プロローグ
もし神様が転生先を決めているのならぜひとも文句を言ってやりたいものだ。
決して頭のどこかがおかしいわけじゃないので安心して欲しい。
私には前世の記憶がある。いわゆる転生者ってやつだ。
前世では中流階級の長男に生まれ、地元の高校を卒業。そこから地方でも名の知れた大学に現役合格。
留年することなく卒業し、これまたそこそこの大きさの会社に就職したところまでは良かった。
就職先の企業はとても真っ黒で、毎日サービス残業。
それどころか出社時間の前から仕事するのが当たり前みたいな職場で、基本みんな死んだような目をしていた。
当然そんな状態では自炊する気など起きず、基本24時間営業のコンビニ飯か、ハンバーガーセットとストレス発散用のビールを飲み食いする毎日というそれはそれは健康に悪そうな食生活をしていた。
野菜はハンバーガーに入ってるレタスで充分取れるさが当時の口癖だった。
さらに連日徹夜につぐ徹夜に、やたらと喫煙者が多く、常にタバコの匂いが漂う感じの身体に悪い最悪な環境に、あっという間に体調を崩した。
しかしブラック企業に休みなんてあってないようなもので、そのままガンか何かで、天に召されたんだと思う。
そしてそのことを思い出したのがつい最近のこと。
どうやらお金持ちの家に転生できたらしい。
それでどうして文句を言いたくなるのか当然疑問になるだろう。
「それじゃ紗那ちゃん、ママはこれからお仕事してくるからここで静かにサトーさんと座って待っててね」
と、目の前にいたママが目線を合わせて微笑みかける。私がコクンと、頷くと頭を数回撫で、カメラがセッティングされているセットの方へと歩いていった。
どうやら現世のママはそこそこキャリアのある女優らしい。
スタッフさんの態度からそれがよくわかる。
ここは都内某所にある撮影スタジオ。
かなりの広さのこのスタジオには、たくさんのスタッフさんがいて、落ち着きなくあっちこっちと、走りまわっている。
リビング風のセットと、和室風のセットの二つがあり、なんだか不思議な気分だな。
華やかな芸能界でも裏方はとっても大変そうだな。わかるぞ、その死んだような目ここもブラックの匂いがプンプンするぞ。
現実逃避をするためにそんなことをぼんやり考えながら、ふと己の足が視界に入って頭を抱えそうになる。
視界に映るのは、どこか懐かしさを覚える子供の小さい足と、全く見覚えのない太ももから上を隠すスカートの存在だった。
子供らしいチェックのスカートで丈はちょうど膝から隠れるぐらい。
つまりだなこれはTS転生ということになる。な? 文句を言いたくなるだろ?
まぁ文句をいったところで、転生してしまったものはもうどうしようもない。
割り切ってこの先どうするかでも考えておく事にしよう。
前世から持っている知識のアドバンテージを上手く活かして天才少女として何かするのもいいかも知れない。
高校時代に読み漁った小説ではその知識を活かして異世界で無双するってのが流行ってたし、できないことはないだろう。
というより使わない手はない。
せっかくそんな状況にいるのなら使わない方が失礼にあたるような気もするし。
具体的なところはおいおいつめて行くとして、今のところは知識を増やしていくか。
最悪、何もやりたいことがなければ、公務員や医者のようなとにかく給料日と休みのバランスが取れている職に就きたいものだ。
目指せブラック企業回避!!
