雑居ビルにご用心?
朝食、打ち合わせとあっという間に時が流れ、オーディション開始時間までのわずかな空き時間をあてがわれた控え室にて落ち着かない様子で過ごしていた。
備え付けられた小さなテレビからは朝の生放送の報道番組の音声が聞こえているが全然観ていないのでBGMと化している。
元々そこまでニュースに関心が高い方ではない事もあるが、私の興味は扉を一枚隔てた先の廊下にある。
オーディションを受けに来たであろう人達が続々と姿を見せ始め、私の控え室の前を緊張した硬い表情で通り過ぎて行くのだ。
私の控え室を通り過ぎて奥に行ったところにある大部屋が彼らの待機場所なのだとか。
さっき入口にスタッフさんが案内の張り紙と進行方向を示した矢印の書かれた紙を壁に貼り付けていたのを見たし、そもそも今日はこのオーディションの関係者以外はここを通ることは出来ないように入口には警備員さんが配置されている。
スタッフと審査員を除けはオーディションを受けに来た人間だけだ。
全然実感はないのだが、これでも私この業界の人達、演者制作の両方からの評判いいらしく役者の中にファンが多くオーディション前に姿を見せてしまうのはいらぬ動揺を与えてオーディションに影響しても困るということかららしい。
まぁ特別審査員なのでそもそもオーディション開始まで絶対バレてはいけないから元々控え室から出るつもりはないんだけどさ。
そんなわけで今はドアの隙間から除く事しか出来ない。
スタッフさんが呼びに来るまでここで待機しかもマネージャーの監視付き。
子供であることを考えれば当然の措置ではあるので特に不満はないし、サトーさんはいつも楽屋等の控え室ではほとんど私の側を離れないのでいつも通りのはずなのだが、今日はなんだがいつも以上に視線が気になる。
もしかしてこっそり外に出るんじゃないかと思われてたりするのかな?
私そんなに信頼なかったりするのだろうか。
サトーさんから受ける謎の圧に居心地の悪さを感じながらもドアの隙間に再び目を凝らす。
少し覗いただけでもざっと20名以上の顔を見たが全員がほぼ同じように緊張に包まれてたように硬い表情だった。
それを見ていると私もなんだが緊張してきた。
初の審査する側ってこともあるだろうけどそれだけじゃない。
オーディションの審査員は言ってしまえばチャンスを誰に与えるかを選ぶというわけだ。
そう思うと不安にもなる。映画の成功の半分ぐらいはキャスティングにかかっていると言っても過言ではないらしい。
どれだけ脚本や演出が素晴らしくてもキャスト陣に華やかさの欠片もなければやっぱり観ようとすら思ってもらえないし。
チャンスを与えて生かせない人を選んでしまったどうしようと、考えれば悪い想像は底なし沼のように深く思い浮かぶ。
自分が主演だからとかすごい監督がすごく予算をかけて制作するから失敗出来ないというプレッシャーもある。
一応打合せの僅かな時間に映画のオーディション審査基準を他の審査員の人たちに聞いてみたのだが、人によって細かく見るポイントが違うところはあるものの、演技や本人から受ける印象で選ぶというのが1番多い。
星川監督だけはやる気とか目新しさとか審査員ビギナーには判断しづらい事を言っていたが深く考えられる余裕がないのでこれだけは除外して基準を決める事にしようと思う。
この監督には常人には見えない何かがきっと見えているんだ。
私と他の審査員の判断次第ではその人の芸能生命すら左右する事になるのでプレッシャーはほんとにいつも以上。
売れてる芸能人の売れるきっかけを語ってもらうバラエティーとかでよく実はあの時のオーディションに受からなければやめるつもりだったみたいな話もまぁまぁある。
いや結構あること。
気まぐれな神様がこの業界からさることを認めないと言っているようにしか思えないようにとんとん拍子に売れていく奇跡があるのだ。
もしかしたらこのオーディションでもそれが起こる可能性がないわけじゃない。
監督の知名度とこれまでの実績を考えればかなりの高確率で起こるに違いない。
星川監督に目をつけられ無茶ぶりを答えられた役者は例外なく売れる。
これはこのドラマ映画業界で囁かれている都市伝説だ。
そして私も主演作品が決まり休みが減り帰宅時間がどんどん遅くなってきて、客観的に見て売れっ子になりつつある。
もしその伝説を私で止めてしまったら? そんな不安からかオーディションを受ける人を観察せずにはいられない。
この業界意外と伝統やジンクスと言ったオカルトじみた迷信を信じている人多いんでそんな伝説をストップなんてさせたら変なイメージ着きそう。
