大学に居る猫 他校講義散策といっちゃダメな言葉
なぜか友だちが、京都の大学のサークルに案内するというので、私は待ち合わせの現地集合場所に出向いた。
その日は、とても暑くて、けれども秋の風が吹き抜けるので、日陰に入れば幾分か涼しかった。
ちょっとづれ、ちょっとづれた、集合場所から離れ、まるでメールだけで知り合った人とすれ違い待ち合わせのように集合ポイントを観るような観察眼になってしまっていた。
電話をしたら友だちは、やはり、寝坊していたらしい。
ムカついたので走ってきた友だちを見て見ぬふりをしながら、目で、白い猫を観ていた。
するすると、平然と構内を歩く猫は、小学校の子どもと違って学生たちはごくごく普通に観ないふりをしながら愛でている。さすが、国立大学だなぁとか、ぼんやりかんがえながら、私の方に来た猫が、まるで案内するかのように木造の古い階段の校舎に登っていくではないか。
ちょうど、その友だちと同じ指す方向なので、さっさと、先に進んでしまった。
悪い子としているなぁと思いつつ、夏の嫌いな私に待たせるなど、言語道断だと暗いクラブ棟かと思うほどの急斜面の階段を登りきると、一つの部屋があった。
講義室なのか、それにしても狭いし学生数が少なすぎて先生の給料を心配してしまうような場違いな私もなぜか椅子に座って、遅れてきた友だちはおっかなびっくりで入室した後で、先生が「君は椅子がないから、今日の単位はないよ、立ち見だけだ」というので、「じゃ、私が譲ります」と友だちに譲ろうとしたら、「なんで」と言われたので、うーんと考えて、「授業を取るかどうかをまだ決めかねているので、現時点で私はオブザーバーです、彼に席を譲ります、彼はとても汗をかいている」
「いや、いいですいいです、始めてください」
と、そういえば、友だちもここの学生ではなかったのをついさっき思い出してしまった。
講義は、布切れ一枚を出して、の国語語録談だった。
布一枚に対する情熱というか、衣のなんとかやら、アリバイやらまでのすべてがわかるというまるで、机上の探偵のような講義で、その、小汚い汚れた布切れを見たときに、頭っから私は、「うわー、教養かぁ、これは、2単位でもいらんわ、他の選択にしよう」が、真顔で出たらしく、先生が、苦い顔をして、「なら、きみは何がわかるかい、他のたとえでもいい、思ったことを口にしなさい」
と、またしても、難しいことを言ってくる。
学生たちはとても頭がいいのに、このボンクラの私が何を言うのかわくわくしているみたいだったので、
「そうですね、私は、宇治はあまり詳しくありませんので除外しますが、八女と、知覧茶を飲みなれています。よくご贈答用で家に貰っていました。地域的にもあるのでしょう、なので、逆を言えば、あまり貰われていない、静岡のお茶が明確に分かります。静岡の茶の方が、北って味です。うちの家でお茶を飲むのは私だけでしたので。茶の葉を見るような手摘みがどうのとか、そういうレベルの話ではなくて、ごく普通の家庭用です」
「へえ、面白い」
この、面白いというのは、頭のいい人がたまに嫌味で言う言葉にも使われるので私は、最後に「でも、京都ってお茶より珈琲の文化でしょ、しかもブレンド、『キ』じゃないんだって初めて知りました。ま、世界に誇る日本のブレンドが美味しいのは良いことです」
「へぇ、で、君はどこの学生?」
その後、なんか、知らないが、友だちが私の腕を掴んで走って退出しました。階段で転げなかったことはよかったです。