出る。

「本日、エルザ様がグランツ商会と初交渉を行われました」

「結果は」

即答を求める声音。

「――商会側が、正式契約を前提に動き始めています」

ペンが、止まった。

「……初交渉で、だと?」

「はい」

情報官は一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。

「商会側は当初、年若い妃候補として完全に軽視しておりましたが……

途中から、態度が一変しました」

「理由は」

「情報量です」

文官が引き継ぐ。

「各国の戦場における医療物資不足の詳細、

交易路の損耗率、需要予測まで提示されたとのことです」

カイエルは、静かに目を伏せた。

(それだけなら、調べさせれば出る)

「だが、それだけで商会は折れない」

「はい……」

文官は、喉を鳴らした。

「最終的に、エルザ様は

グランツ商会の資金繰り悪化を“正確に”指摘なさいました」

「――ほう」

わずかに、声の温度が下がる。

「内部情報だ。

通常の調査では辿り着けない」

「ええ。

商会側は完全に主導権を奪われ、

その場で頭を下げたそうです」

沈黙。

執務室に、紙の擦れる音だけが響く。

「他には」

「……ございます」

情報官は、慎重に続けた。

「商会内で、こう噂されております」

「“あの妃は、交渉相手ではない。

戦場に立つ指揮官だ”と」

カイエルは、ふっと息を吐いた。

「随分な評価だ」

だが、その口元は――わずかに、緩んでいた。

「……彼女は?」

「はい?」

「エルザは、交渉後どうした」

「そのまま離宮へ戻られ、

薬草園の整備状況を確認されていたとのことです」

「……そうか」

机に置かれた資料に、再び視線を落とす。

(認めさせるために動き、

成果を出しても、驕らない)

カイエルは、静かに結論を出した。

「今後、彼女の動きはすべて私に直で上げろ」

「はっ」

「それと」

一瞬、言葉を切る。

「――誰にも、彼女を軽んじさせるな」

側近たちは、はっきりと頷いた。

「承知いたしました」

扉が閉まり、再び一人になる。

カイエルは、窓の外を見た。

(自由に生きたい、と言ったか)

「……面白い」

それは、皇太子が久しく口にしていなかった感想だった。

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