半日の休みでもママがいればあっという間
やはりどんなに気づいていなくとも疲れは無自覚に溜まっていたらしく目を覚ましたのは11時過ぎだった。
私の部屋カーテン締め切ると太陽の光が全く入って来ないんだった。
最近日がのぼる時には起きているからすっかり忘れていた。
日焼け対策の一貫として遮光カーテンは締め切っているんだけど、マンションの最上階に住んでいるのにそれでいいのかたまに疑問に思うことがある。
ママかお父さん? のどっちかがどういうつもりで買ったのか借りたのか全然知らないけど。
寝起きはスマホの時計を見て、ついに大遅刻をやったと恐怖したけど、サトーさんから一切連絡がないことに疑問を持ち、その数秒後には午前中休みになっていた事を思い出した。
慣れって恐ろしい。よくも悪くも当たり前になっていく。
すっかり早朝から現場入りするサイクルが定着していたせいで、一瞬子役生命が絶たれかと思って心臓が嫌な縮み方をした。
遅刻した後の申し訳なさと気まずさは経験せずともドラマの現場にいれば何度も体験するものだ。
仕事が押してしまって遅刻しようと寝坊で遅刻しようと流れる嫌な空気に変わりはない。
遅刻した本人が罪悪感をまとって申し訳なさそうに現場にいると、スタッフはその空気を感じていつも以上にキビキビ動く。
無駄を少しでも減らして遅刻した分の遅れをを取り戻そうとするが故にいつもなら怒らないようなミスで怒る。
するとさらに空気が悪くなる。演者もその空気に飲まれてピリつき始める。
そんなタイミングでセリフ噛んだりなんてしたら最悪だ。
風の噂で聞いた話では遅刻した現場に大御所女優さんがいて、急に入った仕事の都合上どうしても入が間に合わなくて遅刻して最悪の空気になった現場で緊張のあまり新人がセリフを噛んでしまい、大御所女優が理不尽にキレて、危うくそのドラマの撮影自体がなくなりかけたなんて話もある。
なのでこの業界、新人の遅刻は絶対NGなのだ。
ちなみにその新人は、いまやトップ女優と呼ばれていて、紗那って名前の1人娘がいるとかいないとか。
とにかく、うまく空気を変えられなければその日の撮影は険悪な雰囲気の中で行うことになる。
大御所との共演はあまりしたくないものだな。
基本的に撮影はアクシデントや大人の事情やらで押し気味になるのが普通なのだが、どういう奇跡か順調過ぎて困るぐらいだったので2日ほどの調整時間をもらい演者、スタッフに休みになったわけだ。
昨日あんなに喜んでいた休みをすっかり忘れるなんて自分の社畜具合が恐ろしい。
しかも起きて最初に考えたことが遅刻の心配ってもはや病気だな。
こんなに忙しいのにまだ芸歴1年未満ってところがやばい。
芸歴に仕事が比例するわけじゃなのは知ってるけどこのまま大人になって、役の幅が増えて深夜でも関係なく撮影出来るようになったらどうなってしまうのだろう?
いや子役は必ず中学から高校生のあたりで仕事がなくなる瞬間がくるって聞くから案外専業主婦になってたりするのかもしれない。
まさか死んだ所から子役になるとは思っていなかったし人生なにがあるか分からないなんてよく聞くけどまさにその通り。
ママを見ているとそうはならない可能性の方が高い気がするんだけどさ。
性格までちょっと似てきてるらしいし。
「そういうばママはどうしたんだろう?」
大人と病気で思い出すのはやっぱりママだ。
ママの親バカ具合は私の社畜具合といい勝負していると思う。
毎朝アラームがなる30秒前には部屋の前にいてアラームが止まっても起きて来ない場合に、部屋に突入してきて、しっかり私を起こしてくれるし、私の顔色と機嫌、食事のペースからその日の体調当ててくる。
そこまで気をかけられるとちょっと引く。
いや気にかけてくれるのはありがたいんだけど、流石に霊能者ばりにズバズバ体調を当てられるとすごいっていうより怖い。
3日前ぐらいの紗那ちゃんちょっと風邪気味? が最高に怖かった。
実際その前日のシーンで土砂降りの雨の中、敵に操られて兄を倒そうとするシーンの撮影があったのだ。
寒さのあまり相手が大事なセリフのタイミングで身体を震わせたり、私がそのセリフ聞いている間にくしゃみしてシリアスな雰囲気をぶち壊したりしてそのシーンの撮影が長引いてしまった。
その後シャワーに入って身体を温めたつもりだったんだけど、ずっと寝不足気味だったからか、なんかぼーっとして微熱気味かもって思っていたのだ。
