高槻に長寿無し
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夕方
360度、東西南北を山々に囲まれた長野市は、早々と太陽は山の稜線に沈み、
太陽の「残り香」が淡く、優しく、街を紅く照らしている。
「永田流薙刀道場」の見事な日本庭園を背景に渡り廊下を渡ると、道場主である永田家の別棟がある。
いつの時代に建てられたのか判別出来ぬ程に、すすけた…赤茶けた木が柱を基礎として、
「田舎」を家屋全体で体現している様な質素な趣きの家だ。
薄暗いその永田家内の一角、永田家の数ある部屋の中で、【一番古い人物】が住んでいそうな部屋に今、
四人の人物が「こたつ」を囲んでいた。
いや、厳密に言えば、二人の女性がコタツに入り、その反対側…風靡な和風庭園が覗く畳側では、
男性が一人横になり、枕元では女性が心配そうに男性の顔を覗き込んでいた。
コタツに入る二人の女性とは、この永田流薙刀道場の道場主の老婆、静音の祖母である永田みつ。
そして、私立青嵐学園の空手部部長で、空手道の全日本チャンピオン、鳳麗香。
麗香はみつの煎れた緑茶を行儀良く背筋を伸ばし飲みながら、みつの話…「徹平の一族」の話を聞いている。
そして、横たわる男性とは誰あろう、高槻徹平その人である。
麗香が放った渾身の上段回し蹴りが徹平のこめかみに見事にヒット、そのまま、脳震盪で気絶したのだ。
そして今は、私服に着替えた静音に看病されながら、横になって目を瞑ったまま。
トゲトゲしい…
まるで近寄る者を拒み、全て傷だらけにしてしまう様な、棘の様なものものしい表情は、今の徹平には存在しない。
菩薩を想像させる様な穏やかで気品に溢れた寝顔で寝息を立てている。
その、少年の様な無垢な表情と、大人の男を彷彿させる顔の骨格。
静音は「何故か」頬を赤らめつつ、正座で徹平の顔を「うっとり」と覗き込みながら、
徹平の顔の汗をタオルでぬぐっている。
老婆、永田みつの長い話は続き、その話にいちいち麗香は食い付きながら
「なるほど」「陰陽師ですか」「学園長の身内ですか」などと、合いの手を入れている最中の事。
静音「あっ」
徹平「う…、うう…」
徹平のまぶたがゆるやかに開き、その瞳に生気が戻り始めた。
永田みつ「ふぉふぉ、やっと」
麗香「目を覚ましたか」
静音「だ、大丈夫ですか?」
コタツから伸びる二つの視線、そして徹平の顔を覗き込む静音の視線。
上半身を起こし、あぐらをかく徹平。
徹平に集中する視線に気付き、ゆっくりと振り返る。
徹平「いやはや…ご迷惑をおかけしました」
照れ隠しに右手を頭に当て、体裁を整える様な作り笑顔で挨拶する徹平。
すると、コタツに入っていた鳳麗香がそそくさとコタツから出て、いきなり徹平を真正面にいそいそと…
いきなり、無駄な動きの一切無い、気高く流れる様な美しい土下座をしたではないか。
麗香「高槻様、度重なるご迷惑をおかけしました。
あなた様を犯罪者扱いし、私刑にまで及んだ我らの愚行、この鳳麗香、何とお詫びして良いか」
すると、すかさず静音が麗香の言葉に補足。麗香が今、土下座している理由を説明する。
もちろん、徹平を見詰める瞳は熱く、頬を赤く染めながら。
静音「先ほど…派出所の桐坂巡査が見えられまして、高槻さんのアリバイを証明しておられました」
永田みつ「ふぉふぉふぉ。お主、今日の昼に長野に来たそうじゃの。
松蔵さん所の学園で、桐坂巡査がお主と会ったと」
徹平は永田みつの言葉で昼間の光景を思い出す。
徹平(ああ、あの時の目付きの悪い巡査か)
麗香「二週間前から始まった下着泥棒、今日長野に来た高槻様が犯人である訳が無い。おまけに…」
徹平(…おまけに…?)