後は変に思われない程度に子供の振りをしておけばいいかな。
方針を決めたところに場を凍りつかせるほどの怒号が聞こえてきた。
一瞬、演者とスタッフの作業の手が止まる。
「はぁー? なんでもっと早く言わねぇーんだ!!」
「…………それがたった今連絡が入ってたのに気が付きまして……インフルエンザで絶対来られなくなったと」
なにやら監督らしきサングラスを頭にのせたおっさんとひ弱そうなスタッフがもめ始めた。
監督の方はだいぶ怒っているようで大声にとげのある威圧的な声音でスタッフを怒鳴りつけている。
が、トラブルには慣れているのか一通り怒りを吐き出すと落ち着きを取り戻して、冷静に指示を始めた。
「ちっ……今すぐに心当たりあたって、代役の子役の女の子探して連れてこい! 設定に矛盾が出るから、女の子だぞ、女の子。できれば5歳ぐらいの」
どうやら子役がインフルエンザにかかってしまった様子だ。
もう春先だっていうのに、ずいぶん季節はずれなインフルエンザだなおい。
「はいぃぃぃー。急いで連絡して来ます」
ひ弱そうなスタッフは慌てすぎて何度も転びそうになりながら、電話を持ってスタジオの外に飛び出していった。
それと時を同じくして、監督自ら演者に頭を下げる。
ドラマとか映画の監督って誰彼構わず罵倒するイメージがあったんだけど真面目な人もいるんだな。
「皆様、すいません代役が見つかるまでしばらく休憩ということでお願いします」
監督の言葉を受けて控え室に戻っていく俳優さんたちの輪から外れてとてつもない和風美人がこちらに近づいてきた。まぁ現世のママですが。
途端に緊張が走る。
子供っぽい振る舞いをせねば。
「あれ? ママもうお仕事終わりなの?」
流石に子供がさっきの会話を理解できる分けないと思うので、ひとまず素直に間違えてみる。
演技のプロ相手に演技なんて心臓が破裂しそうだ。
「ううん、ちょっと休憩になったのよ」
「へー、そうなの?」
どうやらバレていないようだ。
「文乃さん。撮影再開までだいぶあるみたいですし、何か買ってきましょうか? そろそろお昼ですから」
タイミングを図ったように会話が途切れたタイミングで、ママのマネージャーのサトーさんがそんな提案をした。
そろそろ私の腹時計的にもお昼。つまり空腹だ。
まぁスタッフと演者にはロケ弁があるがマネージャーさんと見学に来ている私の分はないので、もしかしたら自分の分を買いに行く口実として提案しただけかも知れないが、黙っているだけで食事にありつけるなんて幼女最高だな。
「紗那ちゃんお腹空いてない?」
「すごく空いてるよぉー?」
子供らしく元気に返す。子供口調なんて知らないから探りながらやっていくしかないよな。
「何食べたい?」
頭にぱっと浮かぶのはハンバーガーだけど絶対食べたことないだろうしなぁ。
だってママ着物着てるし、いや衣装の可能性もあるか。
でも私が着てる服絶対高いやつだしなー。
ジャンクフード類は避けた方が無難だろう。
なんとなくお嬢様とか生まれつきのお金持ちはジャンクフードと縁が無さそうだ。
誰でも知っていて不審に思われない食べ物……? うーん。あっ、スタッフさんがコンビニのおにぎり食べてる。
見てると食べたくなるなぁ。
「おにぎりがいい!」
「サトーさんおにぎりお願いしますね」
「はい」
ちょっと嬉しそうな表情でスタジオの外へと歩いて行くサトーさんをなんとなく眺めながらコンビニおにぎりの味を思い出してたれそうになるヨダレをそっと手で拭って口に戻した。
十分程時間が経過して、サトーさんからなんだか高そうなお弁当屋のおにぎりを貰って食べていると、スタジオの扉が大きな音を立てて、雑に開き、あのひ弱そうなスタッフが血相変えて飛び込んできた。
雑談しながら時間を潰していた俳優と監督が同時に扉の方を向く。
「大変です監督」
監督を見つけると、突進する勢いで接近していく。
「代役見つかったか?」
「それが心当たりをいくつかあたってみたのですが、急には難しいと言われてしまって……」
まぁ急に今から手配してくれとか、言われても難しいよなぁ。
仕事の無い小学生はまだ学校だろうし、それより小さい子は1人じゃ来られない。
どっちにしろ今すぐって言うのは無理難題ってやつだ。
「流石にまずい、今日しかスケジュール抑えられない人だっているんだぞ? どうすんだよ?」
監督さんの焦った声が聞こえて来る。
演者もスタッフもシーンとしているからよく声が響く。
「最悪別撮りという手も」
「馬鹿野郎それは最後の手段に決まってるだろ。オレはできる限り演者キチッと揃った状態でドラマ撮影することにこだわってるの知らないわけじゃないだろ?」
そんなよく分からないこだわりなんて、捨ててさっさと別撮りでも何でもやればいいじゃんと言うのはきっと野暮ってやつなんだろうな。
仕事に対してこだわりがあるのはよくあることだし。
例えば、前世の私の上司は仕事の前必ずタバコを一本吸ってから仕事していたし、テレビで見た売れっ子芸人は、スタジオに入る前に必ず音楽を聴いてから入るとかって語ってた。
クリエイターと呼ばれるような職業はそれ以上にこだわりが強くても何の不思議はない。
頑固職人とかラーメンのスープの出来が悪くて店を休業するなんて事もイメージにある。
「でもいないですよ。子役の女の子。はぁー、どこかにいないですかねー。あっ監督」
どんどん暗い雰囲気なるひ弱そうなスタッフはため息をつきながら気まずそうに監督から視線を外した。
まぁ、この場にいる誰が悪いってわけじゃないんだし、気を落とさないで頑張れと応援ついでに熱い視線を送っていると、タイミング悪く目があってしまった。
うわっ、すごく恥ずかしい。
「あぁ? どうした?」
監督も監督で撮影が遅れていることに苛立っているのか低く、威圧感のある声のトーンで、口を開く。
「スタジオに来る予定だった子役と同じぐらいの年齢の小さい女の子がいました」
「あぁ、花京院さんの娘さんだろ? まだ小さいからってよく撮影に連れて来ているがそれがどうかしたのか?」
おい、ひ弱そうなスタッフ君よなんで女神を見つけたみたいな喜びに満ちた顔で、こちらをみているのだ?
