初レッスンの朝に
やってみてもいいと伝えると、ママはいつもの何倍ものテキパキと動き、なんとその日のうちに事務所に所属が決まった。
実は、代役をやったその日の制作陣だけで開かれた打ち上で監督が居酒屋で酔っ払いながら、本物の天才を見つけたんだみたいなことを延々繰り返し、わたしの事をめちゃくちゃ褒めまくっていたそうだ。
あまり人を褒めない監督が酔っているとはいえそこまで褒めるとは、どんな子なんだと噂になっていたおかげで、スムーズにことが運んだらしい。
酔っていたせいか、花京院文乃の娘であることが伝わっていなかったので、現場にいても直接スカウトされることがなかっただけで、ずっと前から探されていたみたいだ。
まぁ所属事務所はママのところなんですけどね。コネってすごい。超便利。
しかし、いくら天才だと褒められようと本格的な子役になるためにはそれなりの準備期間が必要になる。というわけで、今日からレッスンを受けることになるらしい。
コネで入ったとはいえ、流石にそこまで免除とは行かないらしい。
ギャラが発生する以上事務所としても、基礎すらなっていない現場で役に立たないようなやつを表に出すわけにはいかないという事だ。
まぁそれは当然のことだし、無名の新人にいきなりオファーが来るわけないもんな。
むしろ新人に仕事がたくさん回って来るようなところはブラック企業だから気をつけた方がいい。人手不足は大体給料が安いか環境が悪いかの二択だし。
そんなわけで、いつもより早めに起こされた。
まだ時計の読み方を知らないと思われているので、目覚まし時計ではなくママの声で起こされる。
なぜかママは私を幼稚園に入れなかったのでそもそも教わる機会がないというのもあるけど。
すっかりお馴染みになりつつあり、もはや私の中で朝のママの声はニワトリの鳴き声のようなものだ。
ニワトリは毎朝鳴かないかもしれないがママは毎朝起こしてくれる。起きるまでしつこく鳴く……間違えた起こしてくる。
「紗那ちゃん今日はレッスンの日でしょ? 早く起きなさい」
やはり舞台もこなしていた女優だけあって、声量がすごい。
もっとも今はわたしがいるのでやっていない。稽古も地方公演もないからドラマは最高なんだとか。
ここがマンションの最上階じゃなかったら多分苦情が来ていただろう。
私が住んでいるこのマンションは、いわゆる芸能人御用達のマンションで30階建てのタワーマンションってやつだ。
オートロック、宅配ボックスに24時間ごみ捨てOK。地下に駐車場完備と、とりあえず人気そうな条件を大体ぶっ込んだチートマンション。
お風呂も広くてジャグジー? がついている。
最上階はその中でもさらに頭のおかしい事に私達がいるこの一部屋のみ。
隣人トラブルがないのはそのおかげ。
当然家賃は恐ろしく高いに違いない。怖くて聞けてないけど。
それに子供が家の家賃聞くとかおかしいしな。
「はぁーい」
ひとまず返事だけは返しておくが、ベッドからはまだ出ない。
この時間がとても至福だったりするのだ。
前世では目覚ましが鳴ればすぐに飛び起きて、朝食すら取らずになだれ込むように出社するのが当たり前だったから、こうして布団の温もりを堪能しながら時間を無駄遣いするこの背徳感がとてもいい。
幼女生活最高!!
5分ほど布団の中で過ごしていると、エプロン姿のママが部屋の扉を開けて私の城に入り込んで来た。
目が合うと気まずいからそっと布団を被り直す。
さらにママに背を向ける。
「まだ寝てるのね? もう全く仕方のない子ね。早く起きない悪い子には、ママがイタズラしちゃおうかなー」
枕元の近くで足音が止まると、普段の迫力のある演技から想像できないほどの棒読みでわざとらしく言った。
子供らしさを忘れてしまった私は時間がある時はこうして、できる限り子供ぽくすることを心がけることにしている。
これは疑われないようにするためそして童心を思い出すための、崇高な演技であって、決して布団が恋しいとかそういうことではない。
これも安定した休みのある職に着くための第1歩だ。
「紗那ちゃんさっき返事したでしょ? 今日は本当に朝早いんだからそろそろ怒るわよ?」
今度は演技だとしても洒落にならないほどドスの効いた低い声を発する。
マフィアのオンナボスとか、スケバンにしか聞こえない。
「起きました!」
これ以上は、危険だ。
脳内に響く警鐘にしたがって飛び起きる。
ママは18歳でデビューしてからずっと正統派女優として売れて来ているはずなので、元ヤン設定とかはないはずなのだがなんだか妙に様になっている。
パパ外資系のエリートだからそんな危ない女と結婚するはずないから大丈夫だと思いたい。
「本当この子は……紗那ちゃん朝ご飯食べちゃいましょうね」
手を引っ張られながらリビングへと移動する。
リビングには既にサラダ、目玉焼きと焼きベーコンが用意されていて、あとはトーストさえあれば、よくある朝食のメニューだ。
私を椅子に座らせるとママはトースターにパンセットし始めた。
どうやら作業の途中で起こしにきたみたいだようだ。
「いい? 紗那ちゃん。まず事務所に入ったら挨拶するのよ? 絶対よ?」
トーストが焼けるまでの時間にママは芸能界のイロハを私に叩き込もうと何度も同じようなことを繰り返し聞かせてくる。
