お風呂で恋バナ?
「はぁー今日も1日長かった」
「珍しく紗那ちゃんが疲れた声を出してるわ。今日の打ち合わせそんなに大変だったの?」
波乱の会議を乗り切り、会議室という名のラブコメ空間から抜け出してなんとか家に帰ってきた私は、待ち構えていたママにお風呂に連行されてペットのように頭と身体を洗われ、湯船に浸かったところでようやく一息ついた。
温かいお湯に浸かった時の全身を包む開放感で疲れが抜けて行くのがよく分かる。
前世の社畜時代は準備が面倒くさくてシャワーで済ませていたけど、今更ながら損した気分だ。
いやー労働後のお風呂はいいものだ。
今日に関してはどちらかといえば気疲れの方が比率としては多いけど。
なんなんだあの急激なラブコメ。
自分作品の評価なら色んな人からさんざん貰ってきているはずなのに面と向かって言われたコロッと行くとは変人のくせに変な人だな。
星川監督業界でのあだ名が変人だし変なのは元々だったじゃん。
手が触れ合ったぐらいで見つめ合って固まるんじゃねぇ。
サトーさんが苦しそうな顔してたじゃないか。帰りの車内がどんだけ気まずくなったか。
下手に慰めても責任負えるわけじゃないし、かと言って放置するのも可哀想だし本当に大変だった。
慰めるのは逆効果になりそうだと話題を逸らした結果なぜか美少女を紹介することを約束させられた。
アテがねぇ。私こう見えて芸能界の友達0なんだけど。
次の撮影からは友達作りに力を注ごうかな。
でも仕事中に友情を育むのはいかがなものかと思うし。
「あー、うんすごく」
普段は湯船につかってから少しの間、ひとりでお風呂に入る事を許可してくれない恨みを込めた不機嫌な顔でママを睨んでみたりもするが、今日は色々ありすぎてそんな気力もなく素直に答える。
そろそろまじでひとりでゆっくりお風呂ぐらい入りたい。
私が帰って来るまで待ってられるのも面倒くさいし。
目を輝かせて素早く私の服を脱がせるママなんてファンには絶対見せられないし。家でのママを見ていると本当にこんな人にファンがいるのか不安になる。
娘の服を素早く脱がせる母親。この事実は花京院家の秘密だ。
「あっ……もしかして星川さん? また無茶を言い出したとか?」
ママは私が珍しく返事をした事に一瞬、髪を洗う手を止めたがすぐにワシャワシャと手を動かし始めた。
ママも星川監督に無茶振りされた1人なんだろうな。なんだか声に確信が滲み出ている。
ネットに書かれている噂の中にはセットの出来が良くないからって理由で数百万かけて作ったセットを撮影に使わなかったとか、出来レースのオーディションで空気を読まずにちゃんとオーディションしたとか色々書かれている。
監督しては若いうちに世に名前が知られたこともありやっかみを多く買っているだろうから嘘とホントが入り交じってるだろうけど、表にこんな話が出てくるぐらいだから多分役者もスタッフももっときつい無茶振りを食らっているはずだ。
作品をいいものにするためならどんな犠牲もいとわないとか本気で思ってそうだし。
「どっちかといえばうちの話だけど」
「うち? 事務所の事? それともママの話?」
髪が長いから洗うの時間がかかるようで会話の間も手だけは動かしながら話を進める。
でも続きが気になるのか同じところを機械的に動かすだけだ。
「花京院家の話……正確にはおじいちゃんの話だけど」
「お義父様!? 会ったのかしら?」
勢いよく顔を上げたせいで髪についているシャンプーが飛び散る。
勢いで髪から飛んできて顔にかかったシャンプーを掬ったお湯で流しながら、鏡越しにママと目が合った。
目にシャンプーが入ったみたいでちょっと目が赤くなってるがママはそれを気にした様子はなく、その様子から少しの焦りが見て取れた。
もしかてママ、おじいちゃんに何かやらかしているとか? この非常識で親バカのママなら何かやらかしていても不思議はない。むしろ自然な気がする。
女優スイッチオフのママは空気を読む力が著しく欠ける。
これだけお風呂ひとりでゆっくり入りたいオーラを出していても気がつかないのが何よりの証拠。
「スポンサー兼配給会社がおじいちゃんのやってる会社の子会社とかでそこの社員さんが私にすごくびっくりしちゃって会議がなかなか進まなくて大変だった」
「それでその人はお義父様について何か言ってたの?」
なんだかこの話題の食いつきが異常だな。
もしかして確執? それなら即離婚になる可能性が高いからないか。ネットには熱愛報道と電撃結婚、妊娠発覚の記事はあったけど離婚のに文字はなかった。
でもこんなに食いつくってことは何かあるのは間違いないだろう。
例えばおじいちゃんがヅラを被るタイプの人で不幸にもそのヅラが取れた瞬間を見て吹き出したとかね。
