覚醒の準備を
「いいざまね。這いつくばる姿がお似合いよ!!」
のあちゃんが、そういいながら腕を組、不遜な態度で、私を見下してくる。
雰囲気、仕草、言葉遣い、目つきに至るまで、どれをとっても違和感を全く感じない。
こっちが本性だと言われれば納得してしまうほどに完成された悪役に、私は少し泣きそうになってしまう。
この子は本当に天才だな。
一体どう育てば4歳にしてここまでの演技力を身につけられるのだろう?
いや、今はそれは脇に置いておこう。
今の私はいじめられっ子。そんな事を考えている余裕なんてない。
しっかり役を演じなければ。
「ううっ、ごめんなさい。もう許して下さい」
セリフ言いながら床に顔を擦り付ける勢いで顔を伏せて謝る。
土下座というよりは、亀のように丸くなって飛んでくる足蹴に耐える。
演技なので、ほとんど寸止めだか、時々勢い余って本当にダメージを食らう。
靴は脱いでいるけど、めちゃくちゃ痛いです。
この子は本当にこれが素じゃないんだよな?
数秒そのままの状態を保つ。
ここから先、私にセリフはなく、講師の合図があるまで、のあちゃんがただひたすら私を蹴るだけのシーンが続く事になる。
パンと手を鳴らす音がして、ようやく顔を上げる。
今のが演技終了の合図だ。
2人揃って講師の前に立つと講師の評価を受ける。
「うん。のあちゃんの演技はいつ見ても素晴らしいですね。見えているものが違うみたいな……
これならお仕事もすぐに決まるでしょう。後で受けられるオーディオがないか確認しましょう」
よほど興奮しているのか椅子から立ち上があがって、思いつくままに讚賞の言葉を紡ぐ講師。
うちの養成所では、オーディションが回されるのは今の、のあちゃんのように講師から合格が出た子役のみだ。
大手事務所ならではの、ブランドみたいなものがあるらしく、ある程度のレベルに到達しなければ世に出すことを許さないというか方針なんだとか。
これはスカウトでも、募集オーディションに合格して入っても関係なく、平等にそうらしい。
「ありがとうございますっ!」
のあちゃんはいつものように絶賛され、嬉しそうに頬を赤く染めて喜びのあまり軽く飛び跳ねる。
やはりプロに認められるのは嬉しいものらしい。
今日はついに合格って言われたんだものいつも以上に嬉しいか。
そんな、のあちゃんの様子を目を細めて、見守っていた講師だったが、こちらを向いた瞬間に表情を一変させ、椅子に座り直す。
「それに比べて花京院さん、いや……花園さなさん。なんですかその刺身みたいな演技は? やる気あるんですか? あぁ! そんなじゃあエキストラすら回って来ないですよ」
花園さな。
ホームページに宣材写真を載せる時に、つけられた私の芸名だ。
正直、芸名だなんて恥ずかしいこと、この上ないのだが、花京院文乃の娘だと世にバレると、コネで所属しただの、2世タレントだのと、マイナスイメージが付きやすいとの判断で、芸名を付ける事になった。
ここ数年、2世タレントの不祥事が続いていたので、2世ってだけでオーディションを落とされることもあるんだとか。
睨みながら恫喝されるのは前世でさんざん受けて来たので、泣いたりする事にこそないが、こう毎日、具体性のない事で、理不尽に思えるような、怒られ方をしていると精神的にかなりクルものがある。
というかなんだよ刺身みたいな演技って? 捌かれた魚みたいで面白みがないってことか? それとも死んでるって意味なのか? 全然理解できない。
「すっ、すみません」
意味は理解できないが、とにかく謝る。自分が悪くなくとも謝る。それが社会人の基本だ。
とまぁ、こんな感じで、子役レッスンを初めてから1週間。
私は、何一つ成長できた気がしていなかった。
転生者のアドバンテージとは一体?
「お疲れ様です紗那さん。レッスンの方はどうしてたか?」
「今日も怒られちゃいました。何が悪いのか全然分からないです」
次の宿題の台本をもらって、車に乗り込み、帰宅するまでの僅かな時間、担当マネージャーになった、サトーさんと会話をするのもすっかり定着している。
最近は送り迎えまでしてもらっているのだ。
「すみません。私に役者でもなければプロデューサーでもないので、アドバイス出来なくて……」
そしてほぼ毎日、こんなに風にサトーさんが謝って無言になる。
ママにトップ子役にするって力強く宣言したのに何一つ進展していない事を気にしているのだろうか?
