社長の紗那は修羅の道を進むのがお好み
会議室に沈黙が流れる。
私はどうしていいかわからずサトーさんを見た。
オファーを受ける受けないの最終決断は基本的私だが、スケジュールの都合やイメージ戦略等々の事情から私のところに来る前に蹴られるオファーもあるので、即決で受けますとは私の決断だけでは言えない。
なので、まずはサトーさんの反応を見たい。
しかし、サトーさんはじっと黙り込んで社長の方をちらちらと見ていた。
やはり社長と大きなクライアントを前に緊張しているだろう。
私も心臓が止まるんじゃないか心配なぐらい緊張しているからよくわかる。
サトーさんも社長がいる打ち合わせは初めてなのかもしれない。
星川監督とは前にも打ち合わせしているし。
ちなみに社長はリラックスしているようだが、あまり話に入るつもりはないのかサトーさんにアイコンタクトを飛ばして話を進めるように促すだけで、何か言葉を発する様子はない。
なんだ社長とアイコンタクトを交わしていたのか。
まぁ、ここは担当マネージャーのサトーさんの仕事なので当然と言えば当然だけど。
社長は一体何しに来たのだろう?
役立たずのただのハゲって可能性も出てきたな。
数十秒の沈黙をサトーさんがようやく破った。
「そ、そのどうしてうちの花園さなを?」
星川監督とは1度仕事をしただけの関係で、特に深い交流があるわけじゃないし、精神を折られそうになるような経験をさせられた。
そのおかげで演技力が上がったが、それだって一歩前に進んだ程度のものだ。
実際、他の現場で感想をくれたりする人たちの評価も大きく変わってはいない。
まぁ現場のスタッフさんは人気なうちは良かったよしか言わないらしいしあまりあてにしてないけど。
正直、まだ私は主演をやるには力が足りないと思っている。
もちろんやりたくないというわけではないけど、主演となるとやはり演技力は高レベルのものを要求されるだろう。
星川監督は役者泣かせだから、それは確実と言っていい。
サトーさんもきっとその事を分かっているから最初にそんな質問をしたのだろう。
担当を守る義務もあるから慎重に成らざるをえないだろうし。
脇役として出るのとはまた違う。
主演はその作品の顔と呼んでもいいぐらいに目立つし、売り上げも左右する事がある。
「私は今、監督を初めて9年で、次に出す作品が10周年の節目の作品なんです。できれば今まで撮ったことのないような作品を撮りたいと考えていまして、それで子役を主演に撮ったことがないそう思い当たったんですね。それでポンと頭に浮かんだのが花園さなだったんです」
「企画書には撮影期間約1年とありますが、その間他の仕事を入れる事は可能性なんでしょうか?」
サトーさんは前向きに検討するつもりなのかテーブルに置いてあった資料をめくりながらなにやら深い話を始めた。
主演やりたいオーラはすごく出てたし、何度か話題にしてたから多分私がOKすると見て進めているのだろう。
普通に考えれば断る理由がないし。
子役の覇権を握るにはとても大きなチャンスだ。
サトーさん達が話を進めている間私はやることがないので、サトーさんの机に置かれている資料を盗み見る事にしよう。
タイトル未定と書かれた資料には大まかな話の流れが書かれたページが数十ページほど続いていて、ところどころに絵コンテっぽい絵が出てくる。
まだ制作スタッフも決まっていないし、ほんとに企画段階で、私ありきの話らしい。
「それで花園さなさん。最後に確認したい。僕の映画の主演引き受けてくれますか?」
いつの間にか話がある程度まとまったのか私に話が振られた。
やばいこの2人の話しほとんど聞いてなかったんだけど。
企画書も流しみしかしてないからどんな話か分からないし。
主演、しかもあの星川監督の10周年作品。
成功すればきっと私は子役から女優になるのも苦労しなくなるだろう。
でも私は、そこまでを求めているわけじゃない。
子役はやってもあと1年で辞めるつもりなのは今も変わらない。
演技は楽しいと感じる事が多いし、貴重な経験させてもらっている。
だからこそ未来を考えていない、そんな私がこの話を受けていいものなのか?
