もう、先生ったら!
「こういう者ですが、捜査にご協力してくれませんか?」
そいつはテレビドラマのように警察手帳を見せると、その後名刺を取り出して机の上にそっと置いた。
「うむ…… 特に悪い事はしてないはずだが」
私がうろたえていると、そいつは楽しそうに笑って。
「いやいや、これは失礼しました。
捜査協力と言っても、学術的見地からのご意見が欲しかっただけで。
先生が容疑者というわけではありません」
「それなら初めから、そう言ってくれ」
額の汗をぬぐう。
大学の隅の研究室で、日夜怪しい研究を続けてきたが……
たぶん法に触れるような事はしていないはずだ。
――この状態で、日本の法律が適応される問題かどうか、あまり自信がないが。
「この女性を知りませんか?」
そいつは名刺の横に、1枚のA4用紙を並べた。
私はそれを手に取る。
「金髪ドリルに、ちょっと気の強そうな顔立ちの美少女。
これは、少女漫画なんかで主人公をいじめるライバル役のキャラかね。
しかしこの似顔絵…… どう見ても萌え絵だな」
「さすが先生、話が早く進められそうです。その女性は、とあるゲームの悪役令嬢でして。
今回はその女性の捜査なんですよ。
――この論文を拝見しまして」
そして、カバンから書類の束を取り出す。
表紙には「WEB小説における若者の心理と課題」と書かれていた。
「今ひとつ要領がつかめない。
確かに私は、若者のオタク文化についていくつか論文を発表したが……
――専門は人工知能だよ。
心理学、情報工学、認知科学の博士号を持っている都合、学会に投稿したまでのもので。
あれは…… 非常に反感を買ったね。
うん、彼ら風に言えば『黒歴史』だよ」
「本題はこちらの方です」
書類の束からもうひとつの論文を取り出し、上に重ねた。
「これは『電脳実現化に伴う異世界転生の可能性』か。
――さらに黒歴史だよ。
私がマッドサイエンティストと呼ばれるきっかけになった論文だ」
「まだ先生の理論に時代が追い付いてないだけですよ。
拝見させていただきましたが、非常に興味深いものでした」
そいつは深く頷くと…… 自分のヒゲを、手? で撫ぜた。
そして私がいれたコーヒーのカップを器用に両手で挟んで、フーフーと冷まして。
口も付けないで、ソーサーの上に戻す。
「猫舌なのか?」
「ええ、見てのとおりで」
年齢がつかめないせいか、その笑顔はやたら可愛らしいものだった。
やはり、冷えたミルクを出しておけばよかった。
「話を戻すが…… それと、この令嬢のイラストに何の関係が?」
「はい、こっからは機密情報になりますが……
人に感染するコンピュータ・ウイルスの噂はご存じで」
「ああ、今ネットで盛んな? ――都市伝説だろう」
「先生ならご理解いただけると思いますが、可能性はゼロではないのでは?」
「確かに…… 可能性はある。
しかし、技術的にいくつかたりない。
できたとしても、それはネットの噂にあるような強力なものではないだろう」
私が角砂糖を8つ入れて、スプーンでかき混ぜたら。
「それはちょっと多いのでは?」
――なぜかダメ出しをくらった。
「私はコーヒーを飲みたいんじゃなくて、糖分を摂取したいんだ。
だからこっちがおまけで、こっちがメーンだ」
角砂糖が入ったポッドを指さすと、そいつは納得したように頷いた。
「お噂のとおりですね」
「どうせろくな話じゃないだろう。他人になんと言われているかなど、最近は興味ないんだ。それより、話を進めたまえ」
「――失礼しました。
我々の調査では、このオンラインゲームのプレーヤーが数十名、意識不明の状態です。医学的には健康そのもので、原因が分からない状態だとか。
そして、その現象の中心人物と思われるのが彼女です。
