紗那の華麗な休日(急展開)
「それで紗那ちゃん。さっきのお話をしましょうか」
洗い終わった私の髪をお団子のように括り終えると、ガラリと空間の空気が変わった。
背中に走る異常なまでの寒気と殺気は振り返ることを本能的に拒否させる。
多分振り向いたら最後お風呂で泣きじゃくるかもしれない。
意外に思われるかもしれないが、私は今日まで記憶にある限りこの世界のママに怒られたことはない。
なので私にとっての怒るママと言うのは前世の母親のイメージしかないのだ。
あれは怖い。いや今考えたら夏休みの宿題を親に連絡入れられるまでやらない自分が悪いのだが、家に帰って来た時、鬼婆がいて深夜まで勉強を強要するという恐怖を学生諸君なら分かるだろう。
あれは本当の地獄だった。
眠気で手が止まる度……まぁその話はいいか。
今は他に考えるべきことがあるし。
ゆっくり背を向けたまま震える身体を温めようと湯船に浸かる。
普段の倍以上の時間を費やし入水する間、考えるのは言い訳だ。
5歳児が住所と注文を完璧こなして宅配ピザを頼み、お金を払ったとしても疑われる事のないそんな素晴らしい言い訳を。
「お話する時は話してる人の方を向く!」
もちろんそんな言い訳が5秒足らずで考えてつく訳もなく、肩まで浸かっても背を向けたままの私に、苛立ちを覚えたママは、強引に私の両肩を掴んでターンを決めさせた。
もちろん視界にいるのは般若の面のような怒り顔のママだ。
片目だけ赤くなってるし。
なんで人の話聞こうとしてるのにシャンプー始めちゃってるのこの人。
「紗那ちゃん、正直に全部話したら怒らないから、ちゃんと話すのよ?」
怒りながら笑ってる。
正確には笑顔なのに怒っているのが何故か伝わる雰囲気。
というかこのセリフ知ってるぞ。
嘘をつこうが、正直に話そうがどのみち怒られるのが確定してるセリフだ。
昔はよくこれを信じて、全部素直に話していたが、もう騙されない。
これでも伊達に転生してきてない。
前世では親にいいように口を滑らされ怒られて来たが、私も子供じゃないのだ絶対言い訳をひねり出してみせる!
私が無言の間ママは何故か一言も急かすことなく黙ってこちらを見つめていた。
時が止まったわけじゃないのはママの瞬きから分かる。
なんか偉そうに絶対言い訳してみせるなんて言ってた勢いはどこに行ってしまったのか、あまりに何も思いつかなくていっそ転生してきたとか素直に言っちゃうべきかもなんてちょっと思ってます。
いや、それはほんとに最後の手段だ。
最後の手段?
あった。大人がよく使うとびきり汚いのが。
「スタッフが前に現場でピザ頼んでるの見てその時覚えたの!」
とりあえず誰かこの場にいない別の人が悪い感じに仕立てあげる。
大人がよく必殺だ。
前世じゃ知らぬ間にやってもない仕事をミスしてたことにされたこともあったし、好き好んで残業してたことにもなってた。
ついでになかなか結婚出来ない御局女上司に好意を寄せていることにもされていた。
おかげて週2で飲みに連れて行かれたので使いたくはなかったが、怒られるよりはましだ。
さすがにどこの現場の誰かまで問い詰められたまずいが、幸い売れっ子の部類なので忘れたで何とか出来るはず。
「そっか。よく出来ました。……でもね紗那ちゃん、いくらお腹が空いたからってLサイズを頼む? それと野菜もちゃんと食べないとダメよ? たしかあそこのピザ屋メニューにサラダあったわよね? 栄養偏ると口内炎出来てとっても痛いし仕事にも響くわよ」
ところが、予想に反して真面目な顔で口内炎の辛さを力説するママを見ながら私は混乱した。
え? そこ?
ピザ食べたことに怒ってる訳じゃなくて栄養バランスとサイズに怒ってたの?