若いからなのかその翌日には何事もなかったように仕事してるわけだけど、あの微妙な変化を悟られたのは鳥肌ものだった。
最近朝は早く現場入りして、夜遅くに帰宅する生活をしていたから会話も朝とお風呂の時間ぐらいしか出来ていないがそれでも気づくんだからママって怖い。
日中ずっと一緒にいたサトーさんは全然気がついていなかったのにさ。
普段、どんなに忙しくても仕事の前には必ず朝食を用意して8時頃には私を起こしていくはずのママがまだ来ていない。
とりあえずリビングに移動する。
携帯に連絡がなくとも朝食ぐらい用意してある可能性が高いから。
ぶっちゃけて言えば、ママより空腹の方が今は問題だ。
家に居ないのなら十中八九仕事に行ったってことだろうし、となれば現場マネージャーが付き添っているはず私が心配する必要は全くない。
「テーブルに何も無しか」
リビングにつながるドアを開けて真っ先にテーブルを見るがいつも通り綺麗に整頓されいるが朝食になりそうなものはない。
というより何も無い。
でも大丈夫そんな時はキッチン奥にある冷蔵庫を開ければ何か入っているはずだ。
そう思って冷蔵庫を開けて見るが、食べられそうなものはない。
どういう用途で使うのか分からない外国語の書かれた調味料ぽいものとか、これで人を殴れば確実に殺れると確信を持って言える肉の塊とか後は健康用なのか豆乳と野菜類があるだけ。
一応魚とかお酒とか食材はあるけど調理無しで食べられそうなものはない。
「おっと奥にヨーグルトがあるじゃないか」
やっと見つけた朝食ぽい食べられそうなものにテンションが上がり急いでスプーンを取り出す。
「一応賞味期限は確認しておこう」
前世で賞味期限切れに気付かず牛乳を飲んでひどい目にあった事がある。
それまで賞味期限なんて目安という俗説を信じていたのだが、牛乳事件以来しっかり賞味期限を守ることにしているのだ。
1日ずっと消化器官が不快な音楽を奏続けられては仕事にならない。
なので乳製品にはより気をつけているのだ。
それに勝手にものを食べてお腹を壊したとママに知られたら専属の料理人とかお手伝いさんとかメイドとか雇いかねない。
私にはガチガチのお嬢様は似合わない。
成り金の叩き上げとかの方がいい。
ドラマでも漫画でもお嬢様って苦労させられているイメージ強いし。
政略結婚とか婚約者、厳しい門限よくわからない家の決まり何かもあるイメージ。
アニメではほぼしがらみとかなく別荘の提供要員のイメージが強いけどね。
でも花京院って絶対いい家柄だと思うんだよね。
だいたいお嬢様の名前には院とかついてるイメージだし。
あと寺のどっちかがついてて三文字ならその確率が高い。
多分小学校入学の段階になればそれもはっきりするはずだ。
普通の小学生なら昔はいい家柄だったとかで済むし、もしも私立の明らかに格が違うところに入れられたら覚悟しておく必要がある。
子役お嬢様花園さな爆誕とかそんなサブタイトルから小学校編をスタートさせる必要があるだろうし。
まぁお受験の準備とか一切してないからお金持ちばかりが集まるような学校に入ることはないだろうけどね。
「賞味は…………なんで3年前のヨーグルトが家にあるんだ?」
少し未来にまでそれた思考を戻して、ヨーグルトの側面にある賞味期限を見てみると、日付は3年前の今頃をさしている。
このマンションは生まれてすぐから住んでるマンションなのでこのヨーグルトは私の部屋のベッドより長くこの家にいるってことじゃん。
私の部屋の家具は3歳になってすぐに揃えられたものらしい。
私が私になる前の話なので詳しく知らないけど。
そういえばこのパッケージ久しぶり見た気がする。
「もしかしたら思い出の品とかなのかな戻しておこう」
親バカでポンコツトップ女優のママだけど何故か家事だけは完璧にこなしている。
そんなママがヨーグルトを3年も理由もなく放置するはずないと信じたい。
奥にヨーグルトを戻して何故が卵が居るべき場所を占拠しているトマトを取り出して食べることにした。
さっきのヨーグルトのことがあるので水で洗いながら食べられるか確認していく。
完全に洗って食べられるか確かめるってアライグマじゃん。
流石にあそこまで凶暴ではないけど、あまりにしつこいと毒舌になるしなんだか重なる部分が多いな。
ちょっと前に見た動物番組を思い出しながら自分に獣耳と尻尾が生えた姿を想像する。