星川監督の作品出るという事は決して簡単な事じゃない。
それこそ何百人という役者志望の人たちが死ぬほど欲しいチャンスだろう。
そのチャンス確かに目の前に来た。
しかしそれを掴めば辞める機会と穏やかな生活を失う事になるだろう。
人気は急上昇して国民的なものになるだろうから仮にやめたとしてもまともな生活が送れなくのは確実だ。それだけ星川監督は有名で力のある監督だから。
そうなってしまえば事務所に所属しておいた方が良くなる。身の安全とか危ないファンの対応とかそういうのを考えると。
きっとママならそう進めるだろう。
穏やかな日常捨てた先輩だから。
まだ私は引き返せるところにいるはずだ。
まだ仕事を引き受けたわけじゃないから社畜根性も疼いたいしない。
「紗那さん。確かにこの話は大きな話ですから悩む気持ちもわかります。ですが、迷うくらいならやりましょうよ? 私は何人も担当してきました。でもこんなに順調に売れた人はいません。それはあなたが、誰よりも努力しているから誰よりも仕事に対して真摯に向き合ってきたからです。そしてあなたの演技は1人の監督に響いたんですよ? 演技を志す人間ならそれがどれだけ貴重かわかるでしょ? だから迷うなら受けましょうよ!」
いつにもましてサトーさんが熱く説得してくる。
確かに、感動したとか響いたとか、そんな風に演技を評価してくれるのは何より嬉しいことだ。
それはきっと本物に近い演技が出来たって事だから。
基本、演技はどこまで行っても嘘なのだ。本物じゃない。
例えば、本当の親でもない人間が死んだ設定の演技で、涙を流してみたところで、一緒に悲しい気持ちになる人間がいるだろうか?
きっとそこまで多くはないだろう。
だから泣かせたり、感情移入させられる事が貴重なのだ。
響くものがあるとか、感動したって言うのは全ての表現する者における最高の褒め言葉だと言えるだろう。
それが出来ていたと知って今すごく嬉しい気持ちになっている。
きっと、サトーさんはそれが1度でも出来たのだから自信を持って受けて欲しいそう思っているのだろう。
私をじっと見ている瞳からうるさいぐらいにそれが伝わってくる。
平穏な生活と、騒がしく刺激的な毎日。
なら私がどちらを選ぶかなんて決まっている。
「よろしくお願いします」
当然刺激的な毎日だ。
よく考えなくても、女優の娘なんて端から平穏な人生ないし、やっぱり目の前に転がっている仕事を無視するなんてやっぱりないな。
私は天性の社畜みたいだし1回転生したぐらいじゃ治らない。
それに多分今演技を辞めたら暇すぎて死んでしまう。
今日の休みで演技関連以外にしたことなんてご飯ぐらいだし。
もっといえば、既に平穏な生活になんて引き返せるわけがなかったのだ。
だって演技の楽しさを知って感動させる喜び得てしまっていることに気づいてしまったから。
サトーさんめ、なかなかうまい説得をしてきたものだ。
「今日はせっかくのオフなのに急に呼び出したりしてすいませんでした」
会議室を出てエレベーターの中で突然にサトーさんは頭を下げた。
「急に打ち合わせが入るなんてよくある話じゃないですか?」
仕事を終わりに急に打ち合わせなんてよくある事だ。
特にバラエティに出るようになった役者さん達はこのあと打ち合わせだって話ていたりするし。
それにドッキリにかけられる時にはよく入るらしい。
「いえ今日はほぼ説明もなく呼び出したわけですし、しっかり謝っておこうと思いまして」
「確かに珍しかったですよね。あんなに慌てるサトーさん」
スケジュール管理が完璧に近いサトーさんが慌ただしくしているところはそこまで見たことがない。
「今朝、出社してすぐに社長に呼ばれて、花園さなを迎えに行ってこいっていきなり理由も言わずに言われたんですよ。特にやましい事がなくても焦りましたよほんとに」
「そういえばその社長、なんであの打ち合わせにいたんですか?」
「それはただ星川監督と話たいからじゃないでしょうか。大ファンを公言してますし」
あのハゲただの役立たずの職権乱用のダメおやじじゃないか。
こっちはどれだけ緊張したと思ってるんだ。
次あったら毛でも毟ってやろう。
それかムダ毛処理の話を聞かせてやろう。
それくらい許されるはずだ。
そう思いながら帰宅するのだった。




