◆423 ブルーツの背中
広間の襖を開け、廊下を隔てた先に、魔法教室の広場がある。
ここは全ての人間が練武する場であり、それらに対応するため、当然そこには水飲み場も設置されている。
ここに、顔を洗いに来た二人の六勇士がいた。
「……ふぅ」
「どうぞ、キャサリンさん」
「どーも」
六勇士のキャサリンとジェイコブである。
目に隈を作り、見るからに疲弊している。
ジェイコブに渡された手拭いで顔を拭いたキャサリンは、広間の方を振り返りながらそれをジェイコブに返す。そして夜も遅い中、未だ明かりの点いている広間の影を見据える。
「ったく、どんな集中力よ。もうこれで三日目よ?」
同じく顔を拭いたジェイコブも、手拭いを畳みながら言う。
「正直、常軌を逸してますよ。十二士から見てもね。アイリーンさんだって引っ込んでしまいましたからね」
「まぁ、それは仕方ないでしょうね。こちらの戦力の底上げもしなくちゃいけないし」
「では我々はいいと?」
「あれが失敗したら、それこそ命がないから……としか言いようがないわ」
キャサリンは水飲み場近くのベンチに腰を下ろす。
そんな中、微細に空気を揺らす存在が一人。これに気付かない二人ではない。
「だーれよ? 気配の隠し方が雑よー?」
魔法教室の広場である以上、敵という事は考えにくかった。
キャサリンの口調は軽くとも、ジェイコブは既に手を剣にかけていた。
すると、風切り音が二つ聞こえ、ジェイコブ、キャサリンそれぞれに向かっていった。
それを難なくキャッチした二人の前に近付く足音。
「へへ、お疲れさん」
シルエットが近付き、陽気な声が聞こえてくる。
「おや、貴方は確か……銀狼さんでしたか?」
「チーム銀の特攻隊長ブルーツ。こんな夜更けに何の用かしら?」
広間の火でようやく顔が照らされたのは、銀のブルーツだった。
「あんだよ、疲れてるだろうからってソレ持って来たんだぜ?」
ブルーツが指差したのは、先程二人に投げ渡された二つの瓶。
「これは?」
ジェイコブがブルーツに聞く。
「ポチビタンデッドってんだ。元気が出るから飲んでみなっ」
「大して知らない人間からの施し程怖いものはありません。お返しします」
「おい、何でそうなるんだよ!」
ジェイコブの態度に、ブルーツの目がつり上がる。
「確か私たちをレガリア城で気絶させてくれたのも……あなただったかしら?」
「た、確かにそうだけどよ。そりゃアズリーが作ったもんだ。ここにいる連中は大体飲んでるし、別に毒なんて入っちゃいねぇよ」
「ふ~ん……」
星空に瓶を掲げて眺めるキャサリン。
ブルーツの言葉に害意がないのは二人とも理解していた。そして、その説明にあったアズリーの名前を聞き、二人は流し目で見合ったのだ。
それから、キャサリンが瓶の蓋開けて中身を飲み干すまで、そう時間はかからなかった。
そんなキャサリンを見て、ジェイコブは一度深い溜め息を吐く。直後キャサリンと同じようにポチビタンデッドを飲み干した。
「「……っ!」」
それは、二人に起きた不可解。
これまで体験したどんな不可解よりもおかしな、とびきりの不可解。
二人の表情から効果を実体験したと認識したブルーツがにやりと笑う。
「……技術革新、ここに極まるってやつね」
「まったく、これがあればギルドの仕事も楽になったものを……」
現在の二人の仕事は冒険者ギルドお抱えの特別ギルド員。
冒険者ギルドのギルドマスターであるスコットの命に従い、各地を転々と動く遊撃員のようなものである。
戦士であるが故、ギルド員の多忙さ故、二人はポチビタンデッドの価値を大きく見出した。
目を見張り飲み干した瓶を見る二人に、ブルーツが更に近付く。
「実はな、アンタたちに聞きたい事があったんだよ」
二人は何事かと見合った後、ブルーツを見る。
「可能な限りで構わねぇ。各地の街、村、集落の事を知りてぇんだ」
その言葉の重さに、二人の目が強く、鋭くなる。
しかし、それを受けるブルーツの目もまた、真剣そのものだった。
「興味本位、という訳ではないようですね」
言った後、ジェイコブはキャサリンを見る。
キャサリンは脚を組み、肘を抱えて空を見上げる。
「……ま、お茶代くらいは話してあげるわよ」
「ありがてぇ」
ブルーツはその場に座り、胡座をかいた。
ジェイコブもキャサリンの隣に腰掛け、キャサリンと同じように空を見上げた。
「何から話しましょうか?」
「いいんじゃない? 二人で行動してた訳じゃないんだから。それぞれ見てきた事を話せばいいのよ」
「……そうですね」
ジェイコブはキャサリンの話に同意し、暫く黙り込んだ。
それは、ジェイコブの顔すらも歪めるような、重く辛い話だったからだ。
