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悠久の愚者アズリーの、賢者のすゝめ  作者: 壱弐参
最終章 〜悠久の愚者編(上)〜

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454/496

◆445 それぞれの夜 ~後編~

本日のこの「◆445 それぞれの夜 ~後編~」。いつもの10倍の文量があります。何を言ってるのかわからないかもしれませんが。10倍です。三万文字近くありますので、予めご了承ください。

 トウエッドの首都エッド。

 その外れにある木陰で、大きな鼾を漏らす使い魔がいた。

 キング・ハッピーキラーのブル。極東の賢者と呼ばれる知肉のトゥースの使い魔である。

 そのブルの隣では、トゥースが腕を組みながら胡座(あぐら)をかいていた。

 見上げるは月夜。トゥースの下に近付く小さな足音。

 それは、トゥースがブル以外で一番聞き慣れた足音だった。


「よう」

「いよーうっ!」


 快活に、トゥースに手を挙げながら姿を見せたのは、トゥースの弟子であり、アズリーの姉弟子でもあるメルキィだった。

 トゥースの正面までやってきたメルキィは、そのままトゥースと同じように胡座をかいた。そして、両の後ろ手を大地に預け、トゥースと同じように月夜を見上げたのだ。


「何かあったか?」

「なーんにも」

「嘘()け。メルが何もなくて俺様のとこなんか来るかよ」

「それもそーでしたねぃ……」


 トゥースは未だ空を見上げながら、メルキィはウィザードハットを深く被り自分の失態を隠そうとした。


「どうせガスパーの事だろう?」

「それもあるんですけどねぃ……」

「十二士の事もだろう?」

「さっすが私の師匠……ってねぃ」


 肩を竦めるメルキィ。

 すると、ようやくトゥースがメルキィに顔を向けた。その顔は少し面倒臭そうで、どこか面倒臭そうで、やはり面倒臭そうだった。


「う~わ、面倒臭そ~……」

「それを予想してなかったんなら、俺様の弟子は務まらねぇな」

「それもそーっすねぃ」

「それで、ガスパーの事は踏ん切りが付いたのか?」


 トゥースの問いに、メルキィが面食らったような顔をする。


「師匠、流石に単刀直入過ぎですよぃ。……もうちょっとこう……何かないっすかねぃ?」

「おととい来やがれ」


 目を点にするメルキィに、唾を撒き散らしながら煽るように言ったトゥース。


「はぁ~、まぁ期待してもいなかったっすけどねぃ」

「お優しい言葉が聞きたいんなら、アズリーのとこにでも行けばいいんだよ」

「アズ君にこれ以上負担かけてどーするんですかぃ」

「俺様ならいいってのか? はんっ」

「師匠なら、後ちょっとくらいいけそうだと思いましてぃ」


 自身の額をぴこんと叩くメルキィに、トゥースは再度大きな鼻息を吐く。

 しかし、そこは二人の師匠なのか、トゥースは目を伏せて怒りを鎮めた。


「……んま、アズリーへの負担についちゃあ俺様も同意見だ」

「その優しさをもう少し私にですねぃ……」

「本気で言ってるのか?」

「いいえ~、私への優しさもじゅーぶん感じてますよぃ。前までの師匠ならこんな話、絶対面倒臭がって聞いてくれませんもん。まぁ、今もかなり面倒臭そうですけど~?」

「ふん、相変わらず回りくどいヤツだな……」

「性分なものでねぃ」

「で? ガスパーの事は踏ん切りが付いたのか?」

「し、師匠……」


 まるでデジャブ。そうメルキィが感じたのも無理はない。

 メルキィはトゥースに対し、呆れを通り越して、失笑まで追い込まれてしまう。


「ぷっ、あははははは。いやぁ~流石師匠ですねぃ」

「お()ぇが『もうちょっとこう……何かないっすかねぃ?』とか言ったんじゃねぇか」


 そんなトゥースの言葉に、メルキィは目を丸くする。


「ふえ?」

「一周だきゃ付き合ってやっただろう」

「ん? ん~ん……ん? あ~、そういう事っすか。それはちょっと……どうなんです?」


 トゥースの面倒臭がりは生来のものである。

 メルキィの話に付き合う事自体が面倒であり、「ガスパーの話に気を遣え」と遠回しに言ったメルキィの遠回しな会話に、一周だけ付き合ったトゥースは、ある意味成長したのかもしれない。しかし、それでもメルキィにとっては気遣われたと思えないレベルなのだ。ある意味、成長しなかった方がよかったのかもしれない。


「何が問題だ?」

「いや、それがなんていうかトゥースクオリティってやつですよねぃ。はいはい。私が悪かったですよぃ」

「さっさと話せ」


 全てにおいて悟ったのか、メルキィは再びウィザードハットを深く被った。

 先程のように大地に両の後ろ手を預けて。


「…………やっぱり、あれはガスパーなんですよねぃ?」

「紛れもなくお()ぇの兄弟子だよ」

「……なーんで、あんな風になっちゃったんですかねぃ……」


 それは、最初とは違い、質問ではなかった。

 しかし、トゥースは答えた。それがメルキィの求める答えでないにしても、言わずにはいられなかったのだ。彼もまた、ガスパーの身を案じていた一人なのだから。


「力に取り憑かれたんだよ」

「力……ですかぃ」

「俺様が言うんだから間違いねぇ。だが、俺様が弟子にとらなきゃあそこまで育たなかったのも事実だ」

「つまり、師匠の責任でもあると?」

「てめぇのケツくらいてめぇで拭く……と、言いたいところだが、俺様じゃあ勝てねぇ」

「極東の賢者が勝てないっすか~……で、アズ君に任すって事です?」

「俺様が勝てないヤツに任すしかねぇだろ」


 トゥースはまた荒く鼻息を吐き、メルキィの問いを肯定する。


「もう……ガスパーは戻って来ないんすかねぃ?」

「そう思っておくのが正解だろうな」

「慈悲がないですねぃ……」

「お()ぇには厳しく言っておかねぇとな。ガスパーに対抗しようとする魔法の選考だからこそ、お()ぇは上手くいかなかったんだ。素養は十分なのによ」


 メルキィもルシファー・ブレイクの魔法の選考会に当然呼ばれていた。

 トゥースが言った通り、アズリーとの付き合いが長く、素養は十分だからである。

 しかし、外れてしまった。それはやはり、ガスパーを倒そうとする魔法の選考だったからである。兄弟子を殺そうとする魔法に注力出来る程、メルキィの心は強くなかったのだ。


「あっちゃ~……踏んだり蹴ったりじゃないですかぃ」

「全員が全員、全部拭える訳じゃねぇんだ。失った者、失ったモノ、全部引き摺って、這いつくばって生きてんだよ」

「正に、賢者の言葉っすねぃ」

「わかったらさっさと寝ろ。明日、少しでも死ぬ確率を減らすんだな」

「手厳しいねぃ……」


 言いながら、メルキィは後方にどてんと倒れる。直後、ぐわんと後転し立ち上がると、トゥースに小さく会釈だけして去って行ったのだった。

 メルキィの小さな背中を見送ったトゥースは、静かな目をした後、目を伏せた。いや、伏せようとしていた。睡眠に入ろうとしていたトゥースを邪魔した存在がいたのだ。


「なんとも、お優しい事だ……あのトゥースがな」

「あん?」


 声を掛けたのは、寝ていたはずのトゥースの使い魔ブル。


「なんでぇ、聞いてたのか」

「私に聞かれて困るような話ではあるまい」

「ま、お()ぇにはな……」

「トゥースがあそこまで親身になって話を聞いてやるとは、珍しい事もあったものだ」

「べーけやろう。ちゃんと傷付いて帰っただろうが」

「メルはわかっている。厳しさもまた優しさだと……」

「ほぉ~、わかったような口利くじゃねぇか?」


 トゥースが口を尖らせる。

 ブルはそんなトゥースを、まじまじと見つめるのだ。


「何だよ?」

「ガスパーの件、嘘も含んでいるのではないか?」

()は言ってねぇよ。ガスパーの邪気が膨らんだのは俺様の弟子だった頃ではあるが、最初からじゃねぇ。ガスパーが悪魔を召喚したのではなく、悪魔であるルシファーが乗っ取ったのであれば、可能性は(ぜろ)じゃねぇ」

「……詳しく話せ」

「ルシファーの奴、この前、シュトッフェルってやつの姿でやって来たろ?」

「確かにそうだが……?」

「ありゃ魔術でも魔法でもない。奴自身の肉体変異だ」

「…………話が読めないな?」

「シュトッフェルってやつは、王都レガリアにもいなかった。だからこそあんな噂が立ったんだ」

「噂? あぁ、あのルシファーに食われたとかそういう類の噂の事か?」

「その噂は馬鹿に出来ねぇもんでよ? 事実そうかもしれねぇって事だ」


 トゥースの説明に、ブルがある結論に辿り着く。


「ルシファーがガスパー自身を食ったとも言える……そういう事か?」

「だとしたら……ルシファーに(とど)めを刺した後、ガスパーの身体を摘出(てきしゅつ)出来る……そうは思わねぇか?」


 トゥースが聞くも、ブルは小さく首を振る。


「……生憎トゥース程の知識は持ち合わせていなくてな」

「ま、よーするに、さっき言った通り、可能性は零じゃねぇってこった」

「では、何故それをメルに言ってやらない?」

「零じゃねぇだけだ。アズリーが魔王ルシファーを倒す確率を考えりゃ、言えねぇよ」

「何故だ? メルには希望となるだろう?」

「希望見せたらアイツは先走っちまうんだよ。下手な希望見せたら、アイツは転んじまうんだよ。アズリーが勝って上手い事ガスパーを摘出出来たとしても、肝心(かんじん)(かなめ)のメルが死んじまってたら意味がねぇだろうが」