静音「盗まれた下着、実は犬が洗濯物から盗んで、捨てられた子猫のベッド代わりに」
麗香「あの後現れた柴犬が、おもむろに洗濯物を盗んで、我々が追い掛けると林の中に…」
徹平「なるほど」
徹平はここで、誰にも気付かれない様に苦笑する
徹平(狛犬のじいさんか、さすがに悪いと思ったんだな)
永田みつ「さ、さ、春の長野はまだ寒い。コタツにあたりなさい、お茶を出そう」
徹平「お気遣い無く。不慣れな土地ゆえ暗くなると道に迷ってしまいます」
笑顔で永田みつの申し出を断り、徹平は立ち去ろうとする。
永田みつ「ふぉふぉ、心配無用。ちゃんと孫の静音が送り届けてやるわい」
静音「は、はいっ!もちろん♪」
コタツを囲む四人
勧められるがままに、ゆっくりと緑茶をすする徹平。
ニコニコと徹平を見詰め徹平の話に耳を傾ける永田みつ。
麗香は申し訳なさそうにうつむきながら茶柱を見詰めつつ、
チラッ、チラっと徹平を横目で覗きながら、うっすらと口元に笑みをたたえている。
静音は徹平にお茶を継ぎ足したくてうずうず…
急須を持ちながら「まだかまだか」と視線で促している。
徹平「高槻の事、良くご存知でしたね」
永田みつ「緋後と高槻には不思議と縁があっての。それで、久兵衛様はお元気かの?」
徹平「祖父ですか。祖父は、父が生まれてすぐに他界しました」
永田みつ「何と!?久兵衛様が?」
笑顔に溢れていたみつの表情が、徹平の話を聞いた途端に険しく、哀しみに染まる。
徹平「五十年ちょっと前でしょうか。
申し訳ありません。祖父については聞かされている話は、ほとんどありません」
永田みつ「久兵衛様に待望の長男が生まれた年、盆休みにひょっこり長野に現れての。
そうじゃったか…、あれからそう長くはなかったか」
徹平「あの、祖父とは…?」
永田みつ「当時…わしがお慕い申し上げていたのが久兵衛様じゃ」
麗香「!!」
静音「!!」
哀しみに暮れながらも、みつは徹平の顔をまじまじと見詰める。
遠く古き青春の日々を、徹平を通じて色鮮やかに思い出している様だ。
永田みつ「ほんに…、ほんに徹平さんは、久兵衛様にそっくりじゃな。
凛々しいお顔に秀麗な眉目、まるで久兵衛様が還って来たようじゃ」
徹平「祖父の事、高槻の事、お話する内容が少ない事、心よりお詫び致します」
永田みつ「ええ、ええ、気にせんでええ。再び高槻の者が訪れてくれた、それだけで充分」
その時、徹平の話の内容に気付いた麗香、聞いて良い事なのか悪い事なのかを判断する前に、つい言葉にしてしまった。
麗香「高槻様、お祖父様について話す事が少ないと言う事は、もしや…お父上様も…?」
麗香の踏み込んだ質問、言って初めて【しまった】と後悔する麗香に対し、
徹平はそれでも穏やかに応える。
徹平「…父も、兄と私が幼少の頃に亡くなりました」
麗香「たっ!高槻様、申し訳ありません。知らぬとは言え失礼な事をっ!」
心の傷をえぐってしまった。心の傷に塩を塗り込んでしまった。
麗香は慌ててコタツから出て、再び土下座で徹平に詫びる。
絶対零度のクールビューティー、女王と学園生から言われる麗香が、
たった一日で怒ったり笑ったり土下座したり…。
氷の女王のこの姿、学園生が見ればどう思うであろうか。
徹平「気にしないでください」
徹平はまたも穏やかな表情で麗香に答える。
麗香「し、しかし…」
徹平「事実ですから。祖父も祖母も、父も母も。正直な所記憶らしい記憶はありません」
静音「あの…ご兄弟も?」
ピクッ!!!
