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◇いざなぎの姫◇  作者: 振木岳人
高槻徹平編
7/113

グロスとナットウキナーゼ





長い冬を耐え抜いた小鳥達が生命の謳歌をさえずり、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んでいる若い新緑の生命に、

太陽はキラキラと優しげな光で成長を後押しし、やがて来る「賑やかな季節」の予感を印象付けている。


そんな早春の長野のある朝。


朝食を済ませ、身支度を整え、自室の鏡台の前に座る制服姿の少女。

ポニーテールで前髪を左右に分けただけで、正直、彼女を見る誰もが「色気付いていない」と判断する程に、

こざっぱりとした化粧っ気の無いスポーツ少女。


しかし今、彼女は鏡台の前に座り、自分自身の姿を見ながらドキドキしている。

そして、流れそのままに、引き出しから使った事も無いグロスを取り出す。

しかし、マジマジと見詰めながらもそれを使うのに彼女は躊躇しているのか、

「ポー」っとしたのぼせた表情で頬を赤く染めたまま、昨日の記憶をさかのぼり「記憶の相手」に想いをはせている。




(高槻…徹平…さん)




鏡に向かってちょっと呟いてみる。




「高槻…徹平さん。てっぺい…さん」




グロスはそのまま。若さ溢れてみずみずしい唇を、自分の指で二度三度…ぷにぷにと触る


ふふっ♪


照れ隠しなのか、自分でそう言っておいて自分で笑う。

すると、部屋の外から、母親やしき年輩の女性の声が遠くから聞こえる。


「静音ぇ!学校遅れるよ!新学期早々遅刻はまずいんじゃないの?」




静音「あ、あっ!今行くよう~」




少女は慌てて部屋を出る。


新学期の学園に心踊らせながら向かう彼女。

新しきクラス、新しき環境。それに加え新しき仲間、新しき友人。

更にさらに、「四月からあの学園で世話になる」と言った、あの青年に会えると言う希望が、

彼女の学園へ向かって駆けていく背中を後押しする。


祖母であるみつが言った【高槻に長寿無し】と言う言葉は、意識的に記憶の外へと弾き出しながら。




静音「行ってきま~す♪」




軽やかなステップで作られる、躍動感あふれる胸の揺れもそのままに、

静音は学園へ向かう生徒の流れに乗って行った。




そして、場所は変わり、時間もちょっとだけさかのぼる。


同じく長野市内の某住宅地。


長野市北部の新興住宅地の中でも、ひときわ輝く大きくて新しい豪邸。


チャッチャッチャッチャッ…!


豪華な調度品に囲まれた広い食堂に、陶器に入れられた「粘り気のある物体」を、かき回す音だけが響く。


長いテーブル、その両端にたたずむ人影。

片方の「上座」には年輩の男女、そしてもう片方の「下座」には少女。


年輩の男女は目の前の…ベーコンとスクランブルエッグ、サラダとトーストに一切手も付けず、

もう片方の「下座」にいる少女に注目している。

それも、楽し気に注目しているのでは無い。あえて表現すれば「げんなり」とした気分で、少女を見ているのだ。


年輩の男女が見詰める先にいる少女、先ほどから納豆を、徹底的にかき回していたのだ。


年輩の男女の目の前に洋風の朝食、そして少女の目の前には、ご飯と味噌汁と焼きジャケと海苔、そして納豆を加えた、完全なる和食。

今、少女は年輩の男女の視線を一身に受けつつ、一心不乱に納豆をかき回していたのだ。


「ねぇ麗香…」


納豆をかき回しす少女に、年輩の女性が話し掛ける。




麗香「何ですか?お母様」




麗香から「お母様」と呼ばれた女性は、うんざりしながら麗香に問いかける。




母「麗香…納豆かき回し過ぎじゃね?」




麗香「粘れば粘るほど納豆キナーゼが生きると聞く、努力すれば必ず結果となって帰って来るのが納豆なのです」




母「ふ~ん…」




すると、母親の隣の男性が麗香に声を掛ける。




男性「ねぇねぇ…麗香たん」




ピクッ!




男性「麗香たん、この洋風の屋敷の、優雅な朝食に納豆って。何か似合わないよ」




ピクピクピクピクッ!




麗香「父上、ちょっと黙っててください」




父「え~。何でよ麗香たん、冷たいなぁー」




ピクピクッ(怒)




麗香「うっとうしい!どこの父親が娘を【たん】付けで呼ぶ!」




アンニュイな母親の横で、純金をゴテゴテと身につけた、小太りの父親が涙目で抗議する。




父「ひどいよ麗香たん、こんなに麗香たんの事愛してるのに」




麗香「貴様っ!いっぺん死んでみっか!おおっ!?」




鳳家の朝は…なかなかに殺気立っていた。






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