「……なるほどな」

「だろ? アイツにゃ、厳しい現実を見せてた方が、無難だってこった」


 そう言ったトゥースに、ブルが今度は大きく首を振った。

 そんなブルにトゥースが首を傾げる。


「あん? なんでぇ?」

「私が得心したのは別の事だ。やはり……あのトゥースが『お優しい事だ』……とな」


 直後、ブルに馬鹿にされたと知ったトゥースが、渋面になりながら頭を掻く。

 舞う粉雪(フケ)を回避しながら、ブルが失笑する。


「くくくくく……」

「寝ろ、糞豚。それ以上笑ったらステーキにして食っちまうぞっ」

「おーおー、何とも怖い事だ……くくくく」


 トゥースは今日一番の鼻息をふんと吐き、再び月夜を見上げる。

 大人しくなったブルが寝静まった後も、トゥースはしばらく空を見つめていたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 銀の屋敷の一際大きな部屋。

 銀の屋敷は大きな屋敷であるが、全ての人間に大きな部屋を用意する事は出来ない。

 そこはチーム銀の副リーダーの部屋である。

 滅びの町――フォールタウンの元長ライアンの前に、正座する女が一人。


「私は外側だ、レイナ(、、、)

「では私はその後ろに」


 ライアンとレイナは、クリートとの戦闘の後、簡単ではあるが愛を誓い合った。

 しかし、これまでがこれまでだっただけに、生活そのものが変わる事も、立場や呼び名が変わる事もなかった。

 互いの好意を理解しつつも、互いに距離を詰める事はしなかったのだ。

 何故なら今は――魔王の時代だから。


「ならん」


 レイナの言葉をすっぱりと断ち切るライアン。


「……どうしてでしょう」

「外側は危険が大きすぎる。内側からアドルフやマナと共に援護に当たるのだ」


 ライアンとレイナが話していたのは、決戦時の陣形についてだった。

 ブルーツを先頭とし、(やじり)状の陣形をとるであろう明日の戦闘。経験豊富なライアンが、その外側に配備されるのは当たり前の事だった。

 そんなライアンを想い、レイナはその背を守りたいがため、ライアンに具申(ぐしん)しに部屋に来たのだ。


「リードさんはいいのですね」

「……リードには大きな負担を掛けるだろう」


 ライアンの後方に配備されたのはリード。

 彼もまた陣の外側を担う戦士の一人だった。

 ライアンはすんと鼻息を吐き、レイナの瞳を覗き込みながら言った。


「……何故来たのだ? 既に提出し、アイリーン様から許可が下りた陣だ。たとえどんな問題が起ころうと、変更が叶う訳あるまい?」


 レイナの真意を見出すべく、ライアンは諭すように言った。

 しかし、レイナの口は固く噤まれたままであり、それ以上の答えは返って来なかった。

 木製の座椅子に背を預けたライアンは、何の気なしに天井に目を向ける。

 時が止まったかのような沈黙。それを壊すのはやはりフォールタウン出身の人間だった。


『そんなの決まってるじゃないですか、長!』

『愛だよ愛っ! ほれ、お前も言ってやれ!』

『えぇっ!? 僕もですかっ!? レ、レイナさんガンバです!!』


 空気をぶち壊すかのように、けたたましく襖が開かれる。

 そこに立っていたのは、マナ、リード、アドルフの三人だった。

 目を丸くしたライアンと、溜め息を吐いて三人を背中で迎えたレイナ。


「……ふむ。レイナ? 今の溜め息……三人に呆れた訳ではないな?」

「うぇ?」


 じろりと見るライアン。

 リードたちの登場に最初こそ驚いたものの、ライアンは長としての姿勢を崩す事はなかった。

 鋭い視線を三人にも向けると、三人は三人で見合ってから「たはは」と息を漏らしたのだ。


「やはり、レイナの仕込み(、、、)か」


 そう、リードたちはレイナに頼まれてライアンの部屋の前に控えていたのだ。

「仕方ない。奥の手だ」と言わんばかりの溜め息。レイナの行動は全てライアンに見透かされていたのだ。


「何故それ程までに危険に飛び込みたがる……」

「いや、だからその……」

「リード、黙っていなさい。私はレイナに聞いている」

「あ、はい」


 リードは先程の言葉をもう一度言おうとするも、ライアンに先手を打たれ口ごもってしまう。そんな兄に呆れたのか、マナが一歩前に出てライアンに言おうとした。しかし、それすらも――、


「何かね?」

「う……」


 鋭いライアンの視線が打ち砕く。

 長年フォールタウンの長を務めてきたライアンである。こればかりはたとえ銀のリーダー、(すなわ)ちブレイザーが相手でも引く事はないだろう。

 だから、レイナはただ頭を下げる事しか出来なかったのだ。

 土下座をし、畳に額を当てながらレイナが言う。


「お願いします。せめてお傍に」

「…………レイナ」


 流石に困った様子のライアンに、最後の一人が一歩出る。

 そして、レイナと同じようにライアンに深く頭を下げたのだ。


「アドルフ、お前……」

「お願いします、長! レイナさんの願い、聞いてあげてくださいっ!」


 続きリードが土下座する。


「頼むよ長。レイナを……いや、レイナに選ばせて(、、、、)やってくれ!」


 最後にマナが動く。


「長がレイナを心配なように、レイナも長の事が心配なんです!」

「「お願いしますっ!!」」


 三人の強い思い。

 ライアンは一度目を伏せ、リードを見た。


「……リード、『選ばせてやってくれ』とはどういう事か?」

「それは……その」


 先程以上にリードが口ごもる。

 (いぶか)しむライアンが今度はマナを見る。


「マナ」


 マナは強く目を瞑るばかりで、どうも要領を得ないライアン。

 それは、アドルフに視線を向けても同じだった。

 ライアンが最後にレイナへ視線を戻すと、レイナはゆっくり頭をあげてライアンを見た。

 そしてライアンはリードの言葉の意味、レイナの真意を知る。


「……自分の死に場所くらい、私に選ばせてください」


 レイナの瞳には恐怖はなく、不安もない。ただただライアンへの愛に満ちていたのだ。

 これに気付いたライアンは、俯き、あふれ出そうな積年の思い出を振り返る。

 瞳を潤ませるライアンの、一瞬の怒り(、、)。それは他の誰でもない自分への怒り。

 長年連れ添ったレイナの、初めての願い。それこそが、ライアンとの死だった。

 ライアンは自分の無力を呪い、レイナの愛情に甘えそうになった自分に、怒りを露わにしたのだ。

 奥歯を噛みしめ、拳を握り、全ての感情を押し殺し、ライアンは再びレイナを見る。

 そこにはレイナの変わらぬ儚く、優しい顔。


「……ならん」


 リード、マナ、アドルフがバッと頭をあげる。

 しかし、それ三人も以上の行動には出られなかった。

 長の、ライアンの辛そうな表情が、それをさせなかったのだ。

 せめて傍に……それすらも叶わぬレイナ。

 しかし、レイナの顔には一瞬の迷いもなく、再びライアンに頭を下げたのだ。


「では、これにて失礼します。どうかゆっくりと休んでください」


 ライアンは俯きながらそれを聞き、レイナは言い切った後、静かに部屋を出て行ったのだ。

 リードたちはレイナを追い、広間へと向かった。


「流石にひでぇよ、長……!」

「少しくらいレイナの事考えてもいいじゃないっ!」

「あんまりですよっ!」


 それぞれがライアンへの憤りを露わにするも、レイナだけはただ毅然(きぜん)とした態度だった。

 それに違和感を覚えた三人がレイナに聞く。


「さっきからどうしたんだよ、レイナ?」

「そうよ。怒っていいのよ?」

「レイナさん?」


 すると、レイナは鼻で大きな深呼吸をした。

 そして、三人の疑問に応えるように口を開いたのだ。


「問題ありません」

「は?」


 リードが間の抜けた声を出す。


「わかっていましたから」

「私たち全員で言っても、長に断られるってわかってたって事?」


 マナの質問に、レイナは首を縦に振る。


「じゃ、じゃあ何で……?」


 アドルフの疑問に、レイナは少しだけ困った顔を浮かべた。

 色々悩んだ様子で、首をゆらゆらと動かしながら虚空を見た。そして、結論が出たのか、レイナは笑ったのだ。


「確認……ですね」

「確認だぁ?」

「長は、昔も、今も、未来も……長だって事です」

「レイナ、もうちょっと詳しく頼む……」


 リードが頭を抱えながらレイナに聞く。


「あー……なるほど。そういう事か……」

「何ですか、マナさん?」


 マナは理解を示した様子で、アドルフがその答えを探る。


「つまりレイナは……そういう長を好きになったって事よ」


 すると、レイナはマナの推測が正解だという風に、恥ずかしそうに顔を赤らめ、もじもじと俯く。

 未だ理解に及ばないリードとアドルフに、呆れたマナが更なる補足をする。


「はぁ~……ったく、しょうがない男共ね。いい? あそこで意見を曲げちゃ長じゃないのよ。もし曲げたとしたら、それはレイナが好きになった長じゃないって訳。わかるぅ?」

「はー、そういう事か」

「納得です!」


 ようやくリードとアドルフは理解する。

 三人は感心した様子で未だ恥ずかしがるレイナを見るのだ。


「あ、あの……長には言わないでくださいね。不謹慎だって怒られちゃいますから……っ」


 すると、茹で蛸のように真っ赤になったレイナに、マナが飛び付く。


「きゃっ?」

「んもうレイナってば何て可愛いのぉ~~っ!」

「はははは、ちげぇねぇ。安心しろレイナ! たとえ言ったとしても、長だって明日になればそういう雑念は捨てるさ。なんたって、俺たちの長だからな!」

「ベンキョーになりますっ!」


 興奮した様子でフンフンと鼻息を吐くアドルフの頭を、リードがぐりぐりと撫でる。


「泣いても笑っても明日が最後だ。やるしかねぇってな!」

「はいっ!」

「レイナー! 明日は頑張るわよーっ!」

「うふふふ、はい!」


 レイナたちがいる広間の外。

 襖越しに胡座をかく一人の男。

 若人の成長に驚かされる滅びの町の元長。

 闇の月夜を見上げ、静かに目頭を押さえるライアンだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 エッドの南で野営をしている集団。