うーん意外と可愛い? いや、意外でも何でもなく可愛いんだった。
ママは美人女優で父親はどっかの国とのハーフ。
生まれた私が残念な顔になる要素がない。
父親の顔は知らないがママがかっこいいって言う俳優は、世間のかっこいいとズレていないから美的センスは大丈夫なはず。
でも時の流れるがあるからなぁ。
生まれてすぐに海外転勤したらしいから約5年会っていない。
5年もあれば生まれた子供が人気子役になれるぐらいの歳月だ。
30歳のおっさんなら身体がたるみ始めてもおかしくない年齢だ。
前世の私がそうだったし。
もしもお父さんはこの人ですって紹介されて出てきたのが、寸胴狸だったらどうしよう。
トマトをかじりながらそんな事を考える。
ひとりでいるといろいろどうでもいいことを考えてしまうから良くない。
仮に父親が狸でもイケメンでも人見知りすると思う。
このおっさん誰? 状態になる確信がある。
物心つく時に1度も傍にいないのであればそれは血のつながった他人でしかない。
と私は考えている。血の繋がりよりも時の繋がりの方がずっと深いように感じる。
ソシャゲでも長くやってる方が強いのと同じだ。全然違うな。
とにかく積み重ねたものの方がきっと強い。そういうことだ。
演技も人生も。
ガチャと音が聞こえて誰か家に入ってきた気配を感じる。
リビングのドアが開いて何故フライパン手に持ったママが入ってきた。
多分新しいのを買ったのだろうかフライパンには傷つきにくいとか丈夫で長持ちとか書かれた紙がお昼の料理番組で見たことのあるおばさんの顔写真と共に貼られている。
フライパン装備のママと振り返った私の視線がぶつかる。
ママは何故か驚いたように瞳孔を一瞬開き、目線を下まで滑らせるように動かしてから納得したような小さく頷いた。
午前中休みだった事を思い出して1人で納得したのだろう。
私もそんな推理で納得すると手に持っていた半分ぐらいになったトマトをもう一かじりする。
「…………紗那ちゃんいくら吸血鬼の役をやるからってそんなに張り切らなくても」
買ってきたフライパンを洗いながらママはお遊戯会で主役をやることになって熱心に女優ぶっている子供を微笑ましく見るような柔らかい表情で、私を見る。
何か言ったような気がしなくもないけどフライパンを洗う音にかき消されたのかただの独り言なのかはっきりとは聞こえなかった。
そのなんとも居心地の悪い視線から身をよじった。
不意に自分のなんとも可愛らしい顔が鏡に写った。
何故か口元は血を吸ったあとの吸血鬼のように赤い液体がベットリとついている。
その原因を探して手元見れば私によって半分ほど食べられたトマトがある。
私の口はまだ小さい。そんな状態で大きめのトマトを丸かじりなんてすれば絶対口にトマトの汁が付く。
確かに吸血鬼の役の練習している様に見える。
つまり先ほどの微笑ましい視線は役作りを頑張る娘を見る微笑ましい視線で合っていたのか。
完全に理解した瞬間カッと全身の血が顔に集まったような錯覚がした。
でも顔はトマトみたいに赤く熱くなっているのがわかる。
気づいてしまったがゆえの恥ずかしさ。
一言で表すなら間違いなくそれが当てはまる。
具体的に言えば誰もいないと思って気分よく歌ってたら後ろに誰かいたみたいな。
「なっ。…………これは役作りとかじゃなくて、ただの朝食よ。というかなんででママがいるの?」
恥ずかしさを誤魔化そうと口に出した言葉はなんともひどいものだった。
なんでいるのってそりゃ自宅だからに決まってるじゃん。
「紗那ちゃんひどい。ここママの家でもあるんだから帰って来るわ」
「そうじゃなくてお仕事は?」
流石にママも恥ずかしさから出た言葉だと理解しているのか軽い冗談を挟むくらいで全然気にした様子はない。
「それがロケ地に行くまでの道が土砂崩れなったとかで、とりあえず今日は撮影なくなったの。ほんと刑事モノって山での撮影が多くて困るわねー。それに今朝は朝食作ろうと思ってフライパンに穴が開くし今日ついてないのよ」
不幸って重なる時は重なるんだよね分かる。
転生したことに気づいたと思ったら子役がインフルエンザにかかって代役に抜擢されてそこから子役になるとかね。
これは幸運か。
オークに似た少年と会食させられたかと思ったらどういうわけか同じ事務所の養成所に通うことになったりとかね。
こっちが重なった不幸ってやつだ。
