豆腐メンタルの話
恐ろしいほどの豆腐メンタルである。
一番苦手なことが「批判されること」だ。尋常でないくらい嫌悪感が出てしまう。結果的にその意見が自分の人生にとって良い影響を与えたり、自分の暴走を止めてくれるストッパーになってくれることもあるのだが、言われた瞬間は許せない気持ちになるし、相手を軽蔑する。
例えば、上司からの辛口コメント。厳しい言葉の数々。普通に大嫌いだ。これは正直何年経っても中々耐性ができない。なぜなら、僕がそのような辛口コメントを言うことはないからだ。過去に自分が上司をやった現場では、もし相手に直してほしいところなどの指摘ポイントがあれば、物凄く慎重に言葉を選び、絶対に傷つけないよう、気分を害さぬように伝える。伝え方も、「今のままでもすごく良いと思う。だからこそ、ここを伸ばしたら最強になれるね」と相手に伝えるべきダメ出しを、伝えているのにも関わらず相手自身もワクワクできるような言葉を選ぶ。細心の注意を払い、相手のためを思って行動しようとする僕の方法が、必ずしも正しいとは思っていない。中にはストレートに伝えてしまう方が相手に届きやすい場面があることだってよく知っている。だが、それを場面によって、相手によって使い分ける力のない人を、僕は「能力のない、思慮の欠けた社会人」と見下す癖がある。
「君のこれが良くないよね」と発言する上司。なぜ、「君はここを高めればさらにすごい人になれる」と言えないのだろう。どんな人だって自分にない魅力がある。だから否定的な観点から物を言うのではなく、それを補うことのメリットを踏まえて指摘してあげることが大切なのではないかと思う。こうやって、僕は上司にピシャリと言われてしまったら、本人には言わず、頭の中で悶々としながら、ムッとしている。そして心の中でその上司を嫌う。それが自分の心に良いことではないと分かっているのにも関わらず。
それもこれも全て、結局受け止める力の低さが起因となる。僕が、誰かに対して細心の注意を払うという特性を発揮するのを当たり前の所業だと思っているのに対して、そんなことを何も考えずただ言いたいことをぶちまけて、誰かが影で苦しんでいようが結局言うことの大切さが浮き彫りになって最終的に評価される単細胞なクソ上司は山ほどいる。だからそんな相手と渡り合うためには、このメンタルでは明らかに不利なのだ。誰かと話す時は必ず優しくないといけない、という、システムレベルで脳内にこの強迫観念が棲み着いている超絶繊細生物にとっては、思ったことをポンポン口にする大人になる図太さはない。しかし、そんな図太い人と分かり合い、上手くやっていく力は必要なのだ。言われた瞬間は深く傷ついてしまう性質なのは変えるなんて絶対に無理である。これはそういう人間なのでハッキリと断言できる。一生背負う苦しみだ。ただ、それをどう受け止めるのかを変えることはきっとできるはずなのだ。だって、そのムカつく相手のことさえも理解したくて分かり合いたいのだ。嫌いな相手と関わらない選択肢なんて頭からなくて、いつだって嫌いな人と正々堂々想いを共有したいと願うから、分かり合いたいと思うから、関わることをおざなりにしないで生きていくしかないのかもしれない。
上手くやっていく方法はコミュニケーション能力の高い人が既にやっているのだろうが、それが下手な僕は、嫌われる覚悟で物を伝えること、そしてその相手としっかり仲良くなること。この両輪を忘れずに動かしていくしかない。それが成功に繋がるのかはわからないけれど、何回か成功したことがあるから信じていくしかない。