 野で暮らしていた者にとって、文明の暮らしは不必要。そういった信条を心掛ける戦魔国きっての精鋭チームがある。それこそがチーム白銀(しろがね)である。

 焚き火を皆で囲い、慣れ親しんだ仲間と最後の夜を過ごす。

 白銀のリーダー、白翁(はくろう)ことアージェントの姿は見えない。

 彼は、最後の散歩と称し、そこからさらに南を歩いていた。

 しかし、彼は一人ではなかった。そこには赤髪の女戦士も一緒にいたのだ。

 女の名はベリア。銀虎(ぎんこ)ベティーの実の母親であり、白翁の懐刀(ふところがたな)とも呼ばれる壮年後半の、白銀の精鋭中の精鋭である。


「リーダー、そろそろ戻りましょう。夏とはいえ、またお腹を壊しますよ?」

「はははは、ベリアは決戦前夜も変わらずか」

「それはリーダーも同じです」

「私の場合、いつ死んでもおかしくないからな」

「まぁ、リーダーが寿命で死ぬと? 冗談は皺だらけの顔だけにしてください」


 呆れ、わざとらしく言うベリアに、アージェントが嬉しそうな顔をする。


「今や私にそれだけの小言を言える者もいなくなったな……」


 言うと、アージェントが空を見上げた。

 ベリアが見たその横顔。かつての盟友たちの思い出を振り返っているようなその表情に、ベリアはくすりと笑う。直後、アージェントの表情がピタリと止まる。


「いや、まだいるな」

「えぇ、残っております。生意気な二人……いえ、三人(、、)が」


 三人と言い直したベリアに、アージェントの目が丸くなる。


「ほぉ、ついに白翁の懐刀と呼ばれたベリアが、()を認めたか」

「はて、何の事でしょう」


 とぼけるベリア。アージェントから小言が返ってくると予想したベリアだったが、意外にもアージェントからは何も返って来なかった。

 何故なら、アージェントの片眉はピクリと動き、何かに反応していたからだ。

 モンスターの気配ではない。アージェントには気付けてもベリアには気付けない。そんな小さな気配だった。


「先に帰るとするか」


 いきなりのアージェントの帰宅宣言に、ベリアが疑問を抱く。


「どういう事です?」

「ベリア、しっかりと……な?」

「あ、ちょっとっ! リーダーッ!」


 ウィンクしてから消えたアージェント。

 しかし、それがアージェントの気遣いだと、ベリアはすぐに知る事になる。

 近付く気配。流石のベリアも気付く。一歩一歩自分に近付く練達された足運びに。

 そして知る。それが、今自分が一番会いたい存在である事に。


「……随分成長したわね。ここまで私に気付かせないなんて?」

「爺に気付かれちゃうとは思わなかったわ。結構警戒したんだけどね」

「リーダー相手にそこまで接近出来たら大したものよ、ベティー(、、、、)


 闇から姿を現したのは、銀虎ベティー。

 ベリアの言葉にベティーの顔が曇る。


「気持ち悪いわね。アナタ(、、、)がそんなに私を褒めるなんて」

「そうかしら? 昔は嫌って程褒めてたのだけれど?」

「甘さの権化(ごんげ)って感じのアレ?」


 過去、ベリアに過保護に育てられたベティーが、呆れた様子で言う。

 すると、ベリアは肩を竦めてそれを認めるように言ったのだ。


「そうね、あれは確かにやり過ぎだった」

「…………調子狂うわね」

「ブレイザーが旅立ち、ブルーツとベティーが出て行ってから、リーダーにお説教されたからね」

「そんな話、聞いてないんだけど?」

「言ってないからね。それに、アナタは私の下から離れていたし」

「何、皮肉?」


 顔をしかめるベティーに、ベリアはゆっくりと首を振った。


「私がかつてあなたに、皮肉を言った事があって?」

「…………そりゃまぁ……ないけど」


 口ごもるベティーに、ベリアはくすりと笑い、ベティーに近付く。

 そんなベリアの行動に、ベティーが一歩後退するも、ベリアが更に一歩近付くだけだった。


「もう少し顔を見せなさい」

「何よ? 何する気?」

「娘の顔を見たくない母親がいて?」

「生憎、人買いを営んでると、そういう母親をよく見たわよ」

「あら? 出て行ったのはアナタじゃなかった? あぁ、これは皮肉よ。初めてのね」


 そんなベリアの一言に、ベティーは目を丸くした。

 ベリアはそんなベティーの頬にそっと手を当てる。

 少しだけ嫌がる素振(そぶ)りを見せたベティーだったが、近くにあった(ベリア)の瞳がそれを止めた。

 それどころか、ベティーの中の何かを動かしたのだ。


「立派になったじゃない。お姫様とは呼べないけどね……ふふふふ」


 過去の自分の行いを自嘲するようにベリアが言うも、ベティーは何も答えなかった。

 ただ震える目で、ベリアを見るばかりだ。


「私たちの壁なんて、世界の危機に比べればちっぽけなもの。でも、世界の危機がなければ、壁を超えようとも思えなかった。……これこそ正に、皮肉な話ね」

「……お、怒らないの……?」

「何を言うの? アナタは歴史上類を見ない大激戦――その最前線に立てるだけの……立派な戦士。ベティー……アナタを、同じ戦士として、母として、心から誇りに思うわ」


 次第に溢れるベティーの涙。

 涙で視界が歪むも、ベティーはそれを何度も拭う。

 過ぎ去った時間は戻らない。ベティーとベリアの思い出は限り無く少ない。だからこそ、ベティーは今この時の、最後とも言える夜の、嬉しそうな母親を目に焼き付けるため、何度も、何度も涙を拭った。


「愛してるわ、ベティー……」


 止まらぬ涙と、終わらぬ嗚咽。

 母の慈愛に満ちた言葉はベティーの全てを包み、母より大きくなった身体を母に預けた。


「……お……お母……さん…………っ……っ!」


 その言葉を言えずに過ごした幾千日。その言葉を聞かずの過ごした幾千日。

 ベティーとベリアは、決戦前夜にその壁を乗り越えたのだった。

 母に自らの足跡を大袈裟に話し、ベリアとベティーの時はようやく動き出す。

 ベリアは嬉しそうにそれを聞き、ベティーは嬉しそうに恥ずかしそうに、楽しそうにそれを言った。

 しかし、それはやはり限られた時。

 白銀の野営地に戻るベリアを見送ったベティーは、エッドの南の地で大の字に寝転がる。

 モンスターがいないからこその大胆さ。

 ベティーは煌めく星を見つめるも、その時はあまり長くなかった。


「誰よ? 覗き見なんて趣味悪いわよ」


 目元を赤くしたベティーが、足を振り上げ、反動を利用して立ち上がる。


「あ……すんません」


 初手、謝罪を述べたのは、大柄な魔法士。


「あ、あはははは……見るつもりじゃなかったんだけどねっ」


 焦るように言ったのは、褐色肌の魔法士。

 ベティーが目を細めて二人を見る。直後、ベティーは目を見開いた。

 それは、ベティーのよく知る二人だったからだ。


「何やってるのよ、アンタたち……」

「だ、だってミドルス(、、、、)がさぁ……」

「いや、確かに誘ったのは俺だけど、イデア(、、、)もいいって言うから……」


 そう、銀の魔法士の二人――イデアとミドルスがそこにいたのだ。

 口を結んでジトっと二人を見るベティーの目は未だ赤い。

 しかし、チーム銀の先輩であるベティーに何も言えないイデアとミドルス。

 ちょっとした沈黙が流れるも、やはり、最初にこの緊張状態を破ったのは、銀のお祭り娘だった。


「何? チューくらいはキメたの? ミドルス」

「なっ!? なんっっっっっっっっっっっって事言うんですか、ベティーさんっ!?」


 真っ赤になるミドルス。しかし、それはイデアも同じだった。


「こんな闇夜に二人っきり。むしろそれ以上を疑っちゃうわよ」


 ニシシといやらしい笑みを浮かべるベティーに、ミドルスが額を抱える。

 そう、銀虎ベティーは銀のお祭り娘。何かと冷やかし、何かと賑やかすのが得意……というより大好きだった。

 しかし、今回ばかりは言葉が悪かった。

 ミドルスはこれに反論するしかなかったのだ。そう、全てを有耶無耶(うやむや)にするために。


「ベティーさんだってさっきお母さんお母さんってっ!」

「ちょっ、そこまで覗いてたの!?」

「大平原でやり取り見てて覗きって言いますっ!? ちょっと理解出来ないっす!」

「くっ!」


 相手が珍しいからか、相手が正論だからか、ベティーはすぐに言葉に詰まってしまう。

 あわあわと焦るイデアに視線をずらすベティー。

 すると、ベティーは何かを理解し、悟った様子で大きな溜め息を吐いた。

 その後の全てを呑み込むために。


「…………あんまり遅くならないようにしなさい」

「へ?」


 ピタリと止まってしまったベティーの感情に、ミドルスが毒気を抜かれる。


「まだならまだって言えばいいじゃないの。まったく……でも、その気がなけりゃ付いて来ないわよ」

「うぇ!?」


 ミドルスがバッとイデアの方へ振り返る。

 もじもじと人差し指同士をくっつけては放すイデアに、ミドルスがピタリと止まる。


「でしょ? こういう時なら……いえ、こういう時だからよ。ミドルス」


 言いながらベティーはミドルスの分厚い胸板をノックするように叩いた。


「しっかりやんな。ふぁ~あわわわわ。アタシはもう帰って寝るわ~」


 わざとらしい欠伸(あくび)を演出した後、二人の返答も聞かぬまま、ベティーが闇の中へと消えて行く。


「あ…………」


 ミドルスから出た言葉は、虚空に消える。

 そんなミドルスの背中に、小さな手が置かれる。

 びくりとするミドルスが、恐る恐る後方へ振り向く。


「……何て顔してんのよ…………バカ」


 恥ずかしそうに口を尖らせるイデアだったが、その顔はどこか嬉しそうだった。


「すまねぇ……」


 謝罪するミドルスもまた、嬉しそうにはにかんでいたのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 エッグとドラガン、そしてオルネルが冒険者ギルドから去った後、銀の美姫(びき)と呼ばれる春華(はるはな)は冒険者ギルドに来ていた。