子役ブームは過ぎ去っても我が子を子役にしたい親はいっぱいいるから多分偶然だろうけどタイミングが合いすぎてちょっと怖い。
「フライパン買いに行くだけで昼近くまでかかるって遅すぎない?」
住宅街ながらも東京でもなかなかに立地のいいところに我が家はある。
歩いて20分のところに複合商業施設があるしそれとは逆に20分歩けば駅がある。そこから2駅ぐらい行けば買い物には困らないエリアに出られる。
ママは一応車の免許を持っていたはずなので、他にも選択肢はあるはず。
だからどれを選んでも昼過ぎまでに帰って来られるはずなのだ。
まだ自由に出歩けるわけではないので、もしかしたらどこか間違っているかもしれないが、大きく外れた事を言っているつもりはない。
私の疑問にママはため息をついてから美人な顔を全力でしかめて困った表情を浮かべた。
シャーっと水道から水が流れる音がリビングを包み。
はっとしたようにフライパンを洗うのを再開しながら何でもない話のように話だした。
「それがねママ、お店で迷子になっちゃってずっとおもちゃコーナーと本屋を行ったり来たりしてたの。……でも紗那ちゃん疲れてるみたいだったし、起こすのは悪いから自力でなんとかしようと思ってたら10時過ぎちゃって。でも紗那ちゃんお腹空いてるだろうと思って恥を忍んで店員さんに聞いてみたの一階に行きたいんですけどって。そしたら店員さんちょっと笑いをこらえた感じで、後ろに階段がございますが? って言われてすごく恥ずかしかったわ。次からは買い物はマネージャーさんに任せることにするつもりよ」
「ママ。私今とっても恥ずかしい。どうやってこれまでママが生きてきたのか全然想像つかないし」
ざっと話を聞き頭の中で状況をなんとなく思い浮かべてみた。
出てきた感想は私の母親がこんなに天然ボケなわけがないと信じたいかっただ。
どうしてフライパン買いに行くだけで迷子になれるんだろう?
多分初めてのおつかいをやる普通の子供の方がうまく出来ると思う。
ほんとこの人よくここまでトラブルなく過ごせてたな。
「紗那ちゃん聞いて。きちんと言い訳があるの」
「どうぞ」
「そのママってほら可愛いじゃない?」
うわーどっかで似たようなこと言ってる人いましたね。
「私ほどじゃないけどね」
外国の遺伝子が入ってる分客観的に見て私の方が可愛い。
それにママはもう可愛いというより美人な感じが強いし。
「若い頃はもうちょっと可愛いかったの。それで昔からモテたのね。だから芸能界に入って一人暮らしするまで自分で買い物したことなかったし、常に買い物は誰かと来てたから道に迷うこともなかったのよ」
なるほどモテすぎて嫌われていたとそういうわけですね。
誘われることが多いから案内図の見方が分からなかったのかもしれない。
「ママって演技以外は残念だとは思っていたけどやっぱりだったんだ」
30歳過ぎて建物の案内図すら読めない母親。
どう考えても残念だな。
もしかしたら世間知らずではないかと疑っていたこともあったが、やっぱり世間知らずだった。
自分で運転出来るはずなのにサトーさんの時からずっとマネージャーに迎えに来てもらっていた。
夕食の買い物もマネージャーさんにスーパーによってもらってしていたようだしママがあまり運転してなかったのもマネージャーが迎えに来ていたのもこれですべて説明がついてしまう。
多分サトーさんが過保護なのも私がママと同じように世間知らずだと思われているからなんじゃないかと思う。
「さな、ちゃん。ママね」
何を言うつもりなのかフライパンをスポンジこすりながら言葉を探すように目が泳ぐ。
「フライパン洗い過ぎてまた穴あくよ。ママが抜けてるのは知ってるけど、買ってきたばかりのフライパン壊したりしないでね」
ママが演技と家事以外出来ないことなんてとっくに知っていた。
親バカだしなんかポンコツ感に溢れてたし。
「ところで紗那ちゃんそろそろお昼になっちゃうけど何作る?」
ママは表情から気にしていない事を察したのか妙に明るくそれまでの空気を吹き飛ばすように声を張り上げる。
「うーん。ヨーグルト以外なら何でもいい」
「え? ヨーグルト?」
「さっき冷蔵庫に入ってたの3年も前に賞味期限きれてるやつ」
「嘘? なんでそんなものが?」
慌てて冷蔵庫を開けて中を探すママを眺めながらやっぱりただ忘れてただけだった事を悟った。
少しだけしっかりしてくれるとありがたい。




