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擬似温度 × ***

擬似温度 × 片足の靴

作者: 奈々月 郁

人混みに飲み込まれて、あっという間に見えなくなった。




額に衝撃。

うっ、と思わず呻いて、とっさに激突してきたものを掴んだ。


靴?

真っ黒で、下ろし立てのように傷一つない綺麗なパンプス。


自分の後ろで苛立ったように立ち止まり、追い越していくサラリーマン。

自分だって靴がいきなりぶつかってきたことに苛立ちはしたが、落とし主は困っているだろう。このまま更に下へと捨てれば誰かが自分と同じ目に遭うかもしれないし、置いていくのもさすがに意地が悪い。

仕方なしにそのまま掴んで、直前と同じように階段を上り始めた。


地下から地上へと上がる、何かの修行かと思わせるほど長い階段の終わり近くで、困ったように周囲を見回す女性がいた。

手すりを掴んだまま、探し物をしているようなのにそこから離れず、下を―――こちらを覗き込んでいる。


あぁ、あの人か。


もっと近づけば、靴を履かないストッキングのままの素足が、靴を履いたほうの足の上に乗っているのが分かった。うん、間違いない。

握ったままの靴を掲げて軽く振ってあげると、向こうもそれと気付いたのか、ほっとした表情を見せた。

こちらへ来たくともこれないその女性の元へ行くのは、なんだか靴を振って見せるよりも恥ずかしかった。


「すみません、拾っていただいて助かりました」

「いえ、ちょうどおでこにぶつかったので、掴んだだけなんですよ」


片足立ちで器用に頭を下げた女性は、苦笑混じりの言葉にますます小柄な体を小さくした。


「本当に、申し訳ありません!」


苛立ちをそのままぶつけるのも、と思ってかけた意地悪だったが、どちらにしても女性にとってはあまり変わらなかったのだろう。

悪いことをしているような気分になっていたたまれず、話題を変えた。


「女性の靴は大変ですね、階段を上る途中で脱げてしまったんでしょう?」

「はい、本当に、申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました。何か、お詫びを、」

「いえ、いいですから」


立ち居振る舞いに卑屈なところはないのに、いや、そのためか、ひたすら恐縮しきっている様子が言葉の端々から伝わるので、話をしているのが少しつらくなってきた。

もともとラッシュの時間を避けてのんびりと通勤しているから、ちょっと足止めされているくらいで遅刻することもないし、本当に靴がぶつかっただけなのだから、これ以上は僕が悪いような気がしてくる。


少しの罪悪感も手伝って、ちょうど僕のほうが階段のやや下に立っていたこともあり、どんどん小さくなっていく一方の女性の足をやんわりと掴んで、持っていたままのパンプスを履かせてあげた。


へっ、とか、わわ、とか、そんな声が頭の上から聞こえてきたのは、ちょっと楽しかった。


「本当に、あの、すみません」


履かせてから見上げれば、女性は真っ赤になっていた。

おお、ちょっと可愛いかも。


「これから、出勤されるんですか? お時間は大丈夫ですか?」

「はい、お昼からなので今日はゆっくりなんです。急いで歩かなくてもいいから、と思って新しい靴を下したのですが、本当に申し訳ありませんでした」


お引止めしてしまって、と続くその言葉に被せて、


「お顔真っ赤ですし、よかったら、ちょっとお茶でもいかがですか?」


なんてからかうと、なぜか真摯に頷かれた。

お詫びだって思っているんだろうな。


面白いくらい素直な人だなぁ、と誘ったシンデレラに、すっかり参ってしまうのはもうあと数日後のこと。


大変お久しぶりです。

正社員になり、仕事にドタバタし続けているうちに、2年も経ってしまいました。

出会ってくださる方がいるといいな、と願って、また投稿続けます。

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