 エッグはリナに何も言わず、伝えずにいたが、そうもいかない男が多いのもまた事実。

 春華(はるはな)は多くの冒険者たちの呼び出しに応じ、一人ずつ極僅かな時間であるが話を聞いて回ったのだ。

 最後の者に話を聞いた春華は、疲れなど一切見せずに、ギルドのカウンターにちょこんと座った。


「お疲れ様っ♪」


 そう言いながらホットミルクを春華の前に置いたのは、ダンカンだった。


「まぁ、よろしいのでありんす?」

「ふふふ、アナタは冒険者ギルドのギルドマスターにすら出来ない事をしたのよ? それくらい私が出すわよ」


 ウィンクをしたダンカンに、春華が困ったように顔を俯ける。

 そして、春華が俯いた理由がわからない程、ダンカンは鈍くなかった。


「ま~ったく、そんな小さな肩に、何てもの背負ってんのよ……」

「……え?」

「戦場に男を送り出す事に、負担なんか考えちゃダメ」


 春華の鼻の頭の前に人差し指をちょんと持ってくるダンカン。

 その行動と言葉に、春華はダンカンに全てを見透かされたと知る。


「……わかりんすか」

「そりゃね。『あなたのために頑張ります!』、『何が何でもあなたを守ります!』、『俺を盾として使ってください!』なーんて言われちゃ、もう最悪よ。ちょっとした恋の駆け引きじゃないの。実際に()るか()られるか。絶対に何人かは……いえ、全員が生きて戻らないかもしれないのよ? 春華ちゃんが気に病むのもわかるわよ。つーか、わからない男共が悪い……ってね」


 ダンカンはグラスを磨きながら、そう言った。


「……あちきは…………あちきは、悪い女でありんす……」


 俯きながら春華が言うと、ダンカンはその手を止めた。

 しんとなったカウンターに違和感を覚えたのか、春華がすっと顔を上げる。

 すると、先程までグラスを磨いていたダンカンが、春華の眼前でカウンターに両肘を預けていたのだ。


「わっ? へ? な、なんでありんす……?」

「わかってない。わかってないわね~……春華ちゃん」

「え?」

「馬鹿な男が多いのは事実よ。でも、彼等が戦場に立つ勇気を持ったのは、紛れもなくアナタの功績。ブルーツちゃんも頑張ってる。でも、彼だけじゃ足りない。戦う理由を、死ぬ理由を女に求めてしまう人もいる。黒帝ウォレンちゃんが、常成無敗のアイリーンちゃんが動かせなかった()を、春華ちゃん……アナタは動かしたの」

「同感ね」

「っ!」

「あら♪」


 会話の間に入って来たのは、戦士リーリア。

 春華の隣に腰を下ろし、リーリアは蜂蜜酒(ミード)を注文する。

 ダンカンは背後にあった蜂蜜酒をグラスに入れ、リーリアの前に置く。


「戦場の優劣を決めるのは、実力や戦略以外に士気もある。それは春華もわかっているでしょう?」


 リーリアの問いかけに、春華が渋々と頷く。


「……あい」

「だからブルーツは一番槍を買って出た。春華のそれもまた同じよ」

「全然……全然違うでありんす……」


 リーリアの説得も、春華には響かない。

 首を振る春華に、ダンカンとリーリアは見合って困った顔を浮かべる。


「あちきのせいで多くの人が亡くなりんす。それはこれまでも同じ……。そして、これからも同じでありんす」

「あら? なら罪作りな女と(ののし)った方が良かったって事~?」


 ダンカンが言うと、春華はリーリアとは反対の方を向きながら言った。


「そう言われた方が、マシだと思う事もありんす……」

「……そんなんで明日、戦えるの?」


 リーリアが心配そうに聞くも、春華からの答えは返って来ない。

 すると、ギルドの扉が開いた。深夜にギルドに来る者は、最早明日の戦争の参加者だと断言していい程だ。だからこそ、三人は入って来た者に焦点を当てた。

 すると、ダンカンが嬉しそうに手を合わせたのだ。


「あら、ちょうどよかったっ! ナターシャ(、、、、、)ちゃん! こっちに来てよ~」


 ダンカンに呼ばれた女は、元六勇士――罪の戦姫(せんき)ナターシャだった。

 ダンカンの野太い声にビクリとさせたナターシャがカウンターを見る。

 すると、彼女は一瞬だけピクリと止まったのだ。そんな反応に気付いたリーリアが一瞬だけ首を傾げるも、ナターシャは静かな表情に戻し、それを保ったまま春華の前までやって来たのだ。


「何?」


 淡々と聞くナターシャに、ダンカンが春華の隣の席を指差して着席を促した。

 すると、ダンカンの頼みは断れないのか、ナターシャは諦めたようにすんと鼻息を吐き、春華の隣に座った。


「あ、あの……初めんして。は、春華でありんす」


 リーリアとは違った、一時代を築いた六勇士の一人に、春華が緊張を浮かべる。


「銀の美姫――春華。知らないと思った?」


 ナターシャはピンと背筋を伸ばし、正面を見ながら春華に言った。

 すると、春華の耳元で、リーリアが話す。


「私は離れて飲んでいる。何かあれば呼びなさい」


 春華はコクリと頷くと、リーリアはカウンターの端に移動して座った。

 そんなリーリアの行動を、ナターシャは横目で見送った。


「はい、ナターシャちゃんはアルコール抜きの蜂蜜酒だったわね」

「甘いは正義です」


 ナターシャはダンカンにそう言うと、ちびちびと蜂蜜酒を二、三口飲んだ。

 そしてグラスを置くと、ダンカンに目を向けた。


「それで? 用があるのはこの子?」

「えぇ、アナタの昔話を聞かせてあげてちょーだい♪」


 そんなダンカンの言葉に、ナターシャが渋い顔を向ける。


「何で?」


 睨んでいるようにも見えるナターシャの瞳に、ダンカンはウィンクをして返す。


「その子も、アナタと同じだから♪」


 ダンカンが言うと、ナターシャの視線の中にあった感情が霧散する。

 そして、春華に目を向けると、ダンカンの言葉にあった真意を春華に尋ねる。


「どういう事?」

「あ……えっと…………実は……――――」


 それから春華はナターシャにこれまでの話を説明した。

 ナターシャは春華の話が終わるまで、静かに、そして親身になって頷きながら聞いた。


「――――と、いう訳でありんす」

「そういう事。それで私……か」


 言いながら、ナターシャはダンカンを見た。

 何故ダンカンが春華の相談を自分に任せたのか、それを知ったのだ。

 そして、春華を見ずに、ナターシャは言った。


「確かにその克服法を、私は知っている」

「それはどういう方法なので……ありんす?」

「条件があるわ。でも、この条件は非常に困難。本題を克服するよりも難しいかもしれないわ。それを、あなたは出来るかしら?」


 ナターシャの刺すような横目に、春華が息を呑む。


「……そ、その条件……とは、何でありんす……か?」


 ナターシャが春華の耳に口を近付ける。

 ボソりと言ったナターシャの言葉に、春華は開いてしまった口をその小さな両手で覆う。


「……まぁ」


 驚く春華と、真剣なナターシャ。


「それを……あちきに?」

「出来るの? 出来ないの?」


 返答ではなく確認。

 春華はナターシャの言葉を呑み込み、静かに、ハッキリと頷いたのだ。


「やりんす……! やってみせるでありんす!」

「…………いいわ」


 春華の意気込んだ言葉に、ナターシャがほのかな笑みを見せた。

 それは、美姫と呼ばれた春華ですら顔を赤らめるような、絵画のような美しさだった。

 ナターシャが蜂蜜酒を一口だけ飲み、その過去を話し始める。


「私の家は、爵位を持つ名家だった」

「だった……」

「小さな家だったけど、前戦魔帝サガン様から領地を頂いた貴族。小さいながら、私の両親はほそぼそとやって来たわ。領民にも慕われてたしね。でも、それも長くは続かなかった。隣の領地の領主が亡くなると同時に領主になった男は残虐非道でね。領民から税を取り尽くすだけ取り尽くしたの。当然、税が無くなると領主は暮らせない。税で贅を凝らすなんて貴族の言葉もあるくらいよ。その領主が横を向くと、あるのよ(、、、、)。幸せそうな領地が。隣の芝生は青いなんて言うけど、その状況からして、実際に青かったのは事実よ。それ程、その領主の悪政によって領民は貧困に陥っていたから」

「そ、それでどうなったのでありんす……か?」

「一夜の内に両親は殺され、家も奪われたわ」


 さらりと言い切るナターシャだったが、春華は言葉を失っていた。


「当然、それが公になれば、戦魔帝サガン様が動く……けど動かなかった。何故ならレガリアに向かう情報は全てその領主によって都合の良いように書き換えられていたから。後で知ったけど、『私の両親が急死した報を聞いて、一人娘に手を差し伸べた』とか伝わってたらしいわね」

「何て惨い……」

「私は命からがら家を脱出して、領民の家に逃げ込んだ……で、ここからがこの話の重要なところ」

「こ、ここからでありんすっ?」


 話の本題がここからという事に、春華は驚く。


「私はその領主に復讐を誓った。そのためならば何でもした。騙し、奪い、殺した。時には(じぶん)も使って他の領主の助けも願った。領民を扇動し、囮に使い、盾にした」

「…………ぁ」


 その時春華は、ダンカンが何故ナターシャとの話を勧めたのか理解した。


「目的のためならば、何でも利用した。……そう、目的のためならばね。両親の仇を討ち、気付いた頃には、私は(つみ)戦姫(せんき)なんて呼ばれてた。サガン様の取り計らいで、私に罪こそないものの、大きな悲劇を背負った。私の二つ名の意味を知る人は少ない。箝口令が敷かれたからね。でも、人々は噂で知ってる。私が何をしたのか。まぁ、それでも知ってる人は少ないのが、救いだね」