便宜的に彼女のことを『マザー・プレーヤー』と呼んでいますが。今回は、そのマザー・プレーヤーに接触していただいて、彼女が『感染者』かどうか考察していただきたいのです」
「しかしオンラインでアクセスしても、接触はできないだろう。
その『彼女』とやらは、意識不明なんだから」
「それが…… 不思議なことに、ゲームのキャラクターはアクティブなんですよ」
なかなか興味深い話だが。
「私も暇ではないんだ。
そのゲームの調査協力をしたいのも山々だが……
最近は研究費を削られてしまってね。学会や大学が認める研究成果を出さないと、やりくりができないんだ」
真に求める研究だけでは食べて行けない。
国や企業が欲しがる『成果』を出さないと、大学教授も続けていけない時代だ。
「先生、ちゃんと調査協力費は捻出いたします」
こう言った交渉は苦手だが、そこを疎かにしてはダメなんだろう。
私はもういちど名刺を確認して……
「おいくらほど?」
思い切って聞いてみる。
そいつは、器用に指を3本立てた。
「30万?」
「いえ、前金で300万。
中間報告で、500万。残りは成果報酬のオプションで」
私は立ち上がって、そいつに握手を求めた。
「早速着手いたしましょう!」
そいつの手を握ると、やはりプニプニとした弾力がある。
「それでは先生、宜しくお願いします」
資料を置いて、立ち去ろうとしたので。
「もう少しすれば、助手が帰ってくる。契約についての詳細は、そちらで詰めていただけると」
カモが逃げないように、釘をさそうとしたら。
「それならなおのこと、ここで失礼させていただきましょう。
先生に変な噂が立ったら、ご迷惑でしょうし。
契約の件でしたら、お気にせずに。今日中にも口座に振り込んでおきます」
「それでは最後に…… どうして私に依頼を?
他にも適任者はいるでしょう。
ましてや、あなたのような立場なら」
「先生、ご謙遜を。
我々の間では、とても有名なんですよ。
むしろこんな大学の隅にいるのが不思議なぐらいで……
こうやってちゃんと会話できるだけで、先生の思慮深さが分かりますし」
「確かに…… 見た目や常識で判断するようじゃ、研究者は務まらんからな。
柔軟な発想と広い視野が、発見の源だ」
「さすが世界を超えてなお、著名な先生です。
今回の調査も、期待しております」
そう言うと、そいつは不気味な笑顔だけ残して、消え去ってしまった。
……夢のような出来事だが、テーブルの上には各種資料と名刺がちゃんと残されている。
私がコーヒー味の砂糖を飲んで、ひと息入れると。
「あれ? 先生。誰かお客さんでも?」
助手が帰ってきた。
「立花君、すれ違わなかったかい? スーツを着た2本足で歩く人間大の猫だ」
「もう、先生ったら!
そんな事ばかり言ってるから、マッドサイエンティストとか、イケメン変人とか、残念天才とか、呼ばれるんですよ。
……確かにこのところ忙し過ぎて研究室に寝泊まりしてましたから。
今日はちゃんと帰って、休まれたらどうですか?
そ、それともあたしの家に寄っていきますか……
お食事を用意しますが」
立花君が上着を脱いで、近付いてきた。
夏が終わり、気温は低下しているのに。
最近なぜか彼女の服装の露出度が上がっていた。
今も、迫りくるポーズと相まって、胸が半分服からこぼれてしまっている。
私の経験からすれば、これは危険な兆候のひとつだ。
なぜか女性の助手は、このような状況の後、私に対して腹を立て辞めてゆく確率が高い。
「そうだね、今日は自分のアパートに帰るよ」
テーブルの上の資料を鞄に詰め込み、帰り支度をする。
そして、名刺を再度確認した。
異世界間管理警察 地球支部 人類監視科
警部補
ニャー・アズナブル
通貨を確認するのを忘れていたが……
単位がベリーとかゴールドだったらどうしよう?
――どこかで換金できると良いが。