第2話「作戦がハマるなんて、参謀冥利に尽きるよね」
【ユリナス魔王国 コルス地方 闇の狼師団司令部 2ヶ月前】
1週間の始まりの日。私はいつも通りに出勤し、デスクでコーヒーを楽しんでいたところ、朝一番で上司である師団参謀長に呼び出された。
木製の廊下を歩きながら、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。これまでにも参謀長に呼び出されたことは何度もあったが、今回はいつもとは違う不安が心をざわつかせる。参謀長室の扉にたどり着き、覚悟を決めてノックをした。
コンコンコン
「どーぞぉー……」
か細い返事を聞いて、私は扉を開けた。
「航空参謀、入ります。」
北向きの薄暗い部屋の中央には、華奢な少女がデスクの向こうに座っていた。
ビスクドールのようにちょこんと座っている銀髪赤眼の彼女は、闇の狼師団参謀長レディ・アナスタシア・フォン・ヴァルデンローゼ准将。ヴァンパイア族出身の大貴族で、師団総勢8500人のナンバー2だ。そして凄くかわいい。これ重要。
ヴァンパイア族の彼女は朝に弱く、貧血気味で、見るからに血色が悪かった。……お偉いさんなんだから、時間差勤務とかできないのだろうか。部屋の薄暗さと相まって、彼女の存在は不気味さすら感じた。
「お呼びでしょうか?」
私は机の前まで進み、気を付けの姿勢で参謀長の様子を見る。おめめとお口が半開きで、まるでゾンビのようにフラフラしている。これで仕事になるのだろうか……。
「とりあえず…座って……」
彼女は細い指で応接用のソファを指差す。私は座る前に、懐から液体の入った瓶を取り出して机に置いた。
「閣下。その前にこちらをお飲みください。」
中身は血液だ。この時間帯の参謀長はフラフラで話にならないと思ったので、ここに来る前に医務室で軍医から貰ってきた。
「ありがと…助かる……」
彼女は瓶を両手で持ち、こくこくと血を飲む。その様子が何ともかわいい。
「ふぅぃー…少し目が覚めた…」
半開きだったおめめがぱっちりと開いた参謀長は、机の引き出しから青いファイルを取り出して私に差し出した。
心臓が跳ね上がる。青いファイルは最上位の機密書類を示すもの。この中にはかなり重要な文書が綴じられている。参謀職を拝命してから何度か取り扱ったことはあるが、内容の1ページが30分でも所在不明になれば、ラグビーチームほどの軍人が軍法会議にご招待される破壊力だ。伯母様から送られてくるお見合い写真のファイルの方がまだマシに思える。
「ちょっと内容に目を通して?」
はい、と回覧板を渡すような手軽さで国家機密を差し出す少女。それに加えてもう一つ、赤いファイルを差し出してきた。閲覧者を記録する帳簿だ。私は赤いファイルを開き署名を済ませると、覚悟を決めて青いファイルに目を通した。
曰く、山脈向こうのヒューマンの国「アークレスト王国」の内政が混乱している。その影響で、王国首脳部の一部の大貴族が国民の不満を逸らすため、我が国への侵攻計画を立てているらしい。『聖戦』と名付けたその計画の詳細は不明。教会も一枚噛んでいるという。
「我が国との技術力や軍事力を考えれば、一方的な虐殺になる…。魔王陛下からは、それだけは絶対に避けよとのご指示があった。グレートソードや長槍で戦おうという相手に155ミリ榴弾砲を撃ち込むのは……私としても忍びないよ。」
参謀長が困り顔で呟いた。裏を返せば、本当に侵攻してきたら師団の重砲で吹っ飛ばすつもりなのだろう。そういえば参謀長は大砲屋(砲兵科)だった。
「そこで、参謀本部から指示が来たの。少数の特殊部隊を送り込んで彼らの情勢を調査し、国内に反戦世論を醸成させる。それで侵攻計画を頓挫させれば、多くの命が助かるよね。」
「閣下の砲撃から隣国の農民兵の命を守るのですね。」
「……間違ってはいないけど、言い方が酷くないかな……?」
