◆340 闇の錯綜
これより第十一章の開幕です。
アズリーが空間転移魔法陣で解放軍のアジトに戻った頃、チャッピーは残り少ない魔力で、未だガスパーを足止めしていた。
既にチャッピーは限界が近く、気力のみで持っているような状態だった。
すると、歯がゆい思いをしながらも、沈黙を貫いてきたブライトがようやく指示を出したのだ。
『……っ! チャッピー! 潮時です! 師匠の魔力がここを離れました!』
『さぁ、ちゃっちゃと逃げるわよ!』
そんなブライトとフェリスの声を聞き、チャッピーはブレスを止める。と同時に、反転してガスパーから、このレガリアから離れようとした。
「とうっ!」
――――しかし、
「逃がすと思ったのか?」
チャッピーは反転して羽ばたこうとした瞬間、眼前にガスパーが現れたのだ。
そして宙でピタリと止まり、浮遊するガスパー。
『空中浮遊魔法……!』
「これくらいで驚いてもらっては困るな。監視者よ」
『僕たちより戦魔帝の心配をしたらどうですか?』
「ふん、既にあのような置物に価値はない。これからはイシュタルが喜んで国を動かすだろう」
『へぇ、あなたは携わらないと?』
「情報を引き出そうとしても無駄だ。どの道ここで終わる命だがな」
ブライトとガスパーの会話は、ガスパーの右拳があげられると同時に終わりを告げた。
「ぐぁ!?」
一瞬にしてチャッピーとの間合いを詰め、ガスパーは強烈な一撃をチャッピーに与える。
捉えられた右羽に重い鈍痛を抱えながらも、チャッピーは羽ばたく事を止めない。
「はぁ、はぁ、はぁ……くっ!」
「ほぅ、何と勇ましい目よ」
チャッピーはサングラスの隙間から鋭い視線をガスパーに向け、痛む右羽をかくりかくりと動かす。
「しかし、それももう終わる」
ガスパーが右腕を上げる。
迫る危機を前にしたチャッピー。
しかし、それはフェリスとブライトの声によって風向きが変わるのだった。
『おっそいわね、まったく!』
『今です!』
「何?」
直後、ガスパーの背中を風のような、しかしつぶてのような衝撃が無数に襲ったのだ。
「ぬぅ!?」
ガスパーの目には真っ暗な闇が広がり、その闇の中から再びブライトの声が聞こえた。
『僕たちは先発隊だったもので、すみませんね』
『ば~い』
「さらばだ!」
そしてガスパーの耳に残ったのは、静かな羽ばたき音のみ。
衝撃が止み、瞑っていた目を開くと、ガスパーは東の空を睨んだ。
「……逃がしたか。しかし今のは? ふむ、この魔力の残り香……まさか、な」
空中浮遊魔法を解き、ガスパーはゆるやかに横たわるビリーの下へ降りた。
「ふん」
そう言って、ガスパーはビリーを蹴り上げ、壁にぶつけたのだ。
「ぐぉっ……」
これが気付けとなり、ビリーは意識を取り戻す。
「ガ、ガスパー様……! イ、イシュタル様はっ?」
ビリーは周囲を見渡し、己が主の姿を探す。
「ロイドの調整だろう。アズリーと会ってネジが緩んだやもしれんからな」
「そうでしたか……」
ガスパーは冷たい目をビリーに向け、小さく溜め息を吐く。
「貴様、本当に役に立たんな」
「も、申し訳なく――」
そう言ってビリーが頭を下げる中、ガスパーはコツコツと足を鳴らし、レガリア城内へ戻って行った。
ガスパーの、まるでゴミや虫を見るかのような目を受け、ビリーの身体がわなわなと震える。
「おのれ……おのれアズリー……!」
歯を剥き出しながら、ビリーは拳を壁に叩きつけた。
轟音と共に壁は崩壊し、明るくなり始めた空を見上げた。
「覚えていろ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
先程までアズリーたちがいた聖堂のような一室。
そこでは白のロイドが、やはりその場でユラユラと揺れながら立っていた。
「ぽぉちぃ」
アルファの死骸や、横たわる兵たちに見向く事なく、ただただ揺れ、呟く。