「……聞いてるかもしれませんが、大きな街はまだ辛うじて機能しています。しかし、中小規模の街や村、集落はほとんど地図から消えていると思った方がいいでしょう」
「…………そんなにか」
「勿論、ギルド員の誘導、私たちの時間稼ぎによって大きな街に転移した者たちは助かっています。その大半はベイラネーアかこのトウエッドに来ているはずです。まぁレガリアに飛んだ者もいますが、先の作戦でそれもこちらに転移しているので、一番人口を抱えているのは、このトウエッドだと言っても過言ではないでしょう」
「そうか……」
ブルーツの声が少しだけ明るくなった。しかし、そこから先のジェイコブの言葉は、闇の一言であった。
「当然、助からなかった土地もあります」
「っ!!」
「街は血の海。人とは言えぬ骸。残骸に埋まり、助けを請うかのように天に向かって挙げられた腕。男も、女も、子供も、誰にも訪れた等しい死。僕はそういう土地を沢山見てきた。正直、元六勇士なんて看板さえなければ、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったね」
長い鼻息を吐いた後、ジェイコブは肩を竦めた。そして、キャサリンの方を見るのだ。
「……勇敢に戦った者も当然いたわ。街の、村の、集落の皆を逃がすために命の限り戦った戦士や魔法士。駆けつけた私の目の前で食われたヤツまでいたわね」
キャサリンは辛い過去を思い出すように、顔を暗くする。
「……馬鹿ね。死んじゃ意味ないのよ、まったく」
キャサリンの言葉には、死者に対する侮辱が込められている。ブルーツはそう思った。しかし、そんな事はキャサリンの苦悶の表情を見れば、一目瞭然だったのだ。
俯き、黙る二人に、ブルーツは深く頭を下げる。
「……ありがとう」
そんな反応は聞き飽きた。二人はそんな表情をする。
「なーによ? こんな事聞いて何がしたかったのかしら……」
「いや、まぁ……なんつーかな? ははは……」
ブルーツははにかんで笑いながらキャサリンを見る。
言葉にならない感情。キャサリンはブルーツの意図に気付いていたのだ。
「死んだって思い出してくれる人はいないわよ」
無慈悲とも思えるキャサリンの言葉。
「なるほど、なんともお優しい銀狼もいたものだね」
ジェイコブも、ブルーツの質問の意味に気付く。
「な、何でだよっ」
「馬鹿ね、あなたがいるチームは天下に名を轟かせた銀よ? そこの特攻隊長が死ぬんだったら、大抵の人間が死んでる時よ。思い出してくれる人なんて、生きちゃいないのよ」
「っ!」
そう、キャサリンの言葉は、決して無慈悲ではなかった。
限界突破をしても、レベルが上がっても、強力な軍隊は恐ろしいものである。たとえブルーツでも死ぬ可能性はある。その死を、ブルーツは実感し、逃避先を自分の質問に込めたのだ。
銀のブルーツは、ビリーとクリートがエッドに攻めて来た時、恐怖により一番槍をライアンにとられた。それは、銀狼と称される男である前、つまり、人間であれば当たり前の感情なのだ。
「皆ね、死ぬのは怖いのよ」
「えぇ、とても怖い事です」
キャサリンの指摘に、ジェイコブがわざとらしくうんうんと頷く。
「アンタらも怖いのか?」
「そりゃ勿論」
「馬鹿じゃありませんか?」
キャサリンとジェイコブの、いつも通りの嫌味溢れる顔が戻ってくる。
しかし、それは過去の二人ではない。
「でもね――」
「――え?」
「アナタみたいな特攻隊長がいないと進めない、死に立ち向かえない人もいるって事よ」
「っ!!」
ブルーツの顔が硬直する。
「いい? 人生経験豊富な私だからこんなアドバイス出来るんだからね~」
「さすがキャサリンさんです。でも自分は特攻隊長なんて出来ないんでしょう?」
「当たり前じゃない。アドバイスってのはね? 自分を棚に上げて言うものなのよ」
「さすが博愛。皆さんに平等ですね~」
「あ、そういえばさっきの話の続きだけど、襲われてる街の中に無人の街みたいなところなかった?」
「あぁ、いくつかありましたね。『モンスターが人間を丸呑みしたか早い段階で脱出したんだろう』ってスコットさんが言ってましたよ」
「そうよ、皆そうすればよかったのに。あ、コレごちそうさま~」
「僕のもお願いしますね」
キャサリンとジェイコブは、ブルーツの前に空瓶を置き、広間の方へ戻って行く。
二人の言葉は、軽くおざなりともとれる。
しかし、硬直していたブルーツは違った。そうは受け取らなかった。
強く拳を握り、開いては握るブルーツの瞳に、熱い炎が宿る。
銀の特攻隊長、銀狼ブルーツ。
彼の背中を見て進む仲間のため、彼は、今一度、拳を強く握るのだった。
次回:「◆424 新魔法完成!」をお楽しみに。




