Turn02 セラエノ/1
時は飛んで、飛んで……
恒星歴六一六九年
「ふう……後はこっちの状況と運次第かな……“こっち側”も気に入ってくれると良いんだけど……」
船長室、と表札の掛けられた一室。
被っていたVRヘッドセットを外すと、黒髪に琥珀色の瞳をした少女はゆっくりと息を吐いた。
「――いや、やっぱり恨まれるかな。嫌われちゃうかなぁ……んふふ」
楽しそうに呟くと、コンソールを操作してVRシステムを停止し、一人笑いながら席を立つ。
そのまま――バサリ――と服を脱ぎ捨て、上着も下着もベッドに放ると、素裸になって浴室へ向かった。
部屋を出る前にシャワーを浴びておきたかった。
船長室の表札が示す通り、ここは船内。ただ、船と言っても、全長三十kmに及ぶ巨大な“外宇宙船”の中である。
都市機能すら有する長距離航行用の外宇宙船は、浴室に大きな浴槽まで据え付けられているし、水の使用量に制限があったりもしない。
浴室に入った少女がパネルに触れると、やや熱めの湯がシャワーとなって降り注いだ。
湯に打たれるその身は痩躯だが引き締まっており、頭髪以外の体毛はほとんど無く、水滴を弾く肌は白く滑らかだ。
黒髪は艶やかで、前髪左三分ほどが藍緑色を帯びて長く、小振りだが女性らしさを思わせる乳房に掛かっていた。
その藍緑色の髪の房よりも特徴的なのが、黒髪を割って生える、長く尖った耳。
ペルセウスアーム既知星系の約半分を支配する超国家組織――クヴァル超帝国に多く見られる不老種の特徴だ。
遥か六千年の昔、人類の生存圏がまだオリオンアームの一角にしかなかった頃、遺伝子操作で生み出された宇宙環境適応種の一つ。
その遠い祖先ヴァルヴァラが自治権獲得の為に、銀河腕を超えてペルセウスアームに渡り、クヴァル超帝国を築いた。
耳の奇形について、クヴァルの学者は、自然種とは別の人類として確立した証左であると言うが、真偽の程は定かではない。
しかし論説は別としても、六千年の時を経て、不老種は人類の一種族と“ブラフマンの大書庫”には記されている。
彼らは恒星暦初期にオリオンアームを離れ、未知の外宇宙だったペルセウスアームにクヴァル超帝国という新たな超国家組織を築いたことで、太陽系人類の直系である自然種との関係も、軋轢というまでには悪化していない。
彼女自身がその証明で、クヴァル超帝国からオリオン=ペルセウスの両銀河腕間を股にかけ取り仕切る転移航路ギルド――超国家組織シンザ同盟に亡命し、シンザ側で船団諸侯の爵位を得ている。
船は、彼女の領地であった。
「セラエノ船長、そろそろ転移航路の離脱座標で――うわぁッ!」
シャワーの脇に据えられたモニターに眼鏡をかけた女性が映ると、彼女は目に飛び込んできた美しい裸体に思わず目を背けた。
「ユーリ。いいよ、すぐ行く」
手早く返事をするとシャワーを止め、ボディタオルでサッと体を拭いた後、浴室の乾燥スイッチを入れる。
急速に湿気が追い出される室内で、セラエノ船長と呼ばれた少女は長い藍緑色の髪束を慣れた手つきで編み込み、その先端を左側頭部から回して後頭部にバレッタで留めた。
それはさながら、艶やかな黒髪を彩るアクアマリンのティアラのようである。
クヴァル超帝国出身の不老種の一部には、髪を一房編み込む習慣がある。帝国建国の祖ヴァルヴァラに倣ってのことだ。
髪を整え終わる頃には乾燥も終わり、セラエノはさっぱりとした姿で浴室を後にした。