 ナターシャの話が終わると、春華は呟くように言った。


「そんな事が……」

「さっきの話、少し気になってたんだけど……」

「え?」

「相手の事も考えなくちゃ」

「……え?」

「相手もきっと、アナタを利用している」

「それは、どういう事でありんす?」

「アナタを理由にしないと戦場に立てない。そういう事」


 そして、春華は気付く。


「……あ」

「アナタは誰のために戦ってるの? アナタの目的は何? 何を理由にしてるの?」


 春華の心の中に見えたのは、一人の男の背中。

 それに気付いたナターシャは、人差し指を立てて言った。


「さて、その男性(ひと)のために戦い、その男性(ひと)が目的で、その男性(ひと)を理由にしているのは、どこの美姫なのでしょう」


 からかうように言ったナターシャに、春華は強く頷く。


「そう、誰もが誰かを理由にしている。それは、決して悪い事じゃない。そうするのが人間だから。それに()は、そんなアナタを責めたりしない。それは、私よりアナタのがよく知っている事じゃない?」

「はい……っ!」

「うん」


 吹っ切れた様子の春華に、ナターシャは一度だけにこやかに頷き、ダンカンを見た。

 すると、ダンカンは嬉しそうにナターシャを見たのだ。


「……出来てた?」

「バッチリ♪ おかげで春華ちゃんが元気になったわ~♪」


 ウィンクをしたダンカンの言葉に、ナターシャはまた頷き、蜂蜜酒を口に運ぶ。

 ちびちびと飲み始めたナターシャの隣の春華が、ぬるくなったホットミルクを一気に飲み干す。

 そんな春華の様子に気付いたリーリアが、ナターシャの背後にやってくる。


「感謝するわ。どうもこういうのは苦手なの」


 リーリアの言葉に、ナターシャはピクリと止まる。


「…………いえ」


 簡潔な言葉と共に、ナターシャは小さな会釈をリーリアにした。


「それでは私は失礼する」


 リーリアの言葉に、春華が反応する。


「どちらに?」

「…………ちょっと、その……ね」

「っ! リーリアさんっ!? もしかして抜け駆けでありんすっ!?」


 それだけで春華は気付いてしまう。

 春華の言葉の真意。それは今しがた話題に上がったアズリーにあった。


「ず、ずるいでありんす!」

「くっ、ここに来たのは失敗だったか……。じゃ、じゃあ春華も来ればいいじゃない」

「言われなくてもそのつもりでありんすっ」


 バッと立ち上がる春華が、入口に向かおうとする。

 そんな春華の腕を、強く引っ張る者がいた。

 それは、春華と先程まで話していたナターシャだった。


「ふぇ?」

「じょーけん。忘れたの?」


 射殺すような鋭い視線。瞬間、春華はナターシャが出した条件を思い出したのだ。

 そして、ナターシャが春華の腕を掴むように、春華もリーリアの腕を掴んだのだ。


「ぬぉ?」


 カクリとなったリーリアは、掴まれた腕の先にいる春華を見た。


「どうしたの?」

「リーリアさん! お願いがありんす!」


 それは、決意溢れる真面目な春華の顔。

 ただごとではないと察したリーリアが、春華に身体ごと振り返る。


「私に出来る事か……?」


 強い意思を見せながら、リーリアは春華に言った。

 すると、春華はバッとナターシャを指差したのだ。


「ナターシャさんに、サインと握手をっ!」


 六勇士とは強さの象徴。

 強さの象徴が憧れるのもまた、強さなのだ。

 赤面するナターシャがちびちびと飲む蜂蜜酒も後少し。

 条件をこなそうとする春華の言葉の意味を、リーリアが理解するのも後少し。

 世界の明暗を分ける戦いが始まるのも……後少し。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ここはベイラネーアより南――巨人の通り道を越えた更に南にある元滅びの町、フォールタウン。

