Turn04 ユードラ/14
「わーッ! 妖精さんだーッ!」
どうやら隣の席の客のようだが、アトマの姿が見えたのだろう、まだ幼い少女がトタトタと駆け寄ってきてテーブルにしがみ付くと、そこに座る妖精をまじまじと見つめる。
【なんだい娘っ子】
アトマが腕組みポーズでフワフワと少女の目の前に浮遊すると、偉そうにそんなことを言った。
「これ、およしなさい」
「ママー、この妖精さん偉そう! 浮いてる、喋ってるー!」
アトマを流行りの玩具かなにかと勘違いしたのだろう。
母親と思しき女性が娘を窘めながらこちらへ来ると、ユードラに気づき、ハッとした顔になった。らしからぬパンキッシュな服装だったので遠目には気づかなかったようだ。
「ユードラ様!? これは娘が失礼を……」
「ああ、いえ。気になさらないで下さい」
ユードラは気さくに答えると、娘の方に向き直り、
「――お嬢ちゃん、ママとお買い物?」
と尋ねた。
「うん! そうだ、ママー」
元気な返事をすると、母親のことを思い出したのか、アトマから離れて自分の席にもどっていく。
「なんか、良い街ですね」
自分の席へ帰っていく少女を見つめながら、半ば無意識に呟いた。喧騒が少し遠く、風がカノエの髪を撫でた。
このカフェテラスも、隣の席の親子も、給仕の女性も、道を急ぐ仕事中と思しき会社員も、笑いあって通り過ぎる学生も。
カノエが知る遠野の町と、そう変わらない。
宇宙、大気、海。それらに覆われた少しばかりの大地の上で、人は命を営んでいる。大地があって、そこで人が生活している。
それは生まれ育った街が失われ、宇宙から降り立ったカノエにはとても懐かしく、とても新鮮な、不思議な実感を持って感じられた。
【精神経路が巡っているねぇ】
「マインドパス?」
聞きなれない言葉に、カノエは怪訝な顔をする。
【街に宿るのは、人が人たる営みの中に作り出した精神経路の螺旋――文化とかって。意志を持つ自我にしか持ちえない創造。そして、それを育むゆりかご】
帰ってきた答えは、アトマにしては珍しい真面目な、或いは詩的な言葉だった。
「精神経路って……宇宙でも言ってたけど、なんなの? それは」
【ヒトの、大事な記憶。心の胎動。精神の鼓動。思い出と呼ばれるもの】
「分かったような、分からんような……」
アトマの言葉は、普段とは違っていて、決められた言葉を再生しているようにも感じられた。アトマ自身の言葉ではないような。
「このまま散策したいところですが、クヴァルの動向も気になります。ひとまず、アトマ様をサンバルシオンのストラリアクターまでご案内しましょうか?」
「そう、ですね……お願いします」
ユードラの申し出に、カノエは一瞬躊躇した後、諦めたように了承した。
「結局、僕は何者で、ここで何をしているんだ……」
明確な理由はない。
遠野の街の記憶も、思い返せば、日々の生活に理由を求めたことなど無かった。
何とはなしに学校へ通い、うっすらと見える他者の想像に過ぎない未来を盲信し、目の前に置かれたことを熟すだけの日々。
環境が一変し、自分が流されて生きていただけということを思い知っていた。
自分は自我が未熟だと言うアトマと何も変わらない。
元の世界……と言うべきか定かでないが、カノエが遠野の街で過ごした記憶にすがろうにも、それは六千年も前の過去の出来事なのである。
「それじゃ、出ましょうか」
「あ……そう言えばここの支払いは……」
当然、お金など身に着けていなかったが、完全に失念していた。
ジルヴァラの中を探せばあったのかもしれないが、あとの祭りだ。
「大丈夫ですよ。客人に気を使わせては、領民に笑われてしまいます。お会計を済ませてきますので、ここで少し待っていて下さい」
そう言うと、ユードラはバッグを持って席を立ち、店内へと入っていく。
ユードラを見送ると、カノエは深く息を吐いた。結局、カノエは何の役にも立っていない。まだアトマの方がマシだ。
寄る辺の無い身の上に役立たず。そのことが、カノエをひどく疲弊させていた。
「随分と疲れているようじゃないか少年」
不意に、見知らぬ声が囁いた。