あまり面白くない冗談はさておき、少し記憶をさかのぼり配給会社の伊藤さんの発言を思い出す。
セリフじゃないから正確に覚えているわけじゃないけどなんとなく会議室のシーンが思い浮かぶ。
なんとなくドラマ仕立てにして記憶を出し入れする癖がついているらしい。
「悪魔の一族どうのとか私を可愛い初孫がどうとかそんな事を言ってた」
可愛いってところが特に重要。
「ママについては何も言ってなかったのね」
「うん特には。でもそれがどうかしたの?」
キャスティングでママの名前が出たには出たけど、こういうドラマや映画に関することは外部に漏らしてはいけないルールがある。
制作発表でのメインキャスト情報解禁なんてマスコミが注目する目玉の情報だ。
完全オリジナル作品だからどんな話かより誰が出てるかの方が重要なので今回はよりキャストの情報の価値が高い。
例え家族であってもむやみに詳細を言いふらすのはマズイ。
もし情報が先に出回って損失が生まれた時に事務所に迷惑がかかるからあえてその話はしない。
ママを信用していないとかではなく、この業界に生きるものとしてルールには絶対遵守の方針なのだ。
NO炎上の清純派子役で売ってますんで。
破っていいのは就業時間だけだ。あんなもの守ってたらドラマ撮影なんて終わらない。
「紗那ちゃんも結婚すれば分かる苦労よ。まぁママの目が黒いうちは絶対認めないと思うけどね。4年ほど帰省してないから嫌味の一つでもあるかと思ったけど、ないってことは偶然ってことよね」
何やらつぶやいていたけどシャワーを出し始めた音ではっきりとは聞こえなかった。
心做しか纏うオーラが黒いような気がするけど、何か愚痴を言ってるだけだろう。
「??」
首をかしげて推理してみたが、あまり深く考えない方が良さそうという結論に達した。
ママの黒いオーラは笑顔についでろくなことがないからだ。滅多に出ないけどね。
私はその苦労は全然分からないけどママにはママで色々あるんだろう。
女優、妻と母親。全部にひとりでこなしてるわけだし、花京院家と上手く言っていない部分があるのかもしれない。
こういう時こそ父親が手伝うべきのような気がしなくもないけど、やつは社畜として海外に飛んでる故に役に立たない。
そういえば一応父親は花京院家の人なのになんで外資系に就職なんてしたんだろう?
家の方針なのかな? うちの会社に入る前に世界を知っておけ的な。そうであって欲しいものだ。
もしも一族の落ちこぼれは島流しの刑じゃ的な海外転勤だったらと思うと身震いが。
ママ1回公務員に浮気されたことあるって言ってたし男を見る目はないかもしれないし。
ダメを男を引く人は何度もダメ男を引くって前世のバラエティ番組で見た。
「ところでさお父さんってどんな人?」
全く情報が出てこない父親の事を思い浮かべたせいか口から思ってもないことが飛び出た。
これまで何度か話題に上がったことはあるけど、あまり興味がなかったことや、それ以上に聞くべきことがあったりで詳しく聞く機会がなかった。
ぶっちゃけ居なくても我が家は回ってるし、物心ついた時には既に居ないのが当たり前だったので、そんなに気にしていなかったのもある。
だが、ちょうどいい機会だ。ちょっとぐらい聞いても問題ないだろう。
いつまでも目を背けていても良くない。仮に一族の落ちこぼれだったとしても優しく居ないものとして扱えばいいだけのことだし。
「パパぁ? そうね。…………世間知らず?」
「なんで疑問系?」
この家唯一の常識人の私から言わせてもらえばママはかなり非常識な方だ。
そのママに世間知らずと言われるということはよほどおかしな行動をとった可能性がある。
聞かなきゃ良かったかな。多分、父親は居ないもの扱いになる。
それか両親揃っておかしな感じだったら私の常識が失われる前に、私の知る中ではまだ常識人のサトーさんところに家出するしかない。
サトーさんのマンション、部屋は少ないし物が散乱してるだろうけど常識を失うよりはいいだろう。
「だってあの人デートは人目につかないところでってお願いって言ったらどこを選んだと思う?」
そんな私の覚悟など微塵も読み取らないママは、ボディーソープをボディータオルで泡立てながらその時に想いを馳せるように天井を見上げながて儚げに微笑んだ。
「さぁ?」
続きを促すように考えることなく形だけの相槌を打つ。
正解しても意味無いし。そもそもこういう時の質問は正解してはいけない。
なぜなら話してる方は興味を持たせるために質問しているだけで、回答そのものにそんなに興味がないから。
「海外よ海外。普通初デートに海外旅行選ぶ?」
おぉ、世間知らずというよりバカ?