「あじゅりぃー」
部屋の明かりを見つめながら、その二言だけを呟くロイド。
「あじゅりぃー。ぽぉちぃ。あじゅりぃー。ぽぉちぃ」
壊れたオルゴールのように、決まった動きをしながら決まった言葉しか喋らぬロイド。
しかし、その二言を喋る時、何故かロイドの顔は少しだけ、ほんの少しだけ笑顔になるのだった。
「あじゅりぃー。ぽぉちぃ。あじゅりぃー。ぽぉちぃ」
そこへ、静かで優雅な足音と共に現れた人物。
黒いローブを纏った、黒のイシュタルことイディア。
イディアが視界に入ると、これまで同じ動きばかり繰り返していたロイドの動きが止まる。
「母上」
色のない声と色のない瞳。
そんなロイドは、歩いて近づくイディアが眼前まで来ると、腰を落とし跪いたのだ。
イディアはロイドの前に右手を出し、ロイドはそれをゆっくりと掴む。そして忠誠や敬愛を示すかのようにイディアの手の甲にキスをした。
(洗脳が外れたという事はなさそうじゃな……)
イディアは手を離したロイドの頭を撫でる。
「逃げられたか」
「はい、逃がしてしまいました。申し訳ありません」
ロイドは抑揚のない言葉でイディアに謝罪すると、イディアは少しだけ目を瞑ってそれを許した。
「構わぬ。余も足下を掬われた。けれど、このままではおかぬ。例の研究は進んでいような?」
「はい、完成までもう少しかと」
ロイドの淡々とした言葉に、イディアは満足そうな笑みを浮かべ、うんうんと頷いた。
「ふふふふ、お前はなんと可愛い息子だ。これからも余に尽くせよ?」
「はい」
ロイドを立たせ、その頬に手を置くイディア。
「本当にハドルの若き頃にそっくりじゃな。クリートなんかとは違う、凛々しい顔。美しいのう……」
そう言った後、イディアはロイドの頬に舌を這わせる。
舌先で味わうかのようにゆっくりと。
「お前は誰にも渡さぬ。絶対にのう」
何も言わぬロイドに、イディアは微笑み続ける。
すると背後に気配を感じたイディア。
目を端に寄せ、鋭くした後口を開く。
「覗き見かえ? それとも、嫉妬かのう、クリート?」
背後にいたのは跪いたクリート。
イディアはクリートを見ずに、ロイドを見ながら続ける。
「獣に二度もやられた感想はどうだえ?」
「う、恨みは深く、あの犬への殺意は高まるばかりです……!」
「ふん、余も辱めを受けたのだ。そうでなくてはつまらぬ」
「何卒、何卒私めに奴らへの報復を命じください」
頭を深く下げ、懇願するようにクリートは言った。
「たわけ。少しは頭を使え、この出来損ない」
跪くクリートの拳が強く握られる。
「そ、それではイシュタル様はどのようにお考えで……?」
震えながらイディアに聞くクリート。
「そうだのう……まずはお前と、お前の嫌いなビリーとの協力、というところから始めようか」
ニヤリと笑みを見せたイディアを前に、クリートが頭を上げる。
「私が……奴と?」
困惑するクリートを見てイディアが更に続けた。
「仲間と手を組むのが英雄だけと思ったのなら、それは物語の読み過ぎじゃな。余も余で考えがある。安心するがよい」
「は、はっ!」
再び頭を垂れるクリートの横を、イディアと、ロイドが通り過ぎて行く。
ロイドは慣れたようにイディアの手をとり、先を歩き、イディアをエスコートする。
そんなロイドの後ろ姿を見るクリートの目が怒気に覆われる。
「お前さえ、お前さえいなければ……!」
ぎりと歯を鳴らすクリート。
そして俯き、影に潜りながらブツブツと呟く。
「我は出来損ないではない……! 違うっ!」
やがてクリートの姿は消え、部屋にはアルファの死骸と、気絶した兵が転がるのみとなる。
闇に消えたクリートの代わりに現れる陽の光。
それはやがて、王都レガリアに朝を伝えるのだった。
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