そうならないためにも今、自分に出来ることをやる。オーディションから特大ホームランを打てる人は芸能人オーラか何かが出ているに違いないから覗けばわかるはず。ここを通った人間を観察しながらそれを見極める。
仕事してないと落ち着かないって完全社畜の習性だな。
だけど今回の仕事はコケてもOKなんてことには絶対ならないのでいつも以上に気合を入れて望む必要がある。
通り過ぎたエントリー者の中には私と同じぐらいの子供や最近のドラマの主演をやっていた若手俳優や役者とは無縁そうな今をときめくバラエティーで人気のアイドルまでいて真剣そうな彼らの横顔をみていると勢いで審査員をやるだなんてちょっと生意気で失礼な感じかもなと密かに反省。
よく考えればアイドルってちょくちょくドラマ出てるもんね。無縁っては失礼か。
もう一つ反省。
ギャラが出る以上気を引き締めてやらねばと気持ちを切り替えて扉を締めようと顔を上げると、テレビで見ない日はないような大物に思わず声を上げそうになり慌てて口を抑えた。
先ほど見たバラエティーで人気のアイドルよりも人気、いや大人気のアイドルの成海虹花 がオーディションを受ける人達がいる控え室に続く廊下を歩いているのが見えた。
普段バラエティーで見せる満面のアイドルスマイルはなりを潜めその代わりに鉄仮面でもつけてきたような無表情で淡々と廊下を通り過ぎていく。
さながら戦場に向かう侍のようにも見えて目が合ったら切られのでは? とそんな思考がよぎる。それでも自然と目が引き付けられる。先ほど言っていた芸能人オーラとはまさにこれのことではないかと素直に思った。
ただ歩いているだけなのに圧倒的存在。通り過ぎた背中からは、後光が差していた様な気さえしてくる。
彼女が通ったおかげか爽やかな香りが廊下に満ちたし。
正しく本物の芸能人ってこういう人の事を言うんだろうと自然を思える。芸能人オーラの塊が通り過ぎた。
え? 花京院文乃? あれはただの親ばかです。何でも女優やっているそうですけどね。
現場を見たことなかったら絶対信じられないし。普段の私への行いが悪いってことで。
お風呂でのスキンシップ多すぎ。
多分私が犬とか猫ならストレスでハゲてる。
せめて父親がいれば半分位は愛情があっちに行ってくれるんだけどね。
私はほら外でもそんなに気付かれないし多分芸能人オーラは全然ないんだよきっと。
知らんけどそこら辺は父親に似たんだよ。
連日徹夜してヨレヨレのスーツきて無精髭をはやしながらパソコンに向かいキーボードを叩き続ける負のオーラ漂う男が目に浮かぶ。
夜の20分ほどのシャワーが生きがいだったりするのかな。
「紗那さん? ずっと廊下を見てますけどお化けでも見えたんですか? このビル見る人多いらしいですけど」
いつの間にか父親に冴えないサラリーマンのイメージを重ねつつ1人で沈んだ気持ちになっていたところに、サトーさんの牽制代わりの声が飛んできた。
客観的に見れば扉を少し開けて外の様子を伺っていれば外に出るタイミングを伺っているようにもみえるし真面目にエントリー者を観察しているようにもみえるかもしれない。
「いや、ある意味お化けより怖いものを見ましたね。その前にここ出るんですか?」
「?……何をみたんですか? 文乃さんですか?」
「いや最近テレビによく出ているアイドルの成海虹花さんがいてびっくりしただけです」
仕事柄演技の参考にドラマや映画を見るのは当然だけど、それ以外にゴールデンにやっているバラエティーも息抜きがてらよく見る。
今の世の中純粋に演技だけやっていればいいってわけでもない的なことをママが愚痴ってたし。
ここ数日は山での撮影だったので見られていなかったが、今廊下を通り過ぎて行った女の子は間違いなく成海虹花だった。
テレビで見る表情と今の表情からはとても同一人物とは言えないぐらいの乖離性があるが髪色と目の下にあるほくろが一致しているから他人ではないと断言出来る。
「あぁ……映画のキャスト決めではよくあることらしいですよ。むしろ紗那さんみたいに決まるのは珍しいことです。前の会議の時もほぼ決まらなくてもすぐオーディションって事になりましたよね? ドラマならオファーが基本ですが、映画の場合はオーディションが基本です。それに成海さんは女優志望らしいですが、事務所のオーディションの時に披露した歌が審査員に好評だったとかでアイドルデビューさせられたというのは業界では割と有名な話です。本人は女優の道を諦めてないみたいでよく映画のオーディションにこっそり来るんですよ。まぁアイドルとして忙しいからまとまったスケジュールを抑えられなくて受かっても他の人に流れる事がほとんどですが」
「く、詳しいですね。」
業界の裏話を交えたサトーさんの饒舌な解説に軽く引きながらも審査員って恐ろしいなと頭の片隅で考えていた。