徹平の右眉が少しだけ上がり、口元が微かに引き締まる。
静音の言葉に対して、今まで無かった様な反応を見せた徹平。
その徹平の反応を、永田みつは見逃さなかった。
永田みつ「これ静音、あんまり根掘り葉堀り聞くもんじゃない」
静音「あっ!すっ…すみません!」
祖母が言わんとしている事が、瞬時に理解出来た静音。
既に麗香が同様の質問で、徹平の心を荒立てている。
慌てて徹平に謝罪する静音。
しかし、静音もその時、徹平の微かな異変に気付いていた。
徹平が着ている、徹平よりも一回り大きな空挺部隊のジャンプコート。
徹平は右手で左腕に縫い付けてある腕章を「ギュッ」っと、瞬間的ではあるが握っていたのだ。
凍り付いた場と空気を打ち砕く様に、永田みつが徹平に語り掛ける。
永田みつ「若いのに天涯孤独とは。緋後の一族は、そこまで高槻に求めるのかい?」
徹平は再び穏やかな笑顔に戻る。
【緋後一族の命令で凄惨な任務が続き、高槻一族は消耗する日々を過ごすだけなのか?】と言う、
遠回りでも「ズドン」と来るみつの質問に、徹平は表情から誠実さをにじませ、誠意を込めた声を持って答える。
徹平「いえいえ。江戸の時代より拠を鎌倉に移してからは、むしろ緋後からは格別の配慮を頂いております」
永田みつ「ふむ…昔、久兵衛様から聞いた言葉。【高槻に長寿無し】とは正にこの事か。
この地にとどまり、この地の平安だけを見ていれば良いものを」
みつは、まるで自分の家族の事の様に、徹平の境遇に哀しんでいた。
時間は緩やかに過ぎ行き、いよいよ徹平は永田家を辞する。
永田みつ「まぁまぁ、そんなにあわてんでも。夕飯でもいかがかのう?」
静音「高槻さん!私、お宅までお送りします」
みつや静音の申し出をやんわりと断り、徹平は永田流薙刀道場を後にした。
太陽の「残り香」もいよいよ弱くなり、街々に並ぶ街灯が煌々と道を照らし始める。
街灯が太陽の代わりに、人々に家路へと急ぐ様に照らし、それぞれの「我が家」へといざなっている。
麗香「高槻様!高槻様!」
神社の階段を下っている時、徹平の背後に向かって麗香の呼び止める声が聞こえた。
徹平「鳳?」
徹平を追って道場から駆けて来た麗香、肩で荒く息をしたまま、徹平に問いかける。
麗香「永田さん達の前では言えなかったけど、あの時…私の蹴り…
何故ワザと受けたのですか?事態を収拾する為にワザと気絶したのですか?」
クスッ
麗香「!?」
可笑しくなって軽く吹き出した徹平。
いきなり血相を変えて麗香がやって来たかと思えば、勝った負けたで満足せずに、
「徹平に勝ちを譲られた」と、必死に抗議しているのだ。
徹平「君の実力だ」
麗香「そんな事ないっ!だって、私の蹴りの軌道にあなたはワザと入って来た!
あれは私の最高の蹴りだった、それを見切った上であなたは」
ぽんっ
麗香「なっ!」
麗香の頭に手を乗せる徹平。
徹平「俺は勝ちとか負けとか、そんなものには興味は無い。
生き残るか死ぬか…その二択しか無い世界にいるだけだ」
麗香の頭から手を離し、再び階下に向かって歩き出す。
麗香「高槻様!」
徹平「徹平で良いよ、そんじゃまたな」
後ろ向きのまま手を振り、去って行く徹平。
麗香「て、徹平…。私の、私の事は麗香とお呼び下さい。また、また私と手合わせして頂けますか?」
夕暮れに響く麗香の声。徹平は「ああ」と振り返らずに答えて去って行く。
その徹平後ろ姿を、頬を染めつつ見詰める麗香の面影には、氷の女王などと呼ばれている冷たさなど、微塵も無かった。
高槻徹平の、部分的に波乱に満ちた長野初日は、やっとの事で終わりを告げたのだ。
徹平(あれ…?道に迷ったか?ちょっと、ここどこ?)