いつも野菜ちゃんと食べろとは言われるが。
なんか我が子の成長を喜ぶ母親みたいな嬉しそうな顔してるし、多分そうなんだろうけど。
もしかしたらママは口内炎で仕事に支障をきたしたことがあるのかもしれない。
「……怒らないの?」
恐る恐る、震えそうになりながら尋ねた。
流れ的に絶対怒られるだろうと思ってたし、そんなに優しく微笑まれてもぶっちゃけ怖い。
美人の笑顔には裏があるものだ。
意図が知りたい。
「なんで正直に話してくれたのに、怒る必要があるの? 紗那ちゃん何か怒られるような悪いことでもしたのかしら?」
「だって怖い顔してた、もん」
「それは……、いつまでも背中向けて話そうとしないからよ。あとシャンプーが目に入ったの。ほら充血……こっちの目、赤くなってるでしょ?」
片目だけ赤くなっていたのは、シャンプーが目に入って充血しただけだったのか。
冷静に考えれば怒っても目は充血しない。
焦るとポンコツになるとかそんな属性必要ないんですけど。割とまじで。
転生者って華麗にトラブル解決したり強敵を倒したりするものなのに。
「ママも浸かりたいからちょっとつめて」
安心した所でようやくリラックスして疲れを癒すことが出来る。
しばらくママを背もたれ代わりに湯船につかっているとぽわーんと全身が温まってくるのがよく分かる。
ついでに疲れってやつが身体から溶け出ていくのも分かる。
ほんとに忙しくて前世の仕事で忙しかった時みたいに疲れてる。
最近印象に残る部分や似た状況になったり考えをまとめたりする時に思い出すのだが、それも断片的で、実の所ちょっとずつ思い出すことができなくなっていたりする。
きっとそれだけこの世界に馴染んでいるって事なんだよな。
神を恨むほど違和感を感じていた太ももも、あれだけ嫌がっていたママとのお風呂もすっかり生活の一部になってるし。
なんか考え事してたら頭ボーッとしてきたかも。
「ママ、そろそろ私出るね。ちょっとのぼせちゃったみたい」
だが、私は大人だ。
ここでのぼせて気絶するまで入るなんて事はしない。
「ママ入ったばかりなのにっ」
バスルームの扉を閉める直前そんな悔しそうな声が聞こえた気がした。
ドライヤーのスイッチを切り、お風呂上がり恒例のママのスキンケアが始まり、あとは寝るだけになったのに、ふと何かを忘れているそんな気分になった。
なんというか頭の隅に何かが引っかかっているスッキリしない感じ。
明日から3日間は完全オフで特に約束なんてないはずなのになんでだろ。
とりあえずスマホでスケジュール確認するか。
そう思い、自室に行こうと扉を開けたところで見慣れないダンボールが玄関に放置されているのを見つけた。
あぁそうだ、こいつだ。
そうそうピザ食べてる最中にこんなの来てたな。
言い訳考えるのですっかり忘れていたよ。
「ママ! そう言えばママが帰って来る前にダンボール届いてたよ」
何となくこのダンボールはろくなことにならない気がしなくもないのだが、存在を教えない訳にもいかないのでとりあえずママに存在だけ教えておくことにした。
「えぇ、ちょっと待ってて、これ終わったら取りに行くからね」
パックを剥がし、潤いたっぷりになったママは美しい顔で照明を反射させ、それをさらにカッターに反射させて荷物に貼ってあった伝票を剥がし読んでいた。
下から覗いてる私から見れば顔をてかてかさせたカッターを持った変な人しか見えないのだが、それは黙っておいてあげよう。
スキンケア後のママが1番テカってて美人女優の肩書きに相応しく無くなるのはここだけの秘密だ。
誰かにバレたらママ恥ずかしいだろうし。
だってこれ美しさ保つためにやってるのに、それが1番面白くなっちゃってるなんて。
まぁそれはそれとして、やっぱりよくよく見ると怖い。伝票読むならとりあえずカッターは置いて欲しい。
変な人というよりちょっと殺人鬼ぽく見えるし。
ママは伝票を読むのに10秒もかからなったので、それを横に置くとカッターを握り直し、テープにカッターを差し込みすっと切断していく。
ダンボールが開かれ、中から出てきたのは、黒いワンピースみたいな服と1枚の便箋。
ワンピースみたいな服を持ち上げた時に便箋は空気を受けながら左右に動きながら私の足元に着地。
拾い上げて見るとそこには招待状の文字が。
もしやこれ、休み無くなるやつですかね。
私の社畜センサーがそう告げている。