役者志望としてそのまま事務所に入っていたら彼女はここまで人気になることはなかったのではないだろう。
「まぁこれぐらい現場にいれば聞こえてくる事です。決して美少女だから優先的に情報をしたとかではありませんよ。私は紗那さん一筋です。本当は成海さんのマネージャーの佐倉さんは元々うちのタレントだったので現場でよく話すというだけです。担当だった訳ではないですけど」
あくまでもマネージャーとして担当が1番だと思っているという事だと信じよう。
少し前に美少女好きがどうのとかカミングアウトしていた事を思い出してしまったけどとりあえずその記憶は封印しておこう。
大事なお仕事の前に精神を乱してはいけない。
人の人生を預かるような決断をするのだからできるだけ余裕のある状態で臨みたい。
余裕のない人はほぼ100パーセントミスをする。
売れないタレントがマネージャーになるのはよくあることだが他事務所に移動してやるのはなかなか珍しい。
佐倉さんとやらは業界にそこそこ太いパイプを持ってるのかもしれないな。
「サトーさんもタレント志望だったりしたんですか?」
ふと気になってしまった。
肉体が子供になった事で多少童心が返ってきたのだが、その中で1番厄介な好奇心が頭にそんな疑問を浮かばせたのだ。
サトーさんの妹のモモちゃんも子役として頑張っているわけだし、もしかしたらサトーさんも志していたのではないかと。
先ほど言ったが売れないタレントやその卵がマネージャーに転身するのはよくあることだし。
「いえ、そういうわけではありませんよ。周りが銀行とか外資系の商社とか一流企業ばかりに進んで行ったので私は珍しいところにと思って出版社とかテレビ局とかいろいろ送ってダメ元で最後に今の事務所を受けたらたまたま受かってそのまま続いているだけですし。あっ、ですが続けてきたおかけでいい事もたくさんありましたよ」
「例えば?」
満面の笑みで明らかに言いたそうにしているようなのでここはそう聞いて上げるのが正解なんだろうと、気を遣いつつ興味ありげに続きを促す。
まぁ実際のところ興味ある。
社畜からの過労死をして現在進行系でデスマーチクラスの仕事を抱えてる身としては社畜の先輩のそういうエピソードに興味がわかないはずがないのだ。存分に不幸自慢してくれていいのよ?
「それはもちろん紗那さんの担当になれた事です。これまで何人ものマネジメント担当してきましたけど営業かけないで仕事の方から寄ってくるのは初めてです。もしかして紗那さん仕事に好かれているのかも知れませんね。それと答えそびれたお化けの話ですけどここかなり出るらしいですよ。ここでオーディション受けた子役が季節はずれのインフルエンザぽい症状になったとかオーディションのシリアスな演技の最中に若い人の笑い声が聞こえたとか霊感の強い女優さんが子供の霊をみたとか噂は常にありますね」
人間何気ない一言で人を傷つけてしまうなんて人と付き合っていれば1度や2度あることだろう。
サトーさん。今あなたが踏んだのは間違いなく地雷というやつだ。
「そういうこと言うサトーさん嫌い……です」
「紗那さんが聞いてきたから答えただけです。なので嫌わないで下さい」
「怖くなって1人で廊下歩けなくなったじゃないですか」
前世から怪談の類がとてつもなく苦手な私にとって今の話はできればそのまま答えそびれていて欲しかった。
私が期待していのはお化けなんていませんよって発言だったのに。
「紗那さんも意外と子供らしいところあるんですね」
珍しくクスリと笑ったサトーさんの優しい微笑みに顔が赤くなっているのを感じつつ苦し紛れに言葉を紡ぐ。
ここで黙ったらさらにからかわれる。
「ちなみにサトーさんはお化けいると思いますか?」
問われてサトーさんは考えるためか微笑んでいた表現を無にして一瞬黙りこんだ。
「そうですね。いるのかもしれませんし居ないのかもしませんね。でも幽霊だって全員が全員悪霊ってわけじゃないと思います。人を助ける幽霊だっているかもしれないですよ? 私はいると思っている方ですが」
「サトーさんは幽霊なんて信じないって言い切るタイプだと思ってました」
なんとなくイメージ的に真面目な人ほど科学で証明出来ないものはいないとか言いそうだし。
「小学生ぐらいまではそうだったんですけどね……」
サトーさんが続きを言いかけたそのタイミングで扉がノックされ若い男の声が聞こえてきた。
そこそこ分厚い扉だから何を言ってるのはわからないけど多分呼ばれたんだろうと思い扉を開けるとそこには誰もいなかった。
この人生で初めて大泣きしたかもしれない。
うぅっ。怪談の季節って夏じゃないの?