どうやらママは挨拶でとっても大きな失敗をしたらしく、特に挨拶の大切さを繰り返す。
芸能人は挨拶が命。
「それさっきも聞いた。それよりまだトースト焼けないの?」
なかなか焼けないトーストのせいで既に5週目の似たような話に、うんざりしながら椅子から立ち上がりキッチンへと向かう。
流石に5分たっても焼けないトースターはおかしい。
「おかしいわね? もしかて壊れたのかしら?」
「ママ、コンセント抜けてるよ?」
よく見ると、トースターのプラグは微妙にコンセントに刺さっていなかった。一見刺さっているように見えなくもないが少しの衝撃で外れるぐらい浅くしか刺さっていない。
これじゃあ電気が通らないからパンが焼けるわけない。
「あら? 本当ね。ママうっかりさんだわね。もうちょっとだけ待ってて」
緊張しすぎだろ。普段そんなミスしないのにな。
ママにしては珍しいミスにちょっと微笑ましくなりながら、席に座り直す。
完璧に見えるママでも緊張するんだな。
カチッと、コンセントを差し直す音が聞こえると、すぐにパンが焼ける匂いがしてくる。
これでようやく朝ご飯が食べられる。
ベーコンをフォークで食べやすいサイズに切り分け、口に運び入れると、ママが何かを思いついたように話しかけてきた。
「紗那ちゃんはどんな役やってみたいとかある? 例えば見た目は子供だけど中身大人みたいな役とか」
何そのピンポインに今の状況が当てはまる役。
もしかしてバレてます? 確かに寝るまでずっと本読んだりしてたし、子供らしくない行動はいくつかとっていたような気もする。
いや、もしかたら既にオファーが来ていて、それの確認かもしれないな。
オーディションの可能性もあるし。
「えー、なにそれ? よくわかんない」
「そうよね。あはは。流石にいくら女神のように可愛くて、天才でも流石にねぇ。あの占い師の言ってた言葉はハズレていたってことよね? どう見ても年相応の女の子だものね」
「うらない?」
占い師に見てもらう芸能人は結構いると聞くし、その占いで子供に関する何かを聞いたから確認しただけか。
うまいこと子供を演じられていることも確認出来たし一瞬ヒヤッとしたけど問題ない。
「なんでもないのよ。あっ、そろそろサトーさんが迎えに来てくれる頃ね。さぁー紗那ちゃんおめかしの時間よ。今日は初日だものとびきり可愛くしてあげないとね」
「そこまで気合い入れなくてもいいんじゃあなの?」
これから演技のレッスンに行くんだし、わざわざめかしこむ必要はないと思う。
普通の格好でいいのでは?
もっといえば動きやすい格好とかの方が正しい気がする。
演劇部とかジャージで稽古してるイメージあるし。
「ほらまずはこれに着替えて、あー、脱いだ服は後でいいから今はその椅子に座って」
渡されたフリフリヒラヒラした服に着替えさせられ、鏡の前に座らされ、髪をとかされる。
芸能人の中に混じっても違和感がないどころかその中でも一際に愛らしいわたしの姿を髪型を変えることでさらに女神感を高める。
「はい、準備完了。いつ見ても女神っ。可愛いわ紗那ちゃん。これなら本当に芸能人の天下確実よ! 流石ママの自慢の娘っ」
今日もママは親バカでした。
いや自分で見てもこのポニーテールは反則レベルで可愛いと思うけどさ。
わたし、もしかしてナルシストなのかもしれないな。
自分で可愛いとか平気で言っちゃうし。
すべての準備を済ませるとママのスマホが鳴った。
「はい、おはようございます花京院です。あっ、はいもうエントランス前にいる? すぐ向かいます」
電話を切るとわたしの手を握り荷物を持って外に出た。
そこから車で10分ほど行った所にある事務所の中に入っていく。
今日からお世話になる事務所は5階建てのビルがまるごと事務所で、4階が子役の養成のためのレッスン場になっている。
元々は俳優達の練習場所として作られた所だったらしいが子役の育成に力を注ぎ始めるのをきっかけに子役のレッスン場に変えたそうだ。
子役は定期的にスターが出るから発掘するためにレッスン場は効率がいいのかもしれない。
ママはこのあとすぐに仕事があるのでここで一旦わかれる。
めちゃくちゃ別れを惜しんでいたママをサトーさんに引き剥がしてもらい車に乗せ出荷……現場に向けて発車してもらった。
それを見送って、ようやくエレベーターに乗りサトーさんの後ろをついていく。
サトーさんはママのチーフマネージャーというやつらしく、いつも現場に来るわけじゃないらしい。
エレベーターに乗って4階まで行き、二つ目の扉の前で立ち止まった。
扉からは光が漏れていて誰かいるようだ。
「それでは紗那さん。ここがレッスンを行う部屋です。私は、2階でデスクワークをしていますので、レッスンが終了したら2階に来てください」
「はい」
サトーさん生真面目な人なのはわかるけどその説明じゃあ普通の4歳児 (ようやく確認した)には、絶対伝わらないないと思うな。
まぁとりあえず返事はするけど。
「それではまた後ほど」
エレベーターに戻っていくサトーさんを見送り、レッスン室の扉を開ける。
中には例のオーク似の少年が1人ポツンいた。
何にこれ? 恐ろしく気まずいじゃん。
私は反射的に扉を閉めた。
これが条件反射というやつか。