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●天才比較宗教学者「はかせ」

「だーかーらー! テキストに書かれていることを全て鵜呑みにしては駄目だってーの! 祐は作者崇拝、テキスト崇拝が強すぎる! 嘘は嘘と見破った上で、その上で議論を成り立たせなさい!」


「いやはかせ、テキストを信じなければ、結局はその作品も信じないということじゃないですか」


「違うよ。作者は信じる。その意志と思想は信じる。けど彼が嘘を言っていることも承知する。伝記的事実と違っていることは言うに及ばず。小説ならまだそれがわかりやすいけど、哲学書、宗教書でもそれを怠ってはだめ。けど、私達が肝に銘じておかなければならないのは、『作者も全部わかっているわけではない』ってこと。これは祐も本を書けばわかるけど、結局論文・本を作るのは、積み木でお城を作るんじゃない。むしろお城の設計図を考えたり、お城が何のためにあるのかを考察する、ひとつの『手段にすぎない』と言いきってもいいの」


「すいません、『積み木』と『お城』の比喩がいまいち」


「もととなる主題、補論、その他もろもろのエレメント、それが積み木。お城は、建築された、その学者の思考体系、と私は定義するよ」


「ああ、わかりました」


僕は教授室の中で、大量の本に囲まれながら、少女とこんな話をしている。


ていうか説教を受けている。


小さな窓ひとつしかない部屋、そこから午後の穏やかな光が差し込み。それはまるでひとつの宗教画のようにも見えなくない。大量の本、散らかった部屋、されどそこに知性はあり、師弟の問答。ああ、まるで。


それもそうか、と思う。何しろ、僕の目の前に居る少女は、宗教学者なのだから。少なくとも、凡夫よりは宗教を語るべき存在である……


はーい、ツッコミタイム開始~。


ここにおります十歳ちょっとの少女。長い黒髪を、お前さんエロゲかラノベの幼女キャラかってくらい、露骨にツインテールにしながらも、それが決してあざとくない、ナチュラルな造形の美しさ。可憐さ。あどけなさ。


へろへろになった大人用白衣を、腕をまくり、裾をピンでとめ、余りにぶかぶか、身体に合っていないこと甚だしくあるが、無理やり着ているその姿。

当然ながら化粧っけはない。このご時世、このような少女の年齢ですら、小遣いの中から一定量のコスメ代を勘定するのが当たり前なのだが(恐ろしい……)、そのようなことは、眼前の少女には一切見受けられない。


化粧などに頼らなくても、十二分な美しさを保っている。


その美しさは何によるものかというと、先にも述べたように造形もだが、何より全身にまとい、ぱっちり開かれた目から放出される、圧倒的な「オーラ」によるものだろう。生気が違う。


太陽のようにぎらぎら? 似てはいるが少し違う。例えるなら白熱球の過剰発光だ。激しく、明るく、速く、一瞬にして芯まで透徹する。


それが、天才比較宗教学者である、少女「はかせ」の姿だった。


なぜに僕はこのような年端もいかない娘っこに説教を受けているのか。

師だからである。


なぜに僕はこのような年端もいかないえらそーな娘っこを師と仰いでいるのか。よりにもよってこの僕が。


まぎれもない天才だからである。少女が。


少女――はかせは、いつだって偉そうだ。僕も大概偉そうな自覚はあるけど(物語の半分くらいになってようやくそれ言う!)、目の前に居る天才はそれを凌駕する。


「祐はまだまだ客観性が足りない!」


えらそーに腕組んで、でっかい椅子にふんぞり返って、あぐらをかくはかせ。あ、スリッパ落ちましたよ。


「がんばってるんですけどね」


「頑張るだけなら猿でもできる! 馬鹿でも出来る! みんながんばって、がんばって、懸命に今を生きようとして……で、結果視野狭窄になって、なにが正しい方法か分からなくなって、例えば戦争になるんじゃないか」


「発想飛びすぎですし偏見バリバリだって感があるんですがはかせ」


「倫理観のない『頑張り』なんてそんなもんだって話。いいかい祐、学徒は正しく頑張らなければならない。無駄に頑張る。無闇に頑張る。方法もロクに検討せず、目的が正しいかどうかも疑問せず、ただ目の前の原稿用紙を埋めるだけ『頑張る』……そんなのは、学問じゃないよ」


圧倒的に、はかせが正しかった。


その正論が、まごうことなき正しき学者としての誇りが、はかせを第一線の宗教学者たらしめている。


はかせ。


彼女はフツウの学生、あるいは同僚などには、ちゃんと「○○(苗字)+先生」と呼ばせる。「○○ちゃん」と呼んだ日にゃあ、先に僕に浴びせかけられたような怒涛の論理展開で説教をくらう……ただし、僕に対したようなのとはまるで別な、とても冷酷な怒りでもって。


