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精神疾患

感受性

作者: 酒井順

 時々、文章を書き投稿を終えてから2、3日すると不安に襲われることがある。それは、この文章を目にした読者が傷つけられていはしまいかという不安である。しかし、それは妄想だというものもいる。言論の自由だというものもいる。そして、人を傷つけることを酷く恐れている自分がいる。僕以外の人は「それは葛藤だよ」というかもしれないが、自分の中では完全に仕切られた人格同士の主張なのである。と、同時性多重人格を知覚している僕はおかしいのかもしれない。


 この文章は『感受性』についての記述なのであるから、そこに的を絞ろうと思って精神疾患と感受性の関係を世ではどのようにとらえているのか調べてみた。検索キーワードは『精神疾患 感受性』である。すると思いがけないサイトが上位に食い込んでいる。複数のサイトの論文なるものを読んでみたが、僕が主題としたい『感受性』とは異なる意味で『感受性』という言葉が使われている。論文の内容は精神疾患と遺伝子の関係について述べられているのであるが、そこではある特定の遺伝子が発現すると精神疾患が誘発されるとされている。つまり、特定の遺伝子の発現を『感受』して精神疾患が発病する可能性を示唆しているのである。そして、その特定の遺伝子は同定されたとしている。示唆と同定の間にどのような意味があるのかを考えると「遺伝子は同定したけれど、確信はないから示唆にしておこう」ということなのであろうか。


 このことに反論するつもりはない。そもそも、専門用語の羅列で記述された内容は理解できないため反論は不可能だ。しかし、専門用語が分からずとも何がいいたいのかはわかる。つまり、精神疾患と特定の遺伝子の間には関係があるといっているのだ。ここで、疑問が湧いてくる。関係とは、相関関係なのであろうか、因果関係なのだろうか。相関関係ならば充分にありえると思う。因果関係ならば信じられないと誰かが叫んでいる。

「現代の技術で因果関係を突き止めることは不可能だ」と。


 さて、ようやく実体験と持論を述べることができそうだ。ただし、全ての精神疾患者に共通するのかはわからない。僕と僕の周囲にいる数人からの考察であるから、甚だ心もとない。しかし、僕の目的は全てに対してではなく、僕のあるいは周囲の人たちの平穏であるから、そこは許してもらいたい。


 多くの(数人ではあるが)人たちが、心を傷つけられると健常者の数倍も数十倍も痛みを感じると言っている。これもおかしいと思う。倍ということは、何か基準があるはずである。しかし、そのようなものは持っていない。少なくとも僕は持っていない。ただ、そう感じるのだ。


 あるときに、数人で会話をしていた。最初はたわいもない世間話だったと記憶している。突然に僕の心に感情が雪崩込んできた。他者の感情である。嫌悪感や嫉妬に類する様々な悪感情であった。「あぁ、被害妄想だな」と思っていると、一人の人が僕に向かって、その悪感情を吐露していくのだった。どのくらいの時間が経過したのか記憶にないが、その人は吐露することを止め、はっとしたように口をつぐんだ。周囲の人たちも僕もあっけにとられていたが、誰かが話題をかえて程なく解散となった。


 その人は悲しみを持っているようだった。やはり突然に巨大な悲しみが僕を襲った。このときの時間経過ははっきりと覚えている。待ち合わせの時間がはっきりしていて、その人が去っていった時間もはっきりしていたからだ。過去からの悲しみを吐露し始める。聞いてもいないのに吐露を続けるのだ。僕は頷いて聞いているしかなかった。3時間近くが経過していた。

 徐々に友人と呼べる存在がいなくなり、僕は自閉症となった。


 入院したときのことであったが、精神性の失語症を患っている人がいた。あるきっかけで、その人と筆談をすることになった。僕は話せるのだから書くということをしなくともよかったはずだが、何故か僕もボールペンを持っていた。何を語り合ったのか記憶が薄い。次の日の朝に目覚めるとその人が喜んでいた。声を発することができるようになったというのだ。


 昨年の年末から1月の中旬頃までの間、精神状態が酷く、体調も思わしくなかった。現在は気にならない程度に平穏である。今思えば自分の感情と他者の感情が混在あるいは、入り混じっていたようである。これを被害妄想と呼ぶのかもしれない。実体験も偶然に過ぎず、感情が雪崩込むということは実際にはないのかもしれない。それを実証しろと言われても自分の意思で行ったことではないから無理というものだ。


 結論として思うことは、感受性の強さが精神疾患の要因になっているのではないかということだ。感情の大きなあるいは豊かな人が精神疾患になりやすいのではないかと思っている。感情の希薄な人が被害妄想や幻覚を起こせるであろうか。精神疾患や感情の増大を促す遺伝子があったとしても不思議ではない。しかし、それは根源的な『因』ではないと思う。


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