サトーさんは全然悪くないから気にしなくてもいいのに。
「サトーさんには、こうして愚痴を聞いてもらえるだけで助かってます。なので気にしないでください」
「ですが、紗那さんには早いうちからお仕事をこなしてもらって、現場に慣れもらうつもりでしたが、このぶんだと厳しそうですね」
「ごめんなさい」
予定を狂わせている事に罪悪感を感じて、謝罪を口にする。
期待されて入って来てる分、罪悪感はより濃い。
「いえ、明日はレッスンもないですし、リフレッシュして来てください」
嬉しいはずの休みをもらうことが、なぜだがとても悪い事をしているように思える。
できれば、ヒントぐらいはつかんでおきたいものだ。
子役を辞めるまでの二年間は全力でやると決めているし、それに転生者でもない同世代に負けるのはなんだか癪だ。
マンションの前で車を降りる。
暗証番号を打ち込み、ロックを解除してエレベーターに乗り込む最上階のボタンはまだ私1人では押せないのでサトーさんに押してもらう。
ちょっと前にエレベーターで階数間違いのがトラウマになったわけではない。
いつものようにママに出迎えられ、サトーさんとママの謎トークを聞き、着替えて夕食をとる。
今日のメニューは、珍しく和食で、魚の刺身が出ていた。
くっ、なんてタイミングが悪いんだこの刺身め。
先ほどの講師の言葉が、リフレインして顔を歪めた。
刺身みたいな演技か……ほんとどう意味なんだろう。それに、のあちゃんに見えていて私に見えていないものって一体?
じっと刺身を見つめて見るも、当然ながら答えなんてわかるはずもない。
「紗那ちゃん? 食べないの? ご飯冷めちゃうわよ」
「うん。……食べるよ」
やけになったように刺身を醤油につけて貪る。
米を行儀なんて無視して掻っ込む。
やけ食いじゃ。
「あらら、今日は珍しくたくさん食べるのね。今日そんなにご飯炊いてないのよ。あっ、でもご飯を食べてる紗那ちゃんも可愛いわぁー」
いつものようにトリップしたママを放置してお茶碗一杯の米を食べきり、お代わりをよそって戻ってくる。
考える為にもたくさん食べておこう。
休みは1日しかない。それまでに答えの一端ぐらいは見つけておきたいことろだ。
できなければサトーさんにも迷惑がかかる。
分量的に大満足の食事を終えると、そのままお風呂に突撃する。
まだ1人で入ることは許されていないので、ママと一緒だ。
頭と身体を洗われるとそのまま湯槽に入る。
考え事をするならリラックスできるお風呂はちょうどいい。
さぁ、考えるぞ。
「ふぅー、さっぱりしたぁ」
タオルで髪の毛の拭きながら開放感に浸る。お風呂上がりは身体が軽くなったような気分になる。
きっと汚れが落ちるがおかげだろう。
いや、わかっているさこれが現実逃避だってことぐらい。
結局、お風呂に入っている間も一切具体的な答えのようなものは出てこなかった。
仕方ないここはお風呂上がりのオレンジジュース (瓶入りの5000円ぐらいするヤツ) でも飲んで気合いを入れ直そう。
お酒も栄養ドリンクも飲めない今、私にとって飲めば気合が入るのはこれだ。
開封済みのを1つ取り出してコップに移す。
お嬢様たるものラッパ飲みなんてはしたないまねはしないのだ。
え? さっきやけ食いしただろって? それはそれだ。
ゴクゴクと喉を鳴らしてオレンジジュースを飲んでいると、片付けを終えたママがリビングに入ってきた。
ドライヤーをコンセントに繋ぎ、私を手招きする。
洗面所は2人でいると狭いので、いつもリビングで髪を乾かしている。
温風を当てながらママは世間話でもするように語りかける。
「ねぇ、紗那ちゃん?」
「なに? ママ」
「もしかして悩み事でもあるの?」
「へ? どうして?」
「だって紗那ちゃん帰って来てから、1度もママとちゃんと会話してくれないんだもん。それにずっと不機嫌な顔してるもの。とっても可愛いから黙って見てたけど、もー限界。やっぱり天使には笑顔が一番。さぁーママにドーンと悩みをぶちまけてみなさい」
胸を張り、頼れるアピールをするママに、相談するか一瞬迷う。
こういう事は、自分で解決した方が糧になるような気がするけど、演技に関していえばママは先輩だし、いいヒントをくれるかも。
「ママはさ、演技がうまくいないときどうするの?」
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥なんてことわざもあるし、今回は素直にヒントをもらうことしにした。
「紗那ちゃんが演技の相談をしてくるなんて、夢でも見てるみたい。娘を産んで良かったわ」
「真面目に答えてよ。ママ、相談のってくれるでしょ?」
再びトリップするママを苛立ちながら正気に戻す。
休みは1日だけだし、ヒントをもらったところで、演技は一朝一夕で上手くなれるものじゃないし、とにかく時間が足りない。
「そ、そうね。演技がうまくいかない時ねーうーんなかなか難しいわねー」
うーんと、顎に人差し指を添えて考えて始める。