彼女はぷくーと頬を膨らませた。
「特殊部隊ということですが、参謀本部直轄のヘルキャットが出てくるので?」
「ううん、あそこは獣人中心だから、今回の件では出さないよ。ウチからアマータ族と悪魔族を中心に選抜することになったの。」
確かに猫耳をつけたままヒューマンの国に入ったら、速攻で教会の聖騎士と捕物劇が始まるだろう。捕まえてみろニャー!まてー!と追いかけっこをする猫獣人と聖騎士の様子を想像していたら、参謀長の赤い瞳がじっと私を見ていることに気がついた。
「……。」
「あの、何か?」
スッ……
参謀長はまた机からファイルを取り出して差し出してきた。今度は緑のファイルだ。青よりマシだが、中身の取り扱いの難易度は野球チームの命運を分けるほどの代物。これも赤いファイル付き。きゅぽん、と万年筆の蓋を取り、サラサラと署名して赤ファイルを返すと、緑ファイルの中身を読む。
『王国国内情勢調査における師団運用命令』
ざっくり要約すると
数人の選抜チームで山脈の地下水脈を通り侵入。
最先鋒を受け持つであろう伯爵領へ潜伏し、調査を開始。協力者の確保などを進める。
反戦世論の醸成。可能であれば複数の都市にも波及させる。
活動については、現地先行の諜報員と、潜入ルートを通じて師団の支援が得られる。
ふむふむ。これは長丁場になりそうだと思いつつページを捲ると、私は固まった。
『派遣兵力』
指揮官 師団司令部航空参謀
空軍大尉 メリィ・ダイ・ヤヴァイネン(アマータ族)
調査班 師団司令部内科軍医
軍医中尉 プリシラ・マイルズ(アマータ悪魔混血)
調査班 第61歩兵大隊第1中隊
陸軍歩兵曹長 ベルドラック・グリム(悪魔族)
調査班 師団司令部通信機材整備小隊
陸軍通信軍曹 アーレ・チャウナ(アマータ族)
調査班 第61歩兵大隊第3中隊
陸軍歩兵軍曹 ソフィア・ソイカテ(アマータ族)
(あ、これはヤバいねん…。)
私はファイルから顔を上げた。
「閣下。私が現場指揮官ですか?」
「そうだよ。」
「お話を全く聞いておりませんが?」
「こうして運命(運用命令)を見せたでしょ?出来立てホカホカだよ。」
これで私に示達されたらしい。確かに発簡日は今日の日付である。今は午前9時前。
つまり……
「昨夜から夜通しで起案して、1時間前に発簡したばかりだよ。真っ先にあなたに見せたの。」
焼きたてホカホカならぬ、刷りたてホカホカだった。
師団総務部の下士官にヴァンパイアがいたから、参謀長の夜通しの起案作業に対応できたのだろう。ちゃんと代休をもらえているだろうか?
「先に口頭で調整すると、あなたは特殊能力で逃げると思ったから…先に文書で逃げ道を塞いでおいたの。今回の調査では、あなたの力が必要だったから。」
現実逃避から強引に襟首を掴まれて引き戻された。
確かに、運命を起案する前に話を持ちかけられていたら『心の囁き』を使ってうまく指揮官から外すように誘導できた。しかし、こうして書面で名前が載ってしまったら今更どうしようもない……。
ん?今さりげなく衝撃的なことを言われたような……。
「閣下?特殊能力とは……?」
「アマータ族に稀に発現する特殊能力。あなたの能力は『心の囁き』と言ったかな?」
私は能力について、軍に一度も申告したことがない。
「なぜ、そのことをご存じで……?」
「部下のことはよく理解しないとね。これ、私のモットーだよ。」
どうやら教えてくれるつもりはないようだ。
「そういうわけだから、この運命も今日中には関係各所に送達されるよ。週末には事前研究会があるから、潜入メンバーとはそこで顔見せだね。というわけで……」
参謀長は今日一番の笑顔でこう言った。
「ねぇ、航空参謀。ちょっと…山脈を越えて様子を見てきてくれない?」
「閣下。これはペーパーテロであります……」
参謀長は「作戦がハマるなんて、参謀冥利に尽きるよね」と、ご機嫌だった。