何? あのスタッフもしかしてロリコンか?
なんか恐怖を感じるんだけど。
仕事を押し付けられる時に似た嫌な雰囲気だ。
「確か今日とるシーンの女の子が出るのって……」
「ここで撮るワンシーンだけだな。ダメ元で頼んでみるか」
監督とスタッフはこちらをチラチラ見ながら、なにやらブツブツと話し込み始めた。
なんか顔つきがとても悪い人みたいで怖い。
悪いことを企む2人組に成り下がった監督とスタッフは、媚を売る時のように中腰で手もみしながら私、正確にはその横にいるママに近づいてきた。
話振られるの怖いしおにぎり食べとこ。
「すみません花京院さん。娘さんをドラマに出演させて頂くわけには行かないでしょうか?」
「話は全部聞こえておりました。娘が承諾すればわたくしは問題ありません」
え? ちょっとママ。そこは断るところじゃないの? まだ判断を任せるには早いと思うんだけど? 一応まだ5歳より下だと思うが?
「でも、文乃さん」
「サトーさん」
「まあ紗那ちゃん次第ですね」
おいおいサトーさんよ、なんでママの眼力にびびってるんですか? 庇うなら最後まで庇えよ。
精神年齢を悟らせず4人ほどいる大人を説得する頭脳はございませんよ?
いや子供って素直なイメージあるし、はっきり言えば引き下がるか。よしそれで行こう。
「紗那ちゃんお母さんと一緒にドラマでてみない?」
「ヤダ」
これでよし。
前世で年上に言ってみたいセリフシリーズのベスト5に入るであろう言葉を口にできた。
不機嫌表情も添えれば確実に引き下がるだろう。
もう未練はないぜ。現世始まったばかりでしたね。もう少し頑張ります。
「あのね? このままだとねお母さんお仕事できなくて困っちゃうんだよ?」
監督は断られるのに慣れているのか顔色1つ変えずに、スタッフを怒鳴りつけていた声から想像できないくらい優しく語りかけてくる。
親を絡めて来るとは汚いな。
現世の親には何も返せていないし、これからお世話になる現世の親の仕事のことを考えると受けておいた方が今後も仕事が入るかもしれない。
こういう業界なら恩は売れる時に売っておいた方がいいだろう。
どこにチャンスが転がっているか分からない世界だし。
「ちょっと監督無理強いはしない約束じゃあ」
俺が揺れていることを感じ取ったサトーが割り込んで来る。
しかし監督はその心揺れを敏感に感じ取ったのか畳み掛けるようにオーバーリアクションで褒めてちぎる。
「いやオレにはわかる。この子しかない!! だから意地でも引き受けてもらう。こんなにいい嫌な顔をするなんてこの子は天才に違いない」
誰だって褒められればこそばゆくなって、嬉しくなるものだ。
特に私のようなブラック企業に勤めていたどんだけ残業して成果を上げて褒められることがなかった人間には効果てきめんだったりする。
「じゃあやる」
そういうわけでドラマデビューすることになってしまった。
まぁ1回だけだし問題ないでしょ。それにこれ以上揉められても困る。
褒められるのは気分がいいしな。
軽く考えてしたこの行動が自分の道を決定づけることになろうとは流石の転生者さんも予想がつかなかった。