 そこにはかつての陰鬱な雰囲気はなく、整地された土地に多くの緑が生い茂り、果実や野菜、穀物が()っていた。

 その一角にあった整地したての畑で、土まみれになる女が二人。


「ララさん……こ、これ……腰にくるっす!」


 屈みながら均一な間隔で溝を掘るイツキが嘆く。


「イツキ、ダイエットしたいって言ってた。これやればイツキの腹の肉。スッキリ」

「いや、確かに言いましたけど、これ膝への負荷ヤバイですって!」

「回復魔法は得意……!」


 そう、ここは元フォールタウンの「ららふぁ~む」。

 ララはイツキを手伝わせながら深夜の畑点検を行っていたのだ。


「明日世界が終わるかもしれないってのに、何で今なんすかねぇ?」

「お師匠は言いました。『最後かもしれないからこそ、いつも通り』と」


 ララが借りたツァルの言葉に、イツキが乾いた笑いを漏らす。


「……ハハ」


 そして、鼻の頭に土を付けたイツキが周囲を見渡す。


「……で? その肝心のツァルさんはどちらに?」

「これ、今夜中に終わるかわからない。だから、助っ人……探しに行ってる」

「深夜に?」

「農業に深夜も早朝も関係…………ない!」

「何溜めてるんすか? しっかり寝ないとダメっすよ」


 せっせと種を植えるララを見ながらイツキが言うも、ララはその行動を止める事はない。


「最近思ってたんすけど、魔法士の人って変わった人多くないっす? アズリーさん然り、ララさん然り、ウォレンさん然り」

「変わり種……言い得て妙!」

「いや突っ込まないっすけどね。まぁウォレンさん相手に商売したらめっちゃ儲かりましたけど、あの人、人使い荒いんすよね~」

「ウォレン『ららふぁ~む』と契約した、すぽんさぁ。いい人」

「ここの作物が栄養満点で美味しいのは否定出来ないっすからね~」

「イツキ、手止まってる」

「失敬な。これは休憩といいます」

「顔、真っ黒」

「……誰のせいだと?」


 イツキが呆れながら息を額に向かって吹きかける。靡くイツキの髪の毛に、ララが興奮する。


「おぉ~……それ、どうやるの?」

「これっすか? くー! くーれふ!」

「くー?」

「違うっす! くーやって下顎を前に突き出すっす くー! くーれふ!」

「くー!?」

「お、良い感じっす!」


 イツキがララを指差す。

 髪の毛が揺れて喜び、にぱりと笑うララ。


「出来たどー!」

「「何が出来たというのだね?」」



 高らかに叫ぶララの背後から掛けられた鋭い指摘のような言葉。

 ぎくりと反応するララが恐れを顔に浮かべながら、ゆっくりと振り向く。


「お師匠……!」


 当然、そこにはララの使い魔であり保護者であり、農耕の師でもある――カガチのツァルがいたのだ。


「「ララ、いつも言っているだろう? たとえ「ららふぁ~む」内でも、夜遅くに大きな声を出してはならんと……!」」


 ツァルの四つの目がジロリとララを睨む。


「んひっ! も、申し訳ありませんっ!」

「「謝罪も静かに」」

「っ! くぅ……」


 ララはとことことツァルに近付き、その耳元で小さく言った。


「……申し訳ありません」

「「よろしい」」


 そんなやり取りに苦笑するイツキが、ツァルの背後に目をやる。

 すると、そこにはもう一人いたのだ。この場にそぐわぬ異質の存在が。

 イツキは()を指差し、ツァルに聞く。


「……助っ人っすか?」


 ツァルが二つの首を縦に振る。


「「暇そうだったのでな」」

「この人が?」

「「事実、暇そうな顔をしてるだろう?」」

「まぁ、それは確かに」


 イツキが窺うように男の顔を見る。


「暇そうだなんて、心外だなー」


 肩を竦めて言った男の声に、ララが反応する。


「ん? おー、リッキー(、、、、)!」


 ララが最初に反応したのは、男の声ではあるが、男ではなかった。

 元六勇士――天秤の異と称されるバルン。その肩口に乗る、使い魔リッキーだったのだ。


「どした? (から)いのまた欲しいか?」


 リッキーは顔も体毛も真っ赤なスパイシーモンキーと呼ばれる猿。辛い物が大好きなリッキーに、「ららふぁ~む」を営むララは、ちょくちょく差し入れをしていたのだ。


「ララ、しーだ」

「ほえ?」

「何だい、リッキー? また僕に黙ってつまみ食いしたのかい?」


 バルンの言葉に、リッキーはぴくりと反応するも、その目は見ようとしない。

 主人から顔を背けるばかりのリッキーに小首を傾げるララ。


「ししとういるか? ししとう」

「ししとうが辛いのは数本に一本だ。青唐辛子を頼む」

「採ってくるどー」


 言いながら、ララは青唐辛子を採取しに走って行った。


「「今夜の助っ人、バルン君だ」」

「知りませんでした? 私も助っ人なんすけど?」


 イツキが自分を指差しながらツァルに言う。


「「む? そうだったか? いつも一緒だから気付かなかったな」」

「たまにその二つの頭を結んでやりたいと思うのは自分だけっすかね?」

「「イツキ君だ」」


 イツキの悪態を流れるようにかわしながら、バルンにイツキを紹介するツァル。


「おーい」


 (さが)なのか、イツキは淡々と静かに突っ込む。


「流石に知ってますよ。銀の看板娘もとい勘定娘って異名もありますよ」

「「ほぉ~、出世したなイツキ?」」

「老後に三千万ゴルド貯めたいもので」

「それは流石に多過ぎない?」


 バルンがイツキの構想に突っ込む。


「毎日豪遊しながら暮らしたいっす」


 しかし、イツキはそう言い切った。


「んでも、何でバルンさんなんです? 来ちゃってますから別にいいんすけど」

「「何、サガンの話をしてやると言ったら付いて来ただけだ」」

「さっき暇そうだったとか言ってませんでした?」

「「それもある」」

「へ?」


 イツキが首を傾げ、ツァルの言葉を待った。


「「バルン君は、最後の夜に相応しい行動をとっていたと言ってもいい」」


 回りくどく話すツァルに面倒臭さを感じたのか、イツキはバルンを見た。


「何してたんです?」


 イツキが聞くと、バルンはまた肩を竦めて言った。


「べっつに~? 色んな場所にある空間転移魔法陣に乗って遊んでただけだよー」


 と、言ったバルンに、ツァルが指摘するように言った。


「「世界を見に行っていたのだろう?」」


 そんなツァルの言葉に、バルンがピタリと止まる。

 するとバルンは、ツァルから顔を逸らした。


「「恥じる事はない。人生最後かもしれぬ夜。まだ見ぬ地を見ようと各地へ飛ぶというのは、人間が行き着く当たり前の行動だ」」


 そう言うツァルには顔を向けず、バルンはイツキに顔を向けた。


「僕もこの首、固結びしたくなったよ」

「デスヨネー」


 思わぬ意気投合を見せたバルンとイツキ。

 そんな空気を壊すかのようにララが戻ってくる。


「あおとーがらし」


 バルンの肩に乗るリッキーに青唐辛子を差し出すララ。

 リッキーはうんうんと頷き、美味しそうにそれを囓っていく。


「ありがとうララ。それで、ここはどこなの? 初めて来たけど?」

「「ここは忘れられた地。銀のライアン殿たちの故郷でもある」」

「えー? それじゃあリナちゃんの?」

「「うむ。アズリー殿はここを二度に渡り救い、この地に恵みをもたらしたのだ」」

「がんばったどー」


 この地を農園にまで開拓したのは、紛れもなくララとツァルの功績。

 ララは、これまでを振り返りながらそう言った。


「ベティーさんに聞いた事あるよ。街の全員で引っ越ししたってやつでしょう? そっかー、ここがそうなのかー……」


 バルンが嬉しそうに「ららふぁ~む」を見渡す。


「「だから連れて来たのだよ」」

「へ?」

「「まだ見ぬ土地、また一つ見られただろう?」」


 それは、バルンがツァルには語っていない心中(しんちゅう)を、簡単に見透かしていたという事実。

 だからこそバルンは、ツァルをジトりと見た。


「……なーんで、アズリーの知り合いにはこういう腹黒いヤツが一杯いるんだろうね。ぜーんぶわかってるその感じ。嫌だなぁ~」

「「ふむ、確かに。そこのイツキも中々に腹黒いぞ」」

「それは知ってる」

「ちょっと! 今のは心外っす! 私はちゃんと計算して動いてるだけっすよ!」


 バルンとツァルにそう言うも、イツキの前にはララがやってくる。


「イツキ、しー。魔王に殺される前にお師匠に殺されるど」

「あ、はい」


 そんなララを見て、バルンが渋面を見せながら言う。


「ララみたいな子でも、明日死ぬかもしれないってわかってるかー」

「「そういうものだ。誰もが自分の死を予感している」」

「そこの計算高いイツキさんは老後の心配してたけど?」

「私のはイツキ統計学に基づいたちゃんとした計算っす!」


 ふふんと鼻高々に言うイツキに、バルンとツァルは見合って苦笑する。


「一体、どういう統計学なんだか……」


 呆れるバルンに、イツキは目を細め、ニヤリと口を広げた。


「聞きたいっすか~?」

「是非聞きたいね」

「「……ふむ、では小休止といこう」」

「まだ始めてもいないけどね~」

「「はて、そうだったかな?」」


 ツァルのとぼけた態度に、バルンは知る。自分は手伝いのためにここに呼ばれた訳ではないと。ツァルの狙いはたった一つ。不安と恐怖が募るこの夜を過ごす一人の戦士を、一人にしておく訳にはいかなかった。それだけなのだ。

 ツァルの言葉に従い、バルンたちは近くのベンチまで移動して、イツキの話を聞く事にした。


「いいっすか?」

「わくわく」


 ララは、ベンチで足をぶらぶらさせながらイツキの話を待った。

 イツキはどこから出したかわからぬ指示棒を片手に、どこを指示する訳もなくパチンと自身の手のひらに置いた。


「まず、アズリーさんが魔王ルシファーに勝つ確率っす!」


 ベンチ前にいつの間にか置かれていた簡易黒板を、イツキが指示棒でビシリと叩きながら言った。


「「いきなりだな」」

「そこ、五月蠅(うるさ)いっす」


 イツキがツァルを指示棒で指し言う。


「師匠、しー」

「ツァルさん、しーですよ」


 三人に言われてはツァルは口を結ぶ他ない。

 静かになったツァルを前に、イツキの話は進む。


「ほぼ(ぜろ)っす」


 皆の顔が一瞬で暗くなる。


「ほぼ! ほぼっす! いいっすか? アズリーさんがルシファーに勝つ確率はほぼ零。そして、皆さん方がモンスターや悪魔の大群に勝つ確率もほぼ零っす!」


 イツキの「ほぼ」という言葉に一瞬持ち直すも、イツキは更に正面の四人を絶望に突き落とした。


「だーかーらー! ほぼですってば! 次に、このほぼ零とほぼ零を掛けるっす! すると……どーしようもなくほぼ零っす!」


 イツキが黒板にチョークで無数に書く零。小数点を通り越して零が右往左往する。


「……何? ほぼ零って流行ってるの?」


 バルンがついにイツキに突っ込む。


「ほぼ零とほぼ零を掛けても、絶対に零じゃないっすよ?」

「まぁ……確かにそうだけどさ……」

「ここに……人類の可能性を掛けるっす」

「「ほぉ?」」


 意外にまともな言葉が出てきたと、ツァルがそうこぼす。


「はい! どーしようもなくほぼ零から、ほぼ零に戻りましたっ!」

「誰なの、イツキを勘定娘とか言ったの?」


 呆れるバルンと、


「ララ……明日死んじゃう……」


 項垂(うなだ)れるララと、


「「感心した私が馬鹿だったようだな」」


 やはり呆れるツァル。そして、


「来るんじゃなかった」


 ここに来た事を後悔するリッキー。


「これに、愛を掛け、絆を掛け、チームワークを掛け、願いを掛けてから、敵のチームワークと勢いを掛けると……はい! ほぼ零!」

「楽しそうだね」

「ララ……明日大地に還る……」

「「イツキ、皆を虐めるのもいい加減にしたまえ」」


 バルン、ララ、ツァルがそれぞれの思いを口にする。

 しかし、イツキは最後に言った。


「……ここに、アズリーさんの可能性を掛けるっす」

「「っ!」」


 黒板に書かれた文字は『無限大()』の文字。


「あら不思議! あっという間に百%を超えましたっす!」


 チョークと黒板の衝突音が無くなり、辺りに訪れる静寂。

 それを、最初に壊したのは……「ららふぁ~む」の(あるじ)だった。


「ぷっ、く……あ、あははははっ!」


 失笑に追い込まれたララは、先程のツァルの説教すらも忘れたかのように大きく笑った。

 ツァルは呆れ、バルンはリッキーと見合いながら目を丸くした。


「……ここ、笑うとこ?」


 冗談であるかのようなイツキの計算方法に、バルンは黒板を指差しながら言った。

 すると、イツキが首を横に振る。


「私はまだアズリーさんの可能性……その限界を見てないっす」


 自信に溢れた様子でイツキがどんと胸を張る。無い胸を。


「確かにそうだけどさぁ……」

「アズリーさんはこれまで不可能と言われた事を全部成し遂げたっす! 色食街の子供を救ったり、空間転移魔法陣を作ったり、魔王も倒したっす! 負けても生きてるっす! 生きてるアズリーさんには可能性があるっすっ! ……だから、だから……イツキ統計学は正確っす……」


 言いながら、声を震わせながらイツキは言った。

 目に涙を溢れさせつつも、それを見せないのがイツキである。

 後ろを向き、前掛けを顔に持ち上げ、ゴシゴシと顔を拭いた後、鼻をかんだ。


 振り返ったイツキの前掛けには、沢山の汁。

 それを指差して笑うララに、イツキは精一杯の笑顔を向けた。

 ツァルはすんと鼻息を吐き、バルン、そしてリッキーと見合う。

 そして、その三人からの代弁という様子で、バルンが夜空を見上げる。


「なるほど、確かにちょっと笑えたよ(、、、、)


 明日の戦争。

 その参加者であり、この場にいる全員を笑顔にしたイツキの功績。

 バルンは呟くようにそれを称賛し、「確かに勘定娘だ」と、皆の笑顔すら計算して見せたイツキを見直し、また笑ったのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 エッドの南。