「学問は能力がすべてだ」


そう言って。


そして親しい……というか、正確には、「認めた」人間には、「はかせ」と呼ばせる。


あんたはDr.スランプのセンベエ博士か、さもなくばあらゐけいいち「日常」のはかせか、ってツッコミたくなるけど、


「私は博士号とってるんだからいーじゃんいーじゃん」

と駄々をこねる。


まあ……実際そうなのである。このロリ博士。それも、単一の号をとるだけでも大変なのに、彼女の場合、複数のものを悠々ととっているのだから、よけいに、といいますか。


彼女の対象は、あまりに複数に渡っていた。


科学、文学、哲学、……そして宗教学。かなり大雑把に揚げたが、より専門的に書けば、


「非ユークリッド方程式体系の示唆が人間じんかんにもたらした世論的『ブレ』並びに可能性」


「グーテンベルグ印刷機の誕生がもたらした『テキスト文化』、それがヨーロッパにおけるエクリチュール至上主義にいかにして至ったか」


「イスラム教におけるキリスト教解釈の多様性=『経典の民』の前駆的同一性、並びに在るポイント以降の相互不理解、相互不可侵性」


あっちいってはこれ、こっちいってはあれ。


人文学の学者が陥りがちな、科学方面の解釈において、数式を無視しがちな行為をはかせは行わない。


「ヨーロッパの学問を知るためには、最低限英語が必要でしょ? だったら、科学分野のことを知るには、どうして共通言語たる数式を使わないの? ばかなの?」

みたいに。


科学史が研究の相応の部分を占めるはかせは、一日において数式を眺める時間が多い。なんで宗教学で科学史なのか、とはかせに問うたところ、


「いいかい祐、私はShape of things humanを探りたいんだ。その最終的なかたちが宗教。しかしいきなり大上段に宗教とことを構えても……あ、いや、その方策、存外有効的なんだけど。恐れないって意味で。でも、私としては、もっと多方面からことを探っていきたい。その際において、科学という視点は、極めて示唆的だ。科学、人間の合理的な精神。宗教、人間の不合理な精神。普通、それならば科学が、とっくに人類精神史のヘゲモニーを奪取していてよさそうなものだけど、案外そうはいかなかった。私はこの『案外』というところに、無数の『何か』を見る」


べらべらべらーっ、と一気にそうまくしたてられて、僕はノックアウトされてしまった。


ていうかこのロリ博士のいうことムズいよ!


だから、はかせは一般的な学生には敬遠されている。はかせ自身も、そういった学生にはあまり興味を示していないようだ。


僕は例外的な存在だったようだ。そして僕にとっても、はかせは例外的な存在だった。


僕は、学問をやる意志はあった。けれど、どの教授につこうか、とまでは、まだ深くは考えていなかった。そういうのは大概三年度の、一般教養課程を終えたあと、各研究室のゼミに配属され、ようやくはじまる。


だがここに、光源があった。


はかせは謎の存在といえばそうだが、別の角度からしてみれば、全然謎ではない。


何故にこんな少女が、このような職についているか、といえば、ただただ彼女が天才であったから、だといえる。謎ではない、というのはそういう意味だ。しかし彼女の天才の所以を知ること、これは全然謎である。


「天才に理由なんてあると思う?」


はかせはいった。


「ニューロン神経の異常発達、サヴァン症候群、なんとでも説明はつけられるよ……『後付け』でね。『天才論』に私が疑問を持つのは、その議論が、例えば『天才は幼年期こうだった、故に天才となった』みたいな感じで進められるから。後出しジャンケンじゃん、それ」

天才から見ると、そう見えるのか、と、似非批評家という、「後出しジャンケン学」の権威となりかけていた僕 (ヤバかった……)にとっては、実に痛かった。


少なくとも、はかせにそのような「理由」を問うても、「忙しいから自分で考えろー!」そう、はかせはこのような愚問にかかずらっている暇が惜しいのだ。


 そんなつまらない学説よりも、自分が楽しい学説を追う。その暴走にも似た、ああ、輝きよ。学者としての。


 はかせは「天才少女」として、燦然と世界に現れた。


 はじめはテレビの格好のタネだった。その領域を越えたのは、クイズ番組のそもそもの矛盾(これは本物の知ではない、ただの権威主義だ云々)を、本番でまざまざと披露してから。その時点ですでに六歳であった。


 「スクール/学校」など、はかせにはお遊戯だった。おそらくはかせにとっては、「兵役逃れ」の方策だったのだろう、過去数年分の大学検定試験を満点でパスし、「この頭脳が大学行けないのは絶対おかしいよ!」というわけで、超々飛び級で大学に入ったのが、次の年。さらに次の年には、卒論書いて大学院。次の年には留学して博士号。むしろ世間の方が「こんなの絶対おかしいよ」といった。マジで。


 そんなのはかせには知ったことではなかった。世間の尺度など、天才の尺度に比べれば……ものの本によれば、モーツァルトはそのころには「プロのピアニスト」「作曲家キャリアの開始」だったそうな。なるほど。天才とはかようなものか。


 不思議なのは、はかせが比較宗教学なんていう、マイナーな方面にいったことだ。もっと派手派手しい場所があったろうに、とひとは言う。小娘に宗教が、人間がわかるか、と人はいう。


 はかせの考えは別だった。「これが人間を知る上で、一番近道なんだよ」と。


 ときどき、はかせが、人間というものを、宇宙人を見ているかのように見えることがある。もっとも、それは僕の見方とそう変わりはしないわけなのだけど。


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