確かに海外ならマスコミも追って来ないだろう。
芸能人がオフに海外旅行をすることはよくあることだからわざわざ追い回しても美味しいネタが手に入る可能性は低い。
よほど確信がなければ追ってきたりしないだろうけど、お忍びデートに行くなら他にもっと手段があるはずだ。
国内でも現地集合にして変装すれば人のそんなにいない観光地なら充分対策になるし、都内でも決定的な2人でマンションに消えるとか、そういうところさえ撮られなければ最悪問題ない。
なんなら実家も事務所も大きな会社なんだから出版社に圧力をかけて記事をなかった事にだってできるはずだ。
私にぱっと思いつくぐらいだから普通の大人なら思い浮かばないはずはない。
いやもしも思いついた上であえてその選択を選んだとすれば相当な策士だが、会ったことがないので判別できない。私の勘だけどそんな策士な感じはしないし。
類は友を呼ぶなんて言葉もある。
「初デートから泊まりがけはないよね」
色々可能性を考えた結果とりあえず同調してみる事にした。
ため息混じりに思い出して愚痴るかと思ったらママの表情は照れたように頬を染め、今にも顔を手で覆う恋する乙女のようになっていた。
これ完全に惚気スイッチってやつを押してしまったみたいだ。
本日2回目でございます。
「そうでしょー。しかもいきなりふたり部屋。もーびっくりだったわよ。ってなんで紗那ちゃんも女子トークしてるのかしら」
確かにそれは私も思った。
親の惚気って反応に困るもんなのね。
これじゃあ父親は初デートでふたり部屋をとる積極的な男ってことしか分からない。
「そもそもどんな出会いをすればそうなるのやら」
呆れ半分面倒くささ半分の投げやりかつため息混じりにそうつぶやき、放置しようと湯船に深く身体を沈める。ちょうど顎のあたりまでお湯がきた。
「なぁにぃ? 紗那ちゃんもしかして恋に興味が出てきたとか?」
律儀にもそのつぶやきを拾ったママは面白いおもちゃを見つけた子供見たいな顔になり、くるっと身体をこちらに向けた。
微塵も恋に興味はないが、いかにも女子ぽいトークに動揺した私は深くにもお風呂のお湯を飲み盛大にむせた。
「げほっ、うぁー。そんなわけないし」
「なんか顔赤いし、もしかして本当にそういう相手がいるの? 誰? どんな子なの?」
お湯の熱さとむせたことで顔が赤くなっただけだが、ママの中では意中の相手がいることで動揺して顔が赤くなったということになってしまったらしい。全然いないのに。
「いないよ。基本撮影にいるの年上のおっさんだよ? あるわけないじゃん」
「えー、5歳ぐらいなれば好きな子の1人ぐらいいてもおかしくないと思うけどなぁー」
ダメだどうやっても誤解が解けそうにない。
そんな時は誤魔化して私を逸らすに限る。
「そういうママこそいないの? 好きな人」
「それはもちろん紗那ちゃんに決まってるじゃない」
「え? あぁどうもありがとう。じゃなくて異性でに決まってるでしょうが! 流れ的に」
「それなら一応パパになるわね」
「さっきと全然反応が違うんだけど、ほんとに好きで結婚したの?」
「さぁ? あの時のママしか分からないわよ。でも思い出の中では良いところいっぱいあるわね。CM撮影後の飲み会で絡んできた社長をやんわりいなしてくれたりね。銀行で下手にあしらって怒らせるわけにも行かなくて、困ってたところを助けてもらったのよ。あれで意外と人に対して気遣いできる人だから。全然帰って来ないところを除けば完璧なのよ。ほんと何してるんだか」
やっぱりなんだかんだ言っても心配してるんだな。
あんまり踏み込むべきじゃなかったかな。
普段気にしているように見えなくても実は心配していたんだろう。
儚げな表情を見ればそれぐらい察しがつく。
愚痴をいいつつ別れない理由をついでに。
「ママの話は置いといて、紗那ちゃんの話も聞かせてよ。ほらどうなの? 大蔵君とか他にも何人か共演した男の子いるでしょ?」
うわー戻ってきた。
なぜオークが出てくるんだ。ないよ絶対ない。
あれだけは天地がひっくり返ってもありえないから。第一印象最悪な男が美少女に好かれるとか漫画の話だから。
1度嫌われたら陰で散々ネタにされつつ徹底的に避けられるのが普通だから。
「演技の確認とか忙しいからほとんど話さないし。というかママそろそろ身体につけた泡流したら」
「すっかり忘れてたわ」
くるっとシャワーの方にママが身体を戻したことで長かったこのよくわからない恋バナも終わり。
長風呂しすぎでのぼせて来たのか頭がぼーっとしてきたしそろそろあがろう。