 ベティーとベリア、そしてイデアとミドルスが去った地に集まるは、巨大な獣たち。

 灰虎(はいこ)黒亀(こっき)黄龍(こうりゅう)紫死鳥(ししちょう)――そして、赤帝牛(せきていぎゅう)であるウェルダンである。


「考える事は同じ……か」


 皆を見ながら黒亀が零す。


「お、俺は散歩してただけだぞ! 散歩!」


 ウェルダンが恥ずかしさを隠すように焦りながら言った。


「あら、私も散歩ですよ」


 黄龍はウェルダンに便乗するように言う。


「私はポチさんを探していただけだ」


 灰虎の言い訳は斜め上である。


「……ふん」


 紫死鳥はそんな四人を見下すように鼻息を吐いた。

 そして空を見上げながら呟く。


「明日……いや、もう今日か」


 皆が紫死鳥と同じ空を見上げる。


「儂等の命運も……あの(わっぱ)に賭けるしかない」

「えぇ、……でも、私は後悔していませんよ? 何せ、一度は救って頂いた命ですから」


 黄龍の言葉を聞き、黒亀がそちらに視点をずらす。


「なんだ、恩義に感じていたとはな」

「何か問題でも?」


 黄龍が黒亀に首を向ける。

 すると、黒亀はゆっくりと首を横に振った。


「これまでの行動からそう感じられなかっただけよ。儂もまた同じだ……」

「私とて万能ではありません。時が迫らなければ、覚悟と同じように、恩義も零せぬものですよ」


 黄龍の説明に、黒亀が苦笑する。


「……何か来るな」


 ウェルダンが空を見上げたまま言った。

 すると、灰虎が鼻をヒクつかせたのだった。


「若い命……だな」


 皆が空を見つめる。そこには空を扇ぐ小さな四翼(しよく)、空を泳ぐ魔法士がいたのだ。


「あ! 天獣さんたち発見でーしゅ!」

「まぁ、バラードさんですね」


 天獣たちの前にやってきたのは、リナの使い魔バラード。

 五天の霊獣たち、その中央に着地したバラードがちょこんと長い首を折りたたむ。


「こんばんは」

「「こんばんは」」


 全員が口を揃えたかのように、バラードへの挨拶を返す。


「流石天獣さんたちでしゅ! 息が合ってましゅ!」


 瞬間、天獣たち全員の顔が一気に渋くなる。


「そうだ、こいつらが儂に勝手に合わせるからな。何せ儂が天獣たちのリーダ――」

「――あんな爺の戯言(たわごと)を聞いてはダメだ。当然、リーダーである私に合わせたのだ」


 黒亀の言葉を遮るように灰虎が言うも、その前に黄龍が首を伸ばす。


「いいえ、皆がまとまったのは纏め役の私がいたからですよ」


 その黄龍の首をウェルダンが横から身体を動かし押し切る。


「元聖戦士の使い魔たるこの俺がいるからこそ、こいつらはまとまってるんだ」


 と言ったウェルダンの頭に飛び乗った紫死鳥。


「…………私だ」


 まるで背中で語るかのように一言だけ零してバラードに背を向ける紫死鳥に、他の天獣全員が食ってかかる。


「一番の糞餓鬼が何を言うか!」

「己の()というものを弁えるべきだな!」

「どの高みから言っているのか皆目見当もつきません!」

「潰すぞ小鳥が!」


 八つの鋭い視線に睨まれつつも、紫死鳥は涼しい顔である。

 そんな五人に圧倒されながらも、バラードはもう一度言う。


「流石天獣さんたちでしゅ。息が合ってましゅ……」


 そう言われた黒亀、灰虎、黄龍、ウェルダンは、互いに見合ってから恥ずかしそうに顔を背けた。

 ようやくやってきた静寂。紫死鳥が皆に呆れ溜め息を吐いた後、バラードに尋ねた。


「何か用か?」

「お空のお散歩してたでしゅ。皆さんも一緒にどうでしゅ?」

「ほぉ?」


 そう零したのは灰虎だった。


「気持ちいいでしゅよ~?」

「我々は構わんが、ウェルダンは飛べないからな」


 灰虎は言いながらウェルダンを見る。


「えー? ウェルダンさん飛べないんでしゅ?」

「けっ! 空飛んで何が楽しいんだっての!」

「天獣とは言っても彼はまだ若いですからね。仕方ありません。どうでしょう? 黒亀の背に乗せてもらうというのは?」

「「お断りだ」」


 それは、黒亀とウェルダンから返ってきた即答。

 黒亀は自身の背にウェルダンが乗る事を、ウェルダンは黒亀の背に乗る事を嫌がった。

 目をパチくりとさせたバラード。すると、それを見た黄龍が失笑する。


「ふふふふ、若い命はいつも楽しい出来事を運んでくれるものですね」

「それよりお主、確かあの娘……リナとかいったか? あいつの事はいいのか?」


 灰虎がバラードに聞く。


「リナは、今ポチさんと一緒にアズリー様を見てるでしゅ。陰からこっそりと!」


 どどんと胸を張るバラードに、灰虎と黄龍が見合う。


「それは、どうなのだ? 流石に千の魔手に気付かれるだろう」

「えぇ、あの方の魔力感知能力は、魔王ルシファーを除けば世界一と言っても差し支えないでしょうし……」


 二人が言うと、バラードは少しだけ暗い表情を見せた。


「アズリー様は……多分気付いてないでしゅ」

「………………深刻、か?」


 片目を大きく見開いて尋ねたのは黒亀。


「バラードは、見つかっちゃいましゅから……」


 バラードの言葉は、黒亀の答えにはなっていなかった。

 しかし、黒亀はそれ以上聞くことをしなかった。それが、バラードにとって、この場にいる皆にとって、最善だと判断したからである。


「そうか」


 黒亀はそう発したきり、口を固く結んだ。


「そ、そういえば、ウェルダンさんは何で飛べないでしゅ? 皆さんは飛べるのに?」


 バラードは張り詰めた空気を壊すべく、焦って話を元に戻した。

 すると、黄龍がバラードに言った。


「単純に若いからですよ。我々とて、ウェルダン程の若さで飛んだ者はいません。まぁ、元々鳥である紫死鳥は別ですが」

「ふん、あんな光……邪魔なだけだ。出そうと思えば私にも出せる」

「ほぉ、紫死鳥はあえて飛翔時の光を抑えていたのか」


 灰虎は紫死鳥の成長に驚き紫死鳥に言った。

 すると紫死鳥は羽を一瞬広げて見せたのだ。


「ふん」


 その一瞬の羽ばたきに、バラードの目は少年のように輝いた。


「おぉ! 光りましゅた!」

「ウェルダンは数百年生きただけだが、私は五千年生きている。そこの黒亀なんかは一万年生きてると言われてる」

「そうでしたか。リーリアさんと一緒に時を待ってたからまだお若いんでしゅね」

「つまりここは、爺共の集まりだ」


 そう言い切ったウェルダンに、黄龍の目が細くなる。


「この私を爺呼ばわりとは、いい度胸ですね」

「お、おぉ? な、何だ? やるのか!?」


 黄龍の冷たい視線と静かなる闘気に、流石のウェルダンも焦りを見せる。


「黄龍に年齢の話は御法度だ。昔、黒亀もそれで絞め殺されかけたからな」


 灰虎の言葉に、ウェルダンが驚く。


「そ、そんなの知らねぇぞ!? くっ!」


 ほんの冗談という思いから出たウェルダンの煽りも、真面目な黄龍には効かなかった。いや、効き過ぎてしまったのだ。

 暴れるウェルダンにするすると這い寄り、黄龍はいとも簡単にウェルダンを絡め取ったのだ。


「最後の夜です。最初で最後の夜空の散歩を楽しみましょうっ!」


 黄龍はウェルダンを絡め取ったまま、空へ飛び上がる。


「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」


 泳ぐように空を飛び始めた黄龍と、それに捕らわれたウェルダン。


「ふっ、ならば私も付き合おう。この命――ポチさんのために!」


 灰虎が苦笑しながら黄龍たちの後を追い、飛び上がる。


「ふん、最後ぐらい静かに過ごしたいものだが、そうも言ってられないのも……時代故か。先に行ってるぞ。若いの」

「はいでしゅ!」


 黒亀も、のそのそ動きながら三人の後を追う。

 バラードも飛び上がろうと翼を羽ばたかせるも、最後の一人が動いていない事に気付いた。

 振り返り紫死鳥を見るバラード。


「紫死鳥さん……?」


 紫死鳥は空を見つめていた。

 皆が飛んで行った南の空でも、ルシファーが待ち受ける西の空でもない……北の空を見つめながら。


「あの、紫死鳥さん? どうしましゅた?」


 バラードの強い確認に、紫死鳥がようやくバラードに目を向ける。


「若い命……か」

「へ?」

「いや、何でもない。折角の招待だ。私の夜の散歩コースを教えてやろう」

「え! ホントでしゅかー!?」

「ふっ、離れるなよ」

「はいでしゅ!」


 二人は大きく羽を、翼を羽ばたかせ最後の夜の大空へ舞った。

 その数刻後、エッドの聖域である神山からは、五天と一竜の大きな笑い声が木霊したのだった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 エッドにある称号消しの巫女の祠。

 そこは、かつてアズリーが称号消しの巫女である薫にポチビタンデッドを渡し、称号を消してもらった場所。

 そこでは、囲炉裏(いろり)を前に薫が正座し、その囲炉裏を挟んだ対面に、もう一人の男が座っていた。

 男の名はイーガル。

 大戦時、クッグの猪共(いのししども)を率いたガイルの子孫である。

 現在もイーガルはエッドの猪共を率い、薫の祠の内外を警護している。


「寝なくてよろしいのですか?」


 イーガルが薫に聞く。


「こんな夜。眠れる方がどうかしてるよ。私がアンタに聞いたってそう答えるんじゃないかい?」

「はい、確かにその通りかもしれません」


 イーガルは薫を前に目を伏せながら少しだけ笑みを見せ、ふと思い出した様子で聞く。


「……潤子様は?」

「潤子? 潤子なら安全な場所さね。結局、アズリーとは最後まで会えないままだったね。ちょっと前はあんなに会いたがってたのに、今じゃそんな元気も見せないよ」

「やはり……予知の魔眼の影響でしょうか?」

「元々身体が強い方じゃなかったからね。大戦以降予知の魔眼の使用は控えてたんだが、新たな脅威が近付きゃ、使わない訳にもいかない。当然、その頻度も最後の夜が近付く度に上がっていく。といっても、その前に身体壊したんだから世話無いね」


 薫が姉の潤子を呆れるように言うも、その顔は些かも呆れていない。

 それが見てとれたからこそ、イーガルは苦笑し、薫を見つめた。


「潤子様は、素晴らしい妹をもったようですな」

「褒めても何も出やしないよ」

「しかし潤子様は身体を壊す程……一体誰の未来を視たのでしょう?」

「それは私の口からは言えないね」

「ほぉ、ではそれ程の方(、、、、、)という事にしておきましょう」

「そうじゃないよ」


 イーガルの言葉を、薫はすぐに否定した。

 そして、囲炉裏を見ながら、口をへの字にして言った。


「雰囲気もくそもないね。まぁ、夏だし火なんか入れないんだけどね」

「はははは、魔王も狙ったのか狙わずか、八月の最後の日を決戦に指定するとは…………どうやら我々に九月がくるかは、ポーア様……いえ、アズリー様の手にかかっているようですね」

「……だねぇ」

「して、『そうじゃない』……とは?」

「私も知らないんだよ」

「……はい?」


 薫の言葉に、イーガルは太い首を傾げて言った。


「だから、私も知らないんだよ。魔眼を使った相手」

「妹である薫様でも知らぬ相手……だと?」

「妹である私にも明かせぬ相手……ってのが正解だろうね。てっきりあの子(、、、)を視たのかと思ったんだけどねぇ」

「というのは、お二人のご友人の……チャッピー様で?」


 薫が静かに頷く。


「しかしチャッピー様でもない……と?」

「いや、あの子で合ってるのかもしれないし、そうでないかもしれない」

「何とも、曖昧ですなぁ……」

「仕方ないだろう。私が潤子に聞いても、笑顔しか返してくれないんだから。まったく、困った姉を持ったもんだよ」

「なるほど、今回ばかりは呆れていらっしゃる」

「そう見えるように言ったつもりだけどね」

「真に迫っていらっしゃる」

「真の闇が迫ってるからね」


 薫の言葉に、イーガルは腕を組み天井を見上げる。


「泣いても笑っても」

「泣き叫ぼうが慌てふためこうが」

「全ては」

「アズリー次第」


 そんな結論の後、イーガルも薫も……暗い表情を見せる。


「何とも、不甲斐ないですなぁ」

「アズリーには……あの子には、本当に負担をかけるねぇ」

「こればかりはたとえポチ様でも」

「あぁ、自分で乗り越えるしかない。我々はこう言ってやるしかないんだ。『一緒に死んでやる』ってね」


 それを、はにかみながら言った薫に、イーガルは苦笑する。


「初めて見たかもしれません。薫様のそのようなお顔」


 一瞬、イーガルの言葉に恥ずかしそうにする薫。

 しかし、すぐに顔を戻し、イーガルから顔をそむけて言ったのだ。


「今回ばかりは演技じゃないからね」

「えぇ、存じております」


 微笑みながら薫を見るイーガルだったが、薫はしばらくそのイーガルに視線を戻す事が出来なかった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 深夜のトウエッド。