それを固唾をのんで見守る。
「あっ、そうだったわ。そんな時は、他の人の演技を見に行くかしらね」
ぽんと手を叩いて導き出されたヒントは極々普通の内容だった。
ヒントをもらう立場で、文句を言うのは良くないと思うので、ぐっと堪えて、少し深く追求してみる。
「具体的には?」
「演劇を見に行ったり、映画を観たり、DVDを観たりかしらね」
「じゃあ今からDVD観る」
この中の選択肢なら今すぐに出来るのはDVDだ。
幸い家にはママが演技の参考資料として集めたDVDがあるし。
「そういえば、明日紗那ちゃんオフでしょ? ドラマの撮影見学に来たらいいじゃない」
「いいの?」
「元々そのつもりだもの。それにいつものことだったじゃない?」
「そうだね」
ママのそんな提案で、近場でプロの演技を見る機会を得ることができた。
コネは使える時に使う。
翌朝。事務所に所属してから初のママの仕事について行く事になった。
今までは感じて来なかった緊張感が襲ってくる。
やはり立場が変わったせいだろう。
マンションの外には、ママがよく乗っている事務所の車が止まっていて、近づくと見知らぬ男の人が降りてきた。
「おはようございます花京院さん。それと娘さんですか?」
「ええ、わたくしの娘です。まだ小さいので連れて行こうと思いまして何か問題でも?」
ママは威圧的に男性マネージャーに言い放った。
「いえ、ありません」
新人さんなのかママの威圧を受けて冷や汗を垂らしながら首を横に降って慌てた様子で、運転席に戻っていった。
その様子を満足そうに見てから、後部座席に乗り込む。
ママよ、いくら娘のことが好きでも新人いじめなんて関心しないぞ。
現場につき、楽屋で撮影用の衣装に着替えスタジオに入ると、すぐ近くに、有名俳優がいた。
「おはようございます」
「おはようございます花京院さん。あれ? 今日は珍しく娘さん連れてきたんですね」
「はい」
何度か共演しているのみたいで親しげに会話を始めたので、あたりを見回して見ることにする。
いずれ私も似たような現場で仕事をする事になるんだから、見ておいて損はない。
久しぶりに来た撮影現場は、やはり目の下に濃い隈を作ったスタッフがゾンビのように歩き回り、撮影の用意をしていた。
代役をやった時の現場よりさらに黒い雰囲気が漂っている。
ほんとにこの人達、生きているのか?
突然襲ってきたりしないか?
不安に駆られそうになりながらも、邪魔にならないかつ演技の見やすい位置に移動する。
子供1人紛れ込んでいても誰も気にしていないようだ。
「それではリハ行きます」
カチンコがなり演技が始まる。
本日の撮影は、深夜にやっているエロスたっぷりの泥沼の不倫劇だ。
ママの役は人妻で、不倫を繰り返す押しに弱い女性らしい。
30歳になって新境地開拓だって新しいマネージャーさんが入れて来た仕事らしい。
このマネージャー、ほんとに大丈夫なんでしょうか?
掛け布団を胸元まで被ったママに、男が這い寄るとこからシーンは始まった。
「ダメよ、そんなところにつけたら夫にバレちゃう」
「別にいいだろ? 夫とはほとんどしてないんだからバレる事ないだろ?」
リハーサルだというのに本域で演じるママと相手役の演技を食い入るように見つめる。
やはりプロだけあって惹き付けられるような演技だ。
ちょっとエッチな演技だろうと関係ない学び取れるものがあるなら、羞恥心は一旦脇におく。
流石に、胸を揉みしだくわけにはいかないからか相手役は覆いかぶさって、頬を撫でまわす。
凄い。セリフがないのに興奮が伝わってくる。
ママの夫への罪悪感と快楽の間で揺れ動くその心情が手に取るようにわかる。
なんでだ? 分からないけど、よく分かる。
理解はできないけど感じ取ることが出来る。
そんな摩訶不思議な体験の原因を考えている間に、リハが終わっていた。
集中して見ていたということを考えても、これはおかしい。
あっさり惹き付けられ、時間を忘れてしまった。
監督と相手役が、演技プランを擦り合わせているその僅かな時間にママがバスローブ姿でこっちにやってきた。
先ほどまで妖艶な人妻を演じていたとは思えないほどの清々しい笑顔を浮かべて私に話しかける。
「紗那ちゃんどう? 悩みは解決しそうかしら?」
「ううん。逆にもっと混乱した」
なぜあんなに惹き付けられるのかと、考えることが1つ増えただけで、ヒントすら掴めていない事に変わりはない。
「そう、存分悩んで考えて抜きなさい。あなたは、この天才の花京院文乃の娘よ。演技ぐらいすぐにうまくなるわ。世の中はお菓子みたいに甘いの忘れないで」
ママは微笑みながらウインクをすると、意地の悪い顔にして去っていった。
ほんとに表情だけ見たら子供だよなあれ。
よくもまぁ、あんなに豊かに動くもんだな。
ぼんやりママの背中を目で追いながらそんな事を考える。
そうか、表情か。そういえば私、セリフに感情を込めることしか考えてなくて表情を意識したことなかったかも。
「本番行きまーす」
本番の演技を見て、私は1つの確信を得た。