 首都エッドの奥深く。巫女の神殿に続く道をふらふらと歩く少女と思しき女。


「まったく……ジェニファーったら呑みすぎよっ。明日ヘマしたら許さないんだからっ」


 先程までウォレン、ダラス、トレース、ジェニファーの四人と最後の飲み会に参加していた、常成無敗のアイリーンである。

 神殿に続く道はいくつかあり、当然、アイリーンの歩く道に合流する道も存在する。

 その別の道を歩いて来た者が二人。

 それはアイリーンもよく知る二人だった。


「やはり来たわね」

「あら、アイリーン様。こんばんは」


 枝分かれした道からやって来たのは、元聖戦士の戦士リーリア。

 そして、銀の美姫――春華だった。春華は目を細めながらアイリーンを見て挨拶をした。

 そんな春華の視線に気付き、アイリーンは咄嗟に目をそらす。


「ぐ、偶然ねっ」

「私でもこの魔力(、、、、)を感じ取れるのよ? あなたが感知出来ないはずないでしょう」


 リーリアの言葉に、アイリーンが言葉を詰まらせる。

 アイリーンが立場を使って反論出来ない数少ない相手、その一人であるリーリアならではの皮肉である。

 しかし、リーリアの皮肉以上に、春華は心配そうな目を神殿の方へ向けた。


「いえ、おそらくエッド中の方が気付いていらっしゃいんす。それ程までに、この魔力の波は儚く……脆い……」


 自身の胸元に置いた手を強く握る春華。

 当然、その不安定な魔力に気付いたからこそ、アイリーンもここまで歩いて来たのだ。

 冒険者ギルドを出たばかりの足取りの軽かったリーリアと春華も、魔力の発信源に近付くにつれ、不安を募らせた。


「……行きましょう。先客(、、)もいるようだし」

「そうね」

「あい」


 アイリーンの言葉と共に、三人は再び神殿跡を目指し歩き始めた。

 やがて見える神殿への石畳。その石畳が、歩を進めるごとに汚れていき、割れていき、砕けていく。そして、石畳が存在しなかったかのような更地を超え、無数の大穴を超えた先にあるのが、つい先日、アズリーと魔王ルシファーが戦っていた神殿跡である。


「……初めて見んした」


 一つ一つの魔王の爪痕に、春華が息を呑む。

 リーリアとアイリーンも黙ってはいるが、己の理解の範疇を超える存在同士の激突、更にはそれを生き残ったアズリーが、昨日までとぼけていたという事実を呑み込み切れずにいる様子である。


「……いたわね」


 アイリーンが足を止め、最初に見たのは見慣れた愚者の使い魔の背中。

 そしてその隣には、愚者の一番弟子の背中。


「……隠れてるのかしら?」


 リーリアは目を細め、二人がいる場所を見る。

 やはりそこは戦闘で出来た堀であり、二人は身を隠していたのだ。

 更に遠くには、アズリーと思しき背中が見えるも、二人はそれに近付こうとすらしない。

 ただ、その背中を見守るばかりである。


「あちら……でありんすね……」


 春華がそう零したのも無理はない。

 アズリーと一番近い存在であるポチが、そのアズリーに近付けないのだ。春華も、当然アイリーンとリーリアも、ポチとリナがいる堀に向かい、静かに歩き始めた。そう、アズリーに気付かれないように。

 静かな足音も、背後まで迫れば当然気付かれる。リナは振り向いて三人を出迎えた。


「やっぱり、気になっちゃいますよね……」


 リナは三人の顔を見るなり、暗い表情を俯かせた。


「これだけ不安定な魔力撒き散らしてたら誰でも気になるわよ」


 小声ながらアイリーンの言葉は強い、しかしその中には、アズリーへの心配が根底にあった。

 三人はリナたちの隣に腰を下ろし、遠目に見えるアズリーを心配そうに見つめる。


「一体、いつからああして……?」


 春華の問いに、リナが首を振る。

 それは、リナでさえも知らないという事実。


「……もう、三時間程でしょうか……」


 そこで、ポチがようやく口を開く。

 それは、ポチが最初からアズリーを見守っていたという事実。

 それぞれがそれぞれの最後の夜を過ごす一方、アズリーとポチは互いに一人で過ごす事を選んだ。そんなポチの隣にやって来たのが、リナであり、アイリーンであり、リーリアであり、春華だった。

 だが、アズリーの隣には誰も行けないのだ。そう、たとえポチであっても。


「行って……あげられないのでありんしょうか……?」


 春華の心配そうな言葉を聞くも、ポチは静かに首を横に振る。


「一人になりたいから……マスターは、アズリーはあそこにいるんです。どうか、一人にさせてあげてください……」


 ポチにこう言われては、他の四人が何も言える訳もない。

 しかし、アズリーの動向が気になるのもまた事実。

 アイリーンたちは、アズリーの動きに注視する。

 すると、リーリアが気付く。アズリーの微細な動きに。


「揺れて……? いえ――」


 それは、動きではなく反応……いや、反応ではなくアズリーの心そのものだった。


「――震えて……いるわね」


 アイリーンの言うとおり、アズリーは俯き、震えていたのだ。

 やがてアズリーは自身の両肩を抱き、何かから隠れるように自分を小さくした。

 リナと春華は口を両手で塞ぎ、漏れ出そうになった自分の声を最小限に押しとどめた。

 アイリーンの口は自然と小さく開いていた。まるで、夕方の出来事が嘘であるかのように。先程まで会っていたアズリーとは、別人を見ているかのように。

 リーリアはそんなアズリーを見て、歯を食いしばり、強く目を瞑る。


「怖い……でしょうね……」


 リーリアが絞り出した言葉は、アズリーの胸中……その核心部分についてだった。

 そしてそれは、この場にいる誰もが気付いた事。

 リーリアは過去に魔王ルシファーと戦い、皆と協力して打ち倒した。しかし、リーリア一人では絶対に敵わなかった相手である。アズリーが、ポチが、ジョルノが、リーリアが全員で立ち向かい倒した最強の存在……だった。

 魔王ルシファーは再び現界(げんかい)した。

 そして、そのルシファーは過去戦った魔王ルシファーを軽く凌駕する存在である。

 リーリアは、アズリーの胸中を知り、ルシファーの恐ろしさを思い出し、額に汗が伝う。

 皆がリーリアのそれを感じ取り、アズリーの心を知る。

 直後、ポチの耳がピクリと反応した。

 それは、アズリーから何か聞こえたという証だった。

 それに気付くなり、皆は堀の際に近付き、耳を澄ました。

 アズリーから聞こえて来たのは、蚊の鳴くような小さくか細い震えた……泣き声。


「……怖い……怖い……怖い……嫌だ……死にたくない……でも……でも……俺しか……俺しか……嫌だ……死にたく…………死にたくねぇよ……」


 肩を抱き、縮こまり、震え、泣き、恐怖し、(かぶり)を振る。

 そんなアズリーを見た全員が……言葉を失う。

 リナと春華は目に大粒の涙を溜め、アイリーンとリーリアは己が唇を噛んで溢れる感情を押し殺そうとした。しかし、たとえ解放軍(レジスタンス)のリーダーであるアイリーンであっても、元聖戦士の戦士リーリアであっても、それを押し殺す事など出来なかったのだ。

 全員が大粒の涙を頬に伝わせ、それをアズリーと共有出来ない自分の無力を呪った。

 ポチは真っ直ぐアズリーの震える背中を見た。恐怖で染まるアズリーの背中を見ながら、ポチもまた泣いた。


「誰も……誰も……マスターの代わりは出来ません。マスターの隣に立てる人なんか、端からいなかったんです。……マスターしか、アズリーしかいない。ルシファーの前に立てる人は……アズリーしかいないんです。誰も、代わってあげられない……」


 ポチは何度も同じような言葉を繰り返し、震えながら、泣きながらアズリーの背中を見つめた。


「神様……お願いします。ご飯も我慢します。アズリーの言う事も聞きます。全部……全部ちゃんとやります。だから……お願いします。…………アズリーを、助けてあげてください……!」


 ポチの視界は、最早(もはや)アズリーの背中を捉えきれぬ程、歪んでいた。

 (こうべ)を垂れ、神に祈るも……この世界の神の力は消えている。

 その事実を痛い程理解しているからこそ、この場にいる全員の涙は、決して止まる事はなかった。

 決戦の日を知らせる――朝日が昇るまで。

これにて、悠久の愚者編(上)は幕です……かね。悠久の愚者編(下)はいよいよ最後の決戦です。

アズリーやポチにはいつも助けてもらってるのに、辛い思いばかりさせて申し訳ない気持ちでいっぱいです。

ここで漏らすと書けなくなりそうなので、最後の最後に色々書かせて頂こうと思います。

私は、最後の一文字まで、しっかり、『悠久の愚者アズリーの、賢者のすゝめ‬』のキャラクター皆と、一緒に、愚直に進んでいこうと思います。

読者の皆さまも、是非最後まで皆を応援してあげてください。


壱弐参(ひふみ)


※評価、ブックマーク、感想、コメント、メッセージ、いつもありがとうございます。ページ最下部にある評価、是非チェックして欲しいなと思う今日この頃。


『悠久の愚者編(下)』でまたお会いしましょう